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翌日の、朝食時。
昨夜の会合の内容を、勇に報告した。舞ちゃんが喜ぶと勇も喜ぶというふうに「喜び関連だと勇は舞ちゃんと一緒になる」のに、舞ちゃんが怒ると勇は震え上がるというふうに「怒り関連だと勇は俺と一緒になる」ことを昇に指摘された勇と俺は、腹を抱えて笑った。もちろん昇も笑い転げ、報告は終始和やかムードだった。俺らが深刻になるのは滅多にないとはいえ、今日は一段と和やかだ。理由はおそらく、あのバイオリンにある。あのバイオリンと舞ちゃんが親子になったことを、勇と昇も喜んでいるんだね。勇のところだけでなく昇のところも、まだ子供がいないからさ。
ただそれとは別件で、いやバイオリンが大いに関わるから完全な別件ではないのだけどややこしいので暫定的に別件で、二人に指摘されて初めて気づいた問題もあった。それはあのバイオリンを、翼さんと昇と奏および鷲達に紹介するか否かという問題だった。昇は、俺が散山脈諸島に日参していることを始めとする最低限の情報を知っているから、バイオリンを紹介しても問題は生じない。しかし翼さんと奏と鷲達は一切合切を知らず、よってあのバイオリンを紹介したら、少なくとも「創造主も絡む大掛かりな試みの一つとして俺がバイオリンの練習をしてきたこと」を、六人に話さねばならなくなる。また六人に話したら深森夫妻と霧島夫妻も必然的に加わるため、何だかんだと十人がそれを知ることになるのだ。勇と昇の二人だけだったのに舞ちゃんが知った途端、十三人になるって寸法だね。一挙に六倍以上の人数に増えることを、俺と勇と昇は危惧せずにはいられなかったのである。が、
「なあ勇」「どうした?」「舞ちゃんは、プロのバイオリニストになると思うか?」「うむ、なると思うぞ」「だよね~~」
となれば話は違ってくる。プロのバイオリニストになることが決まってからバイオリンを紹介するのは、下策中の下策と言うほかない。紹介が早ければ早いほど下の下から離れるとなれば、全員の都合が付くなり決行するのが最善なのだ。そしてその直近は、
「舞ちゃんが勇の夢を今夜訪れた、後だよな」「同意」「同意です」
ということ。そして舞ちゃんが勇の夢を今夜訪れた後にバイオリンを皆に紹介するなら、今夜準四次元で緊急会合を開くことを可及的速やかに伝えねばならず、かつ伝える前に、勇が舞ちゃんにその相談をせねばならない。「かくかくしかじかの理由により俺達が会ったあと、バイオリンを皆に紹介しようと思うのだけどどうかな?」的な相談だね。加えてその相談時に注意せねばならぬのは、俺たち三人が予想した舞ちゃんの未来を伏せること。プロのバイオリニストになる未来を伏せた方が、舞ちゃんがプロのバイオリニストになる確率は上がると俺らは判断したのである。また舞ちゃんへの相談ほどの迅速性は無くとも、
バイオリンの名前の考察
も勇は始めなければならない。時間を掛ければ掛けるほど良い名前になるなんて、決して思わない。しかし、時間を掛けて懸命に考える勇の姿が舞ちゃんを上機嫌にするのも、また事実なのである。母親って、そういうものだからさ。
とはいうものの、名づけには直感が極めて重要なのも事実といえる。前世の同僚に、出産予定日の迫った次男の名前をどうしても決められない奴がいた。長男はすぐ閃いたため高を括っていたが、次男は一向に思い付けない。インターネットのない時代だったので名づけの本を複数購入し熱心に読んでも候補すら挙げられず、次男誕生の日をとうとう迎えた。頭脳の優秀さを誇りにしている奴だったため傷心して病院へ行き、妻のいる病室の前に着いた。そして入院患者の名前を確認すべく視線を上げた瞬間、次男の名前が頭にポンと浮かんだそうだ。正確には浮かんだというより、妻の名前の下に書かれた次男の名前を心の目で読んだらしいのである。これと似た体験談を幾つか聞いたこともあり、名前をどうしても決められない父親にこの話をして「そういうこともあるさ」と結ぶことを、前世の俺はしばしばしていた。
その「そういうこともあるさ」を、勇に二度使うことになるとは思わなかった。この基地では昼食を各々摂ることにしているが、勇に昼食時の相談を請われたため訓練場を訪ねた。するとテーブルの席に座る、腕を組み眉間に皺を寄せている勇が目に映った。俺とほぼ同時にやって来た昇と並んで勇の正面に座り何があったかを問うたところ、バイオリンの名前を思い付けないとのことだったのだ。
「前世の子供達は悩まなかったから今回も同じだろうと考えていたが、ぜんぜん違った。一回目の休憩で思い付けず二回目の休憩でも思い付けず、三度目は訓練を再開せず考え続けた。そしてそのまま昼食休憩がやって来たので、お前達に助けを求めたんだ」
俺は前世の体験談を話して「そういうこともあるさ」と結び、昇は自分と奏の命名の経緯を話した。そうそう昇と奏も、命名に関する逸話を持っていたんだった。二人とも誕生の数時間前に両親が同じ夢を見て、その夢をもとに名前を付けられていたんだね。勇もそれを覚えていたし、また俺の体験談もそこそこ面白かったらしく、勇は眉間に縦皺を刻むことを止めた。そしてそれ以降は、三人で囲む昼食を楽しんだ。久しぶりの昼食会だったのでバカ猿三匹にたちまちなってはしゃぎ、俺や昇はもちろん勇もバイオリンの命名問題は解決したかの如く感じていたのだけど、それは錯覚だった。その日の訓練を終えた午後6時、俺と昇は件名が「助けてくれ」になっている勇のメールを、受け取ることになったのである。




