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救世神子の虹模様 外典  作者: 四面楚歌
おかしなひと時編
38/103

第4話 私が今訊くべき事

「お兄様、戻りました」


「ただいま」



 寝室の扉が小さな音でノックされ、小声でそう報告しながら入室してきたのはフレア様とリジーのお二人です。

 あの後、フレア様は聞き耳を立てている密偵の排除に向かい、リジーもそれに同行したという訳です。



「二人とも、お疲れ様」


「どうと言うほどの事ではありませんわ。この子がエステルちゃんですか……」


「可愛いね」



 キャストン様に手を握られ、頬を撫でられている内に、エステルちゃんは眠っていました。

 その寝顔を覗き込むと、少しだけ顔色が良くなったように見えます。



「お兄様。後は私が」


「大丈夫か?」


「これなら、私でも出来ます。ですが、あちらはおそらく……非常に不本意ながら、私ではどうにも出来ないでしょう……」



 お二人が、何について話し合っておられるのかは分かりませんが……フレア様が珍しく悔しそうにしています。



「こちらは、アイリーンさんかブリジットさんのどちらかを残して頂ければ十分です。ですので、もうお一方はお連れして下さい。人口密度が高いので」


「む……それは…………むぅ、わかった。どちらか手伝ってくれ」



 フレア様に場所を明け渡されたキャストン様のお顔を見れば、私達三人ともここに残して、何かをしようとしていたのでしょうが……それを先んじてフレア様が潰されたようです。


 私は、どちらが同行するか相談しようとリジーの方を見ましたが……当の彼女は、エステルちゃんの寝顔に魅入って心ここにあらず、という様相を呈していました。

 尤も、これは半分本気で魅入っていて、残りの半分は無言で私に譲ってくれているのですが。



「では、私がお供させて頂きます」



 こういう時、リジーは頑として動こうとしません。

 下手に譲り合いをしようものなら、置いて行かれるのは目に見えていますので、ここはありがたく受け取っておきます。



「それでは、案内して頂けますか?」



 それを受けて、キャストン様が尋ねたのはエステルちゃんの母親であるエレイン様。

 実は彼女、エステルちゃんが寝息を立て始めたあたりから、声を殺して泣いてしまわれて……。



「……はい。こちらです……」



 今も、涙をうっすらと浮かべていらっしゃいます。



 寝室を後にし、先程応対を受けた居間も通り抜け、案内されたのは……。



「ここが……息子の研究室です」



 錬金術に使われる器具や本等が、大量に並べられた小さめの一室でした。

 敢えて言うなら、書斎の一種でしょうか……いえ、やはり、エレイン様も仰ったように、『研究室』と表現した方がしっくりきますね。



「案内して頂きありがとうございます。この部屋、きちんと整理整頓されているようですが、エレイン様が掃除をなさっているのですか?」


「埃が溜まらないように掃除はしていますが、危険な薬品もあるのであまり触らないようにと言われています」


「そうですか、お答え頂きありがとうございます」


「あの……」


「あぁ、勿論荒らすような真似はしませんから、ご息女の傍に付いていて差し上げてください」


「あ、ありがとうございます! あの、よろしくお願い致します」



 丁寧な一礼を残して、エレイン様はこの部屋を後になさる。

 ……随分と久し振りにキャストン様と二人きりに……。

 は、いえいえ、今はそれどころではありません。ここまで流されっぱなしです!



「あの、キャストン様……何をなさっていらっしゃるのですか?」



 自分の役目を尋ねようとしたところ、キャストン様は耳が床に着きそうなほど屈みながら、床をノックしていらっしゃるご様子。

 呆気に取られて、思わずそちらを尋ねてしまいました……。



「床下に隠し収納がないか確認しているんですよ」



 う……二人きりになると、より一層他人行儀です……。



「隠し収納……ですか?」


「どの分野でも、『研究者』という生き物にとって、自分の研究成果は命も同然。当然、それを他人に盗まれるなんて事態は御免被りたいので、自然と保管場所も工夫するようになるんです」



 床下に隠し収納がなかったのか、そう答えながら立ち上がるキャストン様。



「流石に隠し部屋を作れるほど、裕福な家ではありません。なので、まずは床下を探ってみた訳ですが……大掛かりな仕掛けも、不自然にできた空間もなし……生き物でも隠れていれば気配を辿れるが……」



 途中から一人で考え事に集中され、こちらは要らない子状態です……。

 これは……そう、例えるならば敵の侵入を拒む城壁です。

 「それ以上近付かなければ攻撃しないから、妙な考えはさっさと捨てろ」という無言の圧力……。


 キャストン様に近付く女性には全て噛み付く、あのフレア様にお膳立てまでされ、リジーに譲られてここにいるというのに……ここで逃げ帰るようでは、私も立つ瀬がありません!


 この城壁を登るための梯子はありません。当然、城壁を破壊できるだけの力もありません。

 ですが、私には一つだけ、城門を破るための破城槌があります。

 ……失敗したら、矢でハリネズミみたいにされますが……。



「あの、どうしてグレイシア様を避けるのですか!?」



 何時の間にやら、抽斗の二重底を見破って、1冊の本を取り出していたキャストン様。

 ですが、私の発した問いを耳にした一瞬だけ、完全に動きが停止し、部屋の空気も剣呑なものになっていました。



「私は知っています! 1年生の最初の実習で、初めて貴方に会った時から、私は貴方を疎ましく思っていました! それは、貴方が少なからぬ好意をグレイシア様に向けていたからですッ!」



 この方に訊きたい事なんて幾らでもある。

 下らない小さな事から、もっと重要な事……今日あったエステルちゃんの事やエレイン様の事なんか、まさに話題としては適切です。

 でも、それをここで尋ねても、あの城壁は越えられません……。


 無論、この問いも今するに相応しいものとは言えません……ですが、私が持っている駒はこれだけです。

 見習い使用人としてクレフーツ家に迎え入れてもらえたものの、これ以上に効果のある駒は得られませんでした。

 そして、ここまで整えられた状況は、おそらくこれが最初で最後なんだと思います。

 ここで傍観者に回れば、私はこの先二度と前に踏み出す事はできなくなるでしょう……。



「……ふむ」



 そう呟いたキャストン様は、こちらに背を向けたまま手に取っていた本を一瞥すると、中を見ることなく机の上に置き、二重底だった抽斗を元に戻される。



「何を言い出すかと思えば、自分はグレイシア様の事なんて、何とも思っていませんよ? 単に、彼女の兄が気に入らなかったので、彼女を利用させて頂いただけですええ本当にもう全く以って真実ですよはい」



 …………何やら、思った以上に効果的だったようです……。

 その証拠に、振り返ったキャストン様の目は……焦点が合っていませんでした。



「……ふぅ……まぁ、どう思おうと貴女の勝手です。それが仮に真実だったとして、間諜である貴女に教える必要はありません」



 私が少々呆気に取られている隙にキャストン様は態勢を整えられたようで、書棚から資料らしきものを取り出して、中を検めはじめます。

 そして、明らかに私を排除しようと、今までは黙認してきていた『間諜』という私の役割を突きつけてこられます。


 確かに、私はこの方がガラティーン公爵家の婿養子となる事を頷くよう、説得ないし工作する事を期待されている面があります。

 少し前の私でしたら、それが私の果たすべき役割……と、私情を挟まずに、それこそ、あらゆる手段を以って動いていた事でしょう……ですが。



「私は……私はッ! 貴方の事が、好き……なん、です」



 とうとう言ってしまいましたーーーッ!

 勝算なんて全くありません!

 最後は恥ずかしさの余りに小声になってしまいましたし……。

 何より、私は……ヨゴレています……。


 ですが、これが今の私の偽らざる本心です。

 家の為でも、国の為でも、他の被害者達の為でもなく、完全に私の、今の私の私情のみで構成された本心なんです!


 正直、2年前の私が今の私を見たら、正気を疑うでしょう。

 バカな事を言っていないで、果たすべき役割を演じなさいと言うでしょう……。


 1年前の私が今の私を見たら、きっと怒る事でしょう。

 婚約者(ガウェイン)が私だけでなく、自身の妹すら性欲の対象としてしか見ていないから何だと言うのだ。ならば尚の事、自分を盾にして彼女を庇うべきだったろうと詰るでしょう……。



「きっかけは、本当に些細な……貴方が私に何かをしてくれた、という訳ではありません……単に、リジーがそうであるように、私もアシュフォード(軍略一族)の娘であるというだけの事でした……」



 10月……学園では一つの行事として、男子生徒全員による盤上遊戯(チェス)の大会があります。

 彼の戦績は酷いものでした。全戦全敗で、予選最下位の敗退。


 ですが、彼の対戦相手のお一人がこう零していました……「捨て駒も領民か……」と……。

 棋譜を拝見させて頂くと、彼は本当に追い詰められて手がなくなるまで、捨て駒を使っていませんでした……。


 無論、彼が単純に弱いだけなのでしょうが、それでも、私は捨て駒を指す時に、アシュフォード家に仕えてくれている騎士達に、『死んでくれ』と命じるだけの気概を持っていたでしょうか?

 所詮はただの遊戯……という言葉は、軍系貴族の頂点に生まれた者として、絶対に吐きたくありません。



「はっきりと意識するようになった理由も、私が勝手に嬉しく思っただけです……」



 やはり、こちらも学園の行事として行われる、2年生以上の男子生徒全員で行われる机上演習の大会での事です。

 五人一組のチームを作り、実戦に即したルールに基づいて行われる演習で、戦場を俯瞰して見る事は出来ますが、敵が何処に配置されているのかは分かりません。


 そんな大会で、彼は盤上遊戯とは打って変わって勝ち続けます。

 捨て駒とも思える采配を見せますが、こちらでは後退させる事も可能なので、損害も少なく実に狡猾で効果的でした……。


 そして、大会の決勝戦で彼が戦ったのは、アーサー殿下の率いるチームでした。勿論、その中にはあの男も……。


 皆が図ったように平原に軍を並べ、正面衝突させて勝ち続けてきた殿下のチーム。

 表向きは自国の王子を相手に、姑息な手は使わないだの何だのと、もっともらしい事を言っていましたが、その後の細かい動きを見れば、どう考えても場外で圧力がかかっていました……。


 それを相手に内通者を用意し、内通者以外を正面から打ち破るという、まさに「不正しています」と堂々と結果で示し、潔い反則負けを勝ち取った姿には、感動を覚えました……。

 敗北を強要された意趣返しとして、これほど気の利いたものはそうそうないかと。



「そして、決定的だったのは……グレイシア様を陥れる事を強要された時でした……」



 あの男に穢されながら……実の妹を破滅させようとするあの男に穢されながらッ!

 かつては神童と持て囃された男が、バカ面晒して嬉々と語る幼稚な策略……。


 確かに、権力を振りかざせば、無茶も通るかもしれません。

 王家や教会の後ろ盾を得られれば、そんな馬鹿なと思う事も通るかもしれません。


 でも――



「グレイシア様には貴方が付いている。ただ道化を演じているだけなのか、本物の道化なのか……ただのバカなのか、一線を画した大バカなのか……ただ腹が真っ黒な以外、まったく理解不能な貴方がいるからッ! 私がグレイシア様を裏切っても大丈夫だと思えたんです……」



 あの瞬間、私は死んだ……。

 それまで私だったモノは死んだ。

 家の為に、国の為にと、心を偽り続けてきた私は、あの男の妻になるはずだった私は死んだ。

 「お前が今抱いているモノは、髪の一本、血の一滴に至るまで、この瞬間を以ってお前の物ではなくなった」そう心に秘めて、私は頷いたのです……。


 今後、どれほど犠牲者が増えようが、この男が破滅する瞬間をこの目で見てやる!

 ……そう決意した時にはもう既に、リジーを含めた少なくない方を巻き込んでしまっていたのですから……。

 結局、好いた殿方の笑顔一つで毒気を抜かれ、その瞬間を私が見る事は出来なかったんですけどね……。


 本当に、どうしようもなく酷くヨゴレた女になったものです……。



「だから、教えてください! 貴方がグレイシア様を避ける理由を!!」

「よろしかったんですか?」

「? 何が?」

「あっさりと譲ったりして」

「あぁ……うん。私より先にアイリの方が好きになっていたから」

「そういうものですか? お兄様はあれで女性関係となると保守的ですよ? 後攻めは非常に不利だと思いますが?」

「うー……ん、そうなんだよねー……でも、やっぱりボクとしても、まずはアイリにって思っちゃうんだよね」

「はぁ……相変わらずいびつですわね、アイリーンさんといい、貴女といい……」

「えー? フレアには言われたくないなー?」

「あら、私は歪んでなどいませんわよ? むしろ直情径行です」

「あー……はい、そうですね……」

「まぁ、私としましてはどちらが上手くいこうが、どちらも上手くいかなかろうが……どちらも上手くいこうが構いませんけれども……」

「そうだよ。ボク達の事よりも、フレアこそ突然どうしたのさ? 悪いものでも食べた?」

「時折失礼ですよね? ……お兄様を出世の道具にしようとする輩や、政略の対象としか見ていない相手なら捻り潰しますが……今の貴女方は一人の女の子としてお兄様を慕っているようなので、今日のようなお兄様に隙が出来る数少ない好機には、機会の提供くらいは致します。……どう足掻いても私は妹以上にはなれませんから」

「……自傷行為?」

肉体言語()でしか会話が成立しないのでしたらそう仰ってください、戦闘一族。後でぶん殴って(説教して)差し上げます」

「謹んで辞退いたします」

「はぁ……」





拙い作品にここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。


ブリジットは本当にどうしようか……。

本人は「いけるいける。キャス様ぼっち属性でチョロイン属性だから、ここまで食い込めば後攻めでも十分いけるよ」と……。


妹氏は「一度情が移ると本当にどうしようもなくなりますからね……一度くらいは気力を振り絞って拒絶できるんですけど、打たれ強いブリジットさんが相手だと、持久戦に持ち込まれて……」と評価。


ヘタレは「NOと言える日本人!!」と頑張ってはいるけどね……。

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