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3-7

兄の情婦と目される女官について、まずは皇宮内で聞き込みをさせた。

侍従や女官ら、駒に使える者たちを通じて集めた証言は、おおむね同じ色を帯びていた。


勤続六年目、年は二十二。

真面目で勤勉、大人しく口数も少ない。

吃音があるらしい。

人の輪から外れて黙々と作業をこなし、必要以上に他人と関わろうとしない気質。

だが秘密めいた一面もあるようで、宿舎の同部屋の者によれば夜に姿を消すことが時折あるという。

地味で、影の薄い女。

それでも裏に何かを隠している気配がある。


次に、その身元を洗わせた。

戸籍上は東部の田舎貴族、プレセア子爵家の養女。

十五歳のときに迎え入れられたと、登録には残っていた。

養子元はレマー伯爵家。


不自然だった。

女官として皇宮へ送り込むのなら、わざわざ子爵家を迂回せず伯爵家の名をそのまま使えばよいはずだ。

あえて名を借りた理由がある。

そう確信したナイジェルは、さらに調査を命じた。

結果、レマー伯爵家の系譜に「ルナリア」という名は存在しなかった。


ここから執念深く洗い上げた。

孤児院からの引き取りかと台帳を繰ったが、該当はない。

使用人の子を取り繕った線も疑い、家僕頭や侍女頭の記録を当たったが、裏付けはどこにも見つからない。

さらに親戚筋のたらい回しの可能性を追って、レマー伯爵家の系譜を三代前まで遡り、姻戚の枝先まで徹底して照らし合わせた。

このとき帝国暦850年代に出生した、20歳前後の女子と対象を絞って調査を行う。

幾人かの候補が上がったが、その中の一つを追ったときに驚くべき事実が発覚した。


とある系譜の中に一人の娘がいた。

その系譜とは、アーヴェライン大公レオルドの反乱に連座して廃爵となったジグバルト家。

かつて、レマー家からジグバルト家へ嫁いだ女がいた。

その系譜を辿っていくうちに、ひとりの娘に行き着く。

生年は帝国暦853年──名は「ルナリア」。

血統台帳では、帝国暦863年没となっている。


奇妙な符号だ。

ナイジェルは調査の矛先を、再びルナリア・プレセアへと向けた。


戸籍上は確かに整っている。

だが、養女となる以前の記録がどこにも存在せず、家歴や出生の痕跡すら辿れない。

細部を追うほどに、作為の痕が浮かび上がってくる。

調べれば調べるほど、女官という仮面は剥がれ落ち、別の貌が露わになっていた。

まるで、「無」から作られた養女のようだ。

兄の抱き込んでいる女は、もしかして廃家の亡霊か。

ナイジェルは、そう予測する。


東部へ人を走らせ、屋敷の内部から探りを入れた。

対象はレマー家とプレセア家の使用人。


レマー家では、古参の女中頭と厩番、門番などに口を割らせた。

すると、十数年前のある日を境に見知らぬ娘が離れに住まうようになったという話が出てくる。

その娘の名前は確か──「ルナリア」。

酷く陰気で、おどおどしていたらしい。

親戚の子だと説明されたが、どこの親戚とまでは知らされず、深入りを禁じられていた。

時期を照らし合わせれば、アーヴェライン大公の反乱から間もない頃にあたる。


一方のプレセア家では、名のみが宙に浮いた。

「ルナリア」という名前の女子など見たことがない、と皆が口を揃えて言う。

ここで王手。

名義だけの養女であることは、もはや疑いようがない。


最後に、核心に繋がる釘を一本引き抜いた。

直接、レマー家の当主に接触したのである。

なんでも数か月前にも「中央」から人が来ていたらしい。

最初は、当家にそんな娘はいないとの一点張りだったようだ。

だが詰問を重ねて恐怖をあたえてやると、膝を屈した。

口を濁しながらも肯定したという。

確かにプレセア家に娘を送った。

その娘の名前は──「ルナリア」。


プレセア子爵家には、地方貴族に課される持ち回りの“女官推薦”の義務があった。

推薦家は式典での席次を繰り上げられ、恩典と体面を得られる。

だが肝心の娘がいない。

困った子爵家は本家筋のレマー家に相談を持ちかけた。


そこにはちょうど「厄介な血筋を持つ娘」がいた。

伯爵家にとっては追い出してしまいたい存在。


プレセア家がどこまで事情を知っていたかは定かでない。

しかし、両家の利害は見事に噛み合っていた。

子爵家は体面を得、伯爵家は厄介払いを果たす。

そうしてルナリアは、偽装された養女として皇宮へ送り込まれたのである。


一連の証言により、ルナリア・プレセアと呼ばれている女は、ルナリア・ジグバルトで間違いないことが裏付けられた。

ここまで積み上げれば、誰もが十分と見るだろう。

だが、ナイジェルは違った。

名と血筋が揃っただけでは足りない。

兄が相手である以上、最後の一手まで抜かりなく押さえておく必要がある。

奴のことだ。

情婦の女の正体が分からないように、なんらかの手を打っているに違いない。

記録そのものが、どこかで改竄されている可能性もある。

そう考えたナイジェルは、次の石を打つことにした。


罪籍。

法務局の書庫に収められたその帳簿は、原則として外部への持ち出しを禁じられている。

だが皇帝の裁可があれば特例として許された。

とはいえ、実際に行使されることなどほぼ無いに等しい。

それでもナイジェルは適当な理由をつけ、取り寄せる体裁を整える。


某日、一人の冴えない風貌の官吏が側近に伴われて部屋に現れた。

両手に革表紙の帳面を抱き締め、落とすまいと必死で握りしめている。

たとえ正規の許可があったとしても、罪籍台帳を外へ運ぶなど異例の処置。

そのせいか、顔色はすこぶる悪い。

彼は責任の重さを誰より理解しているようだった。


「こ、皇太子殿下……ご機嫌麗しゅう……」


か細い声で口上を述べたが、ナイジェルは手を払って遮った。


「口上はいい。さっさと見せろ。」


男が恭しく帳簿を差し出した瞬間、ナイジェルはそれを乱暴に毟り取った。

革表紙が机に叩きつけられ、乾いた音が室内に響く。


厚い羊皮紙を繰れば、黒々とした筆跡が無機質に並んでいる。

大きく見出しには、ジグバルト伯爵家一門の処遇記録とあった。

その下には、一族の名や処遇、死因などが列記されている。


ジグバルト伯 シリル・アウグスト

帝国暦853年 八月一二日 「大逆罪」銃殺

シリル正室 イザベル・クラリッサ

同年 八月一三日 「大逆罪従属」毒杯

シリル長女 ルナリア・フリーデル

同年 六月一日 「病没」

シリルの弟 レオナルト・マティアス

同年 八月一四日 「大逆罪連座」銃殺

レオナルト嫡子 クリストフ・エルンスト

同年 八月一四日 「大逆罪連座」銃殺

レオナルト正室 エミリア・ドロテア

帝国暦850年 三月一八日 「病没」

レオナルト長女 アデリーネ・セラフィナ

帝国暦853年 八月一五日 「大逆罪従属」毒杯

レオナルト次女 マルグリット・イヴェット

帝国暦853年 八月一五日 「大逆罪従属」毒杯…

──分家筋まで含めて、総勢三〇名余。


ただ一つ「ルナリア」と記された行だけが、他と少し様子が異なっていた。

羊皮紙の地が荒れているのだ。

その上には文字が置かれていたが、どこかが不自然だった。

まるで削られたかのようである。

光の角度を変えると、下層には別の筆跡がかすかに透けて見えた。


ナイジェルの手元には、部下が探し出してきた廃棄予定の古い写本がある。

そちらの記録では、ルナリアの項目には「行方不明」と記されていた。


原本は「死亡」、写本は「行方不明」。

二つの記録は噛み合わない。

しかし削られた痕跡と透ける筆跡は、どちらが真実であるかを語っていた。

ナイジェルの喉の奥から、抑えきれぬ笑いが込み上げる。


「は、ははは……はははははは!」


人目もはばからず、声を上げて笑い出した。


「やはりそうだった。

あいつめ、女の為に手を汚していやがった。愉快だ、実に愉快だ!!」


哄笑は熱を帯び、次第に常軌を逸した響きへと変わってゆく。

側近と官吏は青ざめ、無言で彼の狂態を見つめていた。


「こいつは預かる。」


笑いを噛み殺しながら、ナイジェルは言い募った。

目を丸くする官吏。


「閲覧するだけだと……そう仰せでしたのに……」


彼は帳簿を指先で叩き、唇の端を吊り上げた。


「背信の重大な証だ。

保全をせねばならん。ここに置いておくのが最も安全だろう。」


官吏は血の気を失った顔で、頭を垂れる。

余計なことを言えばどうなるか理解をしているようで、口は挟まない。

そうして逃げるように退室していった。


ようやく、本懐を遂げることができる。

ナイジェルは胸裏で呟いた。

その胸を満たしているのは、言葉にしがたい高揚だ。

屈辱に耐え続けてきた日々が、今、まさに報われようとしているのである。

兄を破滅させるという確信は、ヴァルディスで味わった成功よりも甘く感じられた。

今度こそ完膚なきまでに叩き潰してくれると、拳を強く握りしめる。

その執念は、もはや嫉妬や劣等の範疇を越えているようだった。


運命の輪が回り出す。

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