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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
ディケル・ソロウ2
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始まりへ

 騎士に近づきながら、オレは肝心な部分を確認していないことに気がついた。自分自身で推測し、勝手にそれが事実だろうとしていること。

「ラグランティーヌの時間が止まっていないと言ったのはダーシアンなんだよな。ラグランティーヌに毒針を刺した男だろう」

「そうだ」騎士ははっきりと頷く。「それは間違いない」

「じゃあ、その呪印」オレはテーブルの上のリベルを指した「それもヤツなんだろう?」

 騎士はうつむく。「私は呪印のなんたるかもよく知らないんだ。ただ、バルディリ伯が人に頼んで妹のリベルに何かしているところには居合わせた。私にはそれが良からぬことだと思えた」

「顔を見なかったのか」

「遠目だったし、フードを被っていたから」

 どうもコイツはラグランティーヌのこととなると冷静さを著しく欠く。


 いずれにせよオレの中で同期することは決まった。

 後はやり方だ。つまり怪しげな橋をそろそろと渡るか、一気に駆け抜けるかということだ。

 慎重にいくべきか?

 いや。

 一気に後付けの背皮を突き抜け、ラグランティーヌに到達するべきだ。


「よし、やろう」オレはリベルへと手を伸ばした。「背中は預けるぞ」

「わかった」騎士は神妙な顔つきで頷く。


 オレはリベルの表装に手を置いた。「すぐに同期する。時間はそれほどかからないはずだ」

「ああ。そう聞いている」

 誰に?ダーシアンにか。「ふん。いくぞ」

 オレはそう言いながら目を閉じた。集中して腕を派手に影化する。

 そうして待つ。


 ラグランティーヌが開くのを?

 いいや違う。

 黒幕が出てくるのを、だ。


 ダーシアンはオレとブランペルラが上陸したことなどお見通しのはずだ。その時点でオレに同期させたいリベル・ラグランティーヌでない方は、同じ場所にとどめておかない方がヤツには都合がいいはずだ。聖歌隊の椅子がある場所だったか、そこにはアンメルルだけを残して、自分はブランペルラに見つからないようにするだろう。

 ヤツがオレを誘い出した理由はリベル・ラグランティーヌにこそある。とすればこちらを窺いに来る可能性が高い。



 だから同期はしていない。そのはずだったのだが……

 リベルの方がオレを掴んだ。


 呪印にそんな力があるとは思いもよらなかった。

 オレは何とか踏みとどまろうとした。影化を解除し、リベルから手を離そうと必死になった。

 そしてその途中で気がついた。オレが触れているものが呪印ではなく、プルディエールあるいはラグランティーヌだということに。

 オレの一瞬の戸惑いを見逃さず、彼女はオレの意識を飲み込んだ。

 オレは彼女の主観的過去を追体験することになるのか?

 おそらくそうだろう……夢に入り込むオレはすぐにディケル・ソロウであることを忘れてしまうのだ。





 わたしの幼馴染の少女が成長して結婚し、そして彼女の中に新たな命が宿った。

 わたしは彼女を愛しているが、その子の親にはなれなかった。わたしでは不可能なのだ。まず身分が違いすぎた。

 彼女もわたしを愛してくれていると信じていたのだが、彼女は王族だ。わたしは彼女たちに仕える者の中でも末端に近い。王族は神に連なる者。わたしは神の子の下僕にすぎない。

 そして生物学的にわたしと彼女では子をなせない。わたしも彼女も女だからだ。

 

 わたしたちは多くの時間を共に過ごしたのだが、彼女のわたしへの愛は、もしかするとわたしの想いとは少し違うものなのかもしれないと。


 愛しきケイハ。エールフト公に嫁いだ後もこうして会えるのはわたしが女だからなのか。


 だからわたしは願った。彼女と一つになりたいと。肉体的にではなく、概念的にでもなく、もっと根源的なところで。

 なにものかの影であるこの世界ではなく、影を創り出している光のなかで。あるいは光に照らされているなにものかのなかで。


 幸いなことにわたしには先達がいた。この世界、存在、そして意識について考察し、己の手足によらず存在に干渉し影響を与える術を編み出そうとしている哲人たちが。

 わたしは彼らに師事し、意思の力というもので物質、それと存在をそれ成らしめているものを分離することを可能にした。

 次に物質同士を部分的に組み替えようとしたが、それは不可能だった。少なくともいまのところは。

 人間は影にすることすら叶わなかった。

 しかし死体は別だった。死体は影にできるのだ。そして実験を続けているうちに部分的交換もできることも判明した。これは損傷した臓器が移動していることにより実証された。

 人体よりもっと単純な物質においてそれが不可能だったのは、単に選定が間違っていたのだ。存在の意味的に同種の者同士でなければならなかったのだ。

 さらに小さな欠片は、多くを占める部分の意味に存在として引っ張られることもわかった。男の死体の腕を女の死体に混ぜたところ、見た目は女の腕になった。おそらくこれにはわたしの意思が関わっていると思われる。変化を促すのは意思であり、死体には意思どころか意識もないのだから。つまり生者を影化できないのは、そこに意識という外からの意思の干渉を拒絶する力があったからだと考えることもできるということだ。意識は意思の力の前段階のようなもので、物質と意味を一つの存在として不可分のものにしている、あるいは少なくとも分離しないことで生まれる力であり、二つの結びつきを強化する役割があるのだろう。


 結局のところ、わたしの願望は叶わないということだ。生きた人間が一つに溶け合うことはない。お互いの意識、生きていることそのものが独立性を守っている。


 わたしは失望したが、その頃にはもう彼女の隣にいるだけでいいのだと思うようにしていた。長年の研鑽は、わたしをしてわたしの感情を支配することを可能ならしめた。あの時までは……



 ある日、彼女はわたしを城下へと誘った。腹部も目立ってきたというのに活動的なのは相変わらずだった。

「むしろ運動することが大切なのよ。お産が軽くなるってお医者さまが。わたしはね、子を産んで死ぬつもりなんてないわ。この子が一人前になるまで見届けるつもりよ」そう言って彼女は愛おしそうに自分の腹部をさすった。

 わたしは穏やかな心持ちでその仕草を眺めた。その時分、わたしの気分は落ち着いていた。

 そうして彼女を見ていると、お腹の子が自分と彼女の子であるかのような気持ちになった。

 思えば、それがわたしの幸福の頂だったのかもしれない。

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