第10話 【旧友の家】 ※06/12昼過ぎ
時は、少し遡る。
【6月12日 午後15:32】
「ここね」
都内某所。
12階建ての古いマンションの前に、刃那子は立っていた。
探偵の情報では、このマンションの三階らしい。
(今時、オートロックも、付いてないだなんて……)
エレベーターのボタンを押しながら、刃那子は驚いていた。
セキュリティーの甘いマンションだった。
賃貸だろうか?
もしかして、このマンション程度のセキュリティーレベルが、普通なのだろうか?
オートロックや、防犯カメラが、当たり前と想っている自分の感覚が、一般から乖離しているのだろうか?
そんなことを考えて少しモヤモヤした。
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ビーッ!
『高橋』と書いた表札の下にあるインターホンを押すと、安い国産車のクラクションみたいな音が室内から聞こえた。
てっきり、ピンポンと音がでるだろうと予測していたので、少し驚いた。
『……はい?』
スピーカーから、いぶかしむ声が聞こえた。
カメラが付いているので、刃那子の顔が見えているはずだが、気付いてもらえなかったようだ。
しかし、刃那子は、その懐かしい声で、甘酸っぱい青春時代が一気によみがえった。
「美冬ちゃん? わたしよ。べつみ……鬼丸刃那子よ」
刃那子は、旧姓で名乗った。
『え? はな……ちょっ! ちょっと待って!』
バタバタと、冷静を欠いた足音が近づき、ガチャン、と大きな音。
ドアが開いた先で待っていたのは、間違いなく、刃那子の旧友――馬殿美冬であった。
刃那子の記憶からシミレートした、まんまの風体だ。
身長は、想定よりも若干高い。170㎝はあるだろう。
運動をする習慣があまりないのか、顔周りには、少し余分な肉がつき始めている。
子供がいる女性は、そうなっても仕方のないことなのだろう。
探偵の情報によると、美冬は結婚して、子供が一人いるはずだ。
「ひさしぶり。美冬ちゃん」
「何年ぶりよ! 全然変わらないじゃない! テレビで観たよ! 偉くなっちゃってまぁ! さぁ、汚いところだけど上がってよ!」
旧友のまくしたてるような口調に、刃那子は、相変わらずだな、と思った。
思ったことを、そのまま言う性格は変わっていないようだ。
(それにしてもテレビ? どの番組かしら?)
刃那子はこれまで、なんども、テレビに出演したことがある。
主に【敏腕、美人女社長】、という、こっぱずかしい肩書きでの出演だ。
自己顕示欲の少ない刃那子であったが、自分がテレビに出演することによって、会社の経営がプラスに傾くなら、願ったりである。
しかし、今にして思えば、忘れていた大事な友達が、電波に乗った刃那子を見つけてくれるのを、無意識に期待していたのかも知れない。
「おじゃまします」
玄関をくぐると、小さな運動靴が何種類か散乱していた。
用意されたスリッパを履いて廊下を5メートルほど進むと、そこは10畳ほどのキッチン・ダイニングだった。
家族の生活する場所――刃那子は、そこに部外者として存在していた。
「適当に座っててよ」
刃那子は、若干の居心地の悪さを感じながら、調味料や、柑橘系の果物が並べてある、四人がけの食卓へ腰を下ろした。
★
「おまたせ。どうしたの、いきなり?」
美冬は、お盆に載せて持ってきたお茶のひとつを、刃那子の前に置いた。
粗茶ですが、と冗談っぽく言い、そのまま対面に腰を下ろす。
「サッちゃん――樹神幸子のことを聞きたいの。ねぇ、彼女が、今どこにいるか、知らない?」
美冬よろしく、刃那子も直球を放った。
すると……美冬の表情から、笑みがスッと消えた。
「サッ……ちゃん?」
美冬はそう呟くと、なにかを思いだしたかのように、みるみる顔が青くなった。
「美冬ちゃん、なにか知ってるの?」
「し、知らない! わたし知らない!」
目を合わせようともせず、美冬は叫んだ。
「ねぇ、みふ……」
「帰って! 他に用事がないんだったら、帰ってよ!」
「せめて、わたしが転校してからの……」
「帰って! わたしは知らない! わたしじゃない! わたしは悪くない!」
……話にならなかった。
美冬は、『サッちゃん』という言葉を皮切りに、スイッチが入ったように、パニックに陥っている。
「帰って! 出て行って!」
美冬は、刃那子のどんな質問にも、答えようとしなかった。
「……じゃあ、失礼するわ。話す気になったら、連絡してちょうだい」
刃那子は、テーブルに名刺を置いた。
「話すことなんか、ないわ! 帰って! 帰りなさいよ!」
美冬は、名刺に見向きもせず、刃那子を玄関へ追いやった。
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「美冬ちゃ……」
バタンッ! ガチャン!
玄関を出た刃那子の顔も見ないまま、大きな音を立ててドアを閉じた。
鍵を掛ける音の大きさで、刃那子は、自分の存在がシャットアウトされたのを、改めて実感した。
時刻は15:40
五分も滞在していなかったらしい。
エレベーターで下りながら、刃那子は、先ほどの美冬の様子を思い出していた。
明らかな狼狽。そして困惑。それに――罪の意識。
美冬の口調は、たしかに怒ってはいた。
しかし、刃那子はそこに、”怒りの感情”をくみ取れなかった。
(サッちゃんの失踪に、直接関わって……? ――いや、そうだとすると、わたしを最初に受け入れた理由がわからないわ……)
美冬の、態度の急変。
そこに、ヒントがありそうだ。
刃那子は、冷静に事態を分析しつつも、小さくなかった不安が、さらに大きく膨らむのを感じていた。
(ねぇサッちゃん……あなたに、なにがあったの?)
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ピピピピピピピッ!
近くの駐車場に止めた車に戻り、エンジンを掛けようとしたとき、電話が鳴った。
【着信 迷探偵】
「もしもし、なにか進展があったの?」
『俺だ……いや、進展はない。樹神幸子は、依然消息不明だ。ただ……。いいか、刃那子。落ち着いて聞け、………………、…………! ……………………。……………………』
「まさか、そんな……」
携帯を握る刃那子の顔から、みるみる血の気が引いていった。




