一話
ラムネ瓶の中にあるとき、ビー玉は「手に入りそうで入らない」神秘的な宝物だ。
だけど外に出してしまえば、それは駄菓子屋の隅で安売りされている、あるいは砂利に混じって転がっている、ただの「量産型のガラス玉」に成り下がる。
取り出した瞬間にガッカリしたはずだ。瓶の中で光を屈折させていたあの神秘的な輝きは消え、手元に残ったのは、どこにでもある曇ったガラス玉なのだから。
高校生活の一年を終え、二年になるこの日。
僕、瀬戸口湊は、いつもと変わらず通学路を歩き、校門にたどり着く。
「おはよう、瀬戸口君」
「おはよう」
明るい声の少女に、定型文の挨拶を返す。
彼女は成績優秀で人望の厚い優等生、皇凛華。
容姿端麗、運動神経抜群。欠点など存在するのかと疑問すら抱かせる完璧な少女だ。
あえて粗探しをするなら、学者になれるほどの頭脳があるわけでも、プロになれるほどスポーツに打ち込んでいるわけでもない……といったところか。
新学期早々、こんなことを考えるのは暗いだろうが、僕にとってはそれが当たり前だった。
「今年も同じクラスね」
「まあ、そうね」
2Bの教室に入ると、見慣れた顔ぶれが揃っていた。
別に仲がいいわけではない。クラスで目立っている、いわゆるスクールカーストの頂点に君臨する面々だ。
「イェーイ! 今年も同じクラスだ!」
一緒に入ってきた僕の姿など、最初から見えていないのだろうか。
明るい髪をポニーテールにした少女が、皇とハイタッチを交わす。
伊佐敷春。
いかにも今時のギャルといった風貌で、底抜けに明るい性格だ。僕との接点は、クラス行事の時に事務的な会話を数回交わした、ただそれだけだ。
「はしゃぎすぎだっての、春。ボクも同じクラスなんだけどな」
後ろから遅れて入ってきたのは、一ノ瀬愛瑠。
二次元の住人か中二病患者くらいしか使わないような「ボク」という一人称を操る少女だ。去年は違うクラスだったから、よくは知らない。
「わかってるって。愛瑠と同じクラスで嬉しいと思ってるに決まってるじゃん」
「はいはい。ボクも幸せでございますよ」
「愛瑠と春って、本当に仲がいいわね」
皇を含む彼らは、クラスの中心で、明るくて……そして、ひどくうるさい。
銀河の彼方に住む住人のような彼らに、やはり興味など持てなかった。
鞄から愛読書の『空の境界』を取り出し、ホームルームが始まるまで意識を文字の世界へ逃そうとしたところ――「彼」がやってきた。
「よぉ! おはようさん」
「岳! イエーイ! おんなじクラスだ!」
清潔感のあるイケメン、秋沢岳。
テンプレート的なラブコメ主人公。彼が現れた途端、伊佐敷が駆け寄り、ハイタッチの流れでそのまま指を絡め合う「恋人つなぎ」を披露する。
「やれやれ、あまり距離感が近いと勘違いされるって」
……これで自分に脈がないと勘違いする奴、この世にいるのか?
わざと言っているのか、それとも天然の煽りなのか。
「二人のラブコメっぷりには、もう食傷気味だね」
「じゃあ、ボクが立候補しようかな」
「何にだよ」
「ほんと、鈍いんだから」
ほんと、他所でやってくれないかな。
「何の話かな~、私を置いて抜け駆けかな?」
さらに現れたのは、身長百七十センチを超えるスラッとした美人。バスケット部の二年生エース、柊暦だ。
「じゃあ、みんな集まったところで、チーム岳活動開始!」
「オー!」
「イエーイ!」
「ファイアー!」
「レッツゴー!」
「しょっぱなから揃ってねえし」
トップカーストのリア充グループ。彼らの会話に悪意がないのは知っているし、内輪で楽しむ分には勝手にやればいいと思う。
だけど、よりにもよって僕の席の周りを溜まり場にしないで欲しい。
日照権ならぬ「静寂権」でも請求したいくらいだ。
瀬戸口湊。
髪も染めない、伸ばさない。肌も焼かない。飾り物もしない。スマホは持つが、余計なアプリは入れない。女遊びもしない。
背は百七十ちょうど。
「退屈な学生」という記号を維持し続ける、ただのガラス玉だ。




