第31部【追随】回復したメルルーシェとアルスベルの散歩
最後まで日の目を見なかった木箱の話。
道行く町民からさりげなくメルルーシェを隠しながら、北東の静かな丘を目指す。町の外にあるため、子どもたちもあまり顔を出すことはない。見晴らしが良く下り面側は町からも見えないため、逢瀬に選ばれる場所と聞く。
ひと気のない場所に未婚の女性を連れていくのは忍びないが、噂の渦中にいる彼女をわざわざ町民のたむろする場所に連れていく気にはなれなかった。
歩幅を合わせながら時折メルルーシェの顔色を伺う。頬に広がる火傷の痕が痛ましい。
「体調は大丈夫そうかい?」
少し肩が上下しているように見えて尋ねると、彼女はにこりと微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。身体は問題なさそうです」
「具合が悪くなったらすぐに戻ろう」
胸元に木箱の厚みを感じながら、すっと視線を逸らした。
町の東門を抜けて、心地の良い日差しを受けながら、重い胸の内を口にする。
「ユンリー様からある程度は聞いたとは思うが、私の口からも説明するよ」
ゆっくりと歩きながら、どう話そうか家でずっと考えてきたことを噛み砕いていく。
「弟のクラインが君を傷つけようとしたのはきっと私と弟の問題が原因だ。
今回の事、本当にすまない。謝って済む事ではないと承知しているが、僕がクラインに目を光らせておくべきだった……」
歩きながら胸に両手を当てる。最大限の謝罪の仕草だった。
謝罪の言葉以降メルルーシェの顔を見ることもできなかったが、彼女は静かにアルスベルの言葉を聞いていた。
火事を鎮火した後、クラインとその部下たちはすぐに癒し手のいる隣町のモハナの神殿へと搬送された。事情を話せる人間がおらず、本隊はすぐにでも“魔力の暴走”を起こしたラミスカを捕えようと動き出しそうだった。
クラインは部隊を束ねる部隊長だ。
“軍の顔を潰された”と、クラインの負傷に憤った別の部隊長たちが、兵士を連れてエッダリーに向かおうとするのを止めるために、その上の階級に位置する連隊長に掛け合ったのだった。
事件がどう処理されるか、今後軍がどんな風に動く可能性があるのかを話す。
あまり軍の構造に詳しくないメルルーシェにも分かりやすいように、言葉を選びながら説明をしている内に丘の膨らみが近付いてきた。足元に注意するようにメルルーシェに手を差し出すと、迷った後遠慮がちに手がのせられた。
「ラミスカが私に事情を話してくれた」
見晴らしの良い丘を少しくだってメルルーシェを振り返る。
「アルスベル様は……ラミスカの言葉を信じてくださったのですね」
いつもより高い位置にあるメルルーシェの顔が、ほっとしたように緩んだように見えた。
胸がずきりと痛んで、くだる足を止めた。
(彼女は僕が自分の弟を信じると思ったのだろうか。)
美しい淡い紫色の瞳を見据えて控えめに口を開く。
「私はラミスカの言葉を、そして君を信じている。
本当にすまない、メルルーシェ……」
メルルーシェの戸惑ったように揺れる視線が、彼女の組んだ指に向けられる。
「アルスベル様が謝まることではありません…
ですが謝罪をお受けします」
メルルーシェはどことなくぎこちなくも柔らかい笑みを浮かべると、胸に手を当てて少し腰を下ろす会釈をした。事件の後から少し、メルルーシェから距離を取られているように感じていた。
彼女は聖女と呼ばれるに相応しい程、心清らかで美しい。責任を感じる自分の心を慰めるために、彼女に無理に謝罪を受けさせてしまったような、そんな罪悪感が生まれる。
「メルルーシェ、私にできることは何でもする。
君とラミスカを助けることに尽力する。
……お、弟が身体を傷付けてしまった責任を取りたい」
メルルーシェは少し驚いたように目を開いたが、穏やかな目元のまま可憐な口を開いた。
「責任はクラインさん本人に取っていただきますから」
面食らって口を開いたまま固まってしまう。
彼女はどういう意味でその言葉を口にしたのか。
勾配のある丘で立っていたせいか、メルルーシェがよろめいた。
咄嗟に身体を支えようと肩に触れると、反射的にびくっと身体が強張ったのが分かった。
メルルーシェが視線を落として、自分の腕をさすった。
「私の方こそ、謝るべきかもしれません。
アルスベル様とクラインさんは全く似ていらっしゃらないのに、どこか似ていらっしゃる」
何となく泳ぐ視線や、よそよそしく感じる仕草に胸が痛かった。
その理由が理解できて、胸に絶望が染み渡っていくのを感じた。
彼女は自分にクラインの影を感じているのだ。
「君が謝ることは、何もない…」
彼女の望むことを叶える、それが自分にできる罪滅ぼしだろう。
強張る顔を隠すように前を向いた。胸元にしまった木箱から手を離して。
「疲れさせてしまったよね。腰を下ろそうか」
(しまった。そのまま地面に座らせたりすれば彼女の服が汚れてしまう。)
体勢を崩さないように声をかけたつもりが、女性への気遣いが頭から抜けていたことに気付いて慌てて振り返ると、メルルーシェは既に何の抵抗もなく地面に腰を下ろしていた。
「敷物を用意するべきだったね」
頬をかきながらメルルーシェの隣に少し間を空けて座る。
「大丈夫です。草を感じられる方が気持ちが良いですから」
メルルーシェは風が心地良いのか、薄っすら目を閉じて微笑んだ。
不意にその横顔に見惚れてしまう。
「ラミスカが、投獄されないように力を貸していただけますか?」
メルルーシェが淡い紫を遠慮がちに覗かせる。その震える声に固唾を呑んだ。
風に舞いながら流れる長い髪に手を伸ばしたい気持ちを抑えて告げる。
「私にできることは全てすると誓うよ」
アルスベルは胸元に視線を落とした。
「その、話を通しやすくするために協力して欲しいことがひとつある」
「なんでしょうか」
メルルーシェの柔らかい声に、脈打つ己の心臓に気付かないふりをして。
『君と私は婚約関係にある、という事にして欲しい』
結局、抑えた胸元から木箱を取り出すことはなかった。