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この超平原には、晩秋の気配がする。南半球と北半球の気候は半年違うから、戦士養成学校のある北半球は5月。俺達が超山脈合宿に初めて来たころの、超平原と思われる。あのころ俺はまだ翼さんに会っておらず、俺と舞ちゃんが夫婦になる可能性は確実に残っていた。舞ちゃんもそれを感じていて、だから超山脈合宿への意気込みは凄かった。あの頃の舞ちゃんは、俺の隣にいることが可能性を手繰り寄せる最も有効な手段と考えており、それを明確な数字として俺に示せるのが、超山脈合宿の実績だったからだ。然るに闘志を燃やして合宿に挑んだつもりだったのに、生来の控えめな性格が出て、500キロ走に挑戦しなかった。それを舞ちゃんは後悔し、そしてその後悔がほぼ無限になった瞬間が訪れた。俺が翼さんの実家を訪問すると知った夏休み終盤が、それだ。舞ちゃんは以前、それに関するこんなことを吐露した。「自分の気持ちを素直に伝える翼さんは、翔君と孤児院で寝食を六年間共にした私を、あっという間に追い抜いて行った。悔しくて、気が変になりそうだった」 その時の気持ちを基に、この超平原は創られた。正確に創造すべく舞ちゃんは心身を13歳に戻したのかは確証持てないけど、俺が翼さんの実家をのほほんと訪ねている最中の舞ちゃんの胸中を幾ばくなりとも感じる場として、13歳の舞ちゃんがいる晩秋の超平原を超える場所はおそらくない。それを裏付けるように、テレポーテーションでここに現れ背中越しに舞ちゃんの声を聞いたさい、胸の痛みに耐えられず地に膝を付いたからね。あれとは比較にならぬほどの激痛に13歳の舞ちゃんは苦しんだと思えるようになれたのは、さっきの痛みのお陰だ。よって舞ちゃんの試みは、成功したと言える。でも、副作用もあった。それは、舞ちゃんの心の耐久力が低下したことだった。今夜の舞ちゃんが既に二度泣いているのは、心の耐久力が副作用によって低下したからであり、それを舞ちゃん自身も解っているから、母さんの心遣いを蔑ろにしていると必要以上に思ってしまうのだろう。
「という事ではないかな」
己が頭部を、火を灯す蝋燭の芯にしたかの如く羞恥の炎を盛大に燃え上がらせつつ長々と説明した俺に、舞ちゃんは溜飲を幾分下げたらしい。「ありがとう翔君、気持ちが少し晴れたよ」 心を解放し偽りなくそう感じていることを伝えた舞ちゃんは、俺の知らなかった真相を含む答え合わせを始めた。
それによると昨夜10時に(この会合は深夜0時に始めたので昨夜10時に)舞ちゃんは意識投射して勇の夢を訪れ、様々なことを話し合ったという。その一つにバイオリンの件への俺と勇の推測があり、「さすが私の夫と私の幼馴染だって嬉しくなっちゃった」とのお褒めの言葉を頂戴することが出来た。お褒めの言葉より舞ちゃんが元気になったことを俺は喜んだのだけど俺のことは置き、勇との円満な話し合いを終え自分の夢に戻って来た舞ちゃんを、今度は母さんが訪ねた。俺が知らなかっただけで舞ちゃんを含む女組三人は夢で母さんと年に数度会っているらしく、しかし今回はそれに含まれないと直感した舞ちゃんは、辞を低くして来訪の理由を尋ねた。母さんは舞ちゃんの洞察力の高さを褒めたのち、問うた。「バイオリンを弾けることを隠していた翔に、なぜ激怒したのか。自分を分析してみた?」 俺はその問いを順当と感じたが、舞ちゃんは違った。というか、違い過ぎた。そう問いかけられた数秒後、舞ちゃんは床に突っ伏して号泣したそうなのである。その時のことを思い出したのだろう、俺の目の前にいる13歳の舞ちゃんは涙ぐみ、俺はたいそう困ることになった。この姿の舞ちゃんが泣いたのは、これで三度目。一度目は十全に慰めてあげられない自分に苛立ち、二度目は涙への同意を熱心に説き、そして三度目となる今は、すこぶる困ってしまったんだね。理由は舞ちゃんを、血の繋がった娘のように感じたことにある。血の繋がったという箇所のみに言及するなら、それは驚天動地の出来事とするしかない。複数の前世も含めて記憶にある限り、
「血は繋がっていなくても家族同然」
という感覚しか俺は持ったことがなかったからだ。出会った頃から勇と結婚するまでの舞ちゃんを俺は妹と感じていて、結婚以降は家族同然の幼馴染が最もしっくりきていた。仮に娘と感じただけなら四十半ばという俺の年齢がそうさせたと思えなくもないが、「血の繋がった娘」となると話が違ってくる。一体全体なにに血の繋がりを感じたのかが、俺には徹頭徹尾わからなかったのである。繰り返すけどここ数百年間、血の繋がりのある家族を、俺はただの一人も覚えていないからさ。
超絶気になるが舞ちゃんを優先し、話を戻そう。
バイオリンを弾けることを隠していた俺に、なぜ激怒したのか。母さんにそう問われた数秒後、舞ちゃんは床に突っ伏し号泣したという。その時のことを思い出し涙ぐんだ目を瞬かせつつ舞ちゃんが明かしたことは、そりゃ号泣して当然と思わせることだった。
舞ちゃんに前世の記憶が戻ったのは、俺より少し早かったという。前世を思い出した大半の子供は知能が急に高まり、その知能でこの星の社会を素早く理解した舞ちゃんは、3歳から始まった戦闘訓練を真剣にこなしたらしい。しかし順位はさほど伸びず、そこに前世の記憶が重なった結果、「今生も音楽で食べていこうかな」との想いが4歳にして既に芽生えていたそうだ。けど戦士になることもなぜか非常に気になり、だが現実として順位は遅々として上がらない。悩んだ舞ちゃんは4歳と少しから、毎日1時間をバイオリンの練習に割くことを始めたという。前世ほどの情熱はなくともやはり楽しく、孤児院のAⅠにも将来有望と太鼓判を押された4歳半の舞ちゃんは、戦士を目指しつつも将来のためにバイオリンの練習もするという二足の草鞋を履く日々を過ごしていた。




