助手の初仕事
今回の依頼人は最近稀覯書の蒐集に興味を持ったという四十代半ばの資産家の息子で、金にあかせて手当たり次第に買い漁っているという噂だった。それだから当然価値の定かではない背布やリベル、もしくはその紛い物を掴むことになる。値の張る物品には必ず贋作が紛れ込むものだ。
先にタクシーを降りる黒いパンツスーツを着たヒソクに書類鞄を渡し、同じくスーツ姿の彼自身は、銀色に光るジュラルミンケースをぶら下げて武家屋敷のような門扉の前に立った。
神社の古い楠さながらの門柱に張りついた、黒光りする甲虫のようなインターホンで二人に応対したのは、依頼人本人だった。事情が切迫しているのか、期待値が高すぎるのか。例のエージェントの仲介なのだが、依頼を受ける際ずいぶん吹き込んだらしい。悪気もなく、可能性の最高値を最低値のように言う男なのだからさもあらん。
ブザー音とともに背の高い重厚な木の門を押したヒソクを、日和田は冷ややかに見る。「そっちじゃない、車じゃないんだから。こっちの通用口だよ」
「なるほど。人間専用の入口がついているお屋敷を見たことがなくて」
「いいか。とにかく無口な秘書の体で通せ」
「オーキードーキー」ヒソクは真面目くさった顔で敬礼する。
「おい、そこここにカメラがあるんだぞ。ふざけてると鑑定価値が下がる」言いつつ日和田は中に入る。
ヒソクもそれに続く。「上下するのは鑑定対象の価値であって鑑定そのものではないのでは」
「乱高下するのはむしろ鑑定そのものの価値なんだよ。例えば科学的根拠よりそれっぽい雰囲気の方がありがたがられたりするんだ。なんせ端から見りゃ気功よろしく本に触ってるだけなんだからな」
「だったらアレを使えばいいじゃないですか。使えるんでしょ」
「客観的に見てカッコ悪いだろ。それに今回は真贋判定のみという話だからな。白か黒か、だ。いいからとにかく黙ってろ、黙っていたら、それなりに見えるから」
「ふうん。愛人連れてきたって思われませんかね」
日和田は苛立ちを抑えて言う。「そう思われたっていいんだよ。事実じゃないし、鑑定価値には関係ない」
アプローチに沿って植え込みを回ると玄関に男が立っているのが見えた。依頼人だろう。日和田は軽く会釈した。もみあげに白いものが目立つ。常に気が急いている人間という印象だ。
男はヒソクを一瞥したが、その表情は意図的に抑えられているようだった。カメラの映像で確認していたからこその反応だ。初見の人間はほとんど皆驚きを隠せない。眉、それに睫毛まで白いのは、日本においては珍しいからだろうと日和田は思っているが、理由は人それぞれかもしれない。
挨拶もそこそこに踵を返し、長い廊下を突き進む依頼人に急ぎ足で追いついた日和田は、肩をすくめるヒソクと顔を見合わせる。いくらなんでもせっかち過ぎるだろう。
日和田と依頼人は通された応接間のガラステーブルを挟んで腰を落ち着けた。ヒソクはソファを断って日和田の背後に立つ。
問題の稀覯書はテーブルに広げた赤い羅紗に載っていた。聞いていた通り、背布ではなく装丁されたリベル型だった。小説の新刊より一回りほど大きい。
背布は保存液に浸かっていなければ確実に生きておらず、電子機器の基盤のようになる。それでも使用者の能力次第で多少は機能するが、断片的な記憶を読み取れる程度で、演算機能の利用は難しく、大枚をはたくほどではない。背布の価値は、そこに保存された情報、あるいは演算機能の水準で決まる。死んだ背布を手に入れて喜ぶのは物好きな一般蒐集家くらいのものだ。
記憶や演算能力を十二分に活用するには、背布の神経細胞が生きている必要がある。だからこそ現在の疑似体液保存法の確立以前は、重要なものほど人間の背中に移植していたのだと聞いている。
ただしリベルならば話は別だ。リベルには背布など比べ物にならないほど強い抗風化力とでもいうものがある。保存液に浸けておく必要がある背布と違ってーー日和田はただアンブリストの技によるとしか知らないがーーそれ単体で放置しても劣化しないのだ。ただ、リベルというものにこんなところでお目にかかれるとは考えにくいのだが……
日和田は依頼人の傍らにいる男に目をやった。この、古書商には似つかわしくない筋肉質の壮年の男が持ち込んだのだろう。古書商が真贋を知っているかはともかく、贋作である可能性は低くない。依頼人としては購入するに当たってのセカンド・オピニオンといったつもりなのだろう。放蕩息子だという話だったが、どこぞの王子さまほど無謀ではないということか。
日和田が呈示したライセンスを受け取った依頼人は「なるほど、確かにビブリオテイカだ」と呟いて古書商にも確認させた後、軽く頷いて返して寄越した。
「今回の依頼は真贋判定のみということで間違いありませんか」
依頼人はゆっくりと頷く。「間違いない」
「それはリベルとしての真贋の判定ということでよろしいですね」
「それ以外に何かあるのかね」依頼人の表情からはわずかだが不安が見てとれる。
「いえ、確認しただけです」日和田は微笑した。
横から古書商がこれ見よがしにささやく。「彼は二級だから。一級鑑定士でなければ価値鑑定はできないんだよ」
「そういうものなのか。まあ、今回はそれで十分だ」
日和田は表情を変えず、「では、鑑定の前に承諾書をお読みになって、よろしければサインを」
事前に契約書を交わしているが、鑑定対象に合わせて細部を詰めるものになっている。「時間は十分とっていただいて構いませんよ」
「ああ」依頼人はろくに目を通さないままサインした。それだけ信用されているということだろうか、あの仲介人が?
古書商は眉をひそめたが口は出さない。依頼人の性格を鑑みてのことだろう。
「では、あらためてよろしくお願いします」日和田は書物に目を落とした。




