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幼女の覇道 ~愛される技術  作者: えいみK
二章 消滅と死と再生。知らぬ世。
3/8

新たなる命

 俺は、最高神によって、強制的に奇妙な世界に転送させられた。

 四角い箱のような建物が林立する世界。

 大地には灰色の固い敷物が敷き詰められていて、土が見えない。

 パンガイア世界では、俺より背の高い建物は、神を祀る神殿くらいのものだったのに、ここには俺の倍――いや、十倍は高そうな建造物が隙間なく並んでいる。

 神を祀る神殿はないようだ。

 人間が大勢いて、四角い建物の中に入ったり出たりしている。

 巨大な甲虫が列を成して、白く光って見える道をすべるように走っている。その甲虫の中にも、人間が入り込んでいる――食われたのか、それとも逆に食ったんだろうか。

 神の力は感じられない。パンガイア世界では、どこにいても何かしらの神の力が感じられたのに、ここでは全く。

 神がいないのか? この世界には?

 神のいない世界――ここは神に見捨てられた世界なのか。そんなところに、俺は飛ばされたのか。まるでごみを処分するように。ここは、ごみ捨て場か?


「な……何だ、あれはーっ!?」

 俺の背後で、悲鳴があがった。

 そして、逃げ惑い始める人間たち。

 建物は巨大だが、人間は、パンガイア世界の人間たちと変わらぬ大きさだ。大きくても、俺の膝くらいまでの背丈。

 これが神だったなら、どうせ死なないのだから、蹴り飛ばすか投げ飛ばせばいいんだが、命が有限の人間に対してそんなことはできない。

 建物の外にいた人間たちは逃げていく。

 しかし、人間を食った甲虫は道の脇にある柱や建物にぶつかって、ぐしゃりと潰れたり、火を噴いたりし始めた。

 俺をよけようとして、失敗したらしい。

 少し落ち着け、人間たち。俺は、人間を害するつもりはないぞ。

 ――と言ったところで、信じてもらえるとも思えんが。パンガイア世界でも、巨躯というだけで、俺は人間たちには恐怖の対象だった。

 この世界の巨大な箱のような建物の周囲には、おそらく人間の手になる柱――柱頭に奇妙な飾りがついている細い柱だ――が林立していて、俺が少し身体の向きを変えたり、腕を振り回したりするだけで、その柱を何本もへし折ってしまう。俺が周囲の柱や樹木をへし折るたび、人間たちは恐怖の悲鳴を響かせる。

 どうすればいいんだ。どうすれば、俺は、恐慌状態に陥っている人間たちに害意がないことをわかってもらえる?

 俺が対応策を模索し始めた時。

「この巨人を人のいない方へ!」

と叫ぶ人間たちが大勢現れた。どこから来たんだ。

 聞いたことのない言葉。だが、その意味はわかる。

 俺を、人間に害を為す者と決めつけて、被害を拡大させないよう、人間のいない場所に誘い出そうとしている。

 人間――人間だろうな。身長が、俺の膝くらいまでしかないんだから。

 ぴょんぴょんぴょんと、まるでバッタのように、俺の周囲を飛びまわっている。

 素早い。普通の人間じゃない。少なくとも、パンガイアの人間たちとは違う。

 大勢と思ったのは誤解だった。動きがあまりに速いので錯覚したようだ。五人しかいない。

 しかし、彼等は、素早いだけでなく、攻撃力も持っていた。

 俺の足元に、雷のような音と光を伴った衝撃波を撃ち込んで、俺が大きな箱の立ち並ぶ林から離れるように誘導している。

 これは魔力? 念波? それとも、物理的な武器か?

 パンガイア世界の神たちにもこれほどの力はなかった。この人間たちは、俺を箱の林から遠ざけつつ、高熱、冷気、水流、気流――様々な要素を俺にぶつけてくる。俺の弱点を探っているようだ。

 俺の身体は、大きくて丈夫なだけで、作りは人間のそれと同じだから、この人間たちのどの攻撃にも、それなりのダメージを受ける。しかし、致命傷には至らない。

 五人が、俺の身体に直接攻撃を加えないからだ。彼等は、俺の脚ばかりを狙っている。


「こんなに巨大なものを、こんなに大勢の人がいるところで倒すのはまずいよ。特に単純破壊は避けた方がいい」

「こないだのヒュドラに比べれば、頭は一つだ。倒すのは容易だろう」

「でも、あのヒュドラの血は、土の命を奪った。アスファルトの隙間から土に沁み込んで、付近一帯の植物を全滅させた。まるで塩を撒かれたように。あの事態は避けないと」

「しかし、こいつは、血肉に毒があるようには見えないぞ。ただのでかい人間だ」

「ここは人間が多すぎる。人間の姿をしているものを倒すのは、目撃してしまった人の心に悪影響を及ぼす。記憶を消すにしても……取りこぼしが出るかもしれないし――」

「既に被害者が出ている。悠長なことは言っていられない。まず、場所移動。凍結して気化。その気体が拡散しないよう、即座に固化する」

「俺と優理ゆうりでやる。バックアップを頼む」

「了解」

 俺がほとんど動かないでいるのをいいことに、俺の目の前で、俺を倒す算段か。

 奴等は、俺が奴等の言葉を解しているとは思ってもいないようだ。まあ、俺自身、聞いたこともない言葉の意味がなぜ理解できるのか、わからずにいるんだが。

 五人の中の二人が、俺に向かって駆けてくる。

 あとの三人は、どこかに消えてしまった? いや、油断は禁物。

 だが、それにしても、俺をどこかに移動させ、気化して固化する?

 人間ごときにそんなことができるのか? 至高の十二神はおろか、最高神にすら、できなかったんだぞ。俺の命を消し去ることは。

 俺は、小さな人間たちの無謀な計画に失笑した。

 笑いかけた俺の身体が、突如起こった竜巻に包まれ、動きを封じられる。

 その竜巻によって、俺の身体はどこか広場のような場所に運ばれ、そこで俺は消された。

 俺の身体は、本当に消されてしまった。

 水滴が炎の上に落とされて、水蒸気になり、空中に霧散するように、俺の身体は一瞬で消えていた。

 神ですらない、たった二人の人間が、俺の身体を消滅させた。

 神より強いこの俺を、一瞬で消し去った――人間……?

 こいつらは何者だ。

 その答えに辿り着く前に、俺の意識は、飛んだ。



 俺は、たった二人の人間に倒された。

 背丈は俺の膝ほど。俺の四分の一もないような人間に。

 パンガイア世界で、ほとんどの神たちを倒し、世界の覇者になろうとしていたこの俺が。

 パンガイア世界では、人間が死んだら、その魂のみが、肉体のない精神だけの死者の界を永遠に漂うようになると言われていた。

 死者の界から生者の世界にやってきた人間はいないから、それが嘘か真か誰も知らない。

 亜神は、動植物と一緒で、死んだらすべてが無に帰す。まれに人間に近い魂を持つことのできた亜神は生者の世界に生まれ変わって、ちゃんと死ぬこともできるらしいと言われていた。もちろん、それも真偽のほどは定かじゃない。

 ともあれ、生まれて初めて、俺は死んだ。初めての経験だ。

 異世界で肉体を失うというのは、よくあることじゃないだろう。

 もし本当に死後の世界があるとして、俺はどっちの死後の世界に行くんだ? 生まれ育った世界に属する死後の世界か? それとも肉体を失った世界に属する死後の世界か? 俺は今、どこに行こうとしている?


 誰かが俺を呼んでいる。

 小さな声――か細い声。

 まるで嵐の日に羽化してしまった白い蝶のそれのようだ。彼女は、冷酷な運命を呪う力すら持たず、ただただ自分に救いの手が差しのべられるのを待っている。

 『助けて』と、『死にたくない』と、『誰か、私に生きる力をちょうだい』と、力を持つ者を――俺を――呼んでいる。

 誰かに助力を求められるのは――それもまた生まれて初めての経験で(死んで初めての経験とも言えるが)、俺はその呼びかけを無視できなかった。

 理由は単純。俺自身も、まだ死にたくなかったんだ。


 俺が目を開けたのは、死後の世界ではなかった。

 周囲は、上も前後左右も真っ白で、見たことのない場所だったが、ここが死後の世界でないことだけはわかった。

 身体の感覚があったからだ。

 眩しい、痛い、重い。肉体があるからこその不快感。

 そこに、もう一つの不快が加わった。

「きゃーっ!」

 正気を失ったような、人間の女の悲鳴。

 あとで知ったが、“俺”の身体は一度完全に死んだらしい。

 突然現れた巨人に動転した運転手が、信号機という柱に衝突させ爆発した車の中で。

 死亡診断書も作成された。遺体の引き取り手が決まるまで時間がかかりそうなので、遺体を低温室に移動するためにやってきた看護師が、俺の蘇生に気付いたんだそうだ。

 悲鳴は、その看護師の悲鳴。

 俺の身体は、火傷と打撲と裂傷でいっぱい。

 俺は死ななかった。死んだが、生き返った。

 小さな少女――パンガイア世界の最高神より更に幼い四歳の人間の女の子の身体を借りて。


 病院のベッドの上で、徐々に記憶が戻ってきた。

 想定外にちっぽけな最高神によって、異世界に飛ばされたこと。

 巨人の登場に混乱する異世界。

 その騒ぎの中で、巨人の俺は――俺の巨体は二人の人間に倒され、彼等に命までも消し去られてしまったこと。

 白い蝶のそれのような声を聞いたこと。

 その声の主が、騒動のとばっちりを受けて死にかけていた女の子だったこと。

 俺の心――精神? 意思? 魂? ――が、その少女の身体の中に逃げ込んだこと――。

(俺は……)

 パンガイア世界の支配者になろうとしていた俺が、あの瘠せっぽちの最高神より更に幼い人間の中に。

 神でも亜神でもない、紛う方なき人間の幼児の中に――。

 どうやら、王族でも貴族でも戦士でもない平民の少女。

 少女が乗っていた車を運転した人間の身体は吹っ飛んでいた。

 この女児の身体も脆かった。

 俺は――俺の身体は死んだ。

 死にかけていた幼女は、俺の心が逃げ込んだことで、命を吹き返した。

 あの異様なまでに敏捷で不可思議な力を持った二人の人間は、俺の身体を気化し固化して処分することはできたが、俺の心までは消し去ることができなかったんだ。


「おまえの名前は」

 尋ねてきたのは、俺を消し去った二人の人間の片割れの男だった。

 名を問うてきたのは、医者から、俺(幼女)の記憶が混乱している、もしくは、記憶を失っていると聞いていたからだろう。

 誰何は、医者の言葉の真偽を確かめるため。もしくは、記憶が戻っていることを期待して。

 だが、残念ながら、幼女(俺)は何も憶えていなかった。事故のショックで記憶を失ったのか、事故に遭う前から記憶していなかったのか、それは定かではないが。

 何にしても、俺が生きているのは奇跡だ。

 この世界の自然の理が、パンガイア世界のそれと同じなら、肉体が霧散した俺は死んでいるのが自然。なのに生きているんだから、これは奇跡だ。

 しかし、この奇跡を俺は喜ぶべきなのか。

 強大な力を持つ“パンガイア世界の覇者”から、無力な人間の少女に。落差が大きすぎるじゃないか。


 病院という施設のベッドの上で、七日間。

 入れ代わり立ち代わりにやってくる医者や看護師たちの話を聞いて、俺は、この少女(俺自身)の境遇をほぼ把握していた。

 巨人の俺をよけようとして柱にぶつかり爆破炎上した車を運転していたのは、幼女(俺)の親でも近親者でもなく、幼女を児童養護施設に運ぼうとしていた児童相談所の職員だった。

 幼女の実の両親は、人間の中でも屑だったらしく、自分の娘を邪魔物として虐待し、最終的に育児放棄。幼女は、暴力や飢餓によって、何度も死にかけて――いや、殺されかけていたそうだ。

 幸い(幸いだろう)、父親は二十歳の時にオートバイ事故で死亡、母親は二十二歳で急性薬物中毒で死亡。

 幼女(俺)は、事故で落命する前に、天涯孤独の身だったんだ。

 母を殺して生まれ、父に子として認められず、父の存在を消し去ろうとせずにはいられなかった俺という子供を不幸だと思っていたが、父母が揃っていれば幸せになれるというものでもないらしい。

 この少女は、俺より哀れだ。自分を愛してくれない両親に復讐することもできずに死んでしまった。


 本来の俺の身体を消し去った若い男に名を問われた時、俺(幼女)の中に幼女の記憶はなかった。あったのは、『パパ』『ママ』という言葉だけ。

「パパ……ママ……パパ……ママ……」

 それだけを繰り返していたら、俺を殺した若い男が幼女(俺)の手を握りしめてきた。

 仇に手を握られたことより、仇が握りしめた幼女(俺)の手の小ささに、俺は驚いた。

 それは不思議な感覚だった。

 俺は、誰かに手を握られたことなんかない。仇の手は幼女(俺)の手よりずっと大きくて――そして、温かかった。

 俺を殺した者が優しい人間だということが、いやでも伝わってくる。

 俺はどうすればいいんだ。

 こういう時、人はどう振舞うんだろう。

 それがわからなかったから、俺は無反応でいた。動かずにいた。


 が、まあ、そのことはさておいて。

 自分で言っておいて、こんなことを言うのも何だが、『パパ』とは何だ?

 俺は、俺の身体を消し去った男の顔を覗き込んだ。

 人間――人間の男。

 かろうじて成人している程度の若造のようだ。しかし、この男は、パンガイア世界の美を司る神よりも美しいのではないか。腹が立つな。しかし、美神と違って、なよなよしていない。むしろ硬質な印象。

 どこか鉱物神に似ていると思ったのは、瞳が青黒い鉱物のように輝いていて――美しいが無機質に感じられるからのようだ。

 そのせいか、表情が豊かではなさそうだ。考えていることのみならず、感情も読み取れない。

「パパはどこ……」

 か弱い女の子の振りをして、呼ぶ。

 振り? 違う。これは、彼女の心からの叫びだ。


 人間の――仇の手のぬくもりが、幼女(俺)の小さな手を温かくして――そして、俺(幼女)は『パパ』の意味を理解した――思い出した。

 『パパ』とは、父親を呼ぶ言葉だ。

 父親――俺をこの世界に生み出した二つの命のうちの片方。

 ……意味がわからん。

 自分を愛さず、愛さないどころか殺そうとさえした父親を、この女児はなぜ求める?

 幾度も蹴られ殴られ、優しい言葉一つかけられず、邪魔者扱いされ続けてきたんだろう?

 なのに、なぜ求める。

 愛してくれない親など、己の存在意義を確認するためには打ち殺すしかないモノだ。

 なのに、なぜ求める。

 そして、この人間の男は、なぜ幼女(俺)の求めに応えるんだ。

「おまえのパパは俺だ」

 おい、若造。

「怖かったな。よく生き返ってきてくれた。偉かったぞ」

 俺を殺した男が、俺の頭を撫でる。

 こいつは、俺の父親じゃない。なのになぜ。

 人に手を握られたのも初めてなら、頭を撫でてもらうのも、生まれて初めての経験だ。

 俺はどんな神より、どんな人間よりでかくて、大抵の亜神よりでかくて、誰も俺の頭に手が届かなかった。

 パパじゃない。父親じゃないのに――。

 この若造がパパであるはずがないのに、幼女は――その心と声が、無機質男を『パパ』と呼んでいた。

 なぜそんなことができるんだ。こいつが父親のはずがないのに。

 実の父親が死んだことを知らないのか? いや、知っているだろう。

 この子を虐待したあげく捨てた父。

 俺の父親と変わらんな。俺とこの女児は似た者同士というわけだ。


「パパ……! パパ!」

 そうだ。俺はパパが欲しかったんだ。優しい、俺を愛し守ってくれるパパ。

 俺は、小さな手で、パパの手を握りしめた。いや、手を握るのは無理だったから、パパの右手の人差し指と中指を、それこそしがみつくように握りしめた。

 絶対に離さないぞ。絶対に離れない。

「どこにも行かないでね。ずっと一緒にいてね」

「ああ」

 パパの短い返事。

 俺は嬉しくて涙が出た。

 なぜだかわからないが、ほっと安堵した。

 身体が重い。瞼も重い。

 心を安んじて、目を閉じた。

 そうして、数分。

 俺が眠ったと思ったのか、パパの後ろにいたもう一人の人間が、俺のパパに心配そうに声をかけた。

 巨人だった俺の命を、この世から消し去った、もう一人の人間。


秀人ひでと……そんなことして……」

 瞼を閉じていても、俺には、俺の周囲の光景がぼんやり見える。

 パパと連携して俺を倒したもう一人の人間は、女のようだった。この世界の衣装は、パンガイア世界のそれとは全く違っていて、肌の露出が少ない。だから、着衣で性別を判断することはできないが、多分、女。パパより印象がやわらかい。

 こっちは、パパと違って、表情が読みやすい。表情が豊かだ。

 パパが俺のパパになったことに戸惑い、案じているようだ。それはそうだろう。

 知り合いが(近親ではなさそうだ。全く似ていない)、たった今出会ったばかりの幼女(死に顔は以前から見ていたのかもしれないが)のパパになってしまったのだから。

 パパも美しいが、こちらも美しい。腹が立たないのは、こちらが女だからだろうか。

 知を司る神より聡明そうだ。印象は、植物神に似ているか。花のように優しい印象の佳人。花といっても、赤や濃紫の派手な色ではなく、白くまろやかな花。

 医者や看護師たちの姿を見ていなかったら、この世界には、パンガイア世界の神々を凌駕するほどの美形しかいないのかと、誤解していたところだ。

「あんな目に合って、そのショックで記憶を失ってしまったんだ。不安でたまらないだろう。しかも、身体は縫合の痕だらけ。俺たちのせいだ。親が側にいれば、その不安を少しは薄れさせてやれる」

「でも、あとで、この子の記憶が戻った時、どうするの」

 気遣わしげな声。

 この子供の本当の父親は愛情も与えず、衣食住の世話もせず、娘に与えたものは恐怖と暴力だけだった。しかも、子供は記憶を失っている。子供の記憶が蘇った時、記憶の混乱混同が起きて、恐怖と暴力の記憶を相棒の上に重ねるようなことが起こったら――。美人が懸念しているのは、そういう事態のようだった。

「この子とは二度と会わない方が、互いのためだよ」

 パパよりよほど情に流されやすそうな人間に見えるのに、パパの相棒は、パパが俺のパパになることに反対らしい。

 パンガイア世界にもいたな。考えが先走り過ぎて、いらぬことまで案じ、そのせいで動きがとれなくなる人間や神が。

 その手の輩は、行き当たりばったりで生きている奴より大きな失敗をせずに済むが、重要な勝負どころで好機を逸し、大成し損なうことが多い。

 美人さん。おまえの懸念は至極尤も。

 だが、俺は、パパを離すつもりはない。

 初めて会えたパパ。俺を愛し守ってくれるパパ。

 無力で不幸で孤独な俺には、パパが必要なんだ。

 パパを手放さないために、俺は咄嗟に目を開けて、彼女を、

「ママ!」

と呼んだ。

「ママ……!?」

 花に似た佇まいのその人が、目を大きく見開く。それまでのやわらかい印象はどこへやら、彼女は、突如、全身を硬直させた。

 その様子を見て、パパが噴き出す。

 なんだ。パパも笑えるんだ。この世界に太陽神がいたら、こんなふうだろうか。

 俺に『ママ』と呼ばれて、ママは凍りつき――口を閉ざしてしまった。

 『ママ』というのは、それほど衝撃的な言葉だったんだろうか。

 まあ、産んだ覚えのない子供に、突然『ママ』と呼ばれてしまったら、誰でも驚くか。

 俺はただ、俺の中に二つだけ残っていた言葉のもう一つを口にしただけだったんだがな。

 『パパ』『ママ』という言葉だけが、俺の中には残っていた。

 庇護者を求める幼い子供の本能か、正体を疑われないための異世界生物の咄嗟の機転だったのか――いや、俺たちはただ、愛を求めていただけだったのかもしれない。

 とにかく、俺は、その言葉だけを繰り返した。

「パパ、ママ」

「パパ、ママ」

「パパ、ママ」

 ああ。野山のニンフたちが歌う恋の歌のようだ。


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