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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
レッティアーノ・ルーヴ
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製本

 リベルの製本は、いまや佳境に入っていた。刺青背皮が表装として整えられ、裏返され、真の闇の深淵が口を開けている。そのはずだ。暗闇のままとどめおかれた部分が覆い被さっていて、区別するのは不可能だ。

 この不可視の闇がラグランティーヌだとは信じられない。この闇はアンブリストの影化とは似て非なるものだという感覚が背中を撫でる。理論的には同じもののはずだ。しかしアンブリストの影の縁はチラチラと瞬くのに対し、これはすべてを飲み込むかのような黒だ。不安を掻き立てられる。

 その闇が徐々に小さくなっていく。煙突から立ち昇る煙のような蒸気を、その不定形な縁全体から噴出しながら。

 闇が去った部分に、失われていた床の大理石のねじれた模様が現れる。それはまるで空想の獣が残した爪痕のようだ。

 暗闇は闇の中心へと凝縮していく。それは不定形から四つの角を持つ長方形に変化して動きを止めた。

 製本作業を初めて見たわけではない。それでも毎回背筋が凍るようなもの恐ろしさを感じる。未来につなぐ希望であるはずなのだが。


 暗闇が微動だにしなくなると、プルディエール嬢はゆっくりとそれを折り畳む。畳まれたそれは、奇妙な紋様を施した革装丁の本以外のなにものでもなかった。

 この世からラグランティーヌは消えた。そして彼女はこれから先、復活の刻を待ち続けるのだ。

 プルディエール嬢は本を床に置いたまま立ち上がった。

 代わりにディケルが近づいて手を伸ばしたが、表層に触れるだけで手に取ろうとはしない。

 そこで私は思い出した。リベルとは見た目からは想像がつかないほど重いものなのだ。いずれ数人がかりで台車に乗せられ、運ばれていくのだろう。


 階段を上がる複数人の足音が響き、潜心していた私を現実へと引き戻した。

「納得のいく説明を聞けるのでしょうね?レッティアーノ神父」

 この分室の若き責任者、司書長のシエナ・ヴェルデ女史だ。知らせを受けて取るものも取り敢えず駆けつけたのだろう。外套の下はリネンの夜着で、いつもなら編み込んでいる長い藁色の髪も、うなじで括っているだけである。

 ぶしつけにならないよう私は目を伏せながら言った。「もちろんですよ。しかしながら我々も万の一つの可能性を憂慮して来たものが現実となってしまい、いささか狼狽しておりまして。なんといっても犠牲者が出てしまったことは痛恨の極みです」

「司書たちは特別閲覧室に難を逃れたようですが、警備の者があのような……」司書長は言葉をつまらせる。

「彼らの魂の安らかならんことを」

 私と司書長は暫し瞑目する。


 私の説明を一通り聞いたヴェルデ司書長は「他の関係者にも話を聞かねばなりませんが」と前置きして、「ディケル・ソロウとプルディエール・デルフト両名のフィレンツェ行きは問題ないかと思います。しかし『リベル・ラグランティーヌ』はバルディリ候が所蔵することになるでしょうね。ラグランティーヌさんはバルディリ候の保護下にあったわけですから覆すことは難しいと思います」

 私は頷いて同意を示す。それは致し方のないことだ。問題は現在のプルディエール嬢の今後についてだったわけだが、どうやら自由は保証されているようだ。彼女たちの目的は達成されたと言えよう。


 明日にでも私はディケルとプルディエール嬢を伴ってバルディリ領をあとにし、フィレンツェのビブリオテイカを目指すつもりだ。

「今晩の宿はお決まりですか?もう夜明けも近いですが」シエナ・ヴェルデが声をかけてくれた。

「少し仮眠をとれたらありがたい。あそこにいる彼もお願いする」

「ここの仮眠室をお貸ししましょう。粗末なベッドではありますが」それから彼女は白いエフェクタの装束に向き合う。「お久しぶりね、ブランペルラ。あなたはどうするおつもりなのかしら」

「そうだね。久しぶりに兄さまと寝てもいいかい?」

「おい、冗談だろ?一緒に寝ていたのはこんなにちっこかった頃の話だぞ」

「目を覚まさないなんてことになったらどうするんだ?」

「自分で起きられるに決まってるだろ」

「いい加減目を覚ませって」

「何を言っている?目なら覚めてるよ」

 そう言う私の両肩を掴んだブランペルラは強く揺さぶる。いったいどうしたというんだ?

「目を覚ませ!シノミヤ!」

「シノミヤ?何かの呪文か?」

「寝ぼけてんじゃねえ!」

 いてててて、コイツ、頬をつねりやがった!


「いてえじゃねえか、このしろあたま!」

「誰が白頭やねん。黒々しとるわ」

 目の前の目付きの悪い顔が誰なのか、すぐにはわからなかった。

 徐々に現状を思い出す。

「あー、頭ぐらぐらする。リベルでもないのに。ってリベルだっけ?」

「血を介したからやな。思てる以上に深く入り込んでもたんや。なかなか目え覚まさへんし、あせったで」

 エトは自分の置かれた状態をようやく把握できた。仰向けに寝ている。あのえげつない針はとうに抜かれていて、両手には包帯が巻かれていた。

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