電話が鳴った日
これは、ひとみが宮下家にたむろするようになる前の話や。
月に一度か二度ある、薬の効きが悪くてなかなか寝付けん日。深夜三時に家の電話が鳴った。
「……もしもし?」
イマドキの連絡先のやりとりはだいたいスマホの電話番号を書くけれども、親父殿のつながりだと固定電話の電話番号しか知らない人が多い。親父殿はまだ携帯電話が普及していなかった頃から活動していたからやな。せやから、リビングにはいまだに電話が置いてある。吉能の仕事につながるやもしれんけど、とうの本人はロケで前泊。マネージャーの雪路は付き添い。
『俺だよ、俺俺!』
俺なんて名前の知り合いはおらん。詐欺にしては、後ろが騒がしい。
『あーあーあーあー』
『トオ、トオ』
受話器を持っている男のほかに、あと二人いる。こういう電話口での詐欺は集団でやっている、とテレビで見たが、どうにも様子がおかしい。
「どちら様ですか?」
「ほら、小六のときに同じクラスだった、高畑だよ!」
「たかはた、たかはた……ああー」
はいはい。思い出した。高畑亨。小学校六年間を同じ教室で過ごした男。いうても、六年間ずっと2クラスしかなかったから確率としては高いわな。
『トオルチャ』
『あーああああああーあー』
うっさいな後ろの。なんやろな。
「ずいぶんと声違うから、気付かんかったわ」
この前、小学校の同窓会があったらしい。ウチはバイトで行かへんかった。行けば楽しかったかもしれんが、中学やら高校やらの話になったらウソをつかないといけない。バイトは休まなあかんし、参加費がかかる。出欠確認の往復はがきにどう返事をするかギリギリまで悩んで、欠席で出した。
「そう言うお前も、ちょっと訛ってんな」
「中学から西のほうの学校に通ってたせいかな。周りが関西弁だと、うつっちゃって」
アニキとアネゴ、それに舎弟の皆様、金歯のおっちゃんも、全員あちらのご出身や。ウチが見よう見まねのエセ関西弁になってもしゃあなしやで。
「ああ、わかるわかる。そういうのあるよな」
『あーあーああー』
「で、何?」
『トオルチャン、トオルチャン、トオルチャン』
高畑は同窓会に行ったんやろか。出欠確認だけされて、誰が来たのかの事後報告は来とらんから、どうだったのかは興味ある。
「お前にしか頼めない」
「金なら、ないから貸せないんやけど。他をあたってくれへん?」
警戒して先手を打つ。ないもんはない。昔の友人、という間柄には貸せないから、悪いが別の人を頼ってほしい。
「違う。金ならある」
「いいなあ。言ってみたいわあ、そんなセリフ」
『トオルチャ、トオル、トオルチャン』
「俺の家、わかる? 何度か遊びに来てくれたから、覚えてるよな」
『ああーああああああああーあーあー』
「わかるわかる。第四団地やろ? よく『ライオン団地』って言われてたとこ」
「今から来てくれない?」
「今から?」
宮下家からはバス停で三つ先。けれども、深夜やから。バスは動いとらん。
「今、何時だと思っとるん?」
「三時」
「午前三時やんか。こんな夜更けに電話かけてくるほうもなかなかやで」
行くのは別にかまわへんよ。眠れんくて困ってるとはいえ、明日は休みやし。歩くにも遠いし、タクシーを捕まえるしかないな。高畑が『金ならある』って言うてるから、交通費はあとでもらおう。
『ドウシテ、ドウシテコロシタ』
はっきりと聞こえた。ウチに聞き取れるように、音のひとつひとつに怨念を詰め込んだ声。女性の声やな。ウチは記憶をたどって、その女性の声の主が誰だったかを思い出そうと試みる。
「やったな?」
それからウチはカマをかけた。高畑がひゅっと息を飲む音も聞き逃さない。トオルチャン、と高畑を呼んでいる女性。高畑の母親の姿が浮かび上がってきた。
「そこそこ仲良くしてくれてたし、その、知らん間の家庭の事情の積もり積もったもんもあるやろうから、あんま責めるようなことは言いたかないんやけど」
決めつけてはいけない。勘繰っても、この十年ぶりに電話をかけてきた相手の十年間に何があったのかは想像できない。高畑だってそうやろ。ウチが小学校を卒業して、西に行ってからどんな目に遭っていたかは知らんやろ。話しとらんから。親父殿にしか話しとらんよ。
「ちょいちょいちょい、待って」
『あああーああーあー』
『トオルチャン、トオルチャン』
「なんや。ウチに何をさせたいんや?」
「……死体を、どうすればいいか教えてほしい。俺は悪くないのに、警察は絶対俺を疑う。それは嫌だ」
死体。さっきから聞こえとる高畑以外の声は、ウチが聞こえる幽霊の声ってわけやな。
「はあ」
断ろう。見慣れたものとはいえ、見に行きたいもんではない。
「だって! だって、こいつらが暴れるから!」
『ああーあーあー』
『トオルチャン、トオルチャン、トオルチャン、トオルチャン』
「殺す前に電話してほしかったなあ」
五時以降なら家にいた。ウチのスマホにかかってこなかったんは、昔から使っていたスマホは新幹線のトイレに捨てたからやね。新しい電話番号を昔の知り合いは知らんわけやし。
「というかお前、なんだよ、俺、一言も殺したなんて言ってねえだろうがよ!」
「高畑が言っとるんやのうて、他の人たちが『息子が殺しました』って言っとるんよ」
高畑には幽霊の声は聞こえんし、その姿が見えるわけでもないから、このセリフは意味わからんかったやろうな。高畑は言っとらんよ。焦っているから怪しいとは思う。
「他の人たちってか、高畑のご両親か」
「俺には聞こえない!」
「さよか」
ウチ以外で幽霊が『見える』人、親父殿と『神切隊』の人たちぐらいしか知らんな。吉能は『見える』と言い張っとるが、見えとらんし。
「お前、何なんだよ。コンビニで働いてるんじゃなかったのかよ」
「なんで知っとるん?」
同級生の誰かが働いているところを見かけたんやろな。高畑は来たことない。来たらすぐわかる。
「事実かよ!」
「ウチは結構ガチな霊能力者っぽい家系で、ウチも悪霊退散みたいなことをしとるんやけど、これだけだと収入が激シブで、普通に生きていくのがしんどいからバイトしてる」
「知らなかった」
これは高畑を落ち着かせるためにでっちあげたもので、前半はちゃうで。結構ガチな霊能力者っぽい家系なのは『神切隊』のほうや。ウチは悪霊退散できへん。霊が見えて、喋れる。ただそれだけ。
「ウチとしても顔知ってるやつに死なれるのはつらいから、ウチがそっち着くまでうまいことしのいでもろて」
「しのいで、って何を」
これは『神切隊』に連絡せなあかん。二人いる幽霊の、どちらとも会話できへん。となると『神切隊』に所属する霊能者に頼るしかない。ウチではどうにもならん。すぐに来てもらえるかはわからんが……。
「わ、あ」
『トオルチャン、一緒に逝きましょう?』
「そうは言うても、おかあさん。なんとか見逃してくれへんかな!」
ミシミシと音が聞こえてくる。その音が何を意味するかは想像したくない。
「あ、が」
受話器越しに苦しげな声がして、静かになった。ウチには、何もできない。