↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/55

3-4

レガリア宮。

灯りを落とした寝台の上で、ルナリアとラミエルは身を寄せ合っている。


先ほどまでの熱もようやく落ち着き、静かな余韻だけがふたりの間に残っていた。

こうして求められることは、今でも少し恥ずかしい。

それでも、嬉しくないはずがなかった。


けれどもルナリアがいちばん好きなのは、その後のひとときだった。

髪を撫でてもらったり、口づけを落とされたりする時間。

大事にされていることを、いちばん素直に感じられるからだ。


どうやらこの人は、相手に尽くすことが好きらしい。

抱き合う時も自分のことは二の次で、いつもこっちばかりを満たそうとする。

それでいて本人はひどく満足そうなのだから、絆されてしまうのも仕方がない。


「少し、暑くなってきましたね」


包んでくる腕が、ほんのりと汗ばんでいた。

ルナリアもぼんやりと頷く。


「……もう夏、ですから」


「あなたとお会いするようになって、一巡りの季節を重ねました。夏は二度目になりますね」


春も、夏も、秋も、冬も、この人と過ごした。

一度きりだと思っていた時間がひとつずつ積み重なり、気づけばまた、夏を迎えようとしている。


「どの季節が好きですか」


促されたルナリアは、少し考えてみた。


「私は……秋が好きです。

寂しいという感情を抱かせる季節でもありますけど、感性が研ぎ澄まされてゆくようで」


「花の季節が好きとおっしゃるのかと思っていました。でもその気持ち、なんだか分かる気がします」


ルナリアは小さく笑って言い添える。


「あとは、食べ物が美味しくなるところも、好きです」


「健康的でいいですね。たくさん食べて大きくなってください」


「また、ちびって言いましたね」


「言ってませんよ」


「成長期、終わってます」


むくれた顔を見せると、ラミエルは目を細めて笑っていた。

こうした遣り取りがとても心地よくて、それだけで満たされてしまう。


「夏は苦手です。帝都の夏は、暑すぎますから」


「そういえば、苦手だと前も仰っていましたね」


「はい、外に出るのも億劫になってしまうのです」


少しばかりうんざりした顔を見せると、ラミエルは愛しげに頬を指先で突いた。


「でも、夏には夏のよさもあります。夜空が綺麗に見えるのですよ」


「夜空が?」


「ええ。空気の澄んだ冬のほうが、星ひとつひとつはくっきりと見えますけれど。

夏は数えきれないほどの光が帯をなして、夜空を埋め尽くすのです。

それはそれで、格別の美しさがあります」


ルナリアは静かに耳を傾ける。


「そういえば……近く、星が降る夜があったはずです」


ラミエルが思い出したように呟いた。


「星が降る夜?」


「ご覧になったことは?」


見たことがないと、首だけで返事をする。


「子供の頃、一度だけ流星雨を見たことがあります。

夜空のあらゆる場所から光が落ちてきて、消える間もなく次の星が流れる……空が燃えているようで、圧巻でした。

忘れられない光景です」


語る声は熱を帯びていた。

ラミエルはいろんなことを知っているけれど、月や星の話になると殊更饒舌になる。

好きなのだろう。ルナリアはひっそりと思った。


「見せてあげたいな」


ぽつりと洩らされた彼の言葉が、胸の奥に残った。


「帝都では、見られないのですか?」


「少し明るすぎますね。もし本当にご覧になるなら、郊外の……そう、標高の高い丘のあたりがいいかもしれません」


「郊外まで足を運ばないと、見られないのですね」


残念、と少しだけ落胆した。


「少し遠いけれど、行ってみますか?」


思いもしない提案に、ルナリアは目を丸くした。

ラミエルは彼女の髪を撫で梳きながら、嬉しそうに笑いかけてくる。


「今回ご覧いただけるのは流星雨ほどではありませんが、それでもよければ」


「い、行きたいです。けれど、ラミエル様のご負担になるのでは」


「あなたひとり馬に乗せて走るくらい、私にとっては造作もないことです。むしろ嬉しいくらいですよ」


頼もしげな言葉に、鼓動がにわかに弾む。

遠駆けの約束が現実味を帯び、ルナリアは抑えきれないほどのときめきを覚えていた。


天候や互いの日程など、いくつか都合をつける必要はあったものの、幸いにもすべてうまく整った。

そして約束の日の早朝。

皇宮裏手の通用口から、ひっそりと馬で駆け出してゆくふたりの姿があった。


「大丈夫ですか?」


背後から、ラミエルがそっと声をかけてくる。


「だ、大丈夫です」


必死に笑ってみたものの、声はぎこちない。

ラミエルは心配そうに続けた。


「いまは並足です。田舎道に入ったら少し駆けますけど、本当に大丈夫ですか?」


「だ、だ、だ……大丈夫です……」


実は全然大丈夫じゃない。

馬に揺られながら、ルナリアは全身を強張らせていた。

鞍の上は視界が高すぎて、今にも落ちてしまいそうな恐怖が込み上げてくる。

怖いと伝えられればよかったのに。

けれど、彼に余計な気を遣わせたくなくて、とうとう言い出せなかった。

そのせいで、今はなんとも情けない状況に陥っている。


そんな彼女の様子を察したのか、ラミエルが気遣わしげに話を振ってきた。


「この馬はね、とても賢いのです」


「へ?」


間抜けな声とともに、振り返る。


「今日は大事な人を乗せたいとお願いしました。だからとても大人しい。よく分かっているんですね」


ラミエルの声音には、愛馬への信頼が滲んでいた。

少し間を置いてから、ルナリアは尋ねる。


「お名前、あるんですか?」


「はい、キーラといいます。どこかの言葉で女王とか、そんな意味があるのですよ」


黒々とした毛並みを、朝の光が艶やかに照らしていた。

軽やかに歩を進める様にも、どこか気品が漂っている。


「美しい馬なので、貴人への献上品になるほどだったのですが、気位が高くて皆を困らせていたそうなのです。

ところが私の前に来た時だけは、不思議と大人しくなった。以来、相棒を務めてくれています」


「キーラという名前が、ぴったりですね」


「そう思いますか?」


「主にしか従わない誇り高さを、感じます。でもそんな子が、よく私を乗せてくれましたね」


言葉にした途端、後ろから柔らかな口づけが降ってきた。


「大事な人と言ったでしょう?だからこの子も分かってくれているのです」


ルナリアは、顔がにやけてしまうのを止められない。

ああ、もう。

認めよう。

猛烈に照れるけれど、このひとのこういうところが──とても好き。


「でも、ヤキモチを焼いているかもしれないので、注意してくださいね」


「ヤキモチ?」


「ええ。長く連れ添った馬と乗り手は、つがいのようなものですから。キーラは私を伴侶のように思っている節があります」


「それって、この子はラムのことを?」


「あまり不用意に手を出すと、噛みつかれるかもしれません」


ラミエルは冗談めかして笑いながら、馬のたてがみを撫でた。


「でも、よく褒めてあげれば、機嫌を直してくれるはずです。ね、キーラ」


黒毛の彼女は鼻を鳴らして答えていた。

思わずルナリアは苦笑する。


そうした語らいに夢中になっているうちに、気づけば緊張は解けていた。

馬上の高さにもすっかり慣れ、乗ったばかりの頃に押し寄せていた恐怖も、もう感じられない。

今はただ、頬を撫でる風さえ心地よく思える。

景色は帝都の石畳の街並みから、緑豊かな田園へと移り変わっていた。

のんびりとした空気の中を、ふたりを乗せた馬は軽やかに進んでゆく。


田舎道を進んでしばらく経った頃。

もう慣れたと判断したのか、背後でラミエルがわずかに身を起こす気配がした。

街を抜けるまでは並足だったが、そろそろ速度を上げるらしい。

彼が短く声をかけると、キーラはしなやかに脚を伸ばして駆け足へと移った。

ぐんと引っ張られる感覚に、ルナリアは一瞬身を強張らせる。

けれど、背後から支える腕の確かさに、すぐさま落ち着きを取り戻した。


風を切る感覚は、恐怖よりもむしろ胸を高鳴らせる。

青く茂る麦畑、風に揺れる野花の彩り、小さな集落の藁屋根。

次々と後ろへ流れてゆく景色に、ルナリアはすっかり心を奪われていた。


早朝の澄んだ青はいつしか眩さを増しており、陽は高く昇っている。

時の流れに合わせるように、空の色も移ろっていった。

東の空から中天、西の空。

陽もまた、ゆるやかにその道を辿る。

そして空に赤みが混じり始めた頃、ふたりはとある山裾の屋敷に至った。


森の中に立っているためか辺りは静まり返っている。

人影もわずかで、どうやら管理人と思しき者たちが数人だけで暮らしているらしい。

けれど、不思議なほど手入れが行き届いていた。

隅々まで整えられていて、いつ誰が訪れても迎え入れられるような佇まいを見せている。

ラミエルの話によれば、ここは縁の保養所なのだという。


帝都から遠く離れた片田舎に、これほど整った屋敷がある。

そのことが、ルナリアの胸に小さな違和感を残した。

いったい彼は何者なのだろう。

そんな考えが胸をよぎる。

けれど、その疑念はすぐに霧散してしまった。

出迎えに現れた老女が、彼を見るなりにこやかに「ぼっちゃま」と呼んだからだ。

「いい歳ですから、その呼び方はやめてください」と、恥ずかしそうに言い繕うラミエル。

その姿がなんだか可笑しくて。

ルナリアは笑いをこらえることができなかった。


案内されたのは、母屋から少し離れた小さな棟。

人里離れた山荘のさらに奥、静けさがひときわ濃い場所だった。

足を踏み入れると、まるで世界にふたりきりになったかのような気分になる。


調度は過不足なく整い、離れとはいえ不自由さは感じない。

わざわざ人目のない場所を選んでくれたのだと思うと、胸の奥に甘いものが広がった。

夜までは時間がある。

少しばかり疲労を覚えていたが、それでも誘惑には抗えず寝台で睦み合った。


相変わらず彼は最後の線を越えることはなかったが、いつにも増して情熱的だ。

いつもとは違う場所で、誰にも邪魔されずに過ごせることに、何か思うところでもあったのだろうか。

ルナリアも一緒に引き上げられ、無我夢中で応えてゆく。

そして──

気づけば空は、夜の色に変わっていた。


今日は、月の光が頼りない。

星を見るには適した夜だ。

ルナリアはひとりテラスに立ち、夜気に身を晒していた。


頭の中では、今日一日のことを振り返っている。

夢のように幸せな日だった。

いつもの優しい姿だけでなく、これまで知らなかった一面にも触れることができて、胸はこの上なく満たされている。


それなのに、片隅には影がさしていた。

幸せすぎると、いつもこうだ。

素直に喜んでいればいいのに、自分には過ぎたものだと心のどこかがじくじくと苛んでくる。


いつかは離れてゆく人なのだから、この幸福に慣れてはいけない。

失った時の落差を思え。


そんな声が、胸の内から聞こえてくる。

一度囚われてしまうと、しばらくは浮上できない。

だから空気が吸いたいと言い訳をして、少しだけ彼から離れていた。


顔を上げると、夜空は限りなく広がっていた。

頼りない月明かりのもと、数多の星々が鮮やかに瞬いている。

空が近いと錯覚するほどの輝きに、ルナリアは畏怖を覚えた。

けれど同時に、届かないものへの切なさも込み上げてくる。

あれほど近くに見えるのに、いくら手を伸ばしても届かない光。

自分の手には決して掴めない幸福のようで。

あまりにも遠く、冷たく、美しかった。


ラミエルの存在もまた、きっとこの星たちのように遠いもの。

どれほど求められても、自分が傍にいることは、彼の立場を危うくするだけ。

思いが強くなるごとに、その事実が胸を突き刺してくる。


その瞬間、目の前でひとつの星が尾を引きながら流れていった。


きらきらと光り、あっという間に消えてしまう。

まるで自分の恋のように。

ひときわ強く輝いたかと思えば、次の瞬間には儚く消え去ってしまう──そんな予感を残して。


そしてまたひとつ、星が降る。

胸に突き刺さるような煌めきは、痛いほど綺麗だった。

発作的に手を伸ばしたが、掴めるはずもない。

瞼には、知らぬ間に涙が浮かんでいた。


「……ルゥ」


いつの間にか傍にいたラミエルに、背後からそっと抱きしめられる。

怖くて振り返ることはできなかった。

この温もりまで幻のように消えてしまいそうで──


「人は誰もが空に自分の星を持っていて、命が尽きるとその星が落ちるらしい」


彼の低い声が、耳元で静かに重なった。


「もし私の星があるのなら。それは、あなたのために生まれてきた星だと思います」


──ああ。


「愛している。燃え尽きて落ちるその時まで、私はあなたと共にありたい」


──私も、あなたを愛している。


そう心の中で叫びながらも、唇は動かなかった。

言えない。

私はずっと、あなたの傍にいることはできないのだから。


どうして。

どうして自分は罪人の娘なのだろう。

これまで一度も疑問に思ったことはなかった。

それを考えたら、足元から崩れてしまうから。

けれど今、初めて思ってしまった。

もし自分の生まれが罪に連なるものでなかったなら、この人の言葉に胸を張って応えることができただろうか。


「泣いているのですか?」


ラミエルが静かに問う。

振り向けない。

どうしようもなく、涙が止まらないから。


「どうして?」


「あんまり、星が……きれいだから、苦しくて……」


涙の混じる声で、なんとかそう答える。


次の瞬間、ラミエルはルナリアの体の向きを変えていた。

見上げた彼の瞳には、流れ星の残照が映っている。


なんて綺麗なのだろう。

夜空を翔ける光が、その瞳の奥で揺れていた。

掴めない星をそのまま閉じ込めてしまったかのようで。

触れられない美しさに胸が締めつけられる。


涙と共に、積もった思いが溢れていった。

この瞳を──いつまでも見ていたい、いつまでも。


「何も心配しなくていいんだよ。

あなたの憂いは、全部私が引き受けるから。不安にならなくてもいいんだ」


その言葉にどれほどの意味が込められているのか、ルナリアはまだ知らない。

ただ胸の奥に沁みるその声に、涙を零すしかなかった。


「だからどうか、一緒にいたいと言っておくれ」


縋るような眼差しが、流星の光と共に胸を射抜いてくる。

あまりに強いその視線を受け止めきれず、ルナリアは目を閉じた。


この恋には終わりがある。

彼の想いに、自分は最後まで応えることはできない。

だとすれば、できることはただひとつ。

せめてその時が訪れるまで、大事に抱きしめていたい。


星の降る夜空の下、いつまでも抱き合うふたり。

頭上には、幾つもの光が降り注いでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。