幽霊ではない
とりとめのない話であることをお許しください。
私は町を歩いていると、ときどき、亡くなられたとおぼしき御方の声を聞くことがありました。
そのような声は地面の底から響くこともあれば、何もない虚空から聞こえることも、誰も近寄らない木陰、さび付いた自動販売機の影、誰も住んでいないような廃屋の中から聞こえることもありました。
法則などなく予測もつかない、ただ時おり、聞こえるだけのものなのです。
ほとんどは苦痛です。痛いとか、助けてとかの声です。誰かを呪うような声。うらみつらみを吐き出すような声。それはきっと、誰かに向けてのものではなく、ただ叫ばずにいられないような、迸りなのでしょう。たいていは聞き取れないほど濁っており、喉が水に満たされたような。しかし獣の叫び声ほど無秩序ではない。この世にあった時の知性のかけら、意志のかけらを感じさせ、それゆえに恐ろしいものです。
聞こうと耳を傾けても、何も良いことなど起こりません。
何の反応も返らないか、私が聞こえていると分かると、怯えたように消えてしまう影がほとんどだからです。
ですが、いくつかの良くない傾向というものも分かっていました。
こちらが聞こえていると分かると意味のあることを言おうとする者。人名や地名らしきものを叫ぶもの。後をついてこようとするものです。そういう声の主には後ろ暗い熱があるのです。あわよくば、私に何かをさせようと、己の苦しみや恨みを伝播させようとするのです。不思議なことに、良くない傾向の声ほど人影がはっきりしており、単語を聞き取れることが多かったように思います。
私は20を越える頃には、そのような声に耳を貸さなくなっていました。あれは彼岸の住人であり。本来は誰にも届くべきではない声だと、そう理解したからです。
私が40に差し掛かる頃でしょうか。
とても暑い日で、真夏の日差しが大きな交差点に降りていました。
私はその交差点を渡っていました。斜めにも渡ることのできる、スクランブル交差点というものです。私のまわりで何十人もの人間が動いていました。
そんな時、私は濁った声を聞いたのです。
いいえ、それは経験上、それと分かるだけで、明瞭な発音でした。でも、どことなくこの世のものではない、ガラス越しに響くような声です。私はその声を無視して歩き続けようとしました。声の主は、濁りつつも甲高い声で叫んでいます。
どうか、聞いてください、立ち止まってください。
誰か、私の声が聞こえますか。
お願いします、幽霊ではないんです。
私はその言葉にはっと足を止め、声をする方を見ました。数人の人間の頭越しに、その人影が見えました。
ああ、そして、私はとても後悔したのです。
その人影は、ビーチボールのように大きな大きな頭を持っていて。
その口も、耳も、目も鼻も、あらゆる顔の機関のすべてが、くちで。
そのくちが、いっせいに目に変わって、私を……。




