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この感想を俺は手放しで褒めた。冒頭の「こんなに美しい曲があるなんて想像したことすらない」という感想は、器楽曲に関する思い込みがあったら出てこない。思い込みを排除していたから、子竜達は素直にそう感じたのだ。次に褒めたのは、「美しさへの感動以外の涙も自分は流しているように思える」という自己分析の正しさだった。そして最後に褒めたのは感想の最後となる、「まったく判らなかった」の箇所。300歳の長寿に恵まれた竜族において、子竜達はまだ5歳や6歳でしかない。したがってわからないことの方が比較にならぬほど多く、それを子竜達は正しく感じ取れたから、「まったく判らなかった」になったんだね。また最後の箇所を褒めることは、前世の学校ではまず無いといえる。暗記主体の教育では「わかったこと」を褒めるが、自ら考え自ら決断し自ら行動することを主体とする教育では「懸命に考えたけど判らなかった」も、褒める対象になるのである。
では続いて、寿命までの残り年数が子竜達の次に多い世代の感想に移ろう。比較的年齢の若い親竜に分類されるこの世代も、曲の美しさを言葉を尽くして褒めていた。また感動以外の涙も含まれている気がしたとこの世代も語り、それを考察したのも同じだったが、結果は微妙に違った。なんとこの世代には、こう発言した竜がちらほらいたのだ。
『考察しているうち、亡くなった祖父母をなぜか思い出しました』
この発言に俺は強い興味を覚えたが、更に一つ上の世代の感想は興味を覚えるどころではなかった。カヴァレリア・ルスティカーナを想像したこともないほど美しい曲と思ったのも、涙を流したのも同じだったが、年長に分類される親竜達は涙の理由を解明していたのである。それは、これだった。
『あの曲を聴いていると、亡くなる間際の両親が無性に思い出されました。あの曲は、亡くなる間際の両親の心境に似ているのではないかと、私は感じました』
生命力をすべて注いで創った輝力壁で夫たる勇者を守り、勇者も闇王を見事倒して、人類を救った夫婦がこの星にはいる。その夫婦を扱った映画は無数にありどれもこれも高評価だが、カヴァレリア・ルスティカーナを主題歌にした映画の評価は抜きんでており、この星最高の映画として周知されている。その映画の中で最も涙を誘うのは、夫婦が亡くなる前後の描写。勇者の夫と勇者パーティーの一員の妻なのだから栄光の記憶など無数にあるはずなのに、二人が命尽きる寸前に思い出したのは、穏やかな幸せに包まれた何気ない日常だったのである。その日々を、竜達も思い出しつつ亡くなるというのは、至極ありそうなことに思えた。白化組織と無縁だった前世なら、こんなウマい話があるわけ無いと白眼視しただろうけどね。
鈴姉さんの講義で教わったことの一つに「空間を占める最も強い意識は、他の生物の意識に影響を及ぼす」というものがある。当時8歳でこの星の社会について無知だった俺は地球人だったころの記憶を探り、そして真っ先に思い付いたのは、育児に参加する雄猫の研究報告だった。猫の育児に関する研究は多数あり、かつてはその全てが「育児をするのは雌のみで雄は参加しない」だったのに、俺が地球を去るころは事情が変わってきた。雌と協力して育児をする育メンパパが、報告されるようになったのだ。部下の男性社員の育児休暇申請を複数受理していた前世の俺は「猫社会も新時代を迎えたか!」と驚いたものだが、それは当たらずとも遠からずだったことを鈴姉さんの講義で知った。地表という空間を占める最も強い意識である「人の意識」が、他の生物の意識つまり「猫の意識」に影響を及ぼした結果、猫にも育メンパパが現れるようになった。これが、真相だったんだね。ちなみに夫婦そろっての育児が当たり前のこの星において夫婦そろって育児しない高等哺乳類は、一つもないらしい。鳥類という例外を除き、高等哺乳類から離れれば離れるほど、妻も子もほったらかしの雄が増えていくという。鈴姉さん曰く「人と良好な関係を築く成長した意識を持つ生物ほど、人の意識の影響を受けやすい」とのこと。ヤバい、虎徹と美夜の姿がありありと浮かんできて、泣いちゃいそうなんですけど!
後で思いっきり泣くとして、話を戻そう。
この星の人々は100年毎に1億人超えの戦死者を出すことにより、人類絶滅を回避している。それゆえ戦士は尊敬され、戦士もそれに恥じない言動を心がけている。という下地があったためカヴァレリア・ルスティカーナを主題歌にした映画は空前のヒット作として人々の意識に強く刻まれ、それが竜族にも影響を及ぼした。カヴァレリア・ルスティカーナを聴く前は無影響でも、聴いた後は影響を免れなかったんだね。また影響力は意識が成長した竜ほど強く、それが年齢による感想の違いを引き起こしたのである。
すると最も影響を受けるのはあくまで竜族の話だが老竜ということになり、老竜の一頭一頭に耳を傾けたところ実際そうなっていた。そして老竜の中でも最年長の大風と慈雨の感想には、やはり最大の影響が出ていたのである。二頭はド直球に、こう述べたのだ。
『我々が元々いた場所へ、死後の自分が帰っていく光景を見ました』
あの映画では、戦死者は全員光の体となって肉体から離れ、天空に輝く白光へ帰っていった。それは現実に極めて近く、また白光を「太識」とするなら竜族にも極めて近いといえる。太識については月一で開く子竜達の講義で説明しており、大風と慈雨も母さんの助力で遠隔講義を受けていたから知っていた。しかしたとえ知っていたとしても映画と酷似していることから窺えるように、影響を最も強く受けたのはあの二頭として間違いな・・・・あれ?
「翔、気づきましたか?」「気づくのが遅すぎる自分に恥じるばかりですが、あの映画を作った監督は、実際の様子を芸術家の感性で感じ取って映像化したのでしょうか。そう仮定すると、大風と慈雨は映画に影響されて映画のシーンを見たのではなくなります。映画が『懸け橋』となり、自分達が死後体験する実際の光景を垣間見た。こちらの方が正しいと感じたのですが、どうでしょうか」「そうね、そちらの方が正しいわね」「お答えいただき、ありがとうございます」「どういたしまして。それと翔の演奏、素晴らしかったわ。言ってなかったけど私もあの曲、大好きなの」「ヨッシャ――ッッ!!」
あまりにも嬉しくて数分前の子竜達と同じく垂直ジャンプをしそうになった自分を、俺はすんでのところで止めた。母さんが「つまらない子ねえ」とのテレパシーを送ってきたのを報復の一環として完全無視し、俺は竜達に語りかけた。
「世代によって異なる感想を抱いたことが、非常に興味深かったです。それに関する講義を、短いですが開きます」「「「「やった―――ッッ!!」」」」
嬉しいことに親竜達も含めて、竜族は一頭残らず万歳してくれた。一番喜んでいるのが親竜達なのは、我が子の帰省中に講義の内容を聞いているからだろう。両親にだけは講義について話していいって、母さんが許可してくれたんだね。ひょっとすると、今の状況を見越して母さんは許可したのかな? いや見越すなら、もっと遥か未来まで見通しているはず。俺にはまだそんなの無理だけど、今できることを精一杯しよう。そう心に決め、15分間ほどの講義を俺は行った。
講義が終わった、約30分後。
場所は、俺が就寝する用のテント。
「ハープとオーボエが加わっていないことを、竜達に伝え忘れてしまった。恥ずかしさが増すけど明日の朝、『実は昨日の・・・』って打ち明けるしかないな」
寝袋の中で一人頭を抱えて、俺はそう呟いたのだった。




