18.来訪者と秘密の贈り物
マリアーナが食事会で問題を起こしてしまってからの数週間は何事もなく過ぎていった。
マリアーナは今も午前中は図書館で手伝いをし、午後は花の世話をしている。
アルベルトとはたまに夜を共にするけれど、基本的に彼はマリアーナが眠ってから寝室に来て、起きる前に仕事へ行ってしまう。
ベランク語学習のための手紙のやり取りも続いている。
彼からの手紙は文章の内容がどんどん高度になっていく。彼はもともとベランク語が話せはしたけれど、書き言葉も学問で使われるような単語も知らなかった。
にも関わらず、彼からの手紙は、どこの地方に品種改良された種を持ち込んで栽培させているだとか、どの地域の麦が豊作だとか、最近では報告書めいたものになってきている。
もうマリアーナがどんなに長文の手紙を書いても、辞書も使わずに、あっという間に読み終わるのだという。彼の語学の習得の早さには驚くばかりだった。
でも、マリアーナが国王の側近の官吏たちの前で反感を買う発言をした事実は消えはしない。
あれからも会議を兼ねた夕食会は何度も開かれていると聞いている。当然だけれども、マリアーナは一度も招かれていない。
もちろん、呼ばれたとしても出席はしないと決めている。また同じ状況になったら目も当てられない。
マリアーナは余計な発言はしないように意識しながら、日々を送っていた。
その日もマリアーナは庭師のウル爺さんと一緒に、温室から堆肥が入った桶一つと空の桶を二つ、花畑と言っていい景観になりつつある庭の一画に運んでいた。
空の桶は水を汲むためのものだ。水を入れた桶を運ぶのは重いし大変だ。でも、林に入って少し歩くと小川があって、水はそこで汲める。
今日は護衛にアークラがいるから、小川から水を汲んでくるのがとても楽だ。水を満たした桶を片方持ってくれる。
始めは両方持ってくれようとしたけれど、マウリに「護衛の任務がおろそかになる」と注意されて、利き手ではない方でだけ持ってくれているのだ。
「だいぶ広がりましたね。王妃様」
「ええ。まだ広げるつもりよ。今度は別の種類のお花を植えるから、今日はその準備で堆肥を持ってきたの。本当は、もっとたくさんの種類の花を植えたいのだけど、今は王宮の庭園の方にも花壇を作っているらしくて。花の苗をこちらにばかり寄越せとも言えないから」
「そうですねえ。国の顔でもありますからね。王宮の庭園は」
アークラやウル爺さんと話をしながら、堆肥を新たな花の苗を植える場所にまき、土を掘り返してそれを混ぜ込む。
その作業が終わると、すでに花を植え終わっている場所で、ウル爺さんに指示された通りの量の水をまいていく。
水の量が多すぎるのもよくないのだという。ウル爺さんは土を触ってその量を決めている。マリアーナにはまだその加減がよく分からない。
マリアーナはそこで、王宮の方からやってくる人影に目を留めた。兵士ともう一人、男性らしき人物が歩いてくる。
人影に気づいた時に一瞬期待をしたけれど、体格や歩調からアルベルトでないのはすぐに分かった。
彼からの手紙には、『今日はたくさんの客がいる』と書いてあった。彼の立場から考えると、きっと客ではなくて『謁見』と書きたかったのだろう。
戦場での会話でベランク語を覚えたという彼は、その頃には使わなかった堅苦しい言い回しや難しい単語を苦手としている。
でも、それもほんのわずかの間のことだろうとマリアーナは思う。
と、そこでマウリがその人物に対して手を振り始めた。まだ顔もほとんど見えないのに誰だか分かったのなら、かなり親しい人なのだろう。
アークラに聞くと、彼にもすでに来訪者の正体が分かっていたらしい。
「あの方がどなたかご存知?」
「私たちは鍛冶屋の親父としか呼んでいなかったので、名前は分からないですが、長い付き合いの男ですよ」
「鍛冶屋……」
マリアーナは鍛冶屋と聞いても、剣や包丁や、金属製の物を作る人という知識があるだけで、実際の作業の様子は見たことがない。
やがてその男性が近づいて来ると、それが髭を生やした中年の男性だと分かった。
その鍛冶屋の男性は注文された品物を届けにきて、国王に謁見したのだという。そして、その場にいなかった昔馴染みのマウリとアークラの顔も見に来たのだと言った。
「やあ、あんたが王妃様か。若いな。あいつよりも十は若いんじゃないか?」
「親父さん、アルベルトは今は国王陛下だよ」
アークラに苦笑されながら言われても、彼は気にした様子を見せなかった。
「十は離れていなくてよ。たしか、八歳、陛下が私よりも年上だったと思いますけど」
マリアーナは今十九歳だ。そしてアルベルトは二十七歳だったはずだ。三年前に調べた時に二十四歳だった。
若き将軍だと、驚く声が大きかったのを覚えている。
「たいして変わらんじゃないか。十でも八でも」
鍛冶屋は文句を言いながら、「座ってもいいかね?」とマリアーナの足元にある折り畳み式の椅子の一つを指差した。
これは花畑を作る手伝いをしてくれているウル爺さんが、休憩用にと四人分用意してくれたものだ。
いつも、とても助かっている。
「どうぞ、お使いになって」
「あんたも腰掛けてくれ。王妃様を立たせて平民が座るなんて、おかしな話だろ?」
マリアーナは曖昧に頷いて、彼が腰掛けた椅子の隣の椅子に座った。そこに座るようにと、座面から土埃をはらってくれたのだ。
彼の言う平民は、きっとこの国でもっと力を持つようになるはずだ。
国王が平民出身で、官吏にも平民が数多く採用されている。
すると彼は、おもむろに、地面に撒くために汲んできた水の桶から、水柄杓を使って水を飲み始めた。
「あ、だめよ。それはそこの小川から汲んできたもので、沸かしていないの」
「王宮の中を流れる小川だろう? 汚いわけがなかろうさ」
「それは関係がないと思うわ……」
そう言って止めても、彼はこちらをチラリと見て目だけで笑って見せる。
マリアーナは水を飲み続ける男性に呆れつつ、これは王宮側にも問題があったのではないかと思った。
ずいぶん使用人が増えたとはいえ、謁見が多い日などは、まだ手が回らないのかもしれない。
「……お客人に、きちんとお茶をお出ししていなかったのかしら。私から話しておきます」
「王妃さん、ちっぽけで薄い陶器のカップで出されても、足りんと言っておいてくれ。あと、割りそうで怖い」
「まあ……」
侍女や侍従はきちんと仕事をしたらしい。
陶器のカップを使い慣れているマリアーナはそれで飲むのが当然だけれども、彼にとってはそうではないようだ。
「あの、お名前をお聞きしてもいいかしら」
「私の名前かね? ニーロという親からもらった名があるが、鍛冶屋だの、親父だのと呼ばれるね。好きに呼んでくれ」
「では、ニーロさんとお呼びするわ。今日は何をしに王宮へいらしたのか、お聞きしても?」
彼は「鍛冶屋がする商売は一つさ」と肩をすくめた。
「たくさんの剣を納めさせられたんだよ。いくら弟子がいるとはいえ、急な注文を入れやがって。国王になったくらいで俺をこき使いやがる」
「そんなにたくさんの剣を? 戦いが近いのかしら……」
マリアーナはそういった情報を聞かせてくれる相手がいない。急な戦いの予兆に胸がざわつく。
この国は今変化の途中だ。大貴族の当主たちが捕えられているという今の状況は、他国から見れば、付け入る隙があると思えるのではないだろうか。
「いやいや。なんでも、各国からの要人を招くから、剣を新調させるとか言っていたよ。それにしても、あの小僧、俺の剣は無骨だから、鞘や飾りは別の工房で作らせると言いやがった!」
マリアーナはニーロがアルベルトのような立派な体格の男性を「小僧」と呼ぶので、ついつい笑ってしまった。そんな人はなかなかいないと思う。
「昔作った短剣にも、飾り気がないだのと文句ばかりだったな。まあ、女物だったから、いい格好をしたかったんだろうが。それなら宝石でも贈ればよかったのに。まったく」
マリアーナはその言葉に、アルベルトがくれたけれど今は手元にない短剣を思い出した。
「女物の……短剣?」
「そう。だが、今あいつはそれを自分で持っているんだ。マントがめくれた時に見えたよ」
ニーロのその言葉で、マリアーナがもらったあの短剣が、アルベルトがわざわざ一から作らせたものだったと知った。
でも思い上がりかもしれない。彼はたくさんの女性を知っているだろうし、護身用に短剣を贈るのが習慣だったのかもしれない。
「あの……。そういった短剣は何度も作ったことがあるのかしら……。その……陛下に頼まれて」
「こいつらは戦利品を売りにきたり、剣の点検くらいしかせんかったよ。剣を作らせるのには金がかかる」
「……そうなのね」
剣をはじめとする武具は高価で、よほどの金持ちでないと新調なんてしないのだと、彼が話し続けるのを聞いて初めて知った。
「ついにいい相手ができたのかと思ったが、聞き出せなかったな。だが結局自分の腰につけているんじゃ、振られたんだろう」
マリアーナはあれは自分の物だったと言いかけてやめた。なぜか照れ臭かったのだ。
彼があの短剣をくれたのは、マリアーナの婚約が決まって、これが彼から護身術を習う最後の日、という時だった。
何を思ってあれをくれたのかは、いまだに分からない。心当たりがないのだ。マリアーナが欲すれば飾りのついた短剣なんていくらでも武器庫や宝物庫から持ってきてもらえただろう。
でも、彼がくれた短剣は実用的で使いやすかったので、マリアーナはそれをずっと待ち続けた。
マリアーナがあの短剣に思いを馳せていると、彼は少し声を落とした。
「あんた、なかなか面白い立ち位置にいるね」
「……何かお聞きになったの?」
ニーロは布に包まれた長細い物を鞄から取り出して、その布を軽く開いて見せた。
それは短剣よりもさらに小さな刃物のようだった。鞘に収まっているので刃先は見えていないけれど、思わず身を引く。
彼はそれをまた布で包むと、マリアーナの手に押し付けた。
マリアーナは咄嗟に周りを見た。
アークラはウル爺さんと話しながら作業をしていて、マウリはニーロを案内してきた兵士と話しながら、腰に手を当てて遠くを見ている。
「なぜ……?」
「この王宮に外国の要人を招くんだろう? 王妃さん、あんたは何かと危ない立場だ。これくらいはな」
「外国の……。先ほどもおっしゃっていたわね。私は何も聞いていなくて」
「おやおや……。まあ、そのうち話があるだろう。ほら、しまいな、お嬢ちゃん」
マリアーナは頷いて、作業のためにくくっているスカートの結び目の中にそれを隠した。
部屋までこの姿で戻った方がよさそうだ。いや、温室に戻ったら帽子をとって、そこに隠せるかもしれない。
「初めて会ったのに、なぜ……?」
「さあ。だが、あんたには生きていてもらいたいんでね。旧王家の血が残っているから様子見をしている地方貴族どももいる。外国だってそうだろう。俺たちの仕事にとっては、戦争は一時的には金になるが、国が荒れれば結局は飢えることになる。それはごめんだ」
「…………」
マリアーナは自分の存在がこの国を守ることに繋がっているのは分かっている。そのために王妃にされたのだ。
とはいえ、妹も弟もいるから、マリアーナが死んだところでどうにかなるとは思う。
地方貴族の動きは知らないけれど、食事会で執拗に話しかけてきたコクリー男爵たちのように、旧王家そのものを排除しようとする人がいるのも知っている。
「さて、そろそろ帰るか。まあ頑張んなよ、王妃さん」
ニーロは来た時のように、兵士と一緒にゆっくりと王宮へ戻って行った。
やがて作業も片付けも終えたマリアーナは部屋へ戻った。
そして、一人きりになると、手に持っていた帽子の中からニーロから渡された小刀を取り出した。
その小刀は単純な作りだが、とにかく小さいので隠して持つにはちょうどよさそうだ。
マリアーナは迷った末、アルベルトからもらった手紙を入れている小箱にそれを隠した。
それを持ち歩くための方法を考えなくてはいけなかった。
つづく……




