27.真冬の暗雲(1)
あの悪夢のような事故から丸一年が過ぎた。
年明け早々のワシントン行きを前に世話になった同僚や病院関係者に挨拶回り
をするため、健介はめぐみを伴い久々にボスジェネラルを訪れた。
「ケン、先に行ってて、あとで私も合流するから」
「わかった、ゆっくりするといいよ」
小児病棟の子供たちや顔見知りの入院患者に別れを告げに行くめぐみと別れ、
健介はナース・ステーションに向かった。
「やあ、みんなしばらく」
「お久しぶりね、元気そうじゃない、ケン……」
ちょうど昼休みで、健介が世話になったナースやセラピストがほとんど全員
顔を揃えていた。が、そこにジェニーの姿はなかった。
「今日、ジェニーはオフ?」
「あら、ケン知らなかったの? 彼女、ここを辞めてニュー・ハンプシャーの
実家に帰ったわよ。確か、あなたが退院したすぐあとだったから、もうかれこれ
四か月近くになるかしら」
「いや、全然知らなかったよ…」
そんなことは一言も聞いていなかった。
「なんで、辞めたの?」
「噂なんだけど… どうも妊娠してたらしいのよ。今思えば顔色が冴えなくて
とても辛そうだったわ。あれはきっと、つわりのせいだったのね。
彼女もう若くないし、それにシングル・マザーでしょ、いくら二人目でも
アラフォーの出産は、そりゃ大変だものねぇ…」
中年のナースはかつての同僚を思い遣ってか、気の毒そうな顔をした。
「でも、ジェニー子供ができたこと凄く喜んでたわよ。今度の相手はよっぽど
〝いい男” なんじゃないの…」
「そう言えば… レイチェルの父親はかなり酷い男だったらしいわね。男はもう
懲り懲りだって、彼女よく言ってたもの」
(ジェニーが妊娠?! まさか、あの時の… いや、そんなはずはない…)
健介は一瞬、頭の中が真っ白になった。
半年近く毎日顔を合わせていたが、彼女は自分の私生活のことはほとんど口に
しなかった。確かな年齢も、未婚の母だったことも知らなかった。
あの日から退院するまでの半月あまり、ジェニーはまるで何事もなかったように
以前と同様セラピストとして健介に接していた。
あの夜のことは、もしかしたら夢の中の出来事だったのかもしれない、さも
なければ、あれは彼女にとって単に受け持ちの患者に対する機能回復の一環、
リハビリの総仕上げに過ぎなかったのかもしれない・・・
そう思えるほど彼女の態度は平然としていた。
今の妊娠検査薬は受胎後二週間以内でも判定が可能である。もし、子供の父親が
自分だとすれば、何も告げずに去っていくだろうか・・・
「ケン! ドクター・アリーガ!! あなたの愛する奥様がいらしたわよ!」
ナースの声ではっと我に返った。
「大丈夫? なんだか顔色がよくないわよ」
めぐみが心配そうに顔を覗き込んだ。
「なんでもないよ。ちょっと考え事をしてたんだ。さあ、帰ろうか…」
一旦はナース・ステーションを出たが、何か思うところがあるように急に
立ち止まった。
「メグ、先に行っててくれないか、ジェニーの住所をもらってくるよ。
きょう会えなかったからクリスマスにカードでも送ろうと思うんだ…」
健介はナース・ステーションに引き返した。
子供の父親が自分かもしれないという可能性がある以上、このまま黙って
ワシントンに行くことはできない。もう一度ジェニーに会う必要がある
と思った。




