第10話:ガラスの檻と貪欲な瞳
人間なんて、ちょろいもの。 パンをくれるし、私を崇めてくれる。 そう過信していたルナの前に現れたのは、温かなパンを差し出す手ではなく、冷たいガラスの檻と、欲望に濁った大人の瞳でした。 森の掟を忘れた妖精に、人間界の残酷な洗礼が浴びせられます。
人間なんて、チョロい。
村での「いたずら」を終えた私は、完全に調子に乗っていた。
ハイ・フェアリーに進化したことで得た万能感。透明人間のように誰にも気づかれない優越感。それが私の目を曇らせていたのだ。
村を離れ、さらに街道沿いを飛んでいた時のことだ。
道端に一台の馬車が停まっているのが見えた。
豪奢な商人風の馬車ではない。幌は薄汚れていて、どこか怪しげな雰囲気が漂っている。
「あれは何だろう? また何か面白いものがあるかな」
私は警戒心もなく、ふらりと馬車に近づいた。
御者台には、フードを目深にかぶった男が一人座って、何か手元の道具をいじっている。
私は背後から音もなく忍び寄り、男の手元を覗き込もうとした。
その時だった。
男がガバッ! と振り返った。
フードの下から覗くギラついた瞳が、正確に「私」を捉えていた。
「えっ……見えて……!?」
嘘。魔力隠蔽は完璧なはず。
思考が凍りつく一瞬の隙。それが命取りだった。
男は手に持っていた「漏斗」のような奇妙な魔道具を、私に向けた。
「『捕縛』!」
ドォォォッ! 漏斗から凄まじい吸引力が発生する。
掃除機に吸い込まれる虫のように、私の小さな体は抗う間もなく空中で錐揉み回転した。
「きゃぁぁぁぁっ!?」
羽ばたいても無駄だ。魔力の渦が体を拘束し、自由を奪う。
視界がぐるりと反転し、私は硬くて冷たい「何か」の底に叩きつけられた。
ガチンッ!
頭上で蓋が閉まる音が響く。
私は痛む体を起こし、周囲を見渡した。
透明な壁。歪んで見える景色。
ここは――ガラス瓶の中だ。
「ヒヒッ……大漁、大漁」
ガラス越しに、巨大な男の顔がヌッと現れた。
薄汚い髭、欠けた歯、そして粘着質な視線。
男は瓶を持ち上げ、太陽の光にかざした。
「こいつはすげぇや。ただの妖精じゃねぇ。『ハイ・フェアリー』か?
こんな上玉、図鑑でしか見たことねぇぞ」
男の声が瓶を通して籠もって聞こえる。
私は必死に瓶の壁を叩いた。
「出して! ここから出してよ!」
魔法を使おうと魔力を練る。しかし、指先から出た火花はシュンとすぐに消えてしまった。
この瓶、ただのガラスじゃない。魔力を遮断する『封魔の瓶』だ。
「無駄だ無駄だ。その瓶からはドラゴンだって逃げられねぇよ」
男はニタリと笑い、瓶をわざと大きく上下に振った。
「きゃっ!?」
中は大地震のような揺れだ。私はバランスを崩し、無様に転がり回った。
世界樹の葉で作ったドレスがめくれ上がり、白い肌が露わになる。
目が回る。気持ち悪い。
「へへっ、いい眺めだなぁ。その透き通るような肌、宝石みたいな瞳。……たまんねぇな」
男は瓶にへばりつくように顔を近づけ、じろじろと私を観察した。
まるで這いずり回る虫を見るような、あるいはショーケースの中の高級肉を見るような目。
その視線が私の全身を舐め回すたびに、背筋にゾワゾワとした嫌悪感が走る。
「やめて……見ないで……!」
私はスカートの裾を必死に押さえ、蹲って涙目で見返した。
屈辱だ。
さっきまで「人間はおもちゃ」だと思っていたのに。今、おもちゃにされているのは私の方だ。
「これなら闇市で金貨100枚……いや、変態貴族共にならもっと高く売れるか? それとも、俺のペットにして毎晩楽しむのも悪くねぇなぁ」
男は瓶の表面を、汚れた舌でベロリと舐め上げた。
ガラス一枚隔てているだけなのに、直接肌を舐められたようなおぞましさが私を襲う。
「ひぅっ……!」
怖い。殺されるよりも、もっと恐ろしいことが待っている気がする。
男は満足げに瓶を懐に――革鎧の内側のポケットに押し込んだ。
汗臭い体臭と、革の匂いが充満する暗闇。
ガタガタと馬車が動き出す振動が伝わってくる。
「さあて、とびっきりの『商品』を売りに行くとするか」
暗闇の中で、私は膝を抱えて震えた。
HPは満タン。でも、心はボロボロだった。
私の慢心が招いた結末。
馬車はゴトゴトと、欲望が渦巻く闇市へと進んでいく。
【現在のルナのステータス】
種族: ハイ・フェアリー Lv: 1
状態: 拘束(魔法使用不可)、恐怖、屈辱
所持品: なし(蜜壺は森の拠点に置き去り)
お読みいただき、ありがとうございます……。 あんなに神々しかったハイ・フェアリーのルナが、たった一本の『封魔の瓶』に閉じ込められてしまうなんて。 称賛の眼差しは、一瞬にして「金貨」を数える貪欲な瞳へと変わりました。 狭い瓶の中で、羽を折るようにして蹲るルナ。 彼女のプライドはズタズタになり、世界は再び色を失います。 この地獄から彼女を救い出す者は、果たして現れるのでしょうか……。




