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この星の人々は、魚介類を意外と食べる。海外出張を頻繁にしていた前世の日本人の感覚からすると、ポルトガル人と同じくらいだろうか。うろ覚えだけど21世紀では日本人よりポルトガル人の方が魚介類を沢山食べていたように記憶しているがそれは置き、汚染皆無の海や川や湖で獲れるこの星の魚介類は、正直言って日本より美味しい。悔しくとも、それが現実なのだ。魚に含まれるDHAが脳のニューロンを活性化させかつ保護するのはこの星でも周知されており、また俺が魚好きということも名家の人々は知っているので、名家巡りの際は子供達と絶品魚料理を楽しむのが半ば恒例になっている(ちなみに海老と貝は天風家が超絶美味な伊勢海老や蛤等々を毎回たらふく食べさせてくれる。ありがたや~)。それもあり釣果の川魚以外でシーフードを自ら進んで食べることがここ数年めっきり減っていて、というか一度もなく、そして記憶を改めて探ったところ、
「蟹を何十年も食べてないじゃん俺!」
という事実にやっと気づいたんだね。俺ってホント、抜けてるよなあ。
立ち直って話を進めると、じゃなくて話を戻すと、この星にも美味しい蟹料理はある。だが訓練直後の腹ペコ子供に適した料理かと問われたら、太鼓判を押せないのは否めない。栄養価に問題があるのではなく、お腹と背中がくっ付くほどの空腹を覚えている子供達に「苦労して殻を剥いても中身が少量しかない蟹料理」を出すのは、配慮不足な気がするんだよね。50歳目前の俺だって、イライラ不可避と思うしさ。
ちなみに名家の子供達が最も好む三大魚料理は俺の影響もあり、唐揚げ、フライ、天ぷらになっている。三つとも揚げ物だけど、戦士を目指す子供の高強度訓練を舐めてはならない。しかもあの子たちは名家の子、つまり身体能力におけるトップエリート達なのだ。地球に例えるなら、インハイ優勝を目指す高校生を遥かに凌ぐ運動量を、日々こなしているのである。その子たちの空腹絶頂時に蟹料理は、やっぱ出せないよなあ。
という訳でここ何十年も蟹を食べていないことにやっと気づいた俺は、条件反射的に小鳥姉さんに電話を掛けていた。「この星で美味しいものを食べたいなら小鳥姉さんに訊け」は、俺の本能と化しているんだね。突然の電話だったが小鳥姉さんはとても喜んでくれて、また会話もすこぶる弾んだ。その中でも最も盛り上がったのは、コレだった。
「蟹といえば、前世で上海のフランス租界に住んでいたころ、訪問した中国人の家庭で蟹に関する格言をしばしば耳にしたわ」「うわ、それ俺も上海で聞きました! でも帰国してネットで調べたら、出てこなかったんですよね」「地球のネットは知識でしか知らないけど、検索に引っかからないのは変ね・・・翔」「なんですか小鳥姉さん」「翔が上海で聞いた格言を、先に教えて」「もちろんいいですよ。『海の蟹は川の蟹に如かず。川の蟹は湖の蟹に如かず』ですね」「そうそれそれ! うわあ、懐かしいなあ」
上海に住む中国人にとって上海蟹は特別な食材らしく、中国人の友人宅で振る舞われた上海蟹の美味しさは、世界中の料理に精通した前世の小鳥姉さんをして「蟹料理の王様」と言わしめるほどだったそうだ。それに俺がイマイチ同意できなかった理由は、21世紀の水質汚染にあると考えて間違いない。最高級の上海蟹は陽澄湖産と相場が決まっているのに、陽澄湖の水質汚染は危機的レベルになっていたからだ。上海蟹は生命力が非常に強くそれが美味さの土台であると同時に、生命力が非常に強いため上海蟹は水質汚染の酷い環境でも生きながらえてしまう。よって体内に汚染物質を大量に溜め込み、それを人体が本能的に察知するから、昔ほどの美味しさを失ってしまった。おそらくこれが、真相なのだろうな。
的な話題で大いに盛り上がったのち、小鳥姉さんはサラッと言った。
「上海蟹は、岩蟹の一種。この星にも、淡水域にすむ大型の岩蟹がいるのを、翔は知ってる?」「全然知りません教えてください!」「超山脈北麓中央を水源とする大河が、その蟹の一大生息地ね。私も足を運び、湖で獲れたものを食べたことがあるの。あれはまさしく『この星における蟹の王様』だったわ」「やった、バンザ――イ!!」
かくなる理由によりこの湖をバカンス初日の宿泊地にしたというのが、一切の誤魔化しを排した真相なのでした。美雪、なんかごめんなさい。
というアレコレを、岩蟹を獲る前に洗いざらい打ち明けたところ「美味しいものを食べて翔が喜ぶなら、私も喜ぶに決まっているじゃない」と美雪に怒られてしまった。まったくもって、可愛い娘である。怒って膨らみプニプニ艶々になった美雪の頬を俺は指先でツンツンし、思う存分イチャコラした俺達だった。
前世の俺に爆弾を投げられそうなので話を戻そう。
狩猟免許は、幸い数年前に取得している。バカンス出発前に一応確認したところ、食用として個人的に楽しむなら1日3匹まで捕獲可能とのことだった。ちなみに日本では生きている蟹は「匹」で数え、食用になったら「杯」で数えていたが、この星はどちらも匹。まあ生きている蟹を今から捕獲するのだから、日本でも匹だったのだろうな。
だがこの湖の大型岩蟹には、問題点が一つだけあった。それは、旬。上海蟹の旬は雌が10月から11月、雄が12月下旬から翌年1月。1月なら今じゃんと喜ぶのは、いわゆる糠喜び。この湖は赤道から500キロ未満の位置にあり、赤道から3千キロ以上離れた上海とは、気候がまるで異なるのである。ウギャアどうしようと頭を抱えた俺はまたもや小鳥姉さんを頼り、しかし小鳥姉さんはまこと頼りになるお姉様で、快刀乱麻の人間版の如くになった。
「翔は、東南アジアのマングローブ蟹を食べたことある?」




