二十八話 魔女は口角を上げる
平穏が戻ってきた日々を、魔女は謳歌していた。
朝から騒ぐ幼子も居なければ、過保護さに口煩くなるカラスも大人しい。調合や依頼された任務が捗るというものだ。今日も上機嫌で外から帰ってきた魔女だが、その様子にいつもの窓辺で羽根を休めていた自身の使い魔が、怪訝そうな様子でこちらを向いた。
『主よ、果実など持ってきてどうした』
「何を言っている?そんなもの幼子がーーー」
そこまで言って魔女はハッとしたように口を閉ざした。既に幼子は元いた城へと戻り、ここには魔女とカラスしか居ない。食事を必要としない両者にとって、山盛りに積まれた果物は不要だ。
『なんだ。主も寂しいのか?』
ニヤニヤとした笑みを浮かべながらそう言うカラスを鋭く睨みつけた魔女は、無造作に入口横へ果物を置いた後、苛立ちに大きな足音を立てながら調合室へと向かう。『おぉ、恐ろしや』と楽しげに鳴いた使い魔は、そのままどこかへ飛んで行ったようだ。隣の部屋から気配が消えたのを察知した魔女は、投げ捨てるように大釜の中へ薬草をぶち込んだ。
暫くそのまま一心不乱に調合をしていれば、突如隣の部屋から湖の魔女の気配を感じた。しかし、今日は構ってやる気分ではなく、勝手にするだろうとそのまま放置する。
「…女魔獣…」
その時だ。ポツリと呟かれた、もはや聞き慣れたその呼び名に思わず後ろを振り向けば、蔦の合間からあの幼子が顔を覗かせていた。
「……何をしている」
凝視したその姿は間違いなく幼子で。あの警戒色のような目に痛い衣服ではなく、どこから持ってきたのか村人のようなシンプルな衣装だった。
「…家出してきた」
上目遣いで見上げるようにこちらを見ていた幼子は、何処か気まずそうにそう言って視線を泳がせた。所在なさげに手を遊ばせるその姿は、元々の肩書きであるという王子とは程遠く。そこに居たのは道に迷ったかのような心細い表情をしている一匹の子ネズミのようだった。
再度大釜へと視線を向けた魔女に、後ろの幼子がたじろぐ気配を感じた。薬瓶へと慎重に薬を移しながら魔女は口を開く。
「…部屋はそのままにしてある」
ボソリと呟いた声に、幼子が「え?」と返した。驚きに言葉を漏らした幼子を振り返らず、そのまま瓶に蓋を閉め、次の瓶へと手を伸ばした。
「…好きにするが良い」と伝えた魔女の答えに、彼は暫く何も返答せず、その間三本も薬瓶を詰めたところで「ありがとうっ!女魔獣っ!」と幼子が先程とは違ういつもの明るい声でそう言った。
「…いい加減、その魔獣というのは止めろ」
「魔女と呼べ」と続けていえば、幼子は素直に「ありがとう、魔女!」と返事をして忙しなく自室へと向かったのがわかった。
全く、王子というのはなんと我儘なのだろう。世話を焼くこちらの身にもなれというものだ。そう思いながらも、魔女の口角は楽しそうに上がっていた。
「それで、どういう事か説明してくれるんだろうな湖の魔女?」
最後の薬瓶にしっかりと蓋を閉め、無造作にケースへとそれを放り投げた魔女は、しかし風を用いり傷一つなく収納しつつそう口を開いた。未だに気配が消えない同胞は、クスクスと楽しげに笑いながらゆっくりと調合室へと入ってきた。
「早くも根を上げただけですわぁ」
「この七日の間に三度程、命を狙われたというだけですのに」とまるで世間話をするかのように続けられたその言葉に、魔女が「例のやつが早くも?」と視線をそちらへ向ければ、近くにあった椅子へと腰掛けた湖の魔女は「いいえ?」と軽く肩を竦めた。
「息子を王にしたい、貪欲な母親ですわぁ」
「本当に、人間という存在は欲深く…見ていて飽きないですわねぇ」と口ではそう言いながらも見るものが見ればわかるせせら笑いに、魔女はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「だから私は、人間が嫌いなのだ」
「えぇ。存じ上げておりますわよ」
優雅に脚を組みながら、湖の魔女はそう言葉を返してゆったりと微笑んだのだった。
ーー 第一章【完】ーー




