水の継承者と埋もれた憎しみ
ミズロウはヤザンの前に立ち、その顔をじっと見つめた。
やがて彼は穏やかに手を伸ばし、少年の頬に触れた。
静かな声で、どこか懐かしさを帯びて言った。
「お前は誰だ……?この顔、どこかで見たことがある。」
ヤザンは戸惑い、恥ずかしそうに答えた。
「ぼ、僕は……ヤザン・ファドゥスです。」
ミズロウは驚いたように眉を上げた。
「ファドゥス?そのような名の一族は聞いたことがないな……。まあいい、会えて光栄だ。私はミズロウ・ハスミ、マヤの父だ。」
ヤザンは深く頭を下げた。
「光栄です、ミズロウ様。」
その様子を見ていたオウスの目には、あからさまな軽蔑が宿っていた。
彼は小さく呟いた。
「はっ、このガキ……覚えてるぞ。入団試験のとき、ラザン家の子に叩きのめされて、相手が『弱すぎて退屈だ』って言ってやめたんだったな。くだらない。
こんな弱者の集まりがチームを組んでも、失敗するに決まってる。妹のマヤも同じだ、弱い。」
ミズロウは馬車に乗り込み、娘に穏やかだが有無を言わせぬ声で言った。
「行くぞ。」
マヤはヤザンに手を振り、微笑んだ。
ヤザンも照れくさそうに笑みを返した。
将軍の教え
帰り道、オウスは傲慢な口調で父に言った。
「父上、どうしてあんな無名の者などと話すのです?格を下げるだけです。」
マヤは怒りを込めた目で兄を睨んだが、ミズロウは静かに手を上げ、重く深い声で言った。
「オウスよ……己の価値を、力や地位や権力で測るな。
自分が他人より上だと思った瞬間、人は必ずその下に落ちる。
思い出せ、お前が踏みしめるこの大地は、お前より偉大だった者たちを今、喰らっている。
驕りは炎だ。その炎は他人を焼く前に、自らを焼き尽くす。
謙虚であれ。真の偉大さは、神のみが持つものだ。」
その言葉は雷のようにオウスの胸に響き、彼は何も言えなくなった。
マヤはそっと微笑み、尊敬の眼差しで父を見つめた。
一族の館へ
二日の旅ののち、ハスミ一族の館に到着した。
マヤは駆け寄り、母の胸に飛び込んだ。
「お母さま!会いたかった!」
「私もよ、マヤ。」
オウスは背を向け、ぼそりと呟いた。
「また甘やかされてる……。」
その夜、家族は静かな雰囲気の中で夕食を囲んだ。
だが、笑みの裏には緊張が漂っていた。
嫉妬の芽生え
翌朝、マヤは兄の部屋の扉を叩いた。
「誰だ?」
「マヤです。」
「何の用だ?」
「今日、一緒に訓練したいの。」
冷たい声が返った。
「帰れ。お前に構っている暇はない。」
マヤは俯き、小さく呟いた。
「……わかったわ。ありがとう、お兄ちゃん。」
彼女は訓練場に向かい、一人で練習を始めた。
窓辺からオウスがその様子を見下ろし、小さく吐き捨てた。
「……ちっ。」
やがて彼は外へ出て言った。
「いいだろう。見せてみろ、お前の実力とやらを。」
マヤは顔を輝かせた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
彼女は気を集中させ、声を放った。
「水の矢!」
かつては細い水の糸しか生み出せなかった彼女。
だが今、その矢は太く、鋭く、空気を切り裂いた。
オウスは片手を上げ、水の壁を作り、容易く防いだ。
マヤは驚きの声を上げた。
「嘘……簡単に防がれた!」
オウスは冷たく笑った。
「何も変わってないな、マヤ。三年経っても進歩ゼロだ。相変わらずの出来損ないだ。」
マヤの唇が震え、静かに涙が頬を伝った。
「はは……泣くことしかできないか。」
幼き日の記憶
回想——
オウスが十歳の頃、彼は将軍ミズロウの長男として甘やかされていた。
母がマヤを身ごもったとき、彼は嬉しそうに尋ねた。
「お母さま、男の子ですか?女の子ですか?」
「まだ分からないけれど……女の子の気がするわ。」
「いいね!僕が守ってあげる!」
だが、マヤが生まれてから全てが変わった。
オウスは次第に家族から忘れられたように感じた。
ある日、彼は赤ん坊のマヤを抱こうとして、誤って落としてしまった。
「何をしているの、オウス!」
「わ、わざとじゃない!遊んでいただけだよ!」
「次は気をつけなさい!」
その瞬間から、胸の奥に怒りが芽生えた。
そしてある日、父がマヤを優しく抱く姿を見た。
自分には決して向けられない眼差し。
その夜、オウスは窓辺に立ち、雨と共に涙を流した。
翌日、一族の大広間で評議が開かれた。
ミズロウは「水の玉座」に座り、長老たちが周囲を囲む。
カーテンの陰には幼いオウスが隠れていた。
ミズロウは静かに、しかし厳粛に言葉を発した。
「今日、皆に伝えねばならぬ。
水の紋章は……オウスには現れなかった。」
広間にざわめきが走る。
彼は続けた。
「だが、それはマヤに現れた。」
「女の子に!? 一族の歴史で初めてだ!」と驚きの声が上がる。
ミズロウは目を閉じ、毅然として告げた。
「掟は明白だ。紋章を持つ者こそ正統なる後継者。たとえそれが幼き娘であっても。」
カーテンの裏で、オウスは拳を握りしめ、涙をこぼした。
「僕が本当の後継者なのに……どうして彼女が!」
その瞬間、彼の心に憎悪の影が生まれた。
ある夜、彼は幼いマヤの部屋に忍び込み、背に輝く紋章を見つめた。
怒りが、さらに深く燃え上がった。




