第33話 勝利の宴
大牙の討伐が終わると、俺たちは北の友好国の中心部へ案内された。
街道を脅かしていた魔物を片づけたのだから、感謝されること自体はおかしくない。おかしくないのだが、用意された席を見た時、俺は少しだけ身構えた。歓迎の宴、というやつだった。
こういう場は苦手だ。
礼を言われるのも、酒を勧められるのも、料理を並べられるのも、別に嫌なわけではない。問題は、そういう場で俺の仲間たちが何をしでかすか分からないことだった。
ガルドは、こういう時だけは意外と静かに飲む。そこは助かるのだが、あの男は黙って酒を飲んでいるだけで、周囲に妙な緊張を与える。
ミアは大人しくしていれば目立たないが、怪我人でも出ようものなら、その場の空気ごと凍らせるような額を平然と口にする。
爺は何を言うか分からず、リリアは機嫌がよくなると距離感がおかしくなる。ラッキィは、何もしていない時ほど怖い。
そして、今はそこに転移者四人までいる。
俺は早くも胃のあたりが重くなるのを感じていた。
宴席へ向かう前、ラッキィがどこか満足げな顔で戻ってきた。
「レイさん、見てください。面白い石を買いました」
「またか」
ラッキィは、こういうしょうもないものを集めたがる癖がある。道端の変な形の石、欠けた古い金具、用途の分からない木片。本人にとっては宝物らしいが、俺からすれば荷物が増えるだけだ。
ラッキィの手のひらには、小さな石が乗っていた。水晶とも琥珀ともつかない、淡く濁った石だ。中には、小さな虫のようなものが閉じ込められている。丸い背を持ち、節のある脚を抱え込むように固まっていた。
「これ、化石じゃないっすか?」
シャドウが覗き込んで言った。
「かせき?」
「大昔の生き物とかの跡が、石みたいになったやつっす」
「そんなものを買ってどうする」
「面白かったので」
ラッキィは当然のように言った。
だが、ラッキィが変なものを買ってくるのはいつものことなので、俺はそれ以上深く考えなかった。
宴席には、北の国らしい料理が並んでいた。厚く切った肉を香草と一緒に焼いたもの、山で採れる茸の煮込み、冷たい川魚を酢で締めたもの。王都ではあまり見ない料理ばかりだったが、どれも悪くない。むしろ、かなりうまい。
その中でも、転移者たちが一番食いついたのは、小さな白い果物だった。
「うまっ。何これ」
シンゴが目を丸くする。
「雪蜜果だそうです」
ヒナが、給仕から聞いた説明をこちらへ伝えた。
薄い皮を破ると、中から蜜のような果汁があふれる。甘いのにくどくなく、後味には少しだけ酸味が残った。確かにうまい。隣ではリリアも目を輝かせている。
「これ、王都にも持って帰れないんですか?」
ヒナが給仕に尋ねると、相手は申し訳なさそうに首を振った。
採ってから半日も経つと香りが落ち、一日置けば皮がしぼんで味も変わってしまうらしい。だから、この国に来た者だけが食べられるものだという。
「王都へ持って帰りたいです」
ラッキィが真顔で言った。
「無理だと言っていただろ」
「でも、王様にも食べさせたら喜ぶかもしれません」
「余計な土産を増やすな」
「でも、面白いです」
「面白いで何でも持ち帰ろうとするな」
俺がそう言った時、爺が皿の上の雪蜜果へ指先を少し動かした。
「薄膜封天、香息留命、腐風拒絶」
爺の声が、低く落ちる。
次の瞬間、雪蜜果の表面を薄い膜のようなものが包んだ。透明で、ほとんど見えない。だが、果物の周囲だけが外の空気から切り離されたように、かすかに光を反射していた。
「……何をしたんだ」
「保存……だと思います」
ヒナが恐る恐る言った。
「外の空気に触れないようにしているのかな。私たちの世界にも似たような保存方法はありますけど……これは、たぶんもっと繊細なことをしています」
「繊細なこと?」
「完全に閉じ込めているわけじゃない気がします。中の果物を潰さず、香りも逃がさず、でも必要なものは残しているというか……」
ヒナは言いながら、自分でもうまく説明できないのか首を傾げた。
爺は何も答えない。
ただ、皿の上の雪蜜果は、たしかに採れたばかりの艶を保ったままだった。
昔、ミアが爺について「便利止まり」だと言っていたことを思い出す。
便利。
確かに便利ではある。
だが、果物を潰さず、香りも逃がさず、外の空気だけを遮るような真似を平然とやってのける人間を、ただ便利という言葉で片づけていいのだろうか。
俺がそう思っていると、リリアも同じような顔で爺を見ていた。ヒナは純粋に驚いているし、シャドウなどは口を半開きにしている。
「お爺さん、何でもできるんすか」
シャドウが言った。
俺も聞きたかった。
爺は、ゆっくりと首を横に振る。
「万能無縁、隙間小技、拾集小箱」
「……何て?」
「たぶん、何でもできるわけではない、と言っているんだと思います」
ヒナが自信なさげに訳した。
「今の分かったのか?」
「分かってはいませんけど何となく」
分かっていなくても、一緒にいると何となく伝わってしまうのが爺の厄介なところだった。
宴席は、その後も和やかに進んだ。
酒も入って、場はかなり緩んでいた。この世界では、酒を飲む年齢にそこまで明確な決まりがあるわけではない。転移者たちも、最初は恐る恐るだったが、すぐに少しずつ飲み始めた。もっとも、サチコだけは杯を両手で持ったまま、ほとんど口をつけていなかったが。
それでも、サチコは以前よりずっと場に馴染んでいた。
料理に手を伸ばせずにいると、ヒナがさりげなく皿を寄せる。シンゴが大きな肉を取ろうとして、ヒナに手を叩かれる。
「それ、大原さんに回して」
「分かってるって」
「今、自分で食べようとしたでしょ」
「してねえよ」
していた。
シャドウは笑いながら、小さく切った肉をサチコの皿に置いた。
「サチコさん、こっちの方が食べやすいっすよ」
「あ、ありがとうございます……」
サチコは小さく礼を言った。その声はまだ弱いが、最初に会った時ほど固くはない。
四人が、少しずつ四人になっている。
そんな妙な感想が浮かんだ。
ガルドは、シンゴと妙に気が合っていた。というより、シンゴが一方的にガルドへ食いついている。
「ガルドさん、普段何食ったらそんな体になるんだよ」
「肉だ」
「いや、それだけじゃならねえだろ」
「肉を食って、動く」
「だから、それだけじゃねえって」
「いや、実際それでこうなったんだがな」
「説得力あるようでねえな」
シンゴは呆れたように笑いながらも、どこか楽しそうだった。ガルドも嫌がっている様子はない。体格のいい若い男が、自分に遠慮なく話しかけてくるのが、案外悪くないのかもしれない。
その流れで、シンゴがふとガルドの顔を見た。
「その顔の傷、戦いでついたのか?」
酒の入った勢いだったのだろう。
その問いに、俺とリリアは思わずガルドを見た。
少し前、俺たちも同じようなことを聞いたことがある。アジトでのことだった。その時、ガルドははっきり答えなかった。面倒そうに話を濁して、それ以上は聞くなという空気を出していた。
だから今回も、適当に流すと思っていた。
だが、今日は酒も入り、機嫌がよかったのかもしれない。ガルドは肉を噛みながら、思ったよりあっさり答えた。
「火傷だ」
「火傷?」
「昔、建物が燃えてた。中に女のガキがいた。だから入った」
「それで助けたのか?」
「助けた」
「すげえじゃん」
「すごくはない。入らなきゃ死んでた」
ガルドはそれだけ言うと、また肉に手を伸ばした。
そうだったのか。
俺は思わず、リリアと顔を見合わせた。リリアも同じような顔をしていた。前に聞いた時には答えなかったくせに、今日はやけにあっさりしている。
「ガルドさんって、どこからどう見ても悪者なのに、顔に似合わずいいところあるんだねー」
リリアが、にこにこしながら言った。
「顔に似合わずは余計だ」
ガルドが低く返す。
「でも実際、ガルドさんって悪者っぽいです」
ラッキィまで乗った。
「お前は黙って石でも眺めてろ」
「はい」
ラッキィは素直に、さっき買った小さな石を取り出して眺め始めた。
それはそれでどうなのか。
「だから言いたくなかったんだ」
ガルドが、面倒そうに酒を飲む。
「どうせそういう顔をされる」
「いい話なのに?」
「俺が言うと似合わねえだろ」
「まあ、似合わないね」
「リリア」
「でも、いい話だよ」
リリアがそう言うと、ガルドは鼻を鳴らしただけだった。
その時、爺がわずかに顔を上げたように見えた。
「灰中拾命、黒腕幼灯」
「……何だ?」
「いや、分からん」
ガルドは気にした様子もなく酒を飲んだ。
爺もそれ以上、何も言わなかった。
ガルドは乱暴だ。口も悪いし、手も早い。まともな人間かと言われれば、俺でも少し迷う。実際、何人か殺っている。そういう男ではある。
だが、こういう話を聞くと、単に暴れるだけの男ではないのだと、嫌でも思わされる。
もっとも、本人はそんなふうに見られることすら面倒なのだろう。
「ミアさんって、いつもあんな感じなんすか」
少し離れたところで、シャドウが俺に小声で言ってきた。
「あんな感じとは何だ」
「いや、細いのに圧がすごいというか……」
「本人の前では言うなよ」
「言わないっすよ。死にたくないんで」
軽い調子だった。
ミアはその声が聞こえたのか、こちらを一瞥した。シャドウはすぐに姿勢を正す。
「ほらな」
「今ちょっと死んだかと思ったっす」
「思ったなら言うな」
シャドウは口を押さえて笑った。
ヒナはリリアについて質問してきた。
「リリアさんの格好って、この世界だと普通なんですか?」
「普通……ではないと思う」
俺がそう答えると、リリアがすぐにこちらを見た。
「えー、似合ってるでしょ?」
「似合ってます! ただ、すごいなって思っただけで」
ヒナが慌てて言う。
「ふふ、ヒナちゃんも着てみる?」
「いえ、それはちょっと……」
「似合うと思うけどなあ」
リリアは楽しそうだった。力試しの時、ヒナの魔法を見て涙まで流した人間と同じとは思えないほど、自然に笑っている。もともと人懐っこい性格もあるのだろう。ヒナもヒナで、きちんと相手の距離を測るのがうまい。
爺については、シャドウがまた俺に聞いてきた。
「お爺さんって、何であんな喋り方なんすか」
「俺にも分からん」
「仲間なのに?」
「仲間だから分かると思うな」
「深いっすね」
「深くはない」
ただの事実だ。
シンゴはシンゴで、爺に向かって普通に杯を掲げていた。
「爺ちゃんも飲むか?」
「酒精巡魂、老骨微笑」
「お、飲むってことか?」
「たぶん、違うと思う」
ヒナが横から言った。
「じゃあ何なんだよ」
「分からないけど、たぶん違うと思う」
「分かんねえのに否定すんなよ」
そのやり取りを聞いて、爺が少しだけ肩を揺らした。笑ったのかもしれない。表情が見えないので、確信はない。
そんな他愛もない話が続いた。
笑い声が上がり、杯が重なり、料理の皿が次々と空になっていく。俺たちのパーティーと転移者たちの間にあったぎこちなさも、少しずつ薄れていた。
力の出どころに思うところがないわけではない。
だが、こいつらは悪人ではない。誰かを傷つけることを楽しんでいるような連中ではなかった。シンゴは横柄なところがあるが根は単純だし、シャドウは調子に乗りやすいだけで悪意はない。ヒナはまともに話が通じる。サチコはずっと不安そうだが、それでも少しずつ笑うようになっている。
だからだろう。
俺も、少しだけ気が緩んでいた。
「でも、正直ちょっと物足りないっすね」
シャドウが、ふとそんなことを言った。
「物足りない?」
「いや、大牙もすごかったんすけど。もっとこう、ファンタジーっぽいのを想像してたんすよ」
「ふぁんたじー?」
「えっと……物語っぽいというか。ケルベロスとか、ミノタウロスとか」
「ああ、ゴーレムとかグリフォンとかもな」
シンゴが乗る。
「キマイラとか、バジリスクとかも定番だよね」
ヒナまで普通に言った。
俺は眉をひそめる。
「けるべろす?」
また知らない言葉が増えた。
「三つ首の犬っす」
「犬に首が三つあってどうする」
「そこがいいんじゃないっすか」
「よくない」
「じゃあ魔族は?」
「魔族?」
「角が生えてて、魔法使って、人間と敵対してるやつっす。そういうの、いるんでしょ?」
「いない」
「えー」
シャドウとシンゴが同時に声を上げた。
「本当に何もいないじゃないっすか」
「大牙はいた」
「あれはあれで良かったっすけど、なんか違うんすよね」
何がどう違うのかは分からないが、どうやらシャドウ達の世界ではそういったものが、物語の定番としてあるらしい。どれも俺の知らない言葉ばかりだ。
「ドラゴンは?」
シンゴが聞いた。
俺は少しだけ考える。
「伝承くらいならある」
「いるんすか?」
シャドウの目が輝いた。
「遥か昔にはいたと言われている。今も世界のどこかにいるとか、もういないとか、そういう話は聞く」
「いるじゃないっすか!」
「いるとは言っていない」
「でも可能性はあるんすよね」
「ドラゴンとか実際出たら死ぬだろ」
シンゴが笑う。
「いや、それは死ぬっすね」
シャドウも笑った。
「でも見たいんだ」
「見たいっす」
「馬鹿だろ」
「異世界まで来たんだから、どうせならってやつっすよ」
その調子の軽さに、俺は小さく息を吐いた。
そうこうしていると、話はいつの間にかシャドウ達がいた元の世界での思い出話へ移っていた。
「そういえば影山、お前さ」
シンゴが悪い顔をした。
「やめろ」
シャドウが即座に言った。
「まだ何も言ってねえだろ」
「赤木っちがその顔する時は絶対ろくでもない話っす」
「中学の時、設定ノート書いてただろ」
「赤木っち、それは死ぬ。マジで死ぬっす」
「黒き断罪者とか、漆黒の――」
「やめろ! それ以上は死ぬ!」
シャドウが頭を抱える。
ヒナは少し納得したように、シャドウを見た。
「影山くん、やっぱりそういうの好きだったんだ」
「佐倉さんまで食いつかないでください」
「だって、クラスではそういう話、全然してなかったじゃない。スポーツとか、流行りの音楽とか、そういう普通の話ばかりしてたから」
「普通って言い方がもう刺さるんすよ」
シャドウは少しだけ肩を落とした。
「まあ、隠してたんすよ。そっちの方が、何かと楽だったんで」
「でも、今は隠す必要ねえもんな」
シンゴが笑う。
「異世界だし」
「そうっすよ。異世界に来てまで普通の影山翔太やってどうするんすか」
シャドウはそう言って、少しだけ胸を張った。
「今はシャドウっす」
「そこで堂々とするのが、ちょっと腹立つよね」
ヒナが言うと、また笑いが起きた。
「赤木っちだって、こないだの体育祭で変な入場して滑ったじゃないっすか」
「あれは滑ってねえ」
「いや、滑ってたよね」
ヒナが言った。
「佐倉まで言うな。死ね」
「すぐ死ねって言わない」
「じゃあ言うなよ」
「言うでしょ。あれは言うよ」
「マジで死にたいくらい恥ずかったんだからな」
シンゴが顔をしかめると、シャドウが笑った。
「自分で言うんすね」
「うるせえ」
「佐倉さんだって、前にすごい真面目な顔で詩みたいなの書いてませんでした?」
「書いてない!」
「え、書いてたのか?」
シンゴがすぐに食いつく。
「書いてないってば!」
「じゃあ何でそんなに焦るんすか」
「焦ってない!」
「いや、めちゃくちゃ焦ってるだろ」
「赤木くんまで乗らないで!」
「で、どんな詩だったんだよ」
「言わない。絶対言わない」
「やっぱ恥ずかしいやつじゃないっすか」
「違う!」
「恋の詩か?」
「違う!」
「じゃあ何なんすか」
「だから言わないって言ってるでしょ!」
ヒナは顔を赤くして、二人を睨んだ。
「もう、二人とも死んじゃえ!」
そう言うと、シャドウとシンゴが声を上げて笑った。
転移者たちの冗談の言い方は、俺たちの感覚とは少し違うところがある。口では平気で物騒なことを言うくせに、そこに本気の殺意や悪意があるわけではないらしい。
この場の誰も、本気で相手に死んでほしいなどと思っていない。そういう意味で使っている言葉ではないのだろう。俺にもそれくらいは分かる。
ただ、サチコだけは、そういう言葉が出るたびに少しだけ目を伏せていた。
誰かを責めるような顔ではない。場を壊そうとしているわけでもない。ただ、そういう言い方に慣れていないだけなのだろう。
それでも、シャドウが大げさに胸を押さえて倒れるふりをすると、サチコは小さく笑った。
「サチコさんに笑われた。俺もう終わりっす」
「ご、ごめんなさい」
「いや、そこは笑っていいところ」
シンゴがそう言って、皿の肉をサチコの方へ寄せる。
「ほら、食えよ。ずっとちまちま食ってるじゃん」
「あ、はい……」
「赤木くん、言い方」
ヒナがすぐに注意する。
「食べなよ、でしょ」
「同じだろ」
「同じじゃない」
サチコは困ったように笑いながら、少しだけ肉を口に運んだ。
その後も宴席はしばらく続いた。
シャドウは相変わらず調子に乗り、シンゴは大声で笑い、ヒナは二人をたしなめながらも結局一緒に笑っていた。サチコも、最初よりはずっと肩の力が抜けている。
力試しをした時は、こいつらの力ばかりが目についていた。これから何が起きるのか、俺には分からなかった。
だが、今夜の転移者たちは、ただの年頃の若者たちに見えた。
調子に乗り、恥ずかしい話で笑い、うまいものを食べて、感謝されれば素直に喜ぶ。
悪い奴らではない。
それが分かっただけで、今夜は十分だった。
俺は杯の中身を少しだけ飲み、久しぶりに肩の力を抜いた。
仕事は終わった。
今夜は、そう思ってよかった。




