転移魔法の神髄
愛し子の役目と割り切ったつもりでも、納得できずに考え込んでしまうアデルに
六つ柱の大神は何を示すのでしょうか。
8の月第一週終わりの日
今日は、レオアウリュム様から転移陣設置の仕方を教えてもらう為に神殿に参拝する日だ。
私は、メアリとセブランと一緒に約束の5の鐘(午前10時)が鳴る少し前に自室を出て王宮内にあるお父様の居間に向かったのだけど、お父様は既に居間で待っていた。
「お父様、お待たせして申し訳ありません」
「いや、構わぬ。さあ、行こうか」
お父様は立ち上がるとすぐに、居間の奥にある神殿に繋がる扉に向かって行き鍵を開け始めた。それを見た私はいつもの様にメアリとセブランを居間に待機させた後、お父様と二人だけでエレベーター(神殿通路の神具)に乗り込んだ。
到着した神殿はいつにも増して神秘的な空気が漂っていて、その静謐な空間の中には六体の神像だけがほのかに発光して佇んでいる。
お父様と一緒に人の気配を全く感じさせない神殿の中に入って行くと、私の訪れを感じ取ったかのように床に刻まれた魔法陣がうっすらと光り出して、私達を歓迎している様に見えてくる。
魔法陣の手前まで進んだ所で立ち止まったお父様が、申し訳なさげに優しく話しかけてきた。
「アデル。今回、レオアウリュム様がどのような手段で君に御教えをお授けくださるのか、正直な所、私には全く見当がつかない。事前に君に教える事が出来ずに、本当に済まないと思っている」
私はお父様を見上げて目を見張る。
やだ、お父様。そんな事考えてたの?
そんなのお父様のせいじゃ無いのに…。
それにお父様と一緒だからなんにも心配してないよ?
お父様は不安なのかなぁ。
「お父様、私は大丈夫です。だってお父様と一緒に居るんですもの」
にっこり笑って返事をした私の顔色を見ていたお父様は、少しだけ安堵したように見える。
笑顔のままお父様と手を繋いで魔法陣の中央に進み、お父様と並んで祈りの体勢になる為に左膝をついて両手を胸の前で交差させた。
私の体勢が整った事を確認したお父様が、一呼吸した後に祝詞を奏上し始めた。心地良い声音のお父様の祝詞の奏上が終わると、魔法陣が一際明るく輝いて、天井からは煌めく一条の光が差し込んだ。もう魔力を吸い取られる事にも慣れてしまい気にもならない。
そして、御台の上にレオアウリュム様が顕現した。
今日のレオアウリュム様は、とても機嫌が良いような感じがする。
「やあ、ルーチェステラ、ルーチェオチェアーノス、よく来てくれたね」
「レオアウリュム様、本日は仰せつかりましたとおり、ルーチェオチェアーノスと二人で参上いたしました」
「仰せに従いまして参上いたしましたルーチェオチェアーノスでございます」
「うん。二人には今日、覚えてもらわなくちゃならない事があって来てもらったんだよ。ルーチェオチェアーノスはルーチェステラから聞いてるかな?」
「はい、概要だけは聞いております」
「それは良かった。早速、始めようと思うけど良いかな?」
「はい、よろしくお願い申し上げます」
私が大人しく頷いて返事をすると、レオアウリュム様は何も言わずにいきなり宙にふわりと浮かび上がった。
驚いた私が固まっていると、レオアウリュム様はスーッと私とお父様の前に移動して来て着地すると、スッとお座りの姿勢になった。
間近で見るレオアウリュム様は、前世で見て知っているライオンよりもかなりの大きさだ。お座りをした状態なのに、立膝をしているお父様の方がレオアウリュム様のお顔を見上げている。
うわー、近くで見るとデカっ!
デッカい牛くらいの大きさがあるんじゃない?
私達の前にお座りをしたレオアウリュム様は、左前足(人間だと左の掌かな?)を上げて私の頭と見比べると
「ふむ」
と呟いて左前足を下ろして座り直した。
座り直して瞑目したレオアウリュム様が無言で発光し始めたので、私とお父様は驚いて固まったまま金色に輝くレオアウリュム様を見つめていた。
すると、レオアウリュム様は輝きながらどんどん小さくなって、光が収まった時には跪いたままのお父様と同じくらいの大きさになっていた。
ほえーっ!
レオアウリュム様が縮んじゃったぁ!
あー、びっくりしたなぁ、もう!
「これでいいかな。じゃあ、始めるよ。ルーチェステラはルーチェオチェアーノスの肩に手を置いてくれるかな?」
「かしこまりました。これでよろしいでしょうか」
お父様が私にピタリとくっ付いて、後ろに手を回して肩を抱いてくれる。肩に手を置く、と言うよりも、体を支える、と言った方が適切なくらいの体勢だ。
「うん、いいね。じゃあ、いくよ」
あれ?
レクチャーって講義じゃないの?
何が始まるんだろ?
私は魔法の講義が始まるのだと思い込んでいたのだが、そうでは無かった。
レオアウリュム様はゆっくりと左前足を上げて私の額にその肉球をぷにっと押し当てると、先程より更に眩しく輝き始めた。
おおお、何だこれ!
走馬灯、再びってか?
さすがにこれは想定外だよ!
私の額に押し当てられたレオアウリュム様の肉球からじわりと熱が伝わると、私の頭の中にクリアな映像が直に投映される。
私はその映像を受け取る事に集中する為に、目を閉じて呼吸を整えた。
映像は周囲に何も見当たらない程に広い草原のような場所に、六つ柱の大神が宙に浮いて並んで佇んでいる場面から始まった。
光の女神ルーチェンナがスーッと前に出て説明を始める。見ている方からするとTV画面でアップになった感覚だ。
「ごきげんよう、ルーチェオチェアーノス。ルーチェステラも見ていますね。
今から授ける知識は、本当なら私達が直接、貴女達に授けたかったのですけれど、私達は六柱同時に顕現する事は出来ませんし、貴女を神の庭に招くには貴女の体の成長が足りませんから、やむなくこの様な形にしました」
どうぇええーっ!
もしかして神の庭とやらに拉致られるとこだった?
あっぶねぇ!
コイツらとことん危ねえなぁ!
光の女神ルーチェンナはにっこりと嬉しそうに笑いながら、私と直接会って話をしているかのように目線を合わせてきた。
「では今から貴女に転移の魔法を授けます。ふふっ。と言っても本当は、愛し子にしか発動する事が出来ない聖句を呪文として授けるのですけれど」
愛し子にしか発動できない聖句?
聖句を呪文の代わりにするの?
「この聖句は、貴女が唱えた時にだけ神力が付与されます。私達がお手本を示しますから、六柱が描く陣と手順を記憶に刻みましょうね」
神力の付与?
それって…それってぇ!
私が神の力を使うって事なのぉ?
光の女神ルーチェンナの説明は続く。
「初めに炎の浄化からです。必ず聖句を言葉として口に出して唱えてくださいね。そうする事で貴女の魔力に神力が宿ります。それから順番も大切です。陣を重ねる順番が変わると転移の陣になりません。良いですね。では、始めましょう」
それを合図に火の神フランマルテが前の方に出て来てフランマルテのアップ画面になると、入れ替わったルーチェンナは元の位置に戻っていた。
火の女神フランマルテは私に向かってニコリと微笑んで無言で右手を肩の高さに上げて掌を上に向けると、厳かに聖句を唱えた。
「フランマプルガーティオ」
聖句がその意味をもって響いている事が、空気が震えている事で判る。
フッと熱気に包まれ、その熱気が拡散していく感覚があった。
フランマルテが指先で描いた軌跡が属性の炎の色になって輝いている。その炎の輝きをよく見ると、文字のような紋様がびっしりと並んで線を成している。
おおお、ビビってる場合じゃないよ!
この文字のような紋様が聖句を表しているのかなぁ。
古代文字?
神が使う文字?
どっちにしても見た事ない文字だよねぇ。
フランマルテが描いた魔法陣は、実に簡素な図形だ。まず円を書いて、その中に逆二等辺三角形を円に接するように書いただけである。
おそらく形よりも聖句に意味があるのだろう。
フランマルテの指から注がれる神力は、指を動かさなくても勝手に文字のような紋様を描いている。
その上、フランマルテはゆっくりと時間をかけて、神力がハッキリと紋様の形を成すのを待つようにして指を動かしている。
そうしてフランマルテは、魔法陣にしては至極簡素な図形を、ゆっくりと時間をかけて描き終えた。
魔法陣を描き終えるとすぐ私に向かってニッコリと笑って見せたフランマルテは出来上がった魔法陣を画面の下方にフレームアウトさせて後方に下がり、元の位置に戻って行った。
入れ替わって前に出て来たのは風の女神ラファーリエだ。
ラファーリエは、アップになると真っ直ぐに私を見つめて、挨拶代わりに清楚な微笑みを見せた。そして、フランマルテと同じ仕草で聖句を唱えた。
「ヴェントステクトゥム」
同じように聖句に反応して空気が震え、爽やかな一迅の風が吹き抜けていく。
ラファーリエが描いたのは円の中に縦横斜めに線を入れたもので、円を8等分にした図の魔法陣だ。
黄色く輝いているので、レモンの輪切りを簡単に書いた様にも見える。それでもよく見ると、線は文字のような紋様がギッシリと詰まっている。
時間をかけて魔法陣を描いたラファーリエは、フランマルテと同じように魔法陣を下方にフレームアウトさせて後ろに下がって行った。
ラファーリエと入れ替わって前に出て来たのは、水の神オークレールだ。
アップになったオークレールは、私に向かってバチンと派手なウインクをして、聖句を唱えながら右手を上げた。
「アークワグラーツィア」
オークレールが聖句を唱えると足元の草の葉に露が降り、あっという間に円心状に広がると光に反射してキラキラと輝いて消えた。
神々が聖句を唱えると何かしらの現象が起こり、聖句がちゃんと機能している事がよく判る。
オークレールが描いた魔法陣は、円とその円に接する正方形だった。
このように何回も魔法陣を描く様子を見せてもらうと、魔法陣は聖句で綴られた図形なのだ、と説明をされなくても理解できた。
これは意味が分かってないとダメなやつだわ!
やっぱり『百聞は一見に如かず』だよねぇ。
神の力にも理が有るっちゅう事だわさ。
仕組みは理解できないけど意味は分かったよ!
これ、大事!
オークレールが魔法陣を描き終わり、その魔法陣をフレームアウトさせて後ろに下がると、土の神ソルテールが前に出て来る。
アップになったソルテールは私に向かって軽く頭を下げると、右手を上げながら聖句を唱えた。
「フームスフォルトゥーナ」
ソルテールが聖句を唱えると、空気が震えるのとシンクロして大地が震えるように揺れた。
その後にソルテールが時間をかけて描いた魔法陣は、円とその円に接するひし形であった。
今の所、複雑な模様の魔法陣はない。前世のアニメで見たようないろんな模様や文字が詰まった、いかにも、という風な魔法陣でないのは大変助かる。
うん、これなら私でも書ける。
簡単な図形、大歓迎!
ありがたや、ありがたや!
ソルテールと入れ替わって前に出て来たのは、闇の神ティーネブラスだ。
アップになったティーネブラスは私の考えを肯定するように、真面目な顔で私の顔をじっと見て頷いて見せてから、ゆっくりと右手を上げて聖句を唱えた。
「テネブラエベネディクティオ」
ティーネブラスが聖句を唱えると、空気が柔らかく震えて空がゆっくりと群青色の夕闇に覆われていく。
夕闇に変わった速度と同じくらいゆっくりと空が明るくなっていく中でティーネブラスが描いた魔法陣は、円とその円に接するように書いた二等辺三角形だった。
これってフランマルテが描いた図形を逆さまにしたものだよねえ。
魔法陣の向きにも意味があるのかにゃ?
私の疑問に答えるでもなく、魔法陣を無言で描き終えたティーネブラスは今までの四柱と同じように魔法陣をフレームアウトさせて後ろに下がっていく。
そういえばここまで五柱の神々が聖句以外の言葉を発する事は一切無かった。
再び光の女神ルーチェンナが前に出てアップになると、微笑みを浮かべて聖句を唱えた。
「ルークスプライシーディウム」
ルーチェンナが聖句を唱えると、空気が震えてほんの少し周囲の明るさが増し、清涼感も増した気がする。
六柱の最後に描いたルーチェンナの魔法陣は、他の五柱よりも少し複雑でその分時間がかかった。出来上がった魔法陣は、円とその円に接するようにバネを記号化したような図形が描かれている。
ルーチェンナが魔法陣を描き終えて後ろに下がると、映像は六つ柱の大神全体がよく見える画面に切り替わった。
神々は無言のまま、火、風、水、土、闇、光の順に、自分で描いた魔法陣を床に置いて重ねていく。
最後の光の魔法陣が重なると、魔法陣は白く眩しい光を発してゆらゆらと陽炎のように溶け込んでいき、六つの魔法陣はゆっくりと一体となっていった。
白い光が収まって現れた転移陣は、六つ柱の大神の聖句が複雑に絡み合っていてそれぞれの属性の色の光をほのかに放って息をしているように瞬いている。
転移陣の大きさは直径50cm程で、神々から見たら掌サイズと言った所だ。
私が転移陣をまじまじと見ているうちに、再びルーチェンナが聖句を唱えた。
「オルサ モトゥス フィニール ミグラティオ」
魔法陣が放っていた属性色の光が、聖句に反応してその輝きを増していく。
眩しいくらいに輝きを増したその光は渦を巻き始め、竜巻のように立ち上がり、やがて床から離れて天に立ち昇って見えなくなってしまった。
床の魔法陣を見てみると、ただの白い線で描かれた魔法陣になっていた。
聖句はもう見えなくなっている。
見惚れたように成り行きを見ていた私に、ルーチェンナが話しかける。
「ルーチェオチェアーノス、これで転移陣は完成です。貴女には負担が大きかったでしょうか。どうですか? 出来そうですか?」
「はい、ルーチェンナ様。たぶん大丈夫だと思います」
あ、しまった。
素で答えてしまった!
TV画面と会話してるみたい。
めっちゃ恥ずかしい〜!
「ホホホ、たぶん、なのですね。それでも否定的ではありませんでしたから問題はないでしょう。次はルーチェステラに王として必要な呪文を与えましょう。でも、少しレオが休憩した方が良さそうですね。レオ、一休みしましょう」
そう告げたルーチェンナは他の神々と一列に並んで佇んだ。
映像が始まった時と同じ場面に戻った形だ。
すると、頭の中に映し出されていた映像が突然プツンと切れた。
ふと目を開けてみると、レオアウリュム様の手(正確には左前足)が私の額から離れていた。
レオアウリュム様はそのままお座りの姿勢になって静かに瞑目し始めた。
これがレオアウリュム様にとっての休憩になるのだろう。
お父様は私の肩を抱いていた手を外して私の頭を撫でてくれた。心なしか済まなそうな顔をしている気がする。
たぶんお父様にもあの映像は見えていたんだろうなぁ。
まさか一つの転移陣に六つの魔法陣が必要だとは思わないもんねぇ。
私の身体の成長を心配していたんだもん。
仕方ないとはいえこんなはずじゃなかったとか思ってそうだなぁ。
1分程度の短い時間の瞑目から復活したレオアウリュム様は、まず私に向かって声をかけてきた。
「ルーチェオチェアーノス、疲れただろう? 楽にして待っててね。もうしばらく掛かるからね」
「ありがとう存じます。お言葉に甘えて楽な姿勢を取らせていただきます」
夢中になって映像を見ていたし、お父様が支えてくれていたので気付かなかったけれど、いつの間にかガッツリ足が痺れている。
痛さで変な顔をしてしまわない様に用心しながらそのままペタンとお尻を降ろして座り、スカートから足が出ないように整えた。
「ルーチェステラ、君には王の権限で陣を運用する為の呪文を教えるね。もし君がルーチェオチェアーノスが知る必要はない、と考えるならルーチェオチェアーノスに触れないように気を付けてね」
「承りました。それではお言葉に甘えまして、娘の負担を減らしたいと愚行いたしますので、娘に触れぬ様にいたします」
「うん、それでいいよ。じゃあ、始めるよ」
「はい、よろしくお願い申し上げます」
お父様が片膝をついた姿勢のまま両手を胸の前で交差させて頭を垂れると、レオアウリュム様が右前足を上げてお父様の額に肉球をぷにっと押し当てた。
レオアウリュム様の仕草、側から見てるとめっちゃ可愛い。
自分がされてる時は気が付かなかったよ。
情報の伝達が始まったらしくレオアウリュム様の黄金の輝きが触れているお父様の額から伝わって、お父様の体全体が黄金の光に包まれて淡く輝いている。
ほーん、こんな風になるんだぁ。
私も黄金色に光ってたのかなぁ?
それはそれで見てみたいような…、不謹慎かにゃ?
お父様の様子を見守りながら、私は先程の映像について考えてみた。
今日は講義を受けるだけって思い込んでたけど違ったねぇ。
まさか聖句とやらを授けられてしまうとは…。
転移って魔法じゃなくて神の御業って事だったんだねぇ。
結界と同じって事じゃん。
あー、ルーチェンナは順番が変わると転移陣にならないって言ってたよねぇ。
順番変えたら何が出来るのかなぁ。
いやいや。
興味は尽きないけど神力の濫用は怖い事この上ない。
くわばら、くわばら。
好奇心は身を滅ぼすって言うし…。
臭い物と一緒でそっと蓋をしてしまうに限るよねぇ、うん。
それにしても聖句で綴られた魔法陣を六つも重ね掛けするとはねぇ。
流石のお父様も魔力が足りないって言われるはずだよ。
うーむ、納得!
あんな物、普通はいくら魔力があっても無理ゲーだねぇ。
ところで愛し子専用聖句って神力の代執行の為の物じゃん!
そんなのには極力関わりたく無かったんだけどなぁ。
もう、見ちゃったよう。ちくちょーめぇ。
ふう、嫌だけどさ!
お父様を困らせるのはもっと嫌なんだよね。
溜め息つきながらでもやるしか無いよねぇ。
今度のフィデスディスレクスでの予定のうち、魔法陣設置以外の所で、少しでも楽しい事があると良いのになぁ、と溜め息を吐きながらも、お父様のレクチャーが終わるのを大人しく待つ私であった。
思いがけず神力を操る事になってしまったアデルですが、気持ちの切り替えは出来るのでしょうか。
次回は、今回の続きです。




