45 ストレスは大敵
本日二話+α投稿です。ご注意ください!
みーちゃんが三歳になってから私があまりにも情緒不安定だから、遊びに来た義弟がこう言った。
「二人目できてんじゃない?」
一応これは義弟なりに遠回しの「心配です」だったが、内容が内容だったので鉄拳を落としておいた。
しかし実際に月経が来ていなかったので、義弟の言葉を「そうじゃねぇんだよ」と受け流すことができなかった。
いや、ストレスでズレたりするし。今年はいつみーちゃんが召喚されるかわからなくて胃がキリキリしているからその所為だし…なんて思いながらも心当たりはあったので検査してみたら。
陽性だった。
担がれる勢いで旦那に病院へ連れていかれた。
二ヶ月だった。
そこからはお祭り騒ぎの大騒ぎ。
安定期に入るまではといいつつ周知され、代わる代わるいろんな人が様子を見に来た。私の情緒が不安定だったのは召喚に対する不安と絶望だったが、妊娠初期の不安定さと受け止められた。
実際吐き気やだるさはみーちゃんのときより酷かった。絶対精神状態が悪化しているからだ。新しい命を宿しながら、ぐるぐる寒気に目が回る。
めでたいことなのにいやな予感がする。
二人目を喜ぶ周囲に、私も嬉しいのに喜びきれない。
やめてくれよ。子供二人いるからもう一人は帰ってこなくても大丈夫だよねとかそんな展開やめてくれよ?
情報収集のため読みあさった異世界召喚ものの主人公の葛藤思い出しちまうだろうがやめてくれ。
弟妹に親を頼んで異世界で生きていく覚悟を決める展開地雷です。いいから帰ってこい何が何でも帰ってこい話はそれからだ。
異世界召喚のお話自体が地雷です。異世界召喚する奴は皆敵だ。地雷作品からは撤退しましょうそうしましょう撤退したいのに向かってくる場合はどうしたらいいんですかねぇ!!!!! クソが!!!! 棲み分けしろよ!!!!
二回目の妊娠が判明してから安静にしている時間が増えて、みーちゃんの送り迎えも旦那や義弟が中心となり、だるくて寝ている時間が増えてみーちゃんとの接触が極端に減った。召喚される三歳の時期にそうなのだから私の不安は増していく。腹の子を産んでいる間にみーちゃんが行方不明とかになったらどうしよう。みーちゃんにだって寂しい思いをさせている。
みーちゃんはお姉ちゃんだから大丈夫と胸を張っているが、まだ三歳だ。弟妹にワクワクしているようだが、今までべったりだった私と距離ができて拗ねる時間も増えた。旦那や義弟が傍にいても、お母さんじゃないといやだが発動したら私じゃないとだめだ。
つーかかつて発動したお母さんじゃないといやだって、あれ結局私だったわけだが…みーちゃんにもお母さんイコールつむちゃんとわかっていなかったってことだろうか。ちょっと哀しい。
…いや無理もねぇわ。だって若い頃の私、夕張メロンカラーだったもんな。流石に今は夕張メロンじゃない。この三年間余裕がなくてカラーしてないから黒髪だ。
黒髪のお母さんしか知らないんだから、若かりし日の夕張カラーのお母さんが出てきてもわかるはずなかったわ。すまん無理言った。みーちゃんは悪くない。悪いのは召喚してくる異世界人。
家族の協力を得て、家庭的には問題がない。目論み通り夫は子供に向き合ってくれているし、家族に憧れのある義弟はしょっちゅう遊びに来ては手伝ってくれる。
夫側の家庭にちょっとばかし問題はあったがそれくらい、どこにだって転がっている問題だ。現実的に対処できる問題はがんばればなんとかなるって思えるから苦痛じゃない。
その点に関しては鋼メンタルとか言われたが、対処できる問題ならいやでも向き合えば叩き潰せるんだ。むしろ叩き潰させろ。
現実で対処できない問題は、どう足掻いてもこっちじゃ対応できないからストレスばかりが溜まっていく。
多分それがよくなかった。
妊婦にストレスは大敵だと、わかっていたのに。
予定日より早く破水した。
あとは寝るだけという段階で違和感を覚えたと思ったら痛みが走り、慌てた夫が病院に連絡をして連れていってくれた。
一度目とは違う展開にパニックを起こした私の頭はお腹の子は助かるのかと、それだけで一杯になった。
痛みに呻きながら子供だけは子供だけはって繰り返して。
(あれ、みーちゃんどこ)
すっと差し込むように覚えた疑問。
慌ただしくも静かな看護師の言葉に従っていた私は、この三年間一度も忘れたことのなかったみーちゃんのことをすっかり忘れていたことに気付いて。
全身から血の気が引いた。
そこから先のことは覚えていない。
気付いたら、真っ暗な空間にいた。
それはいつか見た、崩壊した精神世界を思い出させるほど、暗い場所だった。
あのときと違うのは、私を照らす星の道がないこと。どこへ行けばいいのか導く物が一つもない。
空と大地が逆転しているような浮遊感。宇宙に放り出されたような孤独感。お腹がぺたんこで、抱えていた命が感じられない喪失感で胸が震えた。嘘だろ何がどうなってんの。
腹を抱えて蹲る。母親なのに胎児みたいな態勢になった。大人になってすっかり伸びきった黒髪が揺らめいた。
お腹の子はどうなった。みーちゃんはどこだ。夫と義弟はどうしてる。私はどうしてここにいる。
どうしたら…。
「びゃあああああああああああああっ!」
遠くから。
大事な子の泣き声が響いた。
「づむじゃああああああああああんっ!」
ここにいるよと訴える、子供の高い声。
「おぎゃあじゃあああああああああっ!」
力一杯、全身全霊で、見つけてと叫ぶ声がする。
気付いたら、走っていた。
道なんかない。正解かもわからない。それでも声に向かって走っていた。
ここがどこだとかこの先どこに繋がっているとか、そんなこと考える暇もない。そんなのあとからでも考えられる。とにかく足を動かした。暗闇の中、進めているのかもわからないけど走り続けた。
私は無力だ。
いつだってこっちの意思なんか関係なく知らない場所に放り出されて、知識も技術もないことばかり求められる。何度も理不尽にキレたし今だってだいたい向こうが悪いと思っている。
でももっとやり方があったとか、媚び売ってでも楽をするべきだったと思うときもある。悪いことじゃない。処世術だろ。頭を使って、利用されないように害されないように味方を増やすべきだった。そうしたら、セバスチャン以外にも味方はいたかもしれない。私は役に立つのだと示せれば、解剖なんかされなかったかもしれない。
無力な奴は、搾取されて終わるだけだとわかっていなかった。
あの頃セバスチャンが味方だったのは結果的によかったけれど、セバスチャンだって展開が変われば敵だった。私は上手く立ち回って味方を増やすべきだったのに、そう上手く立ち回れるわけがなかった。何もできない小娘だった。
今の私だって無力な女だ。今の私がみーちゃんを召喚されたって、きっと何一つできない。勇者の母親ってだけで、私には顔だけ王子をぶっ飛ばす権力もセバスチャンを納得させる知略も魔王を遠ざける魔力もなにもない。
いつだって我が子頼りの情けない母親だ。
私がいないと何もできないのはみーちゃんじゃなくて、私のほうだ。
私は無力だ。いつだって無力だ。
(私は、)
「びゃあああああああああああああっ!」
「みーちゃん!」
私は、泣いているあの子に駆け寄って抱きしめることしかできない。
真っ暗だ。何も見えない。
だけどみーちゃんの大号泣が、息づかいが、ここに我が子がいると伝えてくれる。
大きな声で呼んでねと、お願いしたとおりにみーちゃんはずっと呼んでくれていた。
ずっとずっと呼んでいた。産まれたときから呼んでいた。
お母さんってずっと泣いていた。
真っ暗で何も見えない。みーちゃんの姿は暗闇に塗りつぶされて、夜の闇より深い闇に飲まれて全く見えない。
だけどここにいると確信を持って腕を伸ばし、私は泣きすぎて体温の高い小さな身体を抱きしめた。
抱き返してくる、小さいのに力強い指先。
子供ってどうして、握る力はこんなに強いんだろう。引っ張る力もとても強い。見えないみーちゃんは私の腕を、髪を掴んで引っ張った。
「お母さんの馬鹿! みーちゃんずっと呼んでたのに! おちょい!!!」
「ごめんなさい! でもお母さんもずっとみーちゃんに会いたかったから許して!」
「だめー!!」
「ごめんねぇ!!」
でも本当にずっとずっと、会いたかったんだよ。
次回、最終回。