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「とある教育ユートピアの物語」の舞台裏。「大アジア主義」的な世界観の必要性

本編には入らなかったであろう「とある教育ユートピアの物語」の要素を書いていく記事です。

どうもこんばんわ。あまり読まれない小説「とある教育ユートピアの物語」を連載してる作者による壮大なあとがきのような記事です。最近暑くて本編もあまり筆が進まないので、こういう所でコンセプトその他をとぐろ巻いてみようという話です。


「とある教育ユートピアの物語」は、東国の山奥の打ち捨てられた神社の御祭神の狸が、西洋文明を超克するために開いた大きな私塾のお話です。


なぜ、狸は「西洋文明を超克する」なんていう大風呂敷を広げるような事を考えたのでしょうか?


それは今は西洋文明がかなり曲がり角に来てると感じたからです。もしかしたら「文明の破壊」すら起こりかねない事の瀬戸際に来てるのではないか?それが狸がでっかい私塾を開こうとした動機です。


この国は、江戸時代の蘭学の時代から、科学技術などの「実学」ばかり取り入れて、キリスト教やギリシャ哲学などに由来する「人文学」を取り入れずに来ました。


いや、もっと正確に言えば、キリスト教に由来する人文学を迂回して、西洋の科学技術だけ取り入れる事が、実は天皇制イデオロギーよりも長く続く「国是」ではなかったのかと思うのです。そのキリスト教なしの科学技術というのは、征夷大将軍などの役職を与える天皇の権威よりも、より実際に武家の家制度を支えるものだと考えられた思われたのではないか?


それが家制度が会社組織になってもずっと続いてるのではないかと思うのです。


でも現代は、資本主義の限界などを含めて西洋文明は大変な曲がり角に来てるわけです。西洋が衰退して、他のアジアの地域が復活してる。大川周明が100年前に唱えた「大アジア主義」が現実のものとなろうとしてる。


そんな中、実学だけを取り入れて西洋文明にキャッチアップしていくやり方はもう限界に来てるのではないかと思うのです。技術だってとっくに他の国に追い抜かれてる。


それに国際関係のゲームのルールが、それまでの科学技術の優位から、今から20年以上前は大変胡散臭かった、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」のような、文明の対立に軸が移ろうとしてる。宗教に由来する文明の衝突での国際間のパワーバランスがそのまま利益の体系に直結するようなものになってしまってる。


そうなるならば、江戸時代の蘭学からやって来たキリスト教由来の人文学をスルーして科学技術のみ導入というモデルは完全に後手に回ってしまう。これからそれを続けようとすれば、時代の趨勢に反して、中世の中東の十字軍国家「アテネ公国」みたいな、周り全部敵に回して西洋文明を護持するみたいになりかねないわけです。


そうなっては困るのですが、現行の日本の教育制度には、「大アジア主義」的な世界観に対応した教育制度がない。東大などが、文理融合(こういう価値観がルネッサンス人的な中世教育みたいですが)コースなどを新設してますけど、教育行政というのは、社会の中枢に食い込んでますので、西洋文明の危機だからってドラスティックな改革を徹底するなぞできないわけです。


だから、文科省完全フリーハンドで、ただのいち「私塾」がやればいいのです。大学を無理にいじる必要なぞなし!


東大の文理融合コースもそうですが、文理融合というルネッサンス人的な発想が近代が崩壊しかかってますよね。中世の時代は、キリスト教でもイスラームでも教育期間が平均12-15年と長かったのです。その代わりに、当時の学者は何でもできたのです。今求められる「グローバル人材」なんてのも、中世の教育を調べると非常にそっちに近いとさえ思うわけですので。


中世は線の国境線で引かれた領域主権国家よりも、緩やかな宗教などでくくられたリージョンだったのも似てますよね。現代は多極化と言いますが。


中世の時代に「普遍論争」などと言うものがありましたが、そういった宗教的な論争がそのまま国際政治を作っていくような、そのような時代に近づいてると思うわけです。


その中で、科学技術(軍事力)で西洋にキャッチアップするしかない思考がどうやって、価値観の衝突が国際政治にダイレクトに直結するような世界に食い込んでいけるのか。


そもそも江戸時代の蘭学の時代から、そういう発想がないんですもの。だから、20世紀になっても中世の時代を「暗黒時代」とかマルクス主義唯物史観でわかった気になってたわけです。中世を想像する思考回路が日本の西洋の教育にそもそもビルドインされてない。


だからいち私塾がやるしかないんです。元々そういう思考回路がないのに付け焼き刃をする方が失敗の上塗りになりかねないのです。


今までは付け焼き刃でどうにかなったのですが、そうはならないのがこれからの時代の難しい所なのです。


何世紀もかけて国家を導く必要がありそうですが、その前に国家の寿命が来てしまいそうな所がなんで。


それが狸が「とある教育ユートピア」を運営しようと思った動機なのですよ。


「とある教育ユートピア」では、世間一般の大学や大学院よりも長めの教育期間を取ってますが、それは西洋文明の再解釈のための時間なのですよ。


西洋文明の護持ではなく、西洋文明の再解釈が次の時代のキーワードになると思ってますので。

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