第一話 それでも、俺は探検者になりたい ☆
はじめまして。今回が初投稿になります。
趣味で書き始めた作品ですが、せっかくなら思いきり楽しみながら書いていきたいと思っています。
更新は不定期になると思いますが、少しでも面白いと思っていただける物語を目指して頑張ります。
まだまだ拙い部分もあるかもしれませんが、ぜひ気軽に読んで楽しんでください。
これからよろしくお願いします。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
喉の奥から、錆びた鉄のような血の味がする。
息を激しく吸うたびに、胸に鋭い痛みが走り、どれだけ空気を吸い込んでも、肺が満たされる感覚はまるでない。
体は何重もの鎖を巻き付けられたように重く、思い通りに動かない。
膝はガクガクと震え、何とか立ち続ける俺を嘲笑っているようだ。
「はぁ……っ、こ、ここ……何が……どうなって……」
何も思い出せない。
頭の中が濃い霧に覆われているようで 、思考がうまくまとまらない。
「くっ……!」
状況を確かめようと、一歩踏み出す。
だが、その瞬間、全身を激痛が駆け抜けた。
体は思うように動かず、踏み出した脚から力が抜け、そのまま石床へ倒れ込んだ。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
改めて視線を下ろし、自分を見る。
右手には、かろうじて剣の名残だと分かる鉄くずが握られていた。
震える腕がわずかに動くたび、折れた刃先が石床を擦り、耳障りな金属音が静かな通路の奥へ長く響いていった。
そして、ジャージだったものは、もはや服としての原形を留めていなかった。
あちこちが無惨に切り裂かれ、裂けた布の隙間から覗く皮膚は赤黒く腫れ上がっている。
傷口から滲み出した血が周囲の布地をどす黒く染め、紺色だったはずの生地は見る影もない。
……ひどい有様だ。
「……?」
ゆっくりと顔を上げると、足元に転がっているものが目に入る。
人の腕。
一瞬、そう見えた。
肘の辺りで無惨に折れた、白い腕。
だが、そこに血は流れていない。
断面から覗いているのも、肉や骨ではなく硬質な木材だった。
少し離れた場所には、のっぺりとした頭部が、こちらに向いて落ちていた。
その向こうにも、腕、脚、真っ二つに割れた胴体が、通路を埋め尽くすほど無秩序に散乱している。
これは人間のものではない。
床を覆い尽くしているのは、すべて人形。
正確には、人形の姿をした魔物――パペットたちの残骸だった。
「これ全部、俺が……倒したのか?」
まったく思い出せない。
俺がいつ、どうやって戦ったのか。
肝心な部分の記憶が、すっぽりと抜け落ちている。
ただ、周囲で動くものは、俺以外何一つなかった。
「……一体、何があった?……」
どうして、こんなことになっている?
無理に記憶を探ろうとするたび、頭の内側を鋭い痛みが走り抜ける。
確か俺は、いつもどおりダンジョンに来ていたはずだ。
一人で潜り、一番弱い魔物を探し、雀の涙ほどの魔石を持ち帰る。
いつもどおりの、ひどく冴えない一日。
「確か……俺は……」
ぼんやりとした意識の底で、俺は数時間前の記憶をたどり始めた。
◇ ◇ ◇
東京都八王子市。
もう少し西へ進めば県境を越えてしまう、その外れに一軒の古い日本家屋が建っている。
周囲に広がるのは、見渡す限りの畑と古い平屋ばかり。
朝には鶏の鳴き声が響き、夜になれば街灯よりも星のほうが明るく見える。
高層ビルも、巨大な駅も、夜を照らすネオンの光もない。
世間一般が思い浮かべる「東京」の面影など微塵も感じさせない、静かすぎる土地だ。
いつ建てられたのかも分からないこの家は、柱も壁も長い年月に疲れ果て、ところどころが朽ちかけている。
庭には雑草が我が物顔で生い茂り、家主である俺のやる気のなさを近所へ宣伝していた。
そして庭の隅にある、小さな木造倉庫。
俺、天城湊はひび割れた姿見の前に立ち、装備を一つずつ確認していた。
「剣、よし」
腰に差した鉄剣の柄を軽く叩く。
革製の鞘はすっかり擦り切れ、留め具も少し緩んでいる。
決して頼りになる装備ではないが、今の俺に買える範囲では十分に立派な相棒だ。
「リュック、よし」
背負ったリュックの肩紐をぐっと引っ張る。
少し前まで通学に使っていたものだ。
かつて教科書やノートが詰め込まれていた中には、今では水筒とタオル、それから最低限の救急用品が収まっている。
「服装……よし」
上下お揃いの紺色ジャージ。
胸元には、卒業したばかりの高校名が白い糸で大きく刺繍されていた。
他の探検者が身につける金属鎧や魔物素材の防具と比べれば、紙切れ同然だ。
けれど、そんな高価なものを買う金はどこにもない。
動きやすい。
汗を吸う。
汚れても洗濯機へ放り込めばいい。
これだけ実用的な三拍子が揃っているのだ。
ジャージだって立派な戦闘服と呼んで差し支えない。
……少なくとも、俺はそう思う。
「よし。忘れ物なし」
両頬をパンッと叩き、気合を入れる。
身長は平均程度。
体つきも細く、筋骨隆々の戦士とは程遠い。
凄腕の探検者と名乗るより、近所へジョギングに出かける若者と言ったほうが、百倍しっくりくる姿だ。
だが、見栄えだけで魔物を倒せるなら誰も苦労はしない。
大切なのは中身だ。
俺はそう信じている。
「今日も頑張るぞぉ!」
誰もいない倉庫で声を張り上げ、そのまま勢いよく外へ出た。
玄関前に堂々と鎮座しているのは、一台の自転車。
元は銀色だったと思われるママチャリだ。
なぜ「だったと思われる」などという曖昧な表現になるのかといえば、車体の大半が赤茶色の錆に覆われ、元の色などほとんど見えなくなっているからである。
リュックを前籠へ放り込み、サドルに跨がってペダルを踏み込んだ。
――ギギィィィィィッ!
断末魔のような金属音が、静かな住宅地に響き渡る。
庭の木に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、何事かと窓から顔を出した近所の住民が、こちらを見て顔をしかめた。
「おはようございます!今日もいい朝ですね!」
そのいい朝を俺が台無しにしているのだが、そこはあえて笑顔を浮かべて気づかないふりをした。
このオンボロママチャリだが、実は一つだけ絶対的な長所がある。
それは――絶対に盗まれないことだ。
以前、うっかり鍵をかけ忘れたまま一週間も放置したことがあった。
翌週、恐る恐る見に行ってみると、ママチャリは寸分違わぬ位置に、何事もなかったかのように鎮座していた。
それどころか、隣には見覚えのない新品の自転車が一台増えていたことさえある。
この惨状を見かねた誰かが、哀れに思って置いていったのだろうか。
もちろん、ありがたく頂戴するわけにもいかず、その日のうちに交番へ届けた。
正直なところ、乗り換えてしまおうかと一瞬だけ心が揺れたのは否定しない。
だが、どこかの誰かが必死に探しているものかもしれないからな。
迷惑極まりない騒音を撒き散らしながら、俺は目的地へ向かって走り続ける。
途中、すれ違った小学生達から、
「魔物だー! 錆の魔物が出たぞー!」
という無邪気な声まで飛んできた。
失礼な。
これでも俺は、一応『討伐する側』だ。
決して、討伐される側ではない。
そんな不名誉な声援を背に、さらに四十分ほど走り続けると、周囲の景色ががらりと変わった。
のどかな畑と住宅地の狭間に、突如として巨大な灰色の防壁がそびえ立っている。
壁の上に設置された監視塔からは、武装した警備員たちが周囲へ目を光らせていた。
重厚な金属門の両脇にも、長い槍を構えた門番が直立している。
軍の駐屯地。
初めて訪れた人間なら、誰もがそう勘違いするかもしれない。
けれど、ここは軍事施設ではない。
『八王子ダンジョン管理地区』
そして、その広大な敷地の中心に建っているのが、『探検者協会八王子支部』だ。
厳重に警備されている門をくぐると、そこには異様な景色が広がっていた。
大剣を背負った巨漢。
全身を金属鎧で固めた好男子。
黒いローブをまとい、長い杖を手にした美魔女。
弓、槍、斧、大盾。
様々な武器を携えた人達が敷地内を行き交っていた。
彼らは、いわゆる『探検者』だ。
この世界では、ごく稀に魔力へ目覚める人間がいる。
『覚醒者』と呼ばれる彼らは、一般人を大きく上回る力を持つ可能性があるため、国への届け出を義務づけられていた。
その中から、ダンジョンへ潜り、魔物を討伐する道を選んだ者たち。
それが探検者だ。
そして俺もまた、魔力へ目覚めた覚醒者であり、探検者として登録された人間の一人だ。
……まあ、探検者と呼ぶのも申し訳なくなるほど、端くれ中の端くれではあるのだが。
――ギギィィィィィッ!
駐輪場へ滑り込む直前、俺のママチャリが今日一番の悲鳴を上げた。
周囲にいた探検者たちの剣呑な視線が、一斉に俺へ突き刺さった。
「おいおい、何の音だ」
「魔物が出たのかと思ったぞ……」
「マジ、整備くらいしろよな」
口々に囁かれる冷ややかな言葉。
少し前の俺なら、筋肉ムキムキな探検者達の威圧感だけで胃が縮み上がっていただろう。
けれど、毎日のように同じ視線を浴び続けていれば、人間というものは嫌でも慣れてしまうらしい。
俺もさすがにまずいと思い、以前、自転車屋へ整備に持ち込んだことがある。
だが、店員から返ってきたのは、修理費の見積もりではなく、
「これはもう無理だ。こんな鉄くずは捨てて、新しい自転車を買え」
という、あまりにも無慈悲な宣告だった。
俺だって、できることならそうしたい。
だが、今の稼ぎでは新しい自転車を買う余裕などない。
周囲の探検者や近隣住民の皆さんには大変申し訳なく思うが、このオンボロママチャリは俺に残された唯一の移動手段なのだ。
どうか、耐えてくれ。
俺は周囲の視線に心の中で謝りながらも、澄ました顔でママチャリを停めようとした。
そのとき、隣の駐輪スペースに置かれているものが目に入った。
黒く磨き上げられた、高級魔導二輪車。
流線形の車体には細かな魔法陣が刻まれ、金属部分は傷一つなく輝いている。
俺のママチャリと同じ『乗り物』というカテゴリーで括ることすらおこがましい。
「……」
万が一にも「錆が移った」などと難癖をつけられたら、俺の全財産をはたいても、タイヤ一本すら弁償できないだろう。
俺はそっとハンドルを握り直し、魔導二輪車との間に、十分すぎるほど距離を取って駐輪し直した。
◇ ◇ ◇
「うわ……今日もめちゃくちゃ混んでるな……」
協会のロビーへ入ると、正面に設置された巨大な掲示板が真っ先に目へ飛び込んでくる。
中層に生息する魔物の討伐。
希少素材の収集。
未攻略区画の調査。
壁一面に貼り出された大量の依頼書を前に、探検者たちが真剣な表情で内容を確認している。
報酬額を見比べる者、仲間と相談する者、依頼書を剥がして受付へ向かう者。
その姿は、これから危険な仕事へ向かうというより、朝の特売品を奪い合う主婦たちに近いかもしれない。
もっとも、掲示板に並ぶ依頼のほとんどは、今の俺には縁のないものだ。
分不相応な依頼を受けて命を落としたところで、依頼主が生き返らせてくれるわけではないからな。
俺は人だかりを横目に、ロビーの一番端にある受付窓口へ向かう。
横一列に並ぶ受付ブース。
大半の窓口には、協会の制服を見事に着こなした美人の女性職員が座っている。
誰もが明るい笑顔を浮かべ、対応も丁寧だ。
当然のように、彼女たちの前には男性探検者が長い列を作っていた。
だが、俺が目指している一番端の窓口だけは、見事なまでに空いている。
そこに座っているのは、可憐な受付嬢などではなかった。
丸太のように太い首。
異常なまでに広い肩幅。
協会指定の白いシャツは、内側から押し広げる筋肉によって、パツンパツンと悲鳴を上げている。
短く刈り込まれた髪に、太い眉。そして極めつけは、頬に深く刻まれた痛々しい傷痕。
ただ黙って座っているだけなのに、その一角だけ尋問室のような重苦しい空気が漂っていた。
「おはようございます」
俺が笑顔で声をかけると、男は勢いよく顔を上げた。
「湊!」
びりびりと空気を震わせる野太い声が、広いロビーに響き渡る。
近くにいた探検者たちが驚き、一斉にこちらを振り返った。
「お前、生きてたのか!」
「朝一番に人を殺さないでください」
「昨日は報告にも来なかっただろうが! てっきりダンジョンの底で野垂れ死んだのかと思ったぞ!」
「すみません。思った以上に体力を使っていて、そのまま家に帰りました」
正確に言えば、ダンジョンを出てから力尽きベンチで一時間ほど泥のように眠っていた。
目を覚ましたときには日も沈みかけていて、近くの探検者達から、ひどく心配そうな目を向けられたものだ。
だが、そんな情けない事実を正直に話せば、数時間説教されることになる。
俺は賢明にも、その事実だけは黙っておいた。
「ったく……心配させやがって」
男は腕を組み、重々しいため息を吐いた。
彼の名は、京極秀雄。
これでも探検者協会八王子支部のトップ――支部長である。
現役時代には名の知られた凄腕の探検者で、俺の両親とも同じパーティを組んでいたらしい。
十年前に両親が亡くなってからは、血のつながりなどない俺のことを、何かと実の親戚のように気にかけてくれている。
外見だけを見れば、どう考えても『ヤ』のつく仕事に就いていそうな人物だが、その中身は驚くほど世話焼きで情に厚い。
見た目と性格の落差があまりにも激しく、ときどきこちらの脳が認識を拒みそうになる。
「ところで京極さん。どうして受付にいるんですか?」
俺はカウンターの上に置かれた『受付中』の札を指さした。
「ついに支部長を辞めて、受付嬢へ転身したんですか?」
「誰が受付嬢だ!」
「さすがに、その体格でタイトスカートは厳しいと思いますよ」
「着ねえよ!」
ドバンッ!
受付カウンターがへし折れそうな轟音を立てた。
すぐ近くを通りかかった新人らしき探検者が、驚いてカエルのように飛び上がる。
「たまたま手が空いたから、ここに座っていただけだ! 別に、お前が来るのを待っていたわけじゃねえ!」
「……そうですか」
予想外の方向から飛んできた言葉に、俺は思わず半歩後ずさった。
京極さんはぷいと顔を背けている。
しかも、頬がほんのりと赤い。
筋骨隆々の強面中年男性が、照れながらこちらから目を逸らしている。
周囲の空気が、一瞬にして極寒へ変わったような気がした。
強面中年男のツンデレ。
果たして、この世界のどこに需要があるのだろう。
少なくとも、朝一番の俺の胃には少々重すぎる。
「ふふ。京極さんったら、相変わらず素直じゃないんだから」
ロビーの奥から、鈴を転がすような声が聞こえた。
振り返ると、書類の束を抱えた一人の女性がこちらへ歩いてくるところだった。
肩まで伸びた艶やかな黒髪。
穏やかな目元と、柔らかな微笑み。
そこにいるだけでこの極寒の空気を春にしてしまうような、優しい雰囲気をまとっている。
「湊君が帰ってこないって、昨日からずっと落ち着かなかったのよ」
「東雲! 余計なことを言うんじゃねえ!」
「あ、東雲さん。おはようございます」
「おはよう、湊君」
彼女は、東雲美紀さん。
京極さんの秘書を務めている女性だ。
以前はこの支部の受付に立っており、当時は看板受付嬢として有名だったらしい。
その美貌は、今でも現役の若い受付職員たちにまったく引けを取らない。
むしろ年齢を重ね、大人の魅力まで加わった分――。
「湊君?」
「はい?」
「今、何か変なことを考えなかった?」
東雲さんは笑っている。
一点の曇りもない、完璧な微笑みだが、その背後に、牙を剥いた般若がうっすらと浮かび上がった気がした。
俺は全力で首を横に振る。
「い、いえ! 東雲さんは今日もお美しいなと思っていただけです!」
「あら、そう?」
般若がすっと消えた。
東雲さんは嬉しそうに頬へ手を添える。
「もう、湊君ったら。お上手ね」
「本当のことですよ」
「でも、ごめんなさいね。私は京極さん一筋だから」
「そ、そうですか。振られちゃったな……ははは」
告白すらしていないのに、見事なまでに撃沈してしまった。
解せぬ。
チラッと隣を見ると、京極さんは耳まで真っ赤に染め、石像のように固まっていた。
いったい何なのだ、この空間は。
朝からひどく胸焼けがする。
「いい加減にしろ、お前ら!」
ついに耐えきれなくなったのか、京極さんの怒鳴り声がロビーに炸裂した。
「話がまったく進まん! 東雲、お前も仕事に戻れ!」
「はいはい。分かりましたよ。またね、湊君」
東雲さんは小さく笑うと、書類を抱えたまま奥の事務室へ戻っていった。
その後ろ姿を見送った京極さんは、わざとらしく咳払いをする。
そして、最初から一枚も乱れていない書類の束を、意味もなくトントンとそろえ始めた。
「……相変わらず仲が良いですね」
「うるせえ」
「それで、いつ結婚するんですか?」
「だから話を進めろと言っているだろうが!」
バンッ!
再びカウンターが大きく揺れた。
京極さんの顔は、まだ真っ赤なままだ。
やはり、このおっさんのツンデレに需要はない。
「で?」
京極さんはもう一度咳払いをすると、無理やりいつもの険しい顔を作った。
「今日も潜るのか?」
「はい。そのつもりです。あ、それと、昨日換金し忘れた分があるんですけど」
俺は背負っていたリュックを下ろし、内ポケットから小さな布袋を取り出した。
袋の口を開き、受付のトレイへ中身を滑らせる。
カラカラと軽い音を立てて転がり出たのは、親指の先ほどしかない薄桃色の結晶。
最下級の極小魔石。
全部で、たったの七個だ。
魔石とは、魔物の体内で生成される高純度の魔力結晶である。
照明、調理、暖房、交通、動力、通信。
現代社会を支えるほぼすべてのインフラは、今や魔石から抽出される魔力エネルギーによって動いている。
探検者はこの魔石や魔物の素材をダンジョンから持ち帰り、協会が買い取り、それが加工業者を経て社会へ流通していく。
実力のある探検者なら、たった一度の探索で一生遊んで暮らせるだけの富を手にすることもある。
まさに、現代のゴールドラッシュ。
――実力さえあれば、の話だが。
「……これで全部か?」
京極さんは、トレイの上に転がった小さな魔石を、ひどく複雑そうな目で見下ろした。
「はい」
「昨日は何時間潜った?」
「六時間くらいです」
「六時間で、七個……」
「途中で休憩も挟みましたから」
「休憩時間を抜いたら?」
「五時間半です」
三十分など、ほとんど誤差である。
京極さんの眉間に、また一本、深いしわが刻まれた。
トレイに載った極小魔石は使い道があまりないため、市場では需要がなく、安い。
七個まとめても、買取価格は雀の涙ほどだ。
自転車通勤によって交通費を極限まで抑えているとはいえ、剣の整備費と救急用品代を差し引けば、手元に残る利益など缶コーヒーが数本買える程度にしかならない。
「今日の分と一緒に査定へ回しておく」
「お願いします」
京極さんは魔石を布袋へ戻しながら、深く重い息を吐いた。
そして、地の底を這うような低い声で俺を呼ぶ。
「……なあ、湊」
「はい」
「お前、いつまで探検者を続けるつもりだ?」
その言葉が落ちた瞬間、先ほどまでのふざけた空気がきれいに消え去った。
京極さんの鋭い目が、真っすぐに俺を射抜いている。
怒っているわけでも、呆れているわけでもない。
そこにあるのは、俺の命の行く末を本気で案じる、親代わりとしての眼差しだった。
俺はすぐに答えることができなかった。
ふと周囲へ目を向けると、そこには磨き上げられた特注装備に身を包んだ探検者たちが、今日受けた依頼や昨日の稼ぎについて楽しそうに話している。
誰もが自信に満ちていた。
俺とは、まるで違う。
探検者になって三か月。
俺がいまだに倒せるのは、ダンジョンの一階層に生息する、最も弱い最下級魔物だけだ。
本来、覚醒者は倒した魔物から放出される『魔素』を浴び、それを体内に蓄積することで、少しずつ強くなっていく。
筋力が上がり、反射神経が研ぎ澄まされ、体も頑丈になる。
昨日まで苦戦していた魔物を、数週間後には容易に倒せるようになる。
それが、探検者にとっての成長だった。
けれど、俺の体には何も起こらない。
魔物を何体倒しても、何十時間ダンジョンに潜っても、一切強くならなかった。
見かねた京極さんに連れられ、専門の研究機関で検査を受けた結果、医師から告げられたのは『特異体質』という、ひどく曖昧な診断だった。
俺の体は、魔素を浴びても体内に蓄積されず、そのまま放出されてしまうらしい。
治療法などはないそうだ。
だから成長することができない俺は、最弱の魔物を相手にしても毎回死闘になる。
得られるものは、わずかな極小魔石と、日に日に体へ増えていく傷痕だけ。
同じ時期に探検者となった者たちは、とっくに仲間とパーティを組み、さらに下の階層へ進んでいる。
俺だけが、一人。
安物の鉄剣と卒業した高校のジャージ、悲鳴を上げるママチャリとともに、ずっと同じ場所で足踏みを続けていた。
探検者を諦めろ。
そう言われても当然だ。
むしろ、こんな状況で三か月も諦めずに続けている俺のほうが、どうかしているのかもしれない。
「高校は出たんだ」
京極さんが、絞り出すように言った。
「今からでも全然遅くねえ。普通の仕事を探せ。俺がツテを当たってやる」
「……普通の仕事、ですか」
「探検者だけが人生じゃねえぞ」
正論だ。
それは痛いほどわかっている。
命を危険にさらさなくても、生きていく方法はいくらでもある。
それに、今の俺が探検者を続けた先に、明るい未来など一つも見えない。
見切りをつけるなら、取り返しのつかないことになる前に決めるべきなのだ。
「お前の両親も、探検者だった」
京極さんの声が、さらに深く沈んだ。
「だからこそ……俺は、お前までダンジョンに奪われたくねえんだ」
十年前。
俺の両親は、ダンジョンから帰ってこなかった。
探索中に強力な魔物と遭遇し、所属していたパーティが壊滅したそうだ。
幼い俺へ知らされたのは、それだけだった。
遺体すら地上へ戻ることはなく、手元に残されたのは、血と傷にまみれた装備品の一部だけ。
当時の俺には、葬儀というものの意味さえよく分かっていなかった。
ただ、父さんと母さんがもう二度と帰ってこないのだと理解した夜、声が枯れるまで泣き叫んだことだけは、今でもはっきりと覚えている。
「京極さん」
「……ああ」
「心配してくれているのは、痛いほど分かっています。俺に才能がないことも、自分が一番よく分かってます」
カウンターの下で、俺は静かに拳を握り締めた。
「三か月もやって、いまだに最弱の魔物を相手に四苦八苦しているんですから」
自分の口で言葉にすると、少しだけ泣きたくなるほど惨めだった。
けれど、ここで自分をごまかしても何も変わらない。
「それでも――もう少しだけ、続けさせてください」
「もう少しって、いつまでだ」
「それは……」
言葉に詰まる。
一週間。
一か月。
半年。
どの数字を口にしたとしても、それは京極さんを納得させるためだけの嘘になってしまう。
俺は一度息を飲み、京極さんの鋭い目を真っすぐ見返した。
「俺自身が、自分の限界に納得できるまでです」
京極さんの太い眉が、ぴくりと動いた。
「お前、それじゃあまりにも曖昧すぎるぞ」
「すみません。でも……今ここで諦めたら、俺はきっと一生後悔すると思うんです」
両親の背中を追いかけたいからなのか。
二人が二度と帰らなかったダンジョンの深淵を、いつか自分の目で確かめたいからなのか。
理由を並べようと思えば、いくらでも並べられる。
けれど、胸の奥で燻り続けている衝動は、そんな複雑なものではなかった。
もっと単純で、もっと子供じみた願いだ。
「俺は、探検者になりたいんです」
探検者ライセンスなら、すでに持っている。
協会にも登録され、ダンジョンへ入る資格もある。
なのに俺は一度だって、胸を張って自分を探検者だと言えたことがなかった。
ただダンジョンへ潜り、最弱の魔物を相手に傷を増やし、小さな魔石を持ち帰るだけ。
今の俺がしていることなど、探検者の真似事に過ぎない。
だからこそ。
いつか胸を張って、自分は本物の探検者なのだと言いたい。
その泥臭い執着だけは、三か月前から一度も揺らいでいなかった。
京極さんは、何も言わずに俺を見つめていた。
長い沈黙が、二人の間に落ちる。
やがて彼は、俺を説得することを諦めたように、深く大きな息を吐いた。
「……第一層から下は、絶対に進むな」
「はい」
「指定されたルート以外は歩くな。未確認通路には何があっても入るな」
「分かっています」
「帰還予定は十八時だ。一分でも遅れたら、俺が捜索隊を出す」
「はい」
「少しでも危険だと思ったら、迷わず逃げろ。格好なんか気にするな。無様に泣きながら走れ」
「はい」
「その剣も、いい加減に買い替えろ」
「お金が貯まったら」
「ジャージもやめろ」
「お金が貯まったら」
「あのオンボロママチャリは今すぐ粗大ゴミに出せ!」
「まだ走れます」
「走るたびに周辺住民から被害者が出ているだろうが!」
怒鳴りつける京極さんに、俺はへらりと笑って軽く頭を下げた。
「それじゃあ、行ってきます」
「……おう」
背を向け、ダンジョンへ続く通路へ歩き出す。
数歩進んだところで、背後から鋭い声が飛んできた。
「湊」
振り返る。
京極さんは受付の向こうで腕を組み、いつものように恐ろしい顔で俺を睨みつけていた。
けれど、その声だけは、どこまでも温かかった。
「絶対に、生きて帰ってこい」
一瞬だけ目を見開く。
それから俺は、今日一番の笑顔を浮かべてうなずいた。
「はい!」
協会の奥に設置された認証ゲートを通過する。
その先に待っているのは、地下へ向かって大きく口を開いた、巨大な縦穴だった。
地上から差し込む光さえ飲み込んでしまいそうな漆黒の闇が、どこまでも深く続いている。
入口の上部には、無機質な文字が刻まれていた。
――『傀儡ダンジョン』。
俺は腰に差した鉄剣の位置を確かめ、暗闇の中へ一歩を踏み出した。
今日も、いつもどおりの道を歩く。
いつもどおり、最弱の魔物を倒す。
そして、いつもどおり無事に地上へ戻る。
そのはずだった。
このときの俺は、まだ知らなかった。
俺の運命を根底から変える『何か』が、ダンジョンの奥で、息を潜めながら待ち続けていたことを。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
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皆さまからの応援が、続きを書く大きな励みになります!
次回も楽しんでいただけるよう頑張りますので、これからもよろしくお願いします!
※2026/07/26_AIイラスト_更新
※2026/07/29_誤字脱字、地の文の修正




