1.ヤンデレ? 監禁? なんのことですか?
贅を尽くした、広々とした寝室。
大きな天蓋付きベッドの端に、フィオナ・グランヴェルトが腰かけていた。
艶やかな銀髪に、蜂蜜のような甘い色合いの瞳。美しいドレスをまとった姿は、誰が見ても深窓の令嬢そのものだ。
枷から伸びる太い鎖は、ベッド脇の壁に埋め込まれた鉄輪へとつながっている。
さらに、寝室の扉には幾重もの魔法の結界が張られていた。
まるで、凶悪な魔物でも閉じ込めているかのような厳重さだった。
ところが、当のフィオナは困ったように首を傾げていた。
「うーん……旦那様ったら、またこんなことをして。本当に心配性だわ」
フィオナは足元の鎖を眺め、小さく息をついた。
どうやら今回も、ずいぶん頑丈なものを用意したらしい。
けれど、今はそれよりも気になることがあった。
(そろそろ、雪角鹿が美味しい時期なのよね……)
「今の時期は脂がのって格別なのに。旦那様にも、ぜひ食べていただきたいわ」
香ばしく焼けた雪角鹿の肉を想像すると、思わずお腹が鳴りそうになる。
「……そうだわ!」
フィオナはぱっと顔を上げ、足首の枷に手をかけた。
そして、ほんの少し力を込める。
バキンッ!
乾いた音とともに、頑丈な金属の枷が真っ二つに割れた。
「よいしょっと」
何事もなかったように立ち上がると、フィオナは扉ではなく、その隣の石壁へ向かった。
「扉がだめなら、こちらから出ればいいのよね」
小さな拳を握り、軽く腕を引く。
次の瞬間。
ドゴォォォンッ!!
凄まじい轟音とともに、分厚い石壁に巨大な穴が開いた。
土煙が舞い、砕けた石が床へ降り注ぐ。
「よし! これで出られるわ!」
満足げに微笑んだフィオナだったが、崩れた壁を見て、ふと首を傾げた。
「……これはちょっと、まずいかしら?」
修理には、相当なお金がかかりそうだ。
しばらく考え込んだあと、フィオナは名案を思いついたように手を打った。
「そうだわ。魔物を狩って、素材を売ったお金で修理してもらいましょう!」
我ながら素晴らしい考えだと頷くと、フィオナは軽やかな足取りで大穴から外へ出ていった。
――なぜ、可憐な公爵夫人がこれほどの怪力を持ち、夫に監禁されるようになったのか。
話は数か月前に遡る。
* * *
「まあ、ユリウス様! こんな素敵なものを……!」
王宮の応接室に、弾んだ声が響いた。
ロザリアは美しい宝石をあしらった首飾りを眺め、うっとりとため息をつく。
柔らかな金髪が揺れ、緑の瞳は宝石にも負けないほど輝いていた。
「ははっ。そこまで喜んでもらえるとは、贈った甲斐があるな」
第二王子ユリウスは満足げに笑った。明るい金髪に、澄んだ青い瞳。王子らしい華やかな容姿を持つ青年だった。
その様子を、フィオナは静かに眺めていた。
ユリウスはフィオナの婚約者で、ロザリアは彼女の異母妹だ。
本来なら婚約者同士で過ごすはずの茶会に、ロザリアが同席することも、今では当たり前になっていた。
ユリウスはふとフィオナへ視線を向けた。
「なんだ? 君も欲しかったのか?」
フィオナがこれまでユリウスから贈られたものは、数えるほどしかない。それも、婚約者としての義務を果たすための形式的な品ばかりだった。
「いえ、私にはもったいないものです」
いつものように控えめな笑みを浮かべる。
すると、ユリウスはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふん。相変わらず、つまらない女だな。少しはロザリアを見習ったらどうなんだ?」
「申し訳ございません」
フィオナが頭を下げると、ユリウスは興味を失ったようにロザリアへ向き直った。
二人の楽しそうな会話が続く。
フィオナは静かに微笑みながら、茶器に視線を落とした。
茶会のあと、三人は王宮の食堂へ移動した。
ユリウスの前には豪華な肉料理が運ばれてきたが、フィオナとロザリアの皿には、上品に盛りつけられた少量の料理しかない。
この国では、貴族女性は慎ましく、か弱くあることが美徳とされていた。食事も少量で済ませるのが淑女のたしなみだ。
「ごちそうさまでした。もう十分ですわ」
ロザリアは料理を少し口にしただけで、ナプキンを置いた。
「もういいのか? 女性というのは、本当に少ししか食べないものだな」
「まあ、ユリウス様ったら。淑女が殿方のようにたくさん食べるなんて、はしたないことですもの」
「ははっ、そういうものか」
二人が笑い合う傍らで、フィオナは黙々と料理を口へ運んでいた。
しかし、あっという間に皿は空になってしまう。
(……もう終わりなのね)
本当は、まだまだ食べ足りない。
思わずユリウスの皿に盛られた分厚い肉へ目を向ける。
(いいなあ……)
けれど、追加を頼むわけにはいかなかった。
父エドガーからは、常々「せめて見かけだけでも淑女らしく振る舞え」と厳しく言いつけられている。
そのとき、きゅるる、と小さくお腹が鳴った。
(……っ!)
フィオナは慌てて背筋を伸ばす。
幸い、ユリウスとロザリアは会話に夢中で、気づいていないようだった。
(帰ったら、森へ行きましょう。きっと、美味しいお肉が手に入るはず)
そう考えると、フィオナの口元に小さな笑みが浮かんだ。
* * *
王宮から戻ったフィオナが向かったのは、侯爵家の立派な本邸ではなかった。
敷地の隅にひっそりと建つ、古びた離れ。
そこがフィオナに与えられた住まいだった。
フィオナは窮屈なドレスを脱ぎ、使い慣れた狩猟用の服に着替える。
髪を一つにまとめ、腰に解体用のナイフを差せば準備は完了だ。
「さて、と。今日は何が獲れるかしら」
先ほどまでの人形のような微笑みとは違い、その顔には生き生きとした笑みが浮かんでいた。
フィオナは誰にも見つからないよう離れを抜け出すと、侯爵領の森へ向かった。
森へ入ると、慣れた足取りで奥へ進んでいく。
やがて、木々の向こうに巨大な魔物の姿を見つけた。
「……あら?」
それは、グランドボアと呼ばれる猪型の魔物だった。
牛を遥かに凌ぐ巨体に、鋭く突き出た二本の牙。フィオナに気づくと、地面を踏み鳴らし、威嚇するように唸り声を上げた。
普通の令嬢なら、その恐ろしい姿を目にしただけで腰を抜かしてしまうだろう。
しかし、フィオナは目を輝かせた。
「まあ! ふふっ、今日はご馳走ね!」
そう言うなり、巨大な魔物へ向かって駆け出した。




