第62章 静かな館
長期出張から戻って間もなく、ハルディンお義兄様は、男爵位を授かって宮廷貴族となった。
領地を断ったのは、いずれ妻がデザイナーとして働くことを視野に入れて、余計な仕事を増やしたくなかったからだそうた。
ハルディンお義兄様の物事の判断基準は、全てナタリアお姉様の幸せだ。これは揺るぎがない。
その後ハルディンお義兄様はナタリアお義姉様と無事に結婚式を挙げた。
地方から優秀な人材が数人入ったことで、無理なく一月間の結婚休暇を取ることができ、隣国のゴーリアン帝国へのハネムーンに出かけて行った。
最先端のファッションを実際に見てみたいという、ナタリアお義姉様の願いをハルディンお義兄様が叶えてあげたのだ。
前世の人生では、パリやニューヨークに憧れつつも、連れて行ってあげられなかったからだという。
幸せ一杯の二人を見送ったその日の夜、カイトン伯爵家はいつもと違ってひっそりとしていた。
カイトン伯爵家の五人兄妹は、今夜は全員が別々の場所にいる。
だから普段はにぎやかなこの屋敷が珍しく静かだった。
なんとウェンリーお義兄様とキリアお姉様はホテルで辺境伯の皆様と過ごしている。
結婚式に参列するために、ご両親とお兄様夫妻が久しぶりに王都へ来られたからだ。
そしてサリーナ様も式の後、リックス様と共にバーナード侯爵家へ向かった。
なんでも今夜は流星群が多く見られる日だということで、バーナード邸で星見をしたいと、サリーナ様からお願いしたのだ。
王都の中心部にあるカイトン伯爵家の庭園だと、空が明る過ぎて星がよく見えないからと。
バーナード侯爵家の屋敷は広大だが、王都の外れにあり、街の灯りからは遠いため、天体観測に適しているのだ。
それにしても、ずっとリックス様に塩対応をしてきたサリーナ様の様子が近頃少し変わってきた。彼に対して少し甘えたり、怒ったりと、感情を見せるようになってきたのだ。
その様子が女の私から見ても胸キュンするほど可愛いのだから、リックス様もおそらく、あの無表情な鉄仮面の下で悶えていることだろうと思った。
先日お義母様の話を聞いたサリーナ様は、改めてリックス様の良さというか、素晴らしさを認識したのだと思う。
君が一番大切な人だと口先だけで囁いて、妻に子育てと家政と社交の責任を全て負わせて、自分は仕事と親友ばかり優先させてきた父親。
それに比べて自分の婚約者は、重要な仕事を任されているにも関わらず、それらをこなしがらも、婚約者との時間を作るために絶えず努力を続けている。
まあ、一年半前までは仕事の方にかなり比重を置いていたみたいだ。
けれど一度婚約破棄されそうになってからというもの、そこから必死に藻掻き、仲間と共にブラックな職場環境の改善に邁進している。
「はずかしがりやでテレ屋だから、キザな台詞はあまり言ってはくれないけれど、瞳や態度で私を愛してくれていることはわかるの。
決してスマートじゃないけれど、その不器用さが却って安心というか、信じられるの。私を本当に大切に思ってくれているって」
「まあ、今頃気付かれたのですか? 鈍いと言われている私でも、そんなことはずっと前からわかっていましたよ」
私がからかうと、サリーナ様は本気で驚いていた。
「えっ? ティナ様が? ちなみにいつ頃から?」
「一年以上前からですよ。私達のデビュタントのパーティーのときですわ」
「あら、それなら私だって、ティナ様がルーカスお兄様に恋しているって、あの日のうちに気付きましたよ」
「まあ!」
私達二人はクスクスと笑い合った。
リックス様の誠意がようやく実ったのねと、私は心の底から嬉しく思ったわ。
それにしても今日は朝から夜まで晴れが続きそうで本当に良かったわ。
二組のカップルが、美しい星空を眺めることができるんですもの。
そうだわ。私も夜になったらルーカス様をお庭に誘ってみようかしら、なんて思った私だった。
「見かけはまだまだ若いけど、やっぱり年なのかな。お祖父様は疲れたからもう寝るってさ」
夕食後にルーカス様がサロンにやってきてこう言った。
私が先代当主のコナール様とお会いしたのは、ウェンリーお義兄様の結婚式以来二度目だ。本当にルーカス様によく似ている。それに若々しくて本当に格好がいい。
おそらく私達二人に気を使ってくださったのよ。お義父様とお義母様も夕食後にそれぞれの部屋へサッサと戻られてしまっていたから。
お義祖父様はホランド国王の戴冠式にも招待され、というより参列して欲しいと懇願されていた。しかし、妻の命日だから参加できないと断っていた。
お義祖母様の命日なら、皆様の代わりに私が領地へ行こうかと考えていたら、ルーカス様に止められてしまった。
「命日といってもその日は月命日だから、わざわざ行かなくてもいいよ。次の命日には僕の仕事も多少暇になっていると思うから、一緒に行こう」
「月命日?」
「領地のある東の地域にあるセレモニーなんだ。祖母が亡くなったのは花の月の五日で、その日を命日と呼ぶ。そしてそれ以外の十一の月の五日が、祖母の月命日になるんだよ。
お祖父様は毎月の五日に祖母の墓参りをしている。普通そこまでする人はあまりいないと思うけどね」
「それほどお祖義母様を愛していらしたのね」
「うん。とても。
今日ね、お祖父様に言われたよ。私が若い頃にお前達のように社会の仕組みを変えられていたら、もっと妻と過ごすことができただろう。それが悔やまれるって。
僕にも愛する人ができたから、祖父のその気持ちが痛いほどわかるよ」
私はルーカス様に赤ワインの入ったグラスを手渡しながら言った。
「でも、混乱する国をまとめ、敵からの侵入を防ぐためには、全身全霊で国政に取り組まなければならなかったのでしょう?」
「そうだ。あの愚王のせいでね。
だから祖父は国に忠誠を誓いながらも王家を憎んでいる。父よりもずっと。
安寧の訪れた今、なぜ王家のための行事に参加しなければいけないんだと思ったのだろう。そんなことより、亡き妻を偲ぶ方が大切だと。
まあ、王家に対する当てつけもあったのだと思う。あと、息子に対する嫌がらせかな」
ルーカス様の意外な言葉に驚いて、私は彼の顔を凝視した。お義祖父様がなぜお義父様にそんなことをするのかわからなかったから。
父親の後を継いで立派に宰相職に就いて、粉骨砕身働いていらっしゃるというのに。
読んでくださってありがとうございました。
ようやく終わりが見えてきました。この一週間で完結できるかもしれません。
これまで、いいね!ボタンで応援してくださった皆様に励まされて頑張ってこられました。ありがとうございます。
最後まで付き合っていただけたら嬉しいです。




