リベル・リーダー
応接間に戻った日和田は、結局自分で読取機、リベル・リーダーを取り出した。ダイヤルで解錠する必要があったからだ。譲り受けたときは革のトランクに入っていたのだが、防犯と耐衝撃性が気になってダイヤル錠と緩衝材付きのジュラルミンケースに換えた。
「なんだ、結局は機械かね。しかもまた、えらく年季の入った機材だ」
古書商は露骨に呆れてみせるが、どこか訝しげな様子でもある。本物相手の鑑定をどこまで引っ張るのかという苛立ちと、もしかしたらという不安がない交ぜになっているのか。
日和田の方は古書商の横やりに内心げんなりしつつも面には出さず、黙々と機材を取り出し、並べていく。
彼が取り出したのは、八インチタブレットが二つ三つ重なっているような真鍮製筐体の一辺に出力ソケットが一つという、確かに年代物のリーダーだ。最新のリーダーはこの四分の一以下に小型化されている。
続けてギターシールドに似たケーブルを一本、それにこれだけは新調したゴーグルをテーブルの上に置く。
いわゆるVRゴーグルに酷似しているが、映像を映すものではなく可視光やそれに近い波長の電磁波による通信のためのものだ。
意味の波長というものを神経細胞の励起パターンへと変換するのに最も適しているのは、少なくとも現在のところ、人間の感覚器で唯一、外界の電磁波を受信し解読できる視覚系であるといえよう。
以前は、振動という意味では近似である聴覚系が用いられていたが、技術の進歩によって、より多くの情報を伝達できる視覚系へと切り替えられていった。
日和田のリーダーは旧式なため、聴覚系に対応しており、そのままではゴーグルを使えず、アダプターが必要になる。アダプターもアスワドから譲り受けたものだが、最新のインターフェースにはそれを使っても接続できなくなっている。背皮自体は新旧で能力差があるわけではないので問題はないが、近いうちに新しい筐体に移植しなければならなくなるだろう。
リーダーとゴーグルによる通信では、網膜、視細胞、視神経へと、可視光の波長帯に便乗して意味が伝達されている。さらには赤外線によってを受ける視細胞が付加されているとも言われているが、その点についてははっきりとした答えは出ていないのが現状だ。
視神経に乗った信号は、そこから共感覚=シナスタジアのような感覚接合を用いて五感、さらに意味の感覚へと変換される。この過程には、脳のさまざまな領域――聴覚野、運動野、視覚野、大脳基底核、小脳、扁桃体――にまたがる広いネットワークが関係している。
匂いによって想起される経験があるように、ある刺激によって活性化する神経接続の組合せから生まれる感覚、そこから発現する記憶というものがある。顕在化するのは、そういう記憶の混合より生まれるものであり、受信する情報に最も近い経験、いや、こちらも経験の断片の合成と言ったほうがいいだろう。
リーダー内部には培養器があり、そこに背布が張り付いている。仕組み自体は単純で、筐体内の背布を擬似背皮とし、対象と鑑定士の仲介をさせるのだ。
培養器上の背布は普段カバーに覆われているが、使用時にはそのカバーを外し、対象に密着させる。リーダーの背布は影化に特化した性質のもので、ほとんどの対象と同期することが可能だ。
リーダーの背布は自身を干渉する位相、というより干渉を拒否されない位相にする。そうしなければ、紙の頁はあくまで紙の頁としてしか認識されない。
リーダーを利用した読書の場合、対象物と自己が一つの環として循環しているわけではなく、直接同期ではない。対象物と背布は同期しているが、背布と自己は同期ではなく、発信された感覚情報を電気信号として受信しているにすぎず、小説を読んだり映画を観たりしているのと大差ない。
表面上は電気抵抗の変化による電流の強弱で情報をやり取りしているわけだが、これは『すべての心的現象には物質的対象物が存在する』という原則によって生じる現象であり、リーダーの場合、心的現象つまり意味の側面が原理の厳正さを担っている。要するに、電気信号をいくら調べようとも、内容を読み取ることはできないし、そこに明確且つ詳細な法則を見出だすことはできないのだ。
それぞれの側面はそれぞれの側面に存在するものによってのみ理解できるものであり、電子の流れのなかに人の心を見つけようという試みは、その方法が端から見当違いなのである。
ちなみに同期の物質的表象は微弱な電流の循環である。電源としてのバッテリーは装備されていない。なにぶん旧型なので電池である。それも角形の積層乾電池9V、正式名称006P型だ。電源コードもあるが、コンセントを借りるのは極力避けるようにしている。ごく稀に循環が外へと促され、環の形成の妨げとなる場合があるからだ。




