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 夕食の席で聞いたところ、勇は午後の訓練をまるまる休んで名前を考えたのに、候補すら挙げられなかったという。背中を丸め肩をすぼめて落ち込む勇を俺と昇は励まし、栄養を摂らないと脳も働かないと脅して、勇に夕ご飯を半ば無理やり食べさせた。勇の状態を知っていた美雪が気を利かせてくれたのだろう、テーブルに並んでいる料理の半分は勇の好物で、それらを食べているうち勇に元気が戻ってきた。そうなれば、もうこちらのもの。俺と昇は熟練の技で場を盛り上げ、勇を前向きにした。勇も今の自分を肯定し、昼食と夕食で迷惑を掛けたことを詫びた。迷惑だなんて全然思っていないことを昇と説き、そして最後は二度目の「そういうこともあるさ」で夕食を締めたのである。

 勇も復活したし、夕食後は日課の弦楽器の練習をすべく基地型飛行車内の自室へ足を運んだ。竜達にカノンを披露する前は自室に入るや4人に分身しそれぞれのパートを練習したが、披露後はある楽器を創造してから5人に分身するようになっている。新しく加わったその楽器は、コントラバス。オーケストラの弦楽器は第一バイオリン、第二バイオリン、ビオラ、チェロ、そしてコントラバスの五つのパートに分かれ、弦五部と呼ばれている。カノンの次にお披露目予定の曲にはコントラバスのピッチカートがあるから、その練習を始めたんだね。ピッチカートとは、弦を指で弾いて音を出す技法。弓より簡単だけど味わい深い音を出すには、やはり練習が不可欠。また約半年後にお披露目する曲はピッチカートのみだが一年後に予定している曲は弓で弾くことになるため、全力でピッチカートに挑みなるべく早く習得し、弓の練習を始める計画を俺は立てていた。

 ちなみに半年後の曲は、ハープとオーボエも編成に加わる。でもその二つは今のところ、スピーカーで音を再生する事にしている。理由は、俺が手を出すのは擦弦楽器さつげんがっきのみに決めているから。だって俺の本業は、戦士だからね。それにスピーカーでの再生を受容すれば、お披露目可能な曲が格段に増える。弦五部が30人いれば有名なクラシック曲の半数以上を演奏できるし、よって30人を当面の目標に俺はしていた。そうは言っても前世なら、分身で30人に分かれてそれぞれ個別に楽器を奏でるなんて、まるっきりおとぎ話だけどさ。

 という訳で5人目の俺ではなく大本の俺が、コントラバスのピッチカートの練習を始めた。楽器の感触を最初に覚えさせるのは持って生まれた肉体が断然良いと、判断したのである。それは見事当たり、コントラバスの重低音が体に直接響いて非常に心地よかった。前世の行きつけのバーが稀にジャズの生演奏を聴かせてくれて、ジャズにはコントラバスのピッチカートが欠かせない。海外出張では和製英語に悩まされることが多くウッドベースも和製英語で使いたくないという個人の見解はさて置き、ジャズの生演奏でコントラバスのピッチカートを沢山聴いたのが今生で役に立ってくれた。味わい深い音を、比較的早く出せるようになったんだね。時間も丁度良いし、明日からは弓の練習も始めようそうしよう! という前向きな気持ちに包まれ、俺は日課の弦楽器の練習を終えた。

 そのことに、罪悪感を覚えるとはまさか思わなかった。三種の弦楽器を乾拭きしてケースに仕舞い部屋を出ようとする俺に、美雪が教えてくれたのである。勇は夕食後もバイオリンの名前を考え続けたが就寝時間15分前の現在も、たった一つの候補すら挙げられていないことを。

 俺は部屋を飛び出た。子供に名前を付けることは、責任重大な仕事といえる。それを理解しているつもりだったが、つもりでしかなかった。重責に苦しむ親友を、こうして放っておいてしまったからだ。俺は胸中大声で勇に詫びつつ飛行車出口へ走った。が、


「翔、それは早とちりにゃ」「そうですよ翔さん、落ち着いてください」


 懐かしい声にそれを止められた。そうなのだ、一心不乱に勇のもとへ駆けて行こうとしていたのに、虎鉄と美夜に「早とちり」「落ち着いて」という制止の言葉を掛けられたんだね。虎鉄と美夜がそう言うからには足を止めて落ち着くけど、その代わり今度こそ姿を見せてくれるんだよな! とばかりに俺は渾身の輝力圧縮と身体操作で声のした方へ顔を向けたのに、


「姿くらい見せてくれたっていいじゃないか」


 やはり今回も、そこに虎鉄と美夜はいなかったのである。ただ微かに「ごめんにゃ~」「私達の力では回数制限があって」との声がして、お陰で気を取り直すことができた。その心を土台に、虎鉄と美夜の気配を改めて探ってみる。おかしい、これでも俺は宇宙創造前の次元にも行けるのに、猫達の気配の所在地を特定できなかったのだ。俺の周囲にあまねく存在しているようなそれでいて存在していないような、という感覚を、俺は知っているようなそれでいて知らないような? などと意味不明なことと格闘するのは後回しにして、虎鉄と美夜の気配があるうちに俺は報告した。


「竜族との交流が一区切りつくとき、生前の虎鉄と美夜と交わした最後の約束を果たせそうなんだ。だから虎鉄、美夜、引き続き俺を見守ってね」


 遍く了承、とでも表現すべき返答に更なる心の平安を得た俺は、勇を訪ねるのではなく就寝の準備を整えてゆく。そして今晩の会合に備えて、寝たのだった。


 約3時間半後の、午前0時半。本体の「そろそろ準備が整うようだよ」との声に促され、俺は目覚めた。今回の会合は勇と舞ちゃんの話し合いの後に予定されていたため、開始時刻が未定だった。よって準備できたら勇が俺と昇を、舞ちゃんが翼さんと奏をそれぞれ迎えに行く手はずだったのに、本体がその役を引き受けたらしい。俺を目覚めさせた声に詫びの気配はなく、ということはバイオリンの件を舞ちゃんに洩らした黒幕で最も可能性が高いのは、創造主ということになる。仮にそうなら、バイオリンの命名を勇が悩みまくったのも頷ける。だって創造主がお膳立てしたなら、勇の手に余って当然だしさ。

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