第36章 カイトン伯爵家の長男の恋 ―第三者視点―
ウェンリーの婚約者はなんとあの北の辺境伯夫人の末の娘のキリアだった。
母親同士が親友だったので、年に一、二度王都に来る度にカイトン伯爵家に滞在していた。
つまり六歳離れてはいるが幼なじみだった。偶然にもあちらも兄、兄、兄、妹という兄弟関係だった。
辺境の地を守る辺境伯の教育は特殊だったので、息子達はまだ子供だというのに、みんな筋肉隆々でまるでミニゴリラのように逞しかった。
しかし、彼らは走るのも泳ぐのも木に登るのもカイトン伯爵家の子供達には勝てなかった。見かけはまるで女の子のように美しい三兄弟に。
彼らは非常に悔しがった。そしてその度に末の妹のキリアに慰められていた。
「おにいさまたちは、おつよいですわ。きっとタイジュツやケンならば、まけませんわ」
実際は妹のいないところですでに何度も対戦して負けていたが、それは口にできなかった。
キリアはいつも自分を大切に守ってくれている兄達を尊敬し愛していた。
だから、そんな兄達を負かすカイトン家の三人の兄弟達をあまり快く思っていなかった。
まあ、カイトン家の末のサリーナのことだけは、赤ん坊の頃から実の妹のように可愛がってはいたが。
彼女は末っ子だったので、姉のような気分になれて嬉しかったのだ。
彼女の母親の辺境伯夫人もサリーナのおかげで甘えん坊の我儘娘にならずに済んだと、胸をなで下ろしていた。
北の辺境の女将軍と呼ばれていた母親は娘に対しても厳しく育てていた。しかし、それ以外の男性陣は皆キリアを溺愛して甘やかし放題だったので、母親として心配だったのだ。
「顔の良い奴には気を付けろ! 女たらしが多いからな。一生苦労するぞ。
結婚するなら逞しく勇ましい、女性を守れる男でないと許さないからな」
常日頃から三人の兄達からそう言われて育ってきたキリアは、飛び切り美しいカイトン三兄弟をいつも警戒していたのだ。
ところが、彼女は九歳の時、ある事件をきっかけに兄達の言葉は嘘だと知った。
それは北の辺境伯家とカイトン伯爵家の子供達が川で船遊びをしていたときのことだった。
上流で堰が決壊したらしく、突然川の水位が上がり、船が大きく揺れたその瞬間にキリアの体は浮き上がり、川の中に落ちてしまった。
そんな彼女を助けてくれたのは、すぐに川に飛び込んでくれたカイトン伯爵家の長男のウェンリーと、綱を投げてそれを引っ張り上げてくれた次男と三男だった。
その時彼女の三人の兄達が何をしていたのかというと、川遊びだというのに格好付けのために着ていた甲冑を、必死に外していたのだった。
そのことで、兄達は妹からの信用を失ったのだった。
「川遊びに甲冑なんて無駄な格好して、いざというときに咄嗟に動けないなんて、騎士としていかがなものかと思いますわ。
鎧は敵を前にしたときに身に着けるもので、こんな平和な娯楽の場には不要だと思いますわ」
キリアはこの事故以降、カイトン三兄弟に懐くようになった。
特に一番上のウェンリーにべったりとくっついて離れなくなった。
そしてカイトン家にやって来るたびに、頬を赤く染めて「お兄様、大好き」と抱きついてくるようになったのだ。
ツンツンしていた女の子が突然デレデレになったことにウェンリーは最初驚いたが、避けられるよりは懐かれた方が嬉しいに決まっている。
しかも実の妹のサリーナはお人形のような美しい容姿の通り、寡黙で大人しくしっかり者だった。
しかも弟達が面倒を見てしまうので、長男にはあまり手が出せなかった。
ということで、ついつい彼がキリアの世話をするというのが定着してしまった。
そして「お兄様のお嫁さんにしてね」と毎回耳元で囁やかれているうちに、自然とああこの子が自分と将来を共にする子なのだろうなと想い込んでしまった。
そして彼は十八歳のときに、まだ十二歳だったキリアに、君が十八歳になったら結婚しようね、と口にしてしまった。彼女のおねだりに負けてしまったのだ。
しかしそれは二人きりの約束のハズだったのに、その日のうちに両家の親に知られ、正式な婚約が結ばれたのだった。
しかし、二人の婚約は公にはされなかった。
それはキリアがまだ幼いということもあったが、以前から二人が仲睦まじいことで、キリアと周辺の間でいざこざが起きていたからだった。
カイトン家のパーティーでウェンリーの側から離れないキリアに対して、招待客の令嬢達が嫉妬して集団で彼女を虐めたのだ。
このことがあって、彼女が成人するまで婚約を公表しないことになったのだ。
つまり元々はキリアをご令嬢方から守るためだった。しかし、結果的には無意味な策だった。
なにせ彼女はまだ十二歳だというのに、自分に対して敵対するご令嬢方に、密かに一人ずつ勝負を挑んでは負かしていったのだから。
キリアがウェンリーと結婚したいと母親に告げたのは、彼からプロポーズされる二年ほど前の十歳のときだった。
そのときに彼女は、辺境の女将軍と呼ばれる母親スカーレットからこう言われた。
「ウェンリー様と結婚したいのなら、好き好きと言っているだけでなく、彼の妻に相応しいのは自分だと堂々と人様に言えるだけの女性になってから告白しなさい。
あの優秀なケイト様でさえ、あのカイトン伯爵家の夫人と認められるために、血を吐くような努力をされたのですよ。
あなたにその覚悟がありますか?」
と。もちろん「あります」とキリアは即答した。そしてそれ以降彼女はそれこそ厳しく母親に教え込まれたのだ。
一般教養から雑学、淑女教育、外国語、自作の詩の朗読、歌、ピアノ、剣、槍、護身術などなど。
それはとても厳しい指導であったが、それでもカイトン家に伝わる教育メソッドに比べれば緩やかなものよ、と言われたキリアは必死でそれに喰らいついた。
そのため、十二歳の頃にはすでにそんじょそこらのご令嬢とは比較にならない淑女へと成長していた。
それ故にキリアは自分に嫌がらせをしてくるご令嬢方に、彼女達が得意とする分野でわざわざ競って、ぐうの音も出ないほどやり込めてやったのだ。
その程度で私の敵になれると思っていたのかしら? 図々しいわ、とばかりに。
一切そんな挑発的な言葉など使わず、まだ幼く愛らしい笑顔を浮かべながら。
玉砕されたご令嬢方はその後立ち直るのに大分時間を要したという。
これらの話を耳にしたカイトン家はこう思った。
ウェンリーとキリアの婚約を公表したら、これよりも大きな揉め事が起きるだろうと。
ウェンリーはとにかくモテるのだ。彼自身はキリア以外に興味がないので、擦り寄ってくるご令嬢を相手にするつもりなどない。しかし、嫡男の人間関係を悪くしたくない。
つまり、キリアと関わらせて、ご令嬢方の自尊心を粉々にするのは、その家に迷惑をかけることになるので避けたい。
そのため、キリアとの婚約は秘密にすることにし、社交の場に彼女をエスコートしなくて済むようしたのだった。
これは愛し合う二人にとってはかなり辛いことだったが、辺境の女将軍に言われた言葉を思い出して耐えた。
「ウェンリー様は今後、この国の高官としてこの国を支えていかなければなりません。腹芸くらいできなければ、人と交渉などできないし、操ることはできませんよ。
キリアを傷付けたくないのなら、くだらないご令嬢方など上手く躱してください。
キリア、ウェンリー様と結婚するのなら一生女性絡みの問題がまとわりつくことを覚悟しなさい。それができないのならすぐに婚約など解消しなさい。
二人のことはまだ公表していないのだから、解消してもなんの問題もありませんよ」
こうして二人はただの幼なじみのフリをし続けることになり、キリアのデビュタントのときにも彼女のエスコートができなかった。それが本当に悔しかったウェンリーだった。
しかも彼女のすぐ上の兄がニヤつく顔をしていたのでなおさらだった。
まあ、その兄はその後のダンスのときに、妹にわざと何度も足を踏まれて涙目になっていたのだが。
読んでくださってありがとうございました!




