4品目 優しい卵サンド
朝起きて、色々と家の中でやる事を終えて。そうして少し自由な時間が出来たので喫茶三日月に来てみると、なにか違和感を覚えました。
なんだろう、と違和感を覚えた理由を探した結果、冷蔵庫の横に見覚えのない小さな扉が現れていることに気が付きました。なんでしょう、家の廊下にある喫茶三日月の入口によく似た、アンティーク調の可愛らしい小さな扉です。
本当に小さくて、通れるような大きさではありません。横長で、どうやら扉は上に開くようです。ポストが一番近い印象でしょうか。
なんだろう、と疑問に思って首をひねっていると、扉の上にプレートが現れました。
びっくりして扉を閉めて、一歩下がってそのプレートに目を向けました。キラキラ輝く金縁のプレートには、優雅なフォントで「おすそ分けBOX」と書かれています。
「おすそ分け……?」
声に出して読み上げて見ると、視界の端で何かがきらりと輝きました。
目を向けると、タブレットがなにやらキラキラしています。手に取ってみると、画面に新たに現れた文字がキラキラ光っていました。押してほしそうなので、そこをタップします。
すると、先ほどのおすそ分けボックスの詳細が現れました。そこには、次のようなことが書かれています。
*
おすそ分けBOX
作り過ぎた物、食べきれなかった物を、専門の入れ物に入れておすそ分けBOXに入れてください。
一日に一度だけ、おすそ分けBOXに物を入れることが出来ます。
専用の入れ物は、毎日朝五時におすそ分けBOXの中に現れます。洗浄、消毒は完了しています。
絶対に入れなければいけないわけではありません。あくまでも「おすそ分け」として、前日に残ってしまったものを入れてください。
*
なるほど。つまりは、昨日の肉じゃがを入れてみればいい、という事ですかね?
この空間が不思議空間である、という事を一気に思い知らされた気持ちです。とても……とても、わくわくしますね。いいですね、急に現れた扉とプレート、そして追加された説明!とってもわくわくします。さっそく肉じゃがを「おすそ分け」してみましょう。
わくわくしながらおすそ分けBOXの扉を開けてみると、先ほどはなかったはずの器が現れていました。
密着性の高い蓋がついている、ガラスの四角い器です。さっそく蓋を開けて、中に肉じゃがを入れていきます。つゆは全て入りませんでしたが、具材は全て入りました。
蓋をしっかりパチンと閉めて、それをおすそ分けBOXへ。扉を閉めてわくわくしながらそこを見ていると、チリン、と軽やかな鈴の音がして、おすそ分けBOXのプレートにベールがかかりました。綺麗な白いベールです。中央には、小さなお花の飾りもついています。
「今日の分はおしまい、ということですかね」
呟きながら扉に手をかけて軽く引いてみましたが、先ほどの軽さとは打って変わってピクリとも動きません。うん、今日はもうおしまい、という事なんでしょうね。
おすそ分け……なるほど、作り過ぎた物は、こうしておすそ分けとして回収される、と。強制ではないという事なので、無理に食べきらなくてもいいよ、という善意として受け取りましょう。
……ところで、おすそ分けということは、ここに入れた肉じゃがは誰かの手元に行ったのですかね?美味しく食べられているといいのですけれど。
「温めて食べてくださいねー」
意味はないだろうと思いつつも、扉にそんなことを囁いておきます。伝わっていますように。
さて、ともかくこれで鍋が空きましたから、まずは鍋を洗っておきましょう。お水に浸けている間に昨日水切り台に置いて寝た食器たちを拭き上げて元の場所に仕舞い、場所が空いたので鍋を洗います。
洗い終わって水切り台に鍋を置いたら、お店の中を掃除することにしました。
今日は何を作ろうかな、と考えつつ、いつだってお腹が空いている人が来るとは限らないのかしら、と首を傾げました。
昨日のお兄さんとオリガさんはお腹を空かせていらっしゃいましたが、何せ夜中ですから。小腹は空いていても、そんなにがっつりご飯はいらない、という方も当然いるでしょう。
「そもそもの判断材料が足りませんね」
まだ喫茶三日月を見つけてから数日ですから、偏りがあるのかも分かりません。
結局のところこれは続けてみて判断するしかないのでしょう。そう納得して頷いて、掃除を終えて冷蔵庫を開けます。
うん、今日は何か作っておくというよりも、いらっしゃったお客様に希望を聞いて作る、という方向にしましょう。冷蔵庫の中身もいつまでも入れていていいものではないでしょうし、毎日食材を買い足すのもなんだか気が引けます。
もちろん必要とあらば買いますが、タブレットで注文すればすぐですからね。必要になった時、で良いでしょう。必要もないのに大量に買うのは食品ロスに繋がります。
ということで、日中の作業はここまでにすることにしました。洗い物と掃除はしましたからね、残りは夜に回しましょう。
そうして家で仕事や家事などをこなして過ごし、夜は九時半になりましたので、喫茶三日月へとやってきました。
スリッパを履き替えて階段を降り、まずはお店の掃除を行います。
床の掃き掃除をして、モップで水拭きをして。それが終わったらカウンターを拭いて、椅子などに汚れがないかを確かめました。
全て終わったら道具を片付けて、手を洗ってエプロンを付けます。
さて、今日はどんなお客さんがいらっしゃるのでしょうね。なんて、わくわくしながらガラスドームのようなケースの中に入れるティーポットとティーカップを選びます。
色や模様の違うものを選んで2セットほど入れて、スイッチをオン。これで温まるはずです。
全ての準備が終わってもまだお客さんは訪れないので、タブレットを手に取って椅子に座り食材の一覧を眺めていることにしました。
この食材入荷の画面はいつでも同じものが同じ順番で出ているわけではなく、毎日違う並びになっているので見ているのも楽しいです。
まるで普通の広告のように、開いてすぐの画面にはおすすめ品がデデンと表示されています。……改めて考えてみると、一体どこから仕入れてきたおすすめ品なのでしょう?
もしかしたらこの食材たちも、どこかの異世界からやってきているのかもしれませんね。
ここは不思議空間なのであまり考えても意味はないかもしれないですけれど、それでも考えているとわくわくしてきます。
なんて考えていたら、チリンチリンと鈴の音がして扉が開きました。
タブレットを置いて、立ち上がって入口に視線を向けます。半分ほど開いた扉からは、鮮やかな色の髪をした人がお店の中を覗き込んでいました。
「いらっしゃいませ、お疲れ様です」
声をかけると、少し驚いたように半歩ほど身体を引いて、周囲を見渡しながらお店の中へと進んできます。椅子を勧めて、お客さんが座られるのを待ちます。
知らないところを警戒する気持ちはよく分かります。お店の中を見渡していらっしゃいますから、大伯父かと思ったら私が居て驚いた、というわけでもなさそうです。なので、ひとまずゆっくり待ちましょう。
そうしてのんびり待ちつつお湯を沸かして、お茶を淹れる準備をします。少しでも落ち着いて、ゆっくりと過ごしていただけるように。
なんて思ってハーブティーを選んでいる間に、お客さんもカウンターに座ったようです。周囲を見渡す表情は怯えていたり緊張していたりはせず、興味津々に見えます。
茶葉をティーポットに入れてお湯を注いで、布をかぶせてタイマーをセット。そこまでやってから、カウンター越しにお客さんに向き直りました。
今日はあらかじめ用意してあるもの、というのがありませんからね。それに、何か食べたいかも人に寄るでしょうし。何もいらないようでしたら、クッキーとお茶だけお出ししましょう。
「何か食べたいものなどはございますか?」
「え、あ……えっと……さ、サンドイッチ、とか」
「かしこまりました。量はどのくらい食べられますか?」
「あ、少し、だけで」
「はい。少々お待ちくださいね」
返事をして、なにサンドにしようかしらと考えます。
とても細身な方ですし、量は少しで良い、というのは本当に少しでいいのでしょう。となれば、具材もあまりボリュームがあると困らせてしまうかもしれません。
それに、深夜ですからね。軽く摘まめるくらいのものがいいでしょう。
あれこれ考えながら、とりあえずサンドイッチ用にパンを注文します。薄切りの、耳が既に切り取られた食パン。スーパーでも時折見かけますけれど、いざ欲しい時に見つけるとなんてピッタリな物!とちょっと感動してしまいますね。
そんなちょっとした感動を感じながらパンを注文し、カウンターの上に現れたそれを移動させます。
そしてサンドイッチの調理に取り掛かる前に、お茶が入ったのでティーカップに注いでお客さんにお出ししました。
ティーポットの中からは茶葉を取り除いて、蓋を閉めてカウンターの上に置いておきます。よろしければおかわりもどうぞ、ということで。
さて、これで今考えるべきことはサンドイッチの事だけになりました。
冷蔵庫を開けて、中にあるものを確認します。何がいいかしら、と考えて、卵を手に取りました。卵サンドなら、深夜に食べてもお腹の負担にはならないでしょう。
卵サンドは厚焼き玉子を挟むものと、ゆで卵を潰してマヨネーズと和えて挟むものがありますけれど、私は個人的にゆで卵から作る方が好きです。
そんなわけで卵を二つほど取り出して、小鍋の中に入れます。そして水を注いで火にかけました。
本当は沸騰してから入れた方がいいのかもしれないですけれど、なんとなく沸騰したお湯に卵を入れると割れやすい気がして、私はいつも水から茹でています。
沸騰を待ちつつ残りの具材も用意します。マヨネーズ、塩と胡椒、それから玉ねぎ。
玉ねぎは八分の一ほどを使います。みじん切りにしたら、フライパンに油を引いて温めます。普段は生のまま混ぜ込むことも多いですけれど、もしかしたら辛いかもしれないので今日は炒めましょう。
フライパンが温まったらそこに玉ねぎを入れて、透明になるまで炒めます。食感が残っているくらいがいいですね。
炒めたものは冷ましておいて、卵のお湯が沸いたのでタイマーをかけます。固ゆでにしたいので、ここから八分。
その間にサンドイッチを乗せるお皿を選ぶことにしました。
それほど量は作らないのでお皿も大きくなくていいですけれど……なんて考えながら棚の中を物色していたら、楕円形のお皿を見つけました。
お皿にはレトロなお花柄が描かれています。オレンジ色です。何とも可愛いのでこれにしましょう。
思い返してみれば、このお皿も一度洗った記憶があります。あの時はとにかく見つけたものを洗っていたのであまりじっくりとはみませんでしたが、その時も喫茶店らしくて可愛いな、と思いました。
そんなわけでお皿は決定です。軽く洗って、水気をしっかり拭きとりましょう。
他に必要な物を考えて、マッシャーを探すことにしました。一度見つけて洗った記憶はあるのですが、どこにしまったのかが少し曖昧なのです。
引出しをあれこれ開けてみて、どうにか見つけた時にちょうどよく卵が茹で上がったので、氷水に入れて急冷しました。
氷水に少しの間浸けておいて熱を取ってから、コツコツと叩いてヒビを入れて卵の殻をむいていきます。剥けたら水で軽く洗ってボウルの中へ。
二つとも剥いてボウルに入れたら、綺麗に剥けたのでほんのちょっとだけ勿体なく思いつつマッシャーで潰していきます。
どのくらい潰すのかは好みですけれど、私は卵は少し大きめに残るくらいで潰すのをやめます。
マッシャーについた卵もしっかり落として、そこに炒めて冷ましておいた玉ねぎを加えます。卵と玉ねぎを軽く混ぜたら少し冷やして、冷えたらそこにマヨネーズを加えて更に混ぜます。
マヨネーズの量は全体が纏まるくらいの量です。塩コショウも少々入れて、混ぜてお味見です。美味しかったのでこれでよし。
中に挟む卵の用意が出来たので、サンドイッチ用のパンをまな板の上に用意します。そしてそこに卵を乗せて、平らに均してパンを被せて軽く押します。
端の方には卵を乗せないようにしたので、はみ出した気配はしません。
パンもズレていないことを確かめて、パンを抑えたまま包丁でカットします。三角になるように四等分に。少し小さめになりましたが、その方が食べやすいですからね。
切れたら断面が上になるようにお皿に並べて、これで完成です。
彩にトマトでもあったらよかったのかもしれませんが、ないので今日はこのままで。
お待たせしました、と声をかけて差し出すと、お客さんはちょっと驚いたように肩を揺らしてからお皿を受け取りました。
見ていたら緊張させてしまうかしら、と思って正面からは見ないようにしつつそれとなく様子を窺うと、お客さんは黙々とサンドイッチを食べ進めていました。
少なくとも口に合わないことはなさそうです。一安心して、手元に視線を移しました。
少し残った卵ペーストにはラップをかけて冷蔵庫に入れておきます。パンも同じように、一度避けておきます。
もしかしたらまだもう少し食べられるかもしれませんからね、片付けは後にしましょう。
というわけで、今洗えるものだけを先に洗っておきます。玉ねぎを炒めたフライパンとゆで卵を作った小鍋を洗って、水切り台に置いておきました。
洗い物の際にシンクの回りに飛んだ水を布巾で拭いて、手を洗ってタオルで拭いて。そんな風に可能な限りの片付けをした後は、お客さんに圧をかけてしまわないように静かに待つことにしました。
食べ終わったら気付けるように意識は向けつつ、タブレットを開いて並んでいる商品の一覧を眺めます。必要な物は大伯父が全て揃えていますから、特別買わないといけないものはないのですけれど……でも、見ているのは楽しいですね。
何か面白いものはあるかしら、なんて思いながらタブレットの画面をスクロールしていきます。
なんだか思っていたよりも色々な物があるようです。生花やラッピング用紙、メッセージカードなども出て来ました。
お持ち帰りの容器は……ないのですね。外に持ち出すことは出来ない、という事なのでしょうか。それでもラッピング用紙はある、というのがなんだか不思議です。もしかして、自分で何か入れ物を装飾したい時用なのでしょうか。
なんて、あれこれ考えながらタブレットを弄っていたら、お客さんがサンドイッチを食べ終わった気配がしました。顔を上げて、様子を窺います。
お客さんはちょうどサンドイッチの最後の一口を食べ終えたところで、ゆっくりと咀嚼をしています。……追加は、多分いらなさそうですね。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
「あ、ください……」
ティーカップの中が空になっていたので声をかけると、ティーカップが差し出されました。お口に合ったようで何よりです。
ハーブティーのおかわりを注いでカップを渡し、お皿を回収させてもらいます。
お皿を洗っている間にゆっくりお茶を飲んでいただいて、もう一度ティーカップが空になる頃にはお客さんも大分リラックスされているように見えました。
空になったカップを置いて席を立たれたので、扉に向かう背中をお見送りします。
扉に手を伸ばした後で、ふと思い出したように振り返って「お代……」と言われたので、それにはもういただいていると返事をして。
そうして帰っていく背中を見送って、扉がしっかり閉まってから片付けに動くことにしました。
ティーセットを回収して、机を拭いて。
そして洗い物を……と、思ったのですけれど、その前に。
「小腹がすきましたね……」
なんだか小腹が空いてしまったので、余った卵ペーストで小さいサンドイッチを作って夜食にすることにしました。余らせておくのも何ですし、食べてしまえばボウルも洗えますから。
なんて言い訳をしつつ、手早く作ったサンドイッチをパクパクと食べてしまいます。うん、夜でも負担にならない味です。
食べきったらボウルと混ぜたり乗せたりに使ったスプーンも洗って、これで本当に洗い物も終わりました。
後はエプロンと台拭きなど、使った布類を洗い物を入れる穴に入れて、今日のやる事はおしまいです。
一度ぐるりと室内を見渡して、特に忘れたこともなさそうなので喫茶三日月を出て家に戻りました。あとは歯を磨いて寝るだけです。
小腹も満たされたので、今日はよく眠れそうですね。




