算術の授業とお祖母様のお茶会
アデルの日常生活に、勉学の要素が加わってきました。
前世の知識が役立つ場合もあります。
ディー兄様の講義は、昼食の用意ができた、というお母様の側仕えの合図でお終いになった。私としては、まだまだ聞きたい事がたくさんあったのだけど…。
「食事をおろそかにしてはいけません」
というお母様のお叱りには、誰も敵わない。
ま、でも、昼食は、お父様も王宮に戻って来て、家族で楽しく食事する事ができたから良かったんだけどね。
あれから一週間が過ぎた。お父様は多忙になり、食事の時間ですら顔を合わせる事ができていない。王城全体がバタバタとして、例の事件に掛かり切りの様だ。
王宮にまでざわめきが届いていて、何だか落ち着かない。
そんな中、今日から私に家庭教師の先生がついて、算術、歴史、マナー、裁縫を学ぶ事になっている。前二つは学校入学に向けたもので、後二つは淑女の嗜みなのだそうだ。年齢に応じて、内容が変わったり、増えたりするのだそう。三年間は、王宮でしっかり学ぶ事になる。
「姫殿下、算術の先生がお見えになりました」
扉前で護衛をしていたマルクから声が掛かったので、居間で待っていた私は立ち上がってお迎えする。すると、魔法師のローブを着た壮年の男性が入って来た。
「アデリエル王女殿下、お召しにより参上いたしました。本日より、算術をお教えする栄誉を賜りました。ロベール・ル・バロ・ホワイエでございます」
「ホワイエ男爵、ようこそお越しくださいました。今日からよろしくご教授くださいませ。さぁ、まずはお座りになってください」
「恐縮です」
私達がテーブルを挟んで着席すると、メアリとオリビアの指示のもと、オデットとイザベルがお茶とお菓子を出してくれる。マナーどおり、まず私がお茶とお菓子を口にしてから、ホワイエ男爵にお茶を勧める。
「ホワイエ男爵の奥様には、いつも私の体調を見ていただいております。今回は、知っている方のご家族というだけで安心していますの」
と私が言えば、ホワイエ男爵は微笑みを浮かべて尋ねる。
「左様でございますか。嬉しい事をおっしゃってくださる。では、そのお言葉に甘えて、これから姫殿下とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん。私は何とお呼びすれば良いのでしょうか?」
「ロベールとお呼びくだださい」
「では、ロベール先生とお呼びしますね」
「先生だなどと勿体ない。ありがたい事です。では、姫殿下、勉強を始める前に、少し質問をさせていただきますが、よろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
「姫殿下、数はいくつまで数えられますか?」
「え? 数えようと思えばいくつでも」
「数を数える時、手の指を使ったりしますか?」
「いいえ、最近はほとんど使いません」
「では、足し算はいかがでしょう」
「普通にできると思いますけど…」
「では、引き算は?」
「それも普通にできると思います」
「ふむ…。では、どの程度お出来になるか確かめる為、簡単な試験をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
という事で、試験を受けている。
内容は、1+2=から始まって、徐々に桁数が増えて、5桁の数字を5つ足す足し算まで。引き算は、3−2=から始まって、同じく5桁の数字から4つの数字を引くまで。最後は、6つの数字を足したり引いたりという問題だった。暗算は得意なので、全部で20問、問題なく解けたと思う。
「できました」
と答案を差し出せば、ロベール先生が口を開いて驚いている。
あ、しまった!
やり過ぎたか?
でもできないフリなんて出来ないもん!
ロベール先生が、答案を受け取り採点を始める。気のせいか顔が青ざめていってるような気がする。
採点を終え、顔を上げる。
「姫殿下、全て正解です。いつ、どこで、誰に教わったのですか?」
と、立ち上がって私に詰め寄ってくる。
すると、メアリがスッと間に割って入り
「男爵、落ち着いてください。距離が近過ぎます」
と、声をかける。
身分が上の侯爵夫人であるメアリに嗜められて、ハッとなったロベール先生が、ヨロヨロと後ずさる。
「ロベール先生、どうぞお座りになって」
と、私が声をかけると、ロベール先生が私の向かいの席に座る。
「姫殿下、失礼しました。驚きのあまり失礼な行動をとってしまいました。どうにも研究畑にいる人間は、夢中になると周囲が目に入らなくなる傾向がありまして、本当に申し訳ありませんでした」
さっきまで青ざめていたロベール先生が、今度は赤くなって一生懸命に謝っているので、私は可笑しくなって思わず笑ってしまう。
「ふふふ、ロベール先生が落ち着いてくださったのなら、それで良いのですよ」
「姫殿下の計算能力は、現時点で学校で教わる範囲を充分に満たしておられます。これ以上、学ぶ必要はないでしょう」
と、真面目な顔をして、ロベール先生が言った。
「えっ? でも掛け算や割り算は?」
と尋ねると
「それは、文官や研究職を目指す者が学ぶ内容です」
と答えが返って来た。
じゃあ、公式とか覚えなくていいのか。
これは楽です。
というか、公式そのものが、この世界には無いかもしれないなぁ。
これは、ポロッと言っちゃわない様に気を付けないとね。
「姫殿下、本当にいつ、どこで、誰に学んだのですか?」
んー、前世で、学校で、学校の先生に、が答えなんだけど、
そんな事、言えないよね。
「その事に関しては、お答えできないのです。ごめんなさいね」
「あ、左様でございますか。いえ、姫殿下が優秀なのは、素晴らしい事です。
ただ、私が教える事が無くなってしまいました。という事で、私は研究に戻らせていただく事にします」
と、ロベール先生が言うと、メアリが
「ホワイエ男爵、勝手に判断してもよろしいのですか!」
と叱っている。メアリの方が年下に見えるのだけど、叱られたロベール先生は首をすくめている。
「ロベール先生は、魔法師団に所属されているのですよね。それなら私に魔法師団の事を教えていただけませんか?」
とお願いすると
「姫殿下は、魔法師に興味があるのですか?」
と質問返しをしてきたので、横で見ているメアリはイライラ、オリビアや他の側仕え達はハラハラして見ている。
「いいえ、教えていただきたいのは、魔法師団の事です。組織の成り立ちや仕組みなど、私が王女として知っておくべき事です。いかがですか?」
「ああ、それくらいなら私にも教えられると思います。しかし、せっかく研究に戻れると思ったのですが…」
「ロベール先生は、上から命じられてここに来られたのでしょう? たった一回で、しかもこんなに早い時間に戻って、私に勉強の必要がないなどと報告しては、手抜きしたと勘違いされますよ。せめて与えられた時間は、私に授業してくださいませ」
「ああ、なるほど。姫殿下が聡い方だと聞いていましたが、ここまでとは…。
わかりました。で、これからどうしましょうか」
「魔法師団の組織と仕組みを教えてくださいませ」
「かしこまりました。まず、魔法師団を束ねるトップは、師団長のゴディエル公爵閣下です。その下に、治癒部を束ねる副師団長、これは私の妻が勤めております。もう一つ、研究部を束ねる副師団長が、ヴァンサン伯爵様です」
「なるほど、治癒部と研究部に分かれているのですね」
「はい、治癒部には、治癒魔法を得意とする光、闇、水の属性を持つ者が多く在籍しております。外傷、病、薬などの得意分野ごとに班が分かれておりまして、班ごとに交代で、治療院を運営しております」
なるほど、治癒部が前世の病院の役割を果たしているのね。
「では、研究部はどうなっているの?」
「はい、研究部では、いくつかの研究室ごとに班が分かれていて、一人でひとつの研究室で一つの班という場合もあれば、何人かで一つの研究をしている研究室を複数持っている班もあります。大まかには、魔法陣、魔道具、魔法の改良などが研究されています」
「攻撃魔法は存在するのですか?」
「もちろんございます。ですが、攻撃魔法を得意とする者は、騎士団に引っ張られますから、魔法師団でちゃんとした攻撃魔法ができるのは師団長くらいでしょう」
「まぁ、そうなのですね」
魔法師団は、技術者の集まりって感じなのかな?
なんかイメージと違ったよ。
しばらく、魔法師団についての話を聞いていたが、6刻(正午)の鐘が鳴ったので、授業はお終いにする。
「本日の結果を上司に報告の上、継続するか否かの判断を仰ぎます。その結果は、後ほどお知らせいたします」
「わかりました。ロベール先生、ありがとう存じました」
「では、御前失礼いたします」
ロベール先生が部屋を出ると、メアリが大きなため息を吐いた。
「メアリ、どうしたの?」
「いえ、無事に授業が終わってホッとしただけでございます。見苦しい所をお目にかけて申し訳ございません」
「メアリ、気苦労かけてごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ…。あ、姫様は、わかっていらしたのですか?」
「もちろん。おそらくロベール先生は、もうお見えにならないと思うから、今日の事は、皆、忘れてちょうだいね」
たぶん、皆、不敬罪を気にしていたと思うけど、あれくらいで目くじらを立てる必要はないでしょう。
聞きたかった情報は、バッチリ、ゲットしたからね!
午後の授業は7刻の鐘(午後2時)からだから、ゆっくりと昼食を取れる。前世の詰め込み授業に比べると夢のようだわ。実は、午後の歴史の授業はこの世界の事を知ることができるので、楽しみだったりする。
私の勉強が始まってからは、昼食を各自の都合に合わせて、各自の部屋で摂る事になっている。今までは、私に合わせてくれていたらしい。
昼食を終えると、メアリが封筒を持って来た。
「姫様、王太后殿下からお手紙でございます」
渡された封筒を開いてみると、お茶会の招待状が入っていた。
「メアリ、一週間後にお祖母様の離宮でお茶会があるわ。その時に、私の側仕えに良さそうな子を紹介すると書いてあるの」
「姫様、王太后殿下は、王宮に仕える側仕えの教育を全て一手に引き受けておられます。私達も皆、王太后殿下の下で教育を受けております」
「あら、そうなの? 知らなかったわ。お祖母様はとても優秀な方なのね。側仕えの教育がお出来になるなんて…」
「姫様がお生まれになる前のことですので、ご存知なかったと存じますが、ご自分で側近をお選びになる年齢になられましたので、お教えしたい事がございます」
「なあに、メアリ? 改まって…」
メアリが真剣な顔になって話し出す。
「姫様がお生まれになる一年前ですから、もう八年も前の事でございます。姫様のお祖父様に当たられる先代の国王陛下が、毒を盛られて亡くなられました」
「なんて事!」
「病死という事で公表されておりますが、国の中枢にいる者は、皆、承知しております。それ以来、王太后殿下は身近に置く者に対して、非常に気を配られる様になられました。そして、現在、王宮の側仕えの教育を引き受けておられるのです」
「犯人は、捕まったのですか?」
「いいえ、行方不明になった側仕えが一人おりましたので、その者が関係しているのだろう、と言われておりますが、真相はわかっておりません」
「だから、なおさら、という事なのね」
「左様でございます。表立って口に出す必要はございませんが、お知りいただいた方がよろしいかと存じました」
「分かったわ。メアリ、ありがとう。それで、お茶会の時は、どうすれば良いのかしら?」
「オデットとイザベルの結婚が近づいておりますので、最低でも二名は選んでいただきたく存じます。できれば、学校でお側に仕える者が三名はいた方がよろしいかと存じます。まずは、お茶会に参加して、会ってみてくださいませ」
「分かりました。では、お祖母様に、お茶会に参加します、とお返事を書きますからお手紙の準備をお願いしますね」
意外な過去が明らかになりました。
かと言って、アデルにできる事はなさそうです。
次は、午後の授業の様子からです。




