12
「サーシャの命を狙う理由は何だ?」
現状を打開する為には、冷静にならなくちゃいけないと思った。だから相手に質問をすることで、自分の考えを巡らせる。
物事というのは、必ず原因があって結果に至るのだ。その原因を知れば、解決の糸口が見えるかも知れないのだから。
「そんなこと、知ってどうすんだよ?」
「――あんたがもしも金目当てだったとしたら……サーシャを殺すのは得策じゃねぇって、教えてやれるだろ」
「へぇ……まあ、金目当てっちゃ金目当てだがな……」
「だったら、サーシャに手を出すな。そうしたら、おっさんが貰う金額の倍を払ってやるぞ」
「――兄ちゃんに、そんなことが出来るのか?」
「俺じゃない、払うのはサーシャ自身だ。サーシャは魔国の公爵で元帥だぞ。あんたの報酬は知らないが、あいつだって自分の命が掛かっていれば、金に糸目なんか付けねぇよ。そのことをサーシャに伝える為にも、俺をあいつの所へ連れていけ」
……というのは、もちろん嘘だ。サーシャの全財産は、ここからベルムントへ行くまでの旅費が精々だろう。身代金を払える余裕なんて当然、皆無だった。
それでも一縷の望みを掛けて、俺はビショップの説得に掛かる。このおっさんの心根には、善良な部分があった。そこに訴えかけるつもりで。
しかしビショップは表情を緩めず、首を左右に振っている。
「残念だが、そいつは現実的じゃねぇな。確かに俺自身は金目当てだが、組織でやってることだ。要するに俺の一存じゃ、どうにも出来ねぇんだよ。諦めな」
「そりゃ――一体どんな組織だよ?」
「口の端に乗せることも恐ろしい組織よ。兄ちゃんも命が惜しきゃあ、知らねぇ方がいいぜ」
ビショップの口ぶりから察するに、どうも大きな組織が関わっているらしい。
サーシャは魔王軍の一部が裏でディオン軍と繋がっていると言っていた。裏切者がいるということだ。しかし考えてみれば情報の伝達は、何も裏切者だけが担うものじゃあ無い。
ビショップが人間という事は、例えばディオン国の間諜という可能性もある。それなら裏にある組織はディオン国そのもので、サーシャを助ける為におっさんを寝返らせる――ということは不可能に近いだろう。
そうでなくともおっさんが巨大な組織の末端であるなら、個人の善意を封印して歯車に徹することは、十分に考えられた。
あの時サーシャに嫌気が差して飛び出したのは事実だが――だからといって彼女の死を望んだ訳じゃあなく。だというのに俺はあいつを死へと導く罠に、まんまと嵌っちまったのだ……。
自分の迂闊さが憎らしい。悔しさで眩暈がした。
俺が口を開かなければ、必然的に室内は無言になる。ビショップのおっさんにしてみれば、俺を結界の中に留め置ければ十分な訳で、殊更会話をする必要は無いのだ。
一方俺は周囲を見回し、現状を打開するヒントが何処かに無いかと、必死で目を凝らしていた。
そんな中で目に入ったのが、相変わらずおっさんが飲んでいる酒だ。無意識のうちに俺は瓶に入った液体を酒だと認識していたが――その割に匂いが全然しなかった。
おっさんは喋らない俺を横目にして、旨そうにその液体を飲んでいる。口の端から零れた赤黒い液体を袖で拭い、ニヤリと笑っていた。
「一滴でも零すのは、勿体ねぇなぁ……」
おっさんの八重歯はやけに長く、尖っていた。それは牙と呼んでも過言では無いほどに……。
赤黒い液体と鋭い牙――この二つから連想できる魔物が、俺にも一つだけある。吸血鬼だ。
ここは魔国であり、そうした存在が居てもおかしくない世界だった。
「――なあ、ビショップのおっさん。あんたさ、さっきからずっと、何を飲んでるんだ?」
恐る恐る問いかける俺。おっさんは相変わらず、旨そうに液体を飲んでいる。
「あ? ――酒だよ。兄ちゃんにも飲ませてやりてぇが……その為には、もう一つだけ大人の階段、登って貰わなきゃならねぇなァ」
言いながら、ビショップが口の周りを舐めた。ぬめりとした赤さが、這うように動く舌によって絡め取られていく。
「それってよ、本当は血……じゃあねぇのか?」
自分で口にした言葉に、慄然とした。
ビショップが吸血鬼なら、リューネは一体何なのか……。
この男は一体何の為に、孤児院を運営しているのか……。
「これがか? 何でそう思う?」
ビショップが酒瓶を高く掲げた。半分ほどに減った赤い液体が、瓶の中でゆらゆらと揺れている。
「赤いから――それにアンタの牙だ」
「ふっ……はははッ!」
笑いながら、ビショップが長椅子に腰を下ろした。二人しかいない礼拝堂が、異様な残響音に満たされている。
「正解、血だ! わはははははッ!」
「て、テメェ、やっぱり吸血鬼かよッ!」
「ああ――……そいつは半分だけ、正解ってやつだなァ」
ビショップは後頭部を掻きながら笑いを収め、そして静かに言った。
「……俺も昔はニンゲンだった。でもな、俺ぁある時、ニンゲンに嫌気が差したんだ。それで、辞めちまったんだよ。するとどうだい、この身体には寿命もねぇし、力だってニンゲンの数倍。魔力だって魔族に匹敵するし、怖いもんナシだ。
どうだ――兄ちゃんもさ、なってみるかい?」
やっぱり、ビショップのおっさんは人間じゃあ無かった。
もしも最初から吸血鬼だと気づいていたら、俺はおっさんに対して、もっと警戒心を持っていたはずだ。
要するに、こうなったのは全部が自分のせい。
サーシャが危険な目に遭っているなら、俺には助けに行く義務がある。
――だったら話は簡単だ。テメェのケツは、テメェで拭くッ!
俺は覚悟を決めて、再び足を前に出した。結界に触れた足先が、痛みと痺れでガタガタと震えている。
「……うるせぇよ、おっさん。俺が何だか知ってるだろ? 今だって……暗黒騎士ってやつなんだぜ……これ以上……変な属性……増やして……たまるかってんだ……!」
「おいおい、無理にそこから出ようとするな――……本当に死ぬぞ?」
「ここで大人しくサーシャを見殺しにすんなら、死んだ方がマシだ」
「兄ちゃん、落ち着け、ばかじゃねぇならよ……!」
「人間ってのはなァ! ばかなんだよッ! この化け物がッ!」
さらに足を前に出す――全身を雷撃が襲った。すげぇ痛い。でも我慢だ。
「――無理すんなって、そこから出られるとでも思ってんのか?」
「出るんだよォォォッ!」
歯を食いしばり、もう一歩前へ。そして外へ出た。
身体からはプスプスと煙が上がり、鼻血まで出ている。
「――あー、あー、マジで残念だぜ。生きてそこから出たのはスゲェが……こうなったら、もう兄ちゃんも殺すしかねぇじゃねぇか……マリーン。悪ぃが、てめぇの出番だ」
「おう、まぁ――俺の方は期待通りでありがてぇぜ。なんせ暗黒騎士とは、一度やり合ってみたかったからよぉ」
さっき路上で出会った金髪のおっちゃんが、礼拝室の中へと入ってきた。右手にカトラス、左手に赤い酒の入った瓶を握って――。
なるほどね……マリーン、こいつも吸血鬼のお仲間だったのか。
俺の方は結界を抜けた代償として、目、耳、鼻から血が溢れ、口から煙が立ち上っていた。全身を蝕む痛みは、もはや筆舌に尽くしがたい。
それでも、ここを切り抜けてサーシャを助けに行く。その決意だけが俺の身体を動かしていた。
鞘から暗黒剣を抜き放ち、息を大きく吐き出して。フゥゥゥゥ――……。
「おい、ビショップのおっさん、マリーン。どけ」
「どくワケがねぇ。勇者を退けた暗黒騎士を倒したとなりゃ、俺も幹部になれるってモンだからな!」
マリーンが嬉々として酒瓶を割り、カトラスを鞘から引き抜いた。
「そうかよ――だったらテメェの不死は、今日で終わりだァ……」
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