庭園
それは突然の出来事で、その場にいたにも関わらず、わたし自身何が起こったのかわからなかった。馬を制御できなくなった荷車が突っ込んできたのだと後で理解した。
わたしは奇跡的に軽傷で済んだ。
しかし彼女は頭から血を流していた。
さらに腹部も馬具によってか裂傷を負っていた。
わたしは即断した。秘術の使い時はいまをもって他にないと。
わたしは三つを影にし、一つにしてまた三つに戻そうとした。ただし、すべての意味を矛盾なく、肉体の部分が重複することなく再構築することは意図したが、それだけだった。記憶や人格がどのように混ざり合うのか、それは運任せ、神の領域に委ねた。
わたしは誰になったのか。わたしたちは混ざり合い、そして混ざり合ったまま分割されたのか。
このわたしは誰なのか。それをおまえに話しておこう、ディケルよ。そしておまえが背負う荷を一つ減らそう。
ディケル?ディケルとは誰だ……?馴染みのある名だ。
おまえだよ、おまえのことだ、ディケル。あれからずっとおまえを待っていたのだよ。
オレは目が覚めた気がした。が、いまだリベルの世界にいるのは間違いない。そこはどこぞの城の庭園と思しき場所。エルダーフラワーのような白い花が泡のように咲いている。
この記憶はラグランティーヌのものじゃない。そういう確信がオレにはある。オレはプルディエールを探した。オレは声に出して言う。
これが、リベルの刻が止まっていない理由なんだな。
その通り。背後でプルディエールの声がする。
おまえに昔語りをするために待っていたのだよ。
ということは……リベルじゃない方がラグランティーヌだってことなのか?オレは訊く。
そうとも言えるし、そうでないとも言える。物事はまだ曖昧なままだ。いや、曖昧だった、だな。おまえがこうして会いにきたおかげで物事の大部分は決定した。おまえがわたしを認識したことによってな……すべてではないが。
おまえの言うとおり、もう一方により多くのラグランティーヌが含まれている。外見はほとんどプルディエールだが、中身は彼女だと言えよう。おまえも薄々気づいていただろう?
そうだな……しかしオレもってことは、他にも誰か……レッティおじさんは気づいていたってことか。
そうだな、おそらく。プルディエールは答える。その割合まではわからなかっただろうが。
そうか。しかしこっちは毒が残っているだろう?時間が止まるから命に別状はないってことだと思うんだが……大丈夫なのか?
心配には及ばんよ。肉体の中でも精神を司る脳の速度は別物だ。毒が回るほどの身体速度ではないよ。プルディエールは言う。
呪印のせいで時間が止まってないんだと思ったよ。オレは言った。
呪印?そんなものにリベルをどうこうする力などないよ。背皮になら効果があるかもしれんがね。それでも直接力を行使できるわけではないのさ。背皮を騙すだけだ。過剰な反応を引き出し、宿主を害するように仕向ける。プルディエールの口調は侮蔑を含んでいる。
なんなら少し研究してみるといい。リベルや背皮の力の流れ、それらと世界の境界線というものを知れるだろう。
そうか。やってみよう。オレは頷く。
それにこうしておまえに会えたのだから、もう寿命を気にすることもない。プルディエールが言う。
どういうことだ?オレは訊いた。
ラグランティーヌとプルディエールの二人が融合し分離したとき、二人分の残りの寿命はほとんど向こうに置いてきたのだ。つまり向こうはまだまだ生きるだろうが、わたしはもうすぐ死ぬ。そう言うプルディエールの声にはどこか安堵の響きがある。
プルディエールは、いやプルディエールの比率が多いと感じるこの人物は、どうやらここで死ぬつもりらしい。歳経りた自分をこちらに押し込め、肉体的な若さを解き放ったのだ。
さて、最後にわたしは誰なのかという話だが、それはわたしにもわからない。そう言うプルディエールは寂しげに微笑したような気がする。わたしはある日突然生まれた。物心がついたという意味ではないぞ。ある人生に突然割り込んだというのが一番しっくりする。
わたしはあの人の娘で、あの人を想っていた女の意識が大方を占めてしまった、あるいはそう思う他ない状態に陥ったキメラなのだよ。
幾つのときの話なんだ?オレは訊いた。
数えで十一、秋のことだ。プルディエールは言う。おそらくそれまでは脳が未発達で、わたしの意識を象る部分がうまくつながっていなかったのだろう。もちろんそれまでの記憶や人格も消えたわけではない。突然生じた意識にまつわる思い出はずいぶんふんわりしたものだ。しかし、意識の密度とでもいうべきものが違ったのだ。後から生じた意識の方がよりはっきりとしていたのだ。
そしてそうなった理由は脳の発達の他にもあるとわたしは考えている。
他の理由?オレはプルディエールを見つめてつぶやいた。いったい何なんだ。
わたしの生みの親が死んだのだ。プルディエールは言う。それが、曖昧だったわたしという存在をこの世界に固定することになった原因の一つだと思うのだよ。
たまにわたしは考えるのだ。わたしの母親は誰だったのかと。そしてわたし自身、誰なのかと。
わたしの中にあの人の記憶がほとんどないから、母親であるあの人はそれほど変わらなかったのかもしれない。もしかしたら混合時に死を引き受けたわたしの肉体に入っていたのかもしれないが……そう考えるといたたまれない気持ちになる。
オレは何も言えず黙ってプルディエールを見つめる。
プルディエールはフッと息を吐く。
その姿がラグランティーヌに見える。
とにかくだ、ディケル。このリベルが死んでただの背布になるとき、ラグランティーヌという存在はこの世界にはっきりと確定するだろう。外見こそプルディエールかもしれんがな。だからこそ、おまえが最良だと思う時点で、このリベルを復元しろ。わたしのことは気にするな。毒では死なんよ。単に寿命が尽きるだけだ。
わたしは長く生きた。長すぎたとは言わないが、十分だ。それにわたしの一部は彼女とともにあるし、他の多くのところにもある。
わたしには自分が確固たる一つの塊だと思えないのだよ。そもそもの始めから……




