第54章 並び立つ者
婚約発表のパーティーの後、私は王城内の使用人寮を出て、カイトン伯爵家でお世話になっている。
朝は伯爵家の馬車で、大概伯爵様と三兄弟のどなたかと一緒に登城している。
同居を始めた当初、交代制の仕事に就いているルーカス様とは生活のリズムが合わなかったので、以前と変わらず顔を合わせる時間がほとんどなかった。
ウェンリーお義兄様は、弟がかなり不満を抱えていることに気付いていた。そこで彼はホランド王太子に文句という名の脅しをかけたようだ。
「もし下の弟と義妹の仲がうまくいかなくなったら、父親からどんなに説得されようが、私達カイトン三兄弟は城を去りますよ」
そのおかげで、ルーカス様の休日が私と同じになり、ようやくわたし達は休日だけは一緒に過ごすせるようになった。
二人でまず最初に出かけたのは、一年近く足が遠のいていた礼拝堂だった。
忙しい中でも少しずつ作り続けていた小物を届けに行ったのだ。
しかし、そもそもの目的は街中の散策だったので、馬車ではなく徒歩で出かけた。
小物を届けるだけなら、これまでのように第二騎士団の騎士様にお願いすればよかったのだから。
ルーカス様は商品を包んだ大きな風呂敷を軽々と片手で持って、もう片方の手で私の手を繋いだ。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
生まれて初めてのことで、頭にカーッと血が上った。その手はすごく大きくてゴツゴツしていて力強かったけれど、それでいてとても優しくて……
「こんなに小さな可愛い手が、シェリル妃殿下に絶賛されるドレスや小物を作り出しているのだから、本当に不思議だよね。
この魔法の手を今は妃殿下に貸しているけれど、そもそも僕のものなのだから、僕以外の人間と繋いだら駄目だよ」
嫉妬を含んだルーカス様の言葉に私は笑ってしまったけれど、とても嬉しかった。
まさか自分の手をそんなに褒めてもらえるなんて思わなかったから。
今私は、ナタリアさんと一緒にシェリル王太子妃殿下のドレスを作っている。妃殿下に脅しにも近いお願いをされたからだった。
ホランド新国王の戴冠式用に作られた新王妃殿下のドレスは、従来の王族御用達の洋裁店によるものだった。繊細な模様入った金色の生地で仕立てられたオーソドックスな形のドレス。
シェリル妃殿下がそのドレスを試着してる姿を、依頼を受けた直後、参考までにナタリアさんと拝見させてもらっていた。
さすがは生まれながらの王女様。
堅苦しい時代錯誤も甚だしいデザインの衣装を身に着けていも、殿下は清楚で可憐、それでいて眩いほど気品に溢れていた。
あれこそが、従来の貴族達が長年渇望していた、理想の王妃の姿だろうと思った。
長いことこの国の王妃は、政略のために他国の王家から嫁いできた王女だった。
しかしその多くが大切に育てられ過ぎたのか、病弱だったり、我儘で傲慢だったりして、決して望ましい王妃ではなかった。
そのため先代から国内の高位貴族の中から妃を選ぶようになったのだが、結局その彼女もやはり臣下の望む王妃とはかけ離れていた。
ところが、ようやく今回は彼らの理想とする王妃を迎えられたと思っていたことだろう。
これまでシェリル王太子妃は、国王陛下や王太子、そしてあの王妃に対しても逆らわず、従順だったように見えたから。
しかし新国王になるホランド殿下は自分にただ従順なだけの妃など望んではいなかった。
なぜなら彼の理想としていた夫婦像は、宰相であるカイトン伯爵夫妻だったのだから。つまりアルソアお義父様とケイトお義母様だ。
妻というのは夫に付き従うのではなく、共に手を取り合って隣に立って歩んでくれる相手だった。
そして幸いなことに、妻となったのはまさしく彼が望んでいたような女性だった。
だからこそ新国王は、妻が王妃として初めて身に纏うドレスを、彼女の好みで作ってあげたかったらしい。
王太子妃時代の彼女は、前王妃の言うことに逆らわず、似合っていない伝統的なデザインの服を、不満一つ漏らさずに着用していたのだから。
しかしそのドレスが妻の好みではないことくらい、陛下にもわかっていたらしい。
婚約前からブーリアン帝国について学んでいた陛下は、彼の国の文化についても側近のウェンリー=カイトン卿から聞かされていたからだった。
さすがお義兄様!(すでにお義兄様呼びを命じられている)
しかし、シェリル妃殿下は、伝統も大切ですからと、儀式用のドレスは従来通りの店に依頼したそうだ。
ただし、その三月後に開催する自分の誕生パーティーには、好きなドレスを着させてくださいと、王太子殿下にお願いしたのだという。
とても斬新なデザインのドレスになると思うけれど、それを許して欲しいと。
もちろん、ホランド王太子殿下はすぐにそれを許可したのだ。
そして……なんと夫婦二人がかりで、ルーカス様を脅したのだ。私達の婚約披露パーティーの一週間前に。
王宮でルーカス様がそんな目にあっているとは露知らず、ナタリアさんと私は、ようやく仕上がったドレスをカイトン伯爵家に運び入れて、ホッと一息ついていたのだ。
それなのに……
結局その翌日、ルーカス様と私、そしてハルディンお義兄様とナタリアさんの四人は王宮に呼び出された。
そしてその日から四か月後に開かれるシェリル妃殿下の誕生日用のドレスの製作を依頼されたのだった。
詳しい経緯を聞くと、そもそもそのドレスを欲したのはシェリル妃殿下だった。しかし、発注者は王太子殿下なのだった。
つまり、王妃となる愛妻への最初の誕生日プレゼントとして、彼女が熱望しているドレスを贈りたいからと。
「私がわがままを言っているのは十分にわかっているの。
女性が仕事と私生活を両立させるのにどれほど苦労しているのか、私もわかっているつもりだから。同じ働く女性として」
「本当におわかりになっていますか? 侍女やメイドのいる裕福な王侯貴族とは違って、多くの家庭では家のことを全部女性が一人でしているのですよ。男同様に仕事をしていてもね。
ナタリアだけじゃなくてクリスティナ嬢もほぼ平民感覚なので、人に自分の身の回りを世話をさせられるタイプじゃないんです。たとえカイトン家で暮らしていても。
ただでさえ結婚の準備で目が回るくらい忙しいというのに、これ以上彼女達の仕事が増えたら、余計に周りの者達に気を使って、体だけではなくきっと神経もやられてしまうでしょう。
そもそも、兄上はそれを一番よく知っていますよね? 彼女達を近くで見ているのだから。
それなのになぜお二人の無茶な要望を止めなかったのですか」
謝罪するシェリル妃殿下に、ハルディンお義兄様が怒りを隠そうともしないでこう言った。
人の心を自由に操るのが得意なハルディンお義兄様は、いつも飄々としている。それなのに、あの時は素で怒っていた。
ルーカス様もそれに同調するように大きく頷いていたわ。
自分達をそこまで考えていてくれたのかと、ナタリアさんと一緒に私も感動してしまったわ。不敬罪になりそうで怯えつつも。
「本当にごめんなさい。でもね、ハルディン卿の言う通り、女性は男性と比べると何事にも負担が大きいでしょう? 特に古い価値観が蔓延っているこの国では。
だからそれを変えたいと、嫁いできてからずっと思ってきたの。自分が王妃になったら絶対に変えてみせるって。
でも長年に渡って続いてきた慣習や考え方、思い込みを変えるのって、とても難しいことだわ。気が遠くなるほど時間がかかると思うの。
きっと途中で諦めたくなったり、投げ出したくなったりすると思うの。そんな時、気持ちを奮い立たせる絶対的な物が欲しかったの。
たとえば騎士なら丈夫な剣。料理人ならよく切れる包丁、お針子なら鋭い針か鋏かしら。
私にとってそれは何かしら?と考えたの。希少価値の高い宝石かしら? そう思って手に触れてみたけれど違ったわ。素晴らしい物だとは思ったけれど、私の心を虜にはしなかった。
その後もずっと探し続けていたけれど、なかなか見つからなかった。
そんな時、私は王宮のパーティーで貴女を見つけたの、クリスティナ嬢。
この国ではまだ誰も着ていない斬新なアシンメトリーの見事なドレスを堂々と着こなしていた貴女を。
まだ幼さが残るデビュタントなのに、それはもう自信に溢れていたわ。
ルーカス卿の隣って皆が憧れる場所だけれど、実際はどんな美女だろうと隣に立てる自信なんて持てるわけないわ。だって、自分の影が薄くなりそうで、プライドが保てなくなる。だから避けたくなるの。
でも、貴女は彼に並び立っていたわ」
ち、違います、シェリル妃殿下。
私は自信満々でルーカス様の隣に立っていたわけではありません。どうしても成人として認めてもらいたくて、ただ必死だっただけです。
そもそも私とルーカス様では月とスッポンだったので、自分の影が薄くなるも何もなかったのですから。
英雄様の側にいたら、お目こぼしでどうにかならないかなぁ?なんて狡くて汚いことを考えていたのです。
ごめんなさい、ルーカス様。今さらですが。
読んでくださってありがとうございました。




