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二年目。
季節は幾度か巡り、帝都はまた春の花で溢れていた。
白や紅の花が庭に揺れ、風はその香りを抱いて回廊へと運んでくる。
古文書室の棚に収まる詩集は、以前と変わらずそこにあった。
頁に忍ばせる手紙は、やり取りを重ねるうち増えている。
机の上には持ち帰った返事の手紙が置かれていた。
束ねた紙の端を指でなぞると小さな熱が生まれるようで、ここには居ない誰かの気配を覚えてしまう。
ルナリアはゆっくりと一枚ずつ手紙を広げ、整った筆跡を追った。
どれも同じ人が丁寧に綴ったものだ。
読み終えた手紙を胸に当て、それから机の引き出しを開ける。
奥の木箱には淡い花模様が彫られ、その中には幾通もの手紙が静かに収められていた。
それでもいくつかは、どうしてもすぐには仕舞えずにいて。
返事を何度も何度も読み返し、指先で擦り切れてしまうのではと思うほど文字を追った。
そうしてようやく胸に刻んでから、木箱に場所を移す。
蓋を閉じるとき、少し長く手を置いた。
それだけで、また明日もきちんと立っていける気がした。
翌日、ルナリアはまた古文書室へ赴き、詩集の頁を開く。
新しい手紙を忍ばせると、軽く表紙を撫でてからその場を離れた。
こうして新しい返事を詩集に託し、また受け取る日々が続いていく。
夜更け。
机の上の手紙に指を置いた。
紙の感触そのものが、書き手の存在を想起させる。
触れているだけで、寂しさが少し遠のく気がした。
だからなかなか指を離すことができずにいる。
夜に感じる小さな孤独。
庭の噴水に光が落ちる一瞬の短い美しさ。
食事の席で誰かのささやかな悪意に触れ、そっと視線を落としたこと。
ルナリアはそうした出来事を拾い上げ、慎ましく筆に託して手紙を書き、翌日また詩集へ挟んだ。
返事はいつも淡い筆致で、わかりやすい慰めなど一つもない。
けれどその奥に潜む静かな気遣いは、かえって胸に沁みた。
「宮廷の廊下は、弱い者が寄りかかれるだけの長さであってほしい。」
その一行を見つけた夜。
ルナリアは何度も紙を撫で、枕の下に置いては取り出し、月明かりの中で繰り返し読み返してしまった。
書き手の筆は静謐でも誰かの孤独に寄り添うかのようで、痛みを抱いた人柄を感じさせた。
夏の盛りが訪れる。
石畳は陽に焼かれ、回廊に立つだけで肌に熱がまとわりつくようだ。
涼を求めて窓を開けても、吹き込む風は熱を含み、かえって息苦しさを増すばかりだった。
ルナリアは机に向かい、筆を取る。
「このところ暑さが続いております。
歩くだけで汗が滲み、仕事をしていても気持ちが重くなります。
夜もなかなか眠れず、どうしても夏は苦手です。
あなたはこの季節を、どのように過ごしておられるのでしょうか。」
数日後、詩集を開いた彼女は返事を見つける。
筆跡はいつもと変わらず整い、その行間からは涼やかな風が流れてくるような印象を抱いた。
「夏は確かに厳しく、人を弱らせる季節です。
けれど同時に、力強さに満ちてもいます。
昼の陽射しは容赦がありませんが、
その熱が作物を育て、人の暮らしを支えているのだと思うと、不思議と感謝の念さえ湧いてくるのです。
そして、やはり夏は夜が佳い。
澄んだ空気の下で、星々が冴え冴えと瞬きます。
ある詩に「夏の夜は、星々の宴」とありました。
神話に語られる星座の物語を辿ってみると、暗い夜空さえ語りかけてくるようです。
どうか一度、夜空を仰いでみてください。
あなたの疲れた心にも、ひとすじの風が通うかもしれません。」
その夜、ルナリアは中庭に立って夜空を仰いだ。
星々は涼やかに瞬き、噴水の水面に淡い光を落としている。
昼の重苦しさを忘れさせるその景色を前に、彼女はそっと目を閉じた。
静かな夜風が髪を撫でてゆく。
確かに誰かとつながっていると思えた。
やがて晩夏。
夜の風に湿り気が混じり、庭の噴水には落ち葉が浮かび始めている。
唐突に訪れた変化は、大きな驚きを伴っていた。
手紙にはっきりと「軍議」という文字が記されていたのだ。
「筆が鈍っております。
戦を避ける策を探していますが、いずれ剣を取る時が来るかもしれません。」
文字を追った指が机の縁を捉えた。
筆を執るまでに何度も呼吸を整え、ようやく慎重に書き出す。
「軍の方なのですね。そして、男性でいらっしゃるのですね。
少し驚きました。ずっと女性だと思っていたものですから。
……でも、これからもこうして手紙をいただけたら嬉しいです。」
返事は間を置かず届いた。
「申し訳ない。
それは確かに私の書き方のせいです。
あなたに筆を絶たれるのではと少なからず気を揉んでしまいました。
しかし、こうしてまた返事をいただけたこと、素直に嬉しく思います。」
貰った返事を胸に当てるとなんだか温かくなるように感じられ、夜気の冷たさも気にならないほど満たされた気持ちになった。




