30 抱きしめていたのに
みーちゃんがいない。
いつも私にひっついて、寝ているときくらいしか離れていなかったみーちゃんがどこにもいない。
「い…っ!」
「ムツミ。無理をしてはいけません」
思わず飛び起きた私は、胸に走った引きつるような痛みに身体を丸めた。倒れそうになった所をセバスチャンに支えられる。
耐えきれない痛みではなかったが、覚えのない痛みだった。私は掻き毟るように胸元の包帯を外して自分の身体を見下ろした。
鎖骨の下からヘソの上まで。縦に真っ直ぐ引かれた一本線。
縫い目も何もないのに、開かれた傷はぴったりくっついている。
「なんで…」
うっかり指を切ったとか、そんなレベルの傷ではなかったのに。
傷を見下ろして、傷を付けられた解剖を思いだし、気持ち悪さが込み上げてくる。口元を覆って嘔吐く私の背中をセバスチャンが撫でた。
「呑み込まず、吐き出してください。耐えてはいけません」
「うぇ゛…っ」
桶とかなにもないじゃんと躊躇しかけたところに、セバスチャンが魔法で水の桶を作った。我慢できずその場で吐くが、食べ物は出てこない。胃液が喉を焼いた。
手慣れたように介抱するセバスチャンは、本当に高貴な身分の人間なのだろうか。有能すぎて怖い。怖くてガクガク手が震える。
(みーちゃんどこ)
どれだけ視線を彷徨わせても、小さい塊がどこにもいない。
「ムツミ、あなたは数日眠って…」
「そういうのいいから、みーちゃんどこ」
さっきまで、勝手に膝に乗っていたはずなのに。
人様の胸に顔を埋めて、やだやだと訴えていたはずなのに。
(なんでいない)
アレは精神世界だと、勇者が作り出した世界だとラスボスは言っていた。
夢だけど、夢じゃない。そんなよくわからない空間。そこから弾き出された私が現実世界で目を覚ますのはわかる。
みーちゃんだって同じように、身体はこちらにあるはずなのに。
ラスボスが映した映像にだって、グニャグニャ寝返りを打つみーちゃんが映っていたのに。
(みーちゃんは)
いつもくっついていた温もりがどこにも無い。
ちまちました生き物が傍にいない。ずっと存在に注視して気を遣って、高い声で泣くのを煩わしく思っていたのに、いないというだけで心臓がおかしな音を立てる。
(どこ)
どこに行ったの。
どうしてどこにもいないの。
この世界は危険しかないのに、誰も信用できないのに…!
(違う。私がみーちゃん以外を信用できないんだ)
一心に、真っ直ぐに、全身でしがみ付いてくるみーちゃん。
(みーちゃんがいたから、私がなんとかしなくちゃって…)
だって私のほうが、お姉さんだから。
お姉さんの、はずなのに。
いつから、抱きしめていたのに、抱きしめられていたのだろう。
私がいないとすぐ利用される小さい命は、私が踏ん張って立ち続けるために必要な重石だった。
そのみーちゃんが、どこにもいない。
「みーちゃんどこだよ…!」
脇目も振らずに詰め寄る私に、セバスチャンは青い目を見張った。
けれどすぐに表情を改めて、はだけたままの私の上着を直していく。
「みーちゃん様は、現在捜索中です」
彼が言うには、みーちゃんは数時間前に侍女が目を離した一瞬の隙に姿を消したらしい。現在王宮ではみーちゃんを探して大捜索が行われている。
ここの奴らの言葉は基本的に信じられないが、その中でもセバスチャンはまだマシだ。ここでこんな嘘をつくような大人ではない。
でもおかしい。
ラスボスが映したとき、みーちゃんはちゃんと眠っていた。
(数時間…? 私が映像を確認したのはついさっき…まさかアレ、現在進行形じゃなくて過去だった? それとも夢と現実で時間の流れが違う?)
後者も普通にあり得る。だってそもそも夢の経過時間はバラバラだ。自覚があるからって現実と同じ歩幅ですすんでいるかなんて誰にもわからない。
だが、だとすると、みーちゃんは夢の世界に身体ごと入り込んでいることになる。
それがいつからかは知らないが、そんなことをしそうなのは一人だけだ。
みーちゃんの夢に接触できる、介入してきたまおちゃん…魔王。
みーちゃんが作った世界だとしても、その制御は幼女にできない。現に私が夢から放り出されたのはまおちゃんが何らかの方法で主導権を奪ったからだと思う。そして魔王に主導権があるのなら、あのヤンデレ予備軍が素直にみーちゃんを帰すわけがない。
つまり、みーちゃんは…また誘拐されたのだ。
それこそこちらの事情など気にする必要のない、絶対的強者である魔王に。
(ふざっけんな…!)
「落ち着いてくださいムツミ。みーちゃん様の姿は見えませんが、みーちゃん様がご無事なのは確かです」
怒りに震える私が不安がっていると勘違いしたのか、セバスチャンは宥めるように言葉を続けた。
「その証拠に、伝説の武器はこのようにムツミに奇跡を降り注ぎ続けています」
小さい星がキラキラと降ってくる様子が幻想的だったが、その発信源がファンシーでリリカルなハートの宝石だと思うと情緒が乱れる。
セバスチャン曰く、これはみーちゃんの持つ伝説の武器が必要に応じて変形したもので、私の傷を癒すため奇跡が形となって降り続けているという。
「これは恐らくですが、ムツミの傷が完全に消えるまで稼働し続けることでしょう。伝説の武器の力は勇者からしか供給されない。みーちゃん様は無意識で常に奇跡を発動しているのでしょう。この武器が動き続けていることが、みーちゃん様の無事を表し…この近くにいるのだという証左になります」
大捜索中にもかかわらずセバスチャンが私の傍にいたのは、みーちゃんがこのあたりにいると予想を立てていたからのようだ。
「…しかし、ムツミが目覚めるのは奇跡が完全に終わってからと思っていました…」
「傷が治りきるまでって意味?」
「ええ。この傷は…深いですから。完治にはまだ時間が掛かるはずです」
切って、開いて、まさぐって。
めちゃくちゃにされたのだから、元に戻るのに時間が掛かる。
楽しげな笑い声が聞こえるようで、嫌悪感と忌避感からまた吐き気が込み上げた。
身体を丸めて嘔吐く私を介護して、セバスチャンは小さく呟いた。
「眠っている間、何かありましたか」
不思議な質問だ。
眠っていた側が寝起きに聞くなら普通でも、眠っていた側に問いかける言葉ではない。
だけど私は、眠っている間にたくさんの出来事があったし…それを伝えないと、みーちゃん捜しが捗らないとわかっていた。
もしかしたら伝えたら不利になることもあったかもしれない。
だけどそんなこと考えられなくて、考える余裕もなくて…私は全部をセバスチャンにぶちまけた。
早くみーちゃんに会いたかった。
ちっちゃい手で抱きついていたはずなのに、いつの間にか抱きしめられていたつむちゃん。
みーちゃんの存在でSANC回復していたのに、引き離されて自分の不安を自覚。セバスチャンに事情を全部暴露することに。
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