第5話 はじまりの日
「あー……その、なんだ……すまん」
……ふ……。
終わりましたわ! 終わってしまいましたわ! 砕け散りましたわーーーーッ!!
「女の子にそこまで言わせてしまって、本当にすまない……」
えぇ、えぇ……この結果は見えていました。
どうせ私なんて……ん?
「お前の気持ちは……伝わってはいたんだが、その、もうちょっとこう……いや、言い訳はよそう……」
あら? あらあら?
え、ひょっとして……?
「グレイシアの話だったな」
「って、そっちに行くんですか?!」
「え!?」
「あ、いえ、どうぞ……」
あれ……私告白しましたよね?
思いっきり告白しましたよね??
え、私の告白、流されました?
いや、それは確かに、グレイシア様を避けている事をお訊きしましたけれど……あれ?
「それじゃあ……一つ訂正させてくれるか?」
「何を、でしょうか?」
「俺がお前とはじめて会ったのは学園じゃない。ガラティーン公爵家王都屋敷の庭で開かれた、長女の6歳の誕生祝賀会だ」
「な!?」
それ、は……確かに、私もそのパーティーには参加していました……。
長男の婚約者として、はじめて未来の義妹となるグレイシア様とお会いした日であり、夢を捨てた日であり、希望を押し付けた日でもあります。
「そして、グレイシアと会ったのも、その日がはじめてだ」
そう仰ったキャストン様の目には、後悔の色が窺えました。
「ちょっとドジを踏んだ……というか、公爵家の名声が予防線を上回っただけか……俺はある事で公爵の目に留まってしまった。俺の事を公爵に教えた商人達も、俺を売ったというよりは、俺の為に公爵に売り込んだ……というつもりだったんだろう」
この方が何をやったのかは分かりませんが、確かに今のキャストン様の片鱗が当時6歳だった子供に窺えたのなら、直接その目で確かめたいと思われるでしょう……。
その為に、グレイシア様の誕生パーティーに招待したとしても、おかしくはありません。
「正直、大貴族と関わりなんて持ちたくなかったから、同じく長男の取巻き候補として呼ばれた連中と、大差がないように緊張している振りをしてやり過ごしたんだが……」
あぁ、しかも、あの男の取巻き候補の審査も兼ねていたんですね……。
はい、ありました、確かにありました。
私も婚約者なので、あの男の隣に立って、歳の近い男の子達が挨拶している所を見ていた記憶があります。
そして、物の見事に誰がキャストン様だったのか分かりません!
この方は、そんな小さな頃から……これはむしろ、成長していないと取るべきでしょうか?
「……はぁ……完全に予想外の事があった……」
「予想外、ですか?」
「あぁ……あれは本当に危なかった……」
……はて?
何か危険な事があったでしょうか?
「グレイシアが可愛すぎた……」
「………………はい?」
「フレアが妹だからこそ耐えられたが、そうでなければ完全に惚れるところだった……」
…………あれ、なんでしょうか?
いま、無性にイラッ!! ……としました。
おかしいですねー? グレイシア様が可愛いのは私も認めるところなんですが、はて?
「まぁ、そう思ったのはホンの一瞬だったんだがな。どちらにせよ、相手は公爵家の長女で第一王子の婚約者だ。もう二度と会う事もないだろうと、適当に飯を食って帰った……はずだった……」
何かを思い出しているのか、得も言われぬ様子で……。
「翌日、当のグレイシアが我が家を訪れなければな……」
グレイシア様何をやっておられるんですかぁーッ?!
ないですから!
呼びつけるならまだしも……いえ、それも限りなくダメなんですが、よりにもよって挨拶された翌日に、同い年の男の子の家へ自分から出向くとか、周囲への影響大き過ぎますから……。
「まー、そんな突飛な行動に出た理由は分かったんだが……その後も色々とあってな……俺にとっては手のかかる妹その二みたいなもんだった」
その頃の事を思い出しているのか、妙に優しそうな笑顔を浮かべているキャストン様。
「だから、俺にも分かる……あいつがどれだけ婚約者に想いを寄せていたか、お前がただの取巻きや未来の義姉という以上にあいつに固執していた事はな」
「ッ!?」
一転して真剣な顔で放たれる言葉。
……そう、ですか……私が彼女に、グレイシア様に自分の夢を勝手に押し付けていた事、バレていましたか……。
好きな人と結ばれ、幸せな家庭を築くと言う、普通の女の子みたいな……けれど、私達が……いえ、私が抱くには遠すぎる夢……。
「どっちも俺には否定する権利もなけりゃ、する気もない……あー……まぁ、多分どっちも叶わないだろうとは思っていたが、正直女心とか恋愛感情とか、そういうものが全然分からん俺には手伝いようもなかった」
う……確かに、結果を見ればこの有様……グレイシア様は結局アーサー殿下のお心を取り戻す事叶わず、私自身に至っては婚約者を完全に見限ってこの方を慕っている始末……。
そして、嫌でも分かってしまう、この方がグレイシア様を避ける理由……。
いえ、勿論、この方の事ですから、半分くらいは純然と「公爵家の婿養子とか面倒」という、どうしようもない理由なんでしょうが……。
残りの半分は――
「それで、ですか……グレイシア様が貴方に抱いているのが、無自覚な依存でしかないと……何度素気無く扱われようが、アーサー殿下を求め続けた恋心とは違うと……それが分かるから、グレイシア様を避けるのですね」
それは同時にこの方もグレイシア様に依存している自覚があるという事……そして、それを善しと出来ないが故の拒絶という訳、ですか……。
「ご理解頂けたようで何よりです」
そう残して、話を終わらせようと、こじ開けられた城門を閉めようとするキャストン様。
ですが、遂に、漸く、今更ながら、事ここに至って、私は自分が何者なのかを理解します。
「分かりました。それでは、私の告白に対するお返事をお聞かせ下さい」
「う」
私は、結局何処まで行っても、アシュフォードの娘なんです。
普通のご令嬢のように、この方からの告白を待つと言うのは性に合いません。
城門をこじ開け、小勢で城壁の内側に攻め込んだ以上、城主の首級を取るか全滅するかです。
ここで城門を閉じられ、仕切り直しなどされては、私ではもう勝ち目がありません。
「キャストン様。貴方が私に関して分かる事があるように、私にも貴方に関して分かる事があります……。『房中術』というのは便利ですね。嘘で隠す事が出来ないが故に、千の言葉を連ねるよりも、一度の口付けが貴方の事を教えてくれます」
これまでに何度か、私は治療の為にこの方と唇を交わしています。
キャストン様は、それはもう必死にご自身の心を隠そうとなさいますが、私の中に流れ込んでくるのはこの方の命そのもの。
お父様達に伝えられた『気』などという、「嘘は吐いていないけれど、誤解されるように真実を伏せた」代物ではなく、リジーがフレア様に教えられた『命』が、この方の心と共に私の中に流れ込んでくるのです。
であれば、否が応でも伝わってくるのです……。
「貴方は、世界中の誰よりも、貴方自身を嫌悪していますね?」
グレイシア様を捨てた殿下よりも、多くの人間を巻き込んで滅んだガウェインよりも、そのガウェインを野放しにした私よりも、全ての元凶とも言えるあの酒月 聖よりも……キャストン・クレフーツはキャストン・クレフーツを嫌悪している。
そして、同時にそんなご自身を『善し』となさっている……そうでもなければ、この方は自害でもしているのだが、そんな事は関係ないとばかりに、『悪し』と嫌っている自身を『善し』と赦してしまうのがまた許せない、と堂々巡りを繰り返しているのです。
「………………………………あぁ、その通りだ」
長い沈黙を経て、見開かれたキャストン様の瞳には何も映っていませんでした……常に浮かんでいた捻くれた、けれど生命力と自信に溢れた光は失われています。
「俺は俺が大っ嫌いだ。男が嫌いだ女が嫌いだ子供が嫌いだ老人が嫌いだ生きている奴が嫌いだ死んだ奴も嫌いだ、人間と言う生き物全てが嫌いだ」
「そして、男が好きで女も好きで子供も老人も好きで、生きている方も亡くなった方も好きで、人と言う生き物全てが好きなんですね……」
ただ、ご自身を除いて……。
「あぁ、そうだよ……人間ってマジで訳分かんねー……平然と他者を傷付けるのに、自分が傷付くのは嫌だとか……逆に自分が傷付くのは平気なくせに、誰かが傷付くのは嫌だとぬかすバカもいる……。親の脛齧りっ放しで碌でもねーくせに、見も知らぬ他人を思わず助けておっ死んだり……他人の子供は食い物にするくせに、自分の子供は身を捨てて助けたり……。どれも人間の一面に過ぎない? ンな事ぁ分かってんだよ。多様過ぎんだろ、人間……」
その声には、嘲弄と羨望の想いが込められていました。
「なぁ、どれが普通の人間なんだ? 家族を大切にして、社会秩序に従順で、それを乱すものを悪と断じて嫌悪し、それでいて何もしなければ大多数に埋没できるのか? そうしていれば、俺は誰にも気付かれる事なく、誰にも異常だとバレる事なく、何を為す事もなく、何も残す事なく、ただ静かに死んでいけたのか?」
その声は、諦観と絶望の悲嘆に彩られていました。
「他人の心を偉そうに導く事も、無慈悲に壊す事も出来たが、終ぞ理解する事は叶わなかった……。何せ、俺の心は借り物と偽物と壊れ物で出来た、人真似のガラクタに過ぎないから……」
その声は、ただひたすらに不甲斐ない自らを怨嗟していました……。
「それでも……借り物と偽物と壊れ物で出来たガラクタでも、それは紛う方なく貴方の心です。継ぎ接ぎだらけで見窄らしくても、貴方だけの本物なんです!」
「あぁ、そうだな……」
私の言葉に肯定しつつも、何ら痛痒を覚えないキャストン様。
なぜなら、ここまでは彼一人でも辿り着ける答えであり、ここから先は自己の否定と肯定が延々と交互に繰り返されるのです。
故に――
「そして、私が愛した、尊いと思った心ですッ!」
「……は?」
否定と肯定が打ち消しあって出来た均衡という凪いだ水面に、私という一石を投じます。
いえ、石なんて可愛い物では済ませません。岩です。人間大の岩を投げ込みます。
「借り物でも偽物でも壊れ物でもガラクタでも、そこから生まれてきたモノがあるんです。それが私を救ったんです。多くの女性を道連れに、ただ一人の破滅を願った女を救ってしまったんです」
あの時の笑顔一つで、私は満足してしまった……憎い男の絶望に沈む顔を見て死ぬつもりだったのに、あれは卑怯ですよ。
私ごとあの男を切り捨ててもらうつもりだったのに、私達丸ごと助け出されては、ただでさえ……だったのに、もうどうしようもないじゃないですか……。
そして、恥知らずにも、その笑顔をずっと見ていたいと願ってしまったのです……。
「だから、私は貴方を肯定します。貴方が否定する貴方を、私が全て肯定します」
「いや、それは」
何か反論しようとなさるが、私はそれを遮る。
房中術なんて私には出来ませんが、ありったけの想いと祈りを込めて、愛しい人の言葉を遮る。
貴方は本当に酷い人です。
腹の底は私も驚くくらい黒くて、嘘を吐かずに他人を騙し、他人を遠ざけながら他者を求めて、全てを無価値と判じながら一つでも多くを救おうとする。本当に、矛盾だらけの人。
でも、どれだけ自身に嘘を吐こうと、自分だけは騙せなかったんですね。
ガラクタを積み上げて出来た心の奥底には、子供のように無垢な祈りが唯一つ……「そんな物ありはしない」「それはただの幻想だ」、そう自身に言い聞かせて必死に否定し続けたもの……。
「あなたに幸あれかし」
「ッ!!!」
それは確かに、子供の描いた絵空事。
誰かの幸せの裏には、誰かの涙があるなんてざらです。
人の醜さは人の想像を軽く超えていくのですから……。
「貴方が私を幸せにしてください。私が貴方を幸せにしますから。二人で……いいえ、皆で幸せになりましょう」
それでも、祈らずにはいられず、祈る事しかできず、祈り続けたこの人を。
行動すればするほど願いから遠ざかる矛盾が、脚を絡め、腕を捕り、遂には首を絞める。
それでも歩みを止める事ができなかったこの心を、私は尊いと感じたのです。
言の葉に載せて伝える為に、一度緩めた両の腕。
それを、もう二度と放さないとばかりに、ここに「それは善い心だ」と認める者がいると示す為に抱きしめます。
「……はぁ……俺の負けだよ……」
そう、頭上から声が降ると共に、優しい手が私の頭を撫で……ッ?!
「結局、自分からは何も伝えられず、全部術に代弁してもらった挙句にこの様か……次に顔を合わせる事があったら、すげーバカにされるんだろうな……」
キャストン様が反省するような声色で何かを仰っていますが、私は今それどころではなく……。
「ま、なんだ……ありがとうな、アイリ……」
その日、キャストン様がはじめて私の耳元で、私を愛称で呼んでくださいました……。
尤も、私はこの時、後に教えられたキャストン様の意外な特異技によって撃沈寸前であり、愛称を呼ばれた事がトドメとなり、その後に続いた大事な言葉を聞き逃すと言う大失態を演じてしまいました……。
「俺にはお前が必要だ」
これを聞き逃していなかったら、私はもう少し早く……いえ、それはまた別の話ですね。
拙い作品にここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
キャストンという人間について、正確にその内面を把握しているのは、これまではフレアのみでした。(あ、『愛の伝道師』や『後輩』は別枠です)
そこへ、アイリーンとブリジットの二人が加わった事で、初めてその内面が完全な第三者により観測されました。
「こいつはこんな善人じゃないだろ」と思う方は多い事でしょうが、これまでの彼の行動は全て彼以外の一人称によって語られています。
そして何より、彼はそもそも『善人』ではありません。
最終的には自分の我侭を押し通す『悪党』です。そういう自己評価です。
それを観測し、どう思うかはきっと人それぞれであり、そこに正解も不正解もないのだと思います。
因みに、グレイシアはフレアほどキャストンを見てきていませんし、アイリーン達のような特殊な方法も用いていないので、彼の本質を全く理解できていません。
彼女のこれまでの人生は、そのほぼ全てを婚約者に使ってきました。
そして、その婚約者がいなくなり、これからの人生をどう使うのかは……もう少々お待ち下さい。
大寒波が到来し、我が家のボイラーが逝きました……。
床暖頼みの我が家は、この時全ての暖房力を失い、風呂も沸かせなくなりました……。
寒い! 寒すぎる!!
何だよ、こんなクッソ寒い時に狙ったように壊れるなよ!?
九州の方では断水騒ぎにまでなっているとか……。
皆様も、風邪など召されませんようにお気をつけ下さい。




