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歪んだ因果の勇者譚 ~世界を救えと言われたが、勝手に選ばれた仲間が問題児だらけで、しかも一人でも追放すると俺が爆散する~  作者: たま8


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第32話 大牙

 結局、その夜は眠れなかった。


 白い空間から戻された後も、俺はしばらく寝台に腰を下ろしたまま動けずにいた。“あれ”の声が耳の奥に残っている気がして、目を閉じても眠りに落ちることができなかった。


 それなのに、夜が明ける頃には、会話の細部が少しずつ曖昧になっていた。


 夢を見たわけではない。少なくとも、そう思っている。だが、何を聞き、何を答えられたのか。大筋は残っているのに、肝心な部分ほど霧がかかったようにぼやけていた。転移者を呼んだのは“あれ”ではない。願いという力には気をつけた方がいい。固定パーティーを維持しなければならない。その程度は覚えている。


 けれど、なぜ願いに気をつけなければならないのか。どこまでが危険で、何が駄目なのか。そこを考えようとすると、手の中の水が指の間から落ちるように、言葉が崩れていった。


 それとは別に、もう一つ妙なことがあった。


 あれほど気にしていた“祝福”の使用回数が、なぜか今は遠い話のように感じられる。何かが起こるたびに減っているのではないか。いつか尽きるのではないか。そう考えるだけで胃の奥が重くなっていたはずなのに、今はその不安がうまく形にならない。


 気にしなくていい。


 頭のどこかで、そう決めつけているような感覚があった。“あれ”が何かしたのか。それとも、俺が疲れすぎているだけなのか。どちらにしても、今さらどうしようもなかった。


 そのくせ、どうでもいいことだけは妙にはっきり覚えている。


 “あれ”の名前が、結局“あれ”になったこと。


 思い出しただけで腹が立つ。


 朝になり、俺たちは北の友好国へ向かう準備を整えた。王が手配した馬車は、普段俺たちが使うものよりもずっと速く、揺れも少ない。ありがたい話ではある。ありがたい話ではあるが、そこに十人も乗るとなると話は別だった。


 俺、ガルド、ミア、爺、リリア、ラッキィ。そこにシャドウ、シンゴ、ヒナ、サチコが加わる。


 十人。


 改めて数えると、それだけで胃が重くなる。


「願いは、あまり気軽に使うな」


 出発前、俺は転移者たちにそう言った。


 言ってから、自分でもその言葉の弱さに気づいた。気軽に使うな。あまり使うな。どれも曖昧だ。命令にも説明にもなっていない。


 シャドウが首を傾げる。


「なんでっすか?」


「……分からん」


「分からないんすか」


「ただ、そうした方がいい気がする」


 我ながら、説得力のない言い方だった。


 シンゴが少し眉を上げる。


「それ、俺らの力が気に入らねえだけじゃないのか?」


 そう言われても仕方がなかった。


 実際、こいつらの力に思うところがないわけではない。積み上げてきたわけでもない力で、ガルドを投げ、リリアを泣かせ、ミアの顔色まで変えた。それを面白くないと思う気持ちが、俺の中に全くないと言えば嘘になる。


 だから、強く言い返せなかった。


「そういうつもりではない」


「じゃあ、どういうつもりだよ」


「……分からん」


「分かんねえのかよ」


 シンゴの言う通りだった。


 横からヒナが口を挟む。


「でも、レイさんが何か気にしているのは本当だと思う。使うなら、必要な時だけにした方がいいんじゃないかな」


「切り札温存ってことっすね」


 シャドウは勝手に納得したように頷いた。


「それなら分かるっす」


 たぶん、分かっていない。


 俺自身も、分かっていないのだから当然だった。


 サチコはそのやり取りを聞きながら、不安そうに目を伏せていた。自分はまだ願いを使っていない。だから余計に、願いというものにどう向き合えばいいのか分からないのかもしれない。


 ただ、サチコが完全に浮いているわけではなかった。


 馬車に乗り込む時、サチコが足元で少しもたつくと、ヒナが自然に手を貸した。シンゴは「気をつけろよ」と声をかけ、シャドウは「サチコさん、こっちの席の方が揺れ少ないっすよ」と場所を空ける。サチコは小さく頭を下げ、その後、ほんの少しだけ表情を緩めた。


 四人が特別仲のいい集団ではなかった、というヒナの話を思い出す。


 だが、少なくとも今は、三人がサチコを放っておくことはなかった。ヒナはまめに気を配り、シンゴは言い方こそ粗っぽいが気にしている。シャドウは軽い調子で緊張をほぐそうとしている。


 悪い奴らではない。


 それは、だんだん分かってきていた。


 力の出どころに納得できるかどうかと、こいつら自身がどういう人間かは別の話だ。そこを混ぜて考えると、たぶん判断を誤る。


 道中、特に大きな問題は起きなかった。十人での移動など、何か一つ起きればすぐに面倒になる。そう考えると、何も起きないというだけで十分ありがたかった。


 ガルドは馬車の中で窮屈そうに腕を組み、ミアは揺れの少ない席を当然のように確保していた。ラッキィは休憩のたびに何かを拾おうとするので、そのたびに止めた。


 リリアとヒナは、思ったより早く打ち解けていた。力試しの時には、ヒナの魔法を見てリリアがかなり動揺していたが、二人とも根は悪くない。道中では魔法の話や元の世界の話で、普通に言葉を交わすようになっていた。


 爺も、なぜかヒナとは妙に気が合うらしい。


「硝子星燈、未熟大樹、旅路良縁」


「えっと……たぶん、悪い意味ではないですよね?」


「花開無垢」


「ありがとうございます……で、いいのかな」


 ヒナは困りながらも、爺の言葉を受け流すのが上手かった。ある意味、あれも才能なのかもしれない。


 サチコは相変わらずおどおどしていたが、シャドウとシンゴとヒナが何かと声をかけるせいか、少しずつ肩の力は抜けていったように見える。シャドウがくだらないことを言い、シンゴが突っ込み、ヒナが二人をたしなめる。その横で、サチコが小さく笑う。


 それだけで、少なくとも四人の間に嫌な空気はないのだと分かった。


 そうして二日目の昼過ぎ、俺たちは北の友好国へ入った。


 北の友好国は、王国ほど大きくはない。だが、交易路と山間の鉱脈を押さえる重要な国だと聞いている。王国とは昔から比較的関係がよく、国境近くの魔物や盗賊の対処でも協力することが多いらしい。


 今回の依頼も、その流れだった。


 到着すると、友好国側の役人が俺たちを迎えた。王国からの派遣であることはすでに伝わっていたらしく、対応は丁寧だった。もっとも、俺たちの後ろに転移者四人がいるのを見ると、相手は一瞬だけ目を瞬かせた。そりゃそうだろう。俺でもまだ慣れていない。


 簡単な挨拶の後、すぐに魔物の話になった。


「街道近くに、巨大な獣型の魔物が出ております」


 役人はそう説明した。


 毛に覆われた巨体。太い脚。大きく曲がった牙。長い鼻のような器官。普段この地域で見かける魔物とは違い、何度追い払っても戻ってくる。荷車が壊され、柵も倒された。幸い、まだ死者は出ていないが、兵士だけで対処するには危険が大きすぎる。


 友好国側は、それをひとまず大牙たいがと呼んでいた。


 正式な名というより、見たままの呼び名なのだろう。実際、その魔物には、体の大きさに見合わないほど目立つ牙があるらしい。


 聞いているだけでも厄介そうだった。


 大きい魔物というのは、それだけで面倒だ。小型の魔物なら斬れば倒れる。中型でも、うまく急所を突けば何とかなる。だが、巨体の魔物は違う。皮が厚く、肉が厚く、骨が太い。普通の剣では浅い傷しかつかず、槍を突き立てても動きが止まらないことがある。


 ガルドならどうにかするだろう。リリアの魔法でも削れるだろう。ミアや爺も後方から支えられる。


 だが今回は、転移者たちの実戦確認も兼ねている。


 俺たちは現地へ向かった。


 問題の大牙は、街道から少し外れた森の切れ目にいた。


 最初に見た時、俺は思わず足を止めた。


 でかい。


 それが最初の感想だった。


 全身を長い毛が覆っている。だが、その毛は獣の毛というより煤を吸ったように黒かった。太い脚が地面を踏むたび、周囲の草が揺れる。口元からは大きな牙が左右に伸びていたが、その形はどこか歪で、片方だけが不自然に長い。鼻はやけに太く、先端が二つに割れたようにも見える。目は小さく、濁った赤をしていた。


 俺はそんな魔物を見たことがなかった。


 ガルドでさえ、珍しそうに目を細めている。リリアも興味深そうではあったが、すぐに警戒の色を強めた。ミアは距離を取り、爺は何かよく分からない言葉を小さく呟いている。


 だが、転移者たちの反応は違った。


「え、マンモスじゃん!」


 シンゴが声を上げた。


「本物初めて見たっす!」


 シャドウも目を輝かせる。


「いや、私たちの世界でも本物は見られないでしょ。絶滅してるし」


 ヒナがすぐに突っ込んだ。


 まんもす。


 また知らない言葉が出てきた。


「もういないものを、なぜ知っている」


 俺が聞くと、ヒナは少し考えるようにして答えた。


「本とか、博物館とかで……」


 はくぶつかん。


 それもまた知らない言葉だった。だが、今はそれを聞いている場合ではない。


 ヒナは大牙を見ながら、少し眉を寄せる。


「でも、私が本で見たマンモスとは少し違いますね。牙のつき方も変だし、毛もこんなに黒くなかったと思います。まあ、本に載っていた絵も想像込みだったのかもしれませんけど」


「じゃあ、マンモスじゃねえのか?」


 シンゴが言う。


「マンモスっぽい別の生き物、かな」


「こっちでは大牙と呼んでいる」


 俺が言うと、シャドウは少しだけ残念そうな顔をした。


「大牙……それはそれでありっすね」


「何がありなんだ」


「名前の響きっす」


 分からない。


 ただ、俺たちは知らない。だが、こいつらは知っている。しかも、この世界にないものを、当然のように名前で呼んでいる。


 そのことが少し引っかかった。


 だが、今は目の前の魔物の方が問題だった。


「まずはお前たちでやってみろ」


 俺は転移者たちに言った。


「俺たちは後ろで見る。危なければ止める」


「了解っす」


 シャドウがマントを揺らす。


「まあ、あれくらいなら何とかなるだろ」


 シンゴは拳を握った。


 ヒナは少し表情を引き締め、サチコは後方で両手を握っている。


 その時、シンゴがヒナを見た。


「ヒナ、でかいのはなしな」


「え?」


「あの光のやつ。訓練場で見せたやつ使ったら、一発で終わるだろ」


「そうっすね。たぶん急所ぶち抜いて終わりっす」


 シャドウも頷く。


「それじゃ、俺らの出番ないじゃないっすか」


「……遊びじゃないんだけど」


 ヒナは呆れたように言ったが、強く否定はしなかった。


「分かってる。でも、俺とシャドウでどれくらいやれるか試したい」


「危なくなったら?」


「そこは助けてほしいっす」


 シャドウが即答する。


 ヒナは小さく息を吐いた。


「分かった。大きい魔法は使わない。危ない動きだけ止める」


「助かる」


「ただし、本当に危なかったら止めるからね」


「それでいい」


 最初に動いたのはシンゴだった。


 地面を蹴って、正面から距離を詰める。大牙が長い鼻を持ち上げるより早く、その太い脚へ拳を叩き込んだ。


 鈍い音が響く。


 衝撃は確かに重かった。普通の獣なら、それだけで脚が折れていてもおかしくない。だが、相手が大きすぎた。


 大牙はわずかに身じろぎしただけで、ほとんど動きを止めない。


「硬っ」


 シンゴが顔をしかめる。


 続けてシャドウが影に沈んだ。黒いマントが地面に溶けるように消え、次の瞬間、大牙の腹下の影から姿を現す。双剣が黒い線を描き、脚の付け根を斬った。


 血は出た。


 斬れてはいる。


 だが、あの巨体にとっては皮膚を裂かれた程度なのだろう。動きが鈍るほどではない。大牙は唸り声を上げ、巨体を揺らした。鼻がしなり、鞭のようにシャドウのいた場所を打つ。


 シャドウは影に沈もうとした。


 だが、ほんの一瞬だけ遅れた。


 黒いマントの端が地面へ溶けるより早く、大牙の鼻が横から迫る。長く太いそれは、ただの鼻というより、しなる丸太に近かった。


 危ない。


 そう思った瞬間、細い光の線が走った。


 ヒナの魔法だった。


 光は鼻の付け根をかすめるように突き、大牙の動きをわずかに逸らす。続けて、足元へもう一本。さらに牙の根元へ一本。どれも決定打ではない。だが、危険な動きの出がかりを潰していた。


 ヒナの光は、まるで意思でも持っているかのようだった。


 大牙が大きく動こうとする直前、その動きの要になる場所へ細い線が走る。足元。鼻の付け根。牙の根元。突進のために体重が乗る瞬間を、先に止める。


 攻撃というより、制御に近い。


「すげえな、あれ」


 ガルドが低く言った。


 だが、今のままでは倒すには二人の火力が足りない。


 シンゴの拳は効いているが、深くは届かない。シャドウの双剣も傷はつけるが、決定打には遠い。このまま続ければ時間がかかりすぎる。


 続ければ、いつかは倒せるかもしれない。


 だが、それでは埒が明かない。


「くそ、でかすぎるな」


 シンゴが一度距離を取った。


「普通に殴っても、芯まで入らねえ」


「こっちも傷はつくんすけど、浅いっすね」


 影から出たシャドウが、双剣を見下ろす。


「じゃあ、こういう時はどうするか」


 嫌な予感がした。


 シンゴが拳を握り直す。


「でかい相手には、でかい一発だろ」


「待て、願いは――」


 俺は反射的に声を上げた。


 そこまで言って、言葉が止まった。


 願いは、何だ。


 使うな。気軽に使うな。たぶん、そうだったはずだ。


 だが、なぜ。


 目の前では、大牙が地面を踏み鳴らしている。このままでは時間がかかる。ヒナの魔法で焼き払えば早いのかもしれないが、シンゴとシャドウは自分たちの力でどうにかしようとしている。


 必要な時だけ。


 そう言ったのは誰だったか。


「今が必要な時だろ」


 シンゴが言った。


 俺は、返す言葉を見つけられなかった。


 シンゴの拳に、何かが集まる。


 魔力とは違う。少なくとも、俺が知っている魔法の流れではない。肉体そのものが内側から押し上げられ、拳にだけ異様な圧が宿っていくように見えた。


「パンチング・ボンバー!」


 シンゴの拳が、大牙の脚へ叩き込まれた。


 音が変わった。


 さっきまでの鈍い打撃音ではない。木材の奥に鉄杭を打ち込むような、深い音だった。大牙の巨体が大きく傾く。太い脚が地面を削り、支えを失ったように膝が落ちた。


「おお、入った!」


 シンゴが笑う。


 シャドウも動いた。


「でかい敵には、でかい剣っすよね」


 両手の双剣が黒く揺らいだ。


 刃が伸びる。


 ただ長くなるだけではない。黒い穴から引き出されるように、剣そのものが巨大化していく。細身だった双剣が、いつの間にか人の背丈ほどもある大剣に近い形になっていた。それを、シャドウは当然のように構える。


 重さはどうなっているのか。


 考えても分からない。


 シャドウは影に沈み、倒れかけた大牙の側面へ回った。黒い大剣が横薙ぎに走る。今度は違った。表面を裂くだけではない。分厚い毛と皮の下まで刃が入り、大きな傷が開く。


 大牙が悲鳴のような声を上げた。


 暴れようとする。


 だが、その動きをヒナの光が止めた。


 細い光の線が数本、足元へ走る。次に鼻の動きを潰し、牙の向きを逸らし、最後に目の前を白く裂いた。大牙の動きが一瞬止まる。


 その一瞬で十分だった。


 シンゴの拳がもう一度脚に入る。シャドウの大きな刃が深く入る。ヒナの光が逃げ道を塞ぐ。


 巨体が崩れた。


 地面が揺れる。


 舞い上がった土煙の向こうで、大牙はしばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。


 終わった。


 最初こそ手間取った。だが、結果だけ見れば圧勝だった。


 俺たちは、万が一のために控えていただけだ。ガルドも動いていない。リリアも魔法を使っていない。ミアも爺も、サチコも、出番らしい出番はなかった。


 転移者たちだけで倒した。


 それも、戦いの途中で自分たちの力を足して。


 友好国の兵たちは、呆然とした顔でそれを見ていた。やがて誰かが歓声を上げ、それが周囲へ広がっていく。街道を脅かしていた巨大な魔物が倒されたのだから、当然の反応だった。


 友好国の責任者は、俺たちに何度も礼を言った。特に転移者たちへは、直接頭を下げた。


「あなた方のおかげで、街道が守られました。心より感謝いたします」


 シャドウは少し照れくさそうに胸を張り、シンゴは満足げに笑った。ヒナは慌てて姿勢を正し、きちんと礼を返す。サチコは何もしていないと言いたげに縮こまっていたが、シャドウが横から「サチコさんも後ろにいてくれたじゃないっすか」と言うと、小さく頷いた。


 悪い光景ではない。


 むしろ、喜ばしいことのはずだった。


 こいつらは役に立った。実際、誰も死なず、友好国の被害も抑えられた。感謝されるのは当然だし、本人たちが嬉しそうにしているのも悪いことではない。


 それでも俺は、戦いの途中でシンゴとシャドウが当然のように願いを使ったことを、どうしても忘れられなかった。


 いや、忘れられないと思っていた。


 だが、その感覚でさえ、時間が経つにつれて少しずつ薄れていく気がした。


 なぜ止めようとしたのか。


 何を恐れていたのか。


 その答えが、また手の中からこぼれていく。


 俺は倒れた大牙を見た。


 黒い毛に覆われた、俺たちの知らない巨大な魔物。


 まんもす。


 転移者たちは、あの魔物をそう呼んだ。


 ただ似ていただけなのかもしれない。俺には、その判断もつかない。


 それでも、この世界の誰も知らない名前だけが、妙に耳の奥に残っていた。

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