第24話 小国からの呼び出し
湯宿でのリリアの一件では、あわや筆頭勇者パーティーが公然猥褻まがいの騒ぎでしょっ引かれるところだったが、“祝福”のおかげかそれも何とか回避できた。そんなことで使われてしまったかも知れない、ということはさて置き、王の計らいで取った休みのおかげか、幾分か俺の心身も調子を取り戻していた。
王城からの依頼も、ここ最近は少し落ち着いていた。
アジトでは相変わらず、ガルドは酒をくらい、ミアは時折部屋にこもって神への祈りを捧げている。リリアは相変わらず俺の世話を焼き、ラッキィは手伝っているつもりでその足を引っ張っていた。爺は爺で、ふらりとどこかへ出かけては戻ってきて、何かしら意味の分からないことをぶつぶつ呟いている。
騒がしいことに変わりはない。だが、こういう何でもない時間は悪くなかった。
少し前までは、その日その日の仕事を拾って食いつなぐ、根無し草みたいな暮らしだった。それが今は、一応なりとも帰る場所があり、寝る場所があり、食うものに困らない。生活の基盤というやつは、なんだかんだで安定してきたのだと思う。
もっとも、そこに至るまでの過程はろくでもなかったが。
小国からの使者が来たのは、その日の夕方だった。
――俺の国から。
頭の中でそう言いかけて、やはりまだむず痒くなる。
俺は昔から、自分には過ぎた呼ばれ方や立場というものがあまり得意ではなかった。勇者ですらそうなのに、国主だの領主だの、そういう響きに平然としていられるほど図太くもない。
ともあれ、呼び出してきたのはあの執政だった。話があるという。
王国が用意した馬車は、以前この国を出た時に使ったものとは比べものにならないほどまともだった。
座面は硬すぎず、揺れも少ない。車輪が変に跳ねることもなく、御者も無駄に馬を急かさない。道の整備の問題もあるのだろうが、それを差し引いても、以前の移動とは雲泥の差だった。
だが、快適になればなったで、以前この国を離れた時のことを嫌でも思い出す。
あの時は必死だった。追われ、急かされ、落ち着いて息をつく暇すらなかった。揺れがどうだの座り心地がどうだのと気にする余裕もなく、ただ王国を出ることだけを考えていた気がする。
今は違う。王国の手配した馬車に乗り、護衛までついて、堂々と出国する。同じように国外へ向かう道でも、こうまで違うものかと思う。
あの時は、生き延びることが先だった。それが今はどうだ。そう考えると、妙な感慨がないでもなかった。
同時に、どうにも落ち着かなかった。
楽になったはずなのに楽になりきれないあたり、自分でも面倒な性分だと思う。人間というのは勝手なもので、苦しい時には楽になりたいと願うくせに、いざ多少まともな扱いを受けると、それはそれで「本当に自分がここにいていいのか」と妙な居心地の悪さを覚える。
俺が単に貧乏性なだけかもしれないが、少なくともこういうきちんとした馬車に乗っていると、自分だけが場違いに思えた。
小国へ着いたあと、俺はそのまま中枢の建物へ通された。以前、執政と向き合った、あの建物だ。
嫌な記憶が浮かぶのは避けようがない。むしろ何も感じなかったら、その方がおかしい。あの時ここで味わった息苦しさは、そう簡単に薄れるようなものではなかった。
廊下の空気も、重たい扉の立てつけも、静かすぎる屋内の気配も、あの頃のままだった。もちろん以前ほど切迫しているわけではない。だが、だからこそかえって、記憶だけが妙に鮮明に浮いてくる。
通された部屋で少し待つと、やがて執政が姿を見せた。
ここからがまた、何とも言えなかった。
向こうもたどたどしいし、こちらもどう振る舞えば正解なのか分からない。それはそうだ。以前はここで命のやり取りまでした二人がこうして膝を突き合わせているのだ。因果がどう捻れたらこんなことになるのか。俺はその答えを知っているが、執政にしてみればこの状況は悪い冗談にしか見えないだろう。気まずい空気が続く中、口を開いたのは俺からだった。
「ひさしぶりだな」
執政は一礼し、目上の者へ向ける口調で言った。
「このたびは、わざわざご足労いただきありがとうございます」
それを聞いた瞬間、俺はひどくむず痒くなった。
少し前まで、こっちが仲間たちに向かって、失礼のないようにしろだの、余計なことを口走るなだのと口酸っぱく言っていたのである。それが今では、こちらが礼を尽くされている。
この国の上に立つ者、と言われても、俺自身はいまだにその言葉が自分の中でしっくり来ていない。椅子だけ先に用意されて、座っている本人が「これ本当に俺の席か」と内心で何度も確認しているようなものだった。
執政はそんなこちらの落ち着かなさには触れず、きっちり本題へ入った。
王国の支援によって、この国の財政は以前より上向いたこと。物流や補給の目処も立ち始め、場当たり的な延命ではなく、長期的な建て直しにようやく手をつけられる状況になりつつあること。
だが、それでもなお苦しいことに変わりはないこと。
「率直に申し上げれば、国王陛下が仰っていたような“甘い汁”に至るには、まだ遠いと言わざるを得ません」
執政はそこで少しだけ視線を落とした。
「少なくとも十年単位での立て直しが必要です。その間、この国の支配者層が割を食うのは避けられません。……無論、まったく何もお渡しできないわけではありませんが、せいぜい皆様御一行の生活費程度とお考えいただくのが現実的かと」
言いにくそうではあったが、変に飾らなかったのはありがたかった。
「いや、そこは構わない」
俺がそう言うと、執政はわずかに目を上げた。
「ある程度は、そんなものだろうと思っていた。……正直、多少でも回る金があるなら十分ありがたい」
綺麗に言い換えればそうなる。もっと露骨に言えば、もらえるものはもらいたい、である。理屈や体面で腹は膨れない。俺たちの生活費程度であっても、入るものがあるなら入ってくれた方がよほど助かる。
執政は小さく頷いた。
「以前はいくらかの余裕がありましたが、今となってはそのようには参りません」
その言い方に、俺は少しだけ眉を動かした。
以前のような余裕。つまり、裏の流れも含めてということだろう。
実際、以前のこの国は、表向きに整えられた財政だけで回っていたわけではないはずだ。表に出せないやり方で辛うじて保っていた部分もあった。だが今は王国の支援下に入った。真っ当なものだ。裏を返せば、そういう抜け道はもはや使えないであろうことは容易に想像できた。
「こちらも、爪に火をともすような暮らしを覚悟せねばなりませんので」
その言葉に、俺は危うく苦い顔をしそうになった。なにしろ、以前この国にあった“いくらかの余裕”のうち、少なくない部分をミアが根こそぎ持っていったからである。
執政としては、あの金もどうせ勇者一行の中で分配されているくらいには思っているのかもしれない。だが実際のところ、回復の対価ははミアのもの、という不文律がうちにはある。回復の対価として得た金には、他の誰も口を出さない。
もっとも、その肝心のミア本人が、集めた金をどうしているのかとなると、皆目見当がつかない。何か贅沢をするでもない。目に見えて高いものを買うでもない。普段の暮らしぶりも、拍子抜けするほどつつましい。だから余計に気味が悪い。あれだけ金を集めておきながら、その行き先だけがまるで見えないのだ。
まあ、そこを説明したところで執政の気分が晴れるわけでもない。俺の頭が痛くなるだけである。
一通りの話を終え、俺が席を立つと、背後から執政の声がかかった。
「もう一点、よろしいでしょうか」
「まだあるのか」
「相談、というほど大仰なものでもありませんが……少々、処遇に困る者たちがこの国に流れ着いております」
俺は足を止めて振り返った。
「処遇に困る?」
「亡命者と呼ぶべきかどうかも判然としません。妙な連中です」
妙な連中、という曖昧な言い方が少し引っかかった。だが、今日のところはこれ以上話を広げる気にはなれなかった。
「その話はまた明日にしよう。どうせ数日は滞在する」
「承知しました」
部屋を出てから、俺はひとつ息を吐いた。えらく肩が凝っている気がする。国主だの何だのと言われても、俺は間違いなくそれに向いていない。改めてそれに気付かされる。
国主としての仕事、といって良いのか疑問が残るところではあるが、それも一段落したところで、その夜俺は一人で酒場へ向かった。
何だかんだで、酒場はいい。
国が違っても、こういう場所の空気は大して変わらない。酔って声が大きくなる者がいる。景気のいいことを言う者がいる。今日の鬱憤を、安酒とどうでもいい笑い話で無理やり流そうとしている者もいる。そういう雑多な熱が、狭い店の中にほどよくこもっている。
そういう場所に身を置くと、人の駄目さというのは案外どこも似たようなものだと思えて、少しだけ気が楽になる。
店の戸に手をかけながら、俺は小さく息をついた。




