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11


 廊下に差し込む日差しが、窓枠の細長い影を作っている。いつの間にか太陽が西へ傾いていたらしい。

 晩餐室から廊下を歩き、ぐるりと迂回した先に大きな木の扉があり、その扉を開けた先が礼拝堂だった。


 中に入ると目に飛び込んできたのは、正面通路に敷かれた赤い絨毯だ。それをしるべとするかのように、突き当りには大きな彫像が置かれている。これが女神像なのだろう。その前に膝を付き、祈りを捧げるのが俺のやるべきことだった。


 通路の左右には、木製の長椅子がずらっと前方まで並んでいる。おそらく結婚式や葬式などを、ここでやる為なのだろう。百人は余裕で入れる程の広さだった。


 少女像を見上げる位置に立って膝を床につき、両手を合わせ祈りを捧げる。この作法が正しいのかどうかは知らないが、祈りと言えば「手と手の皺を合わせて、しあわせ~」的ななやり方しか俺は知らなかった。


 目を瞑り、ゆっくり十ほど数えてから息を吐く。俺は少女像を見上げた。金メッキが半ば剥げた顔は泣いているように見えて、その佇まいはどことなく物悲しい。

 少女が実在する神だとして、自分を信じる人族と魔族が争い続ける様を見続けているとしたら、泣きたくなっても当然だと思う。


 ――ともあれ、とりあえずこんなモンか。俺は振り返って、ビショップに確認をした。


「もういいか?」


「いや、まだそこにいてくれ。改宗の儀式ってのは、それなりに時間が掛かるもんさ。暇なら自分の幸運でも祈ってな」

 

 言いながら、ビショップがニヤリと笑う。それは俺を揶揄からかっているような、初めて見せる少し嫌な笑みだった。


「儀式って……形だけじゃねぇのかよ」

 

「ああ、形だけだぜ。だからこそ、丁寧にやらねぇとな」


 ビショップの口が怪しげな弧を描く。年齢に似合わない八重歯が、奇妙な白さで光っていた。

 なんだか胸騒ぎがする。もしかして騙されているんじゃあないかと、不安が水に入れた墨のように広がっていく。


「――じゃ、祝詞をあげるぞ。お前も寿ことほげ。今日から身内になるんだからな」


 そう前置きをしてビショップは韻を踏み、歌うように祝詞を紡ぐ。といってもストラディエリア教の祝詞なんて知らないから、俺は女神像を前にもう一度膝を付き、目を瞑って手を合わせることしか出来なかった。


「祈り届かば我、かの者の代わりに応えん。されどかの者を呼ぶは誰ぞ。否、否――光輝なる漆黒の女神ストラディエリア、御名の下に従う我等を、悪しき召喚より守り給え――……」


「これが、祝詞?」


 少しだけ分かった意味を分析すれば、これは祝詞というよりは別のもののような気がした。だが、慌てる俺を他所にビショップは同じ言葉を繰り返して紡ぐ。


「祈り届かば我、かの者の代わりに応えん。されどかの者を呼ぶは誰ぞ。否、否――光輝なる漆黒の女神ストラディエリア、御名の下に従う我等を、悪しき召喚より守り給え――……」


 ビショップの声に呼応して、足元から青白い燐光が浮き上がる。それはまるで魔法陣のように、俺を中心として二重の円を構成しているのだった。


「な、何だ、これッ!?」


「――だから儀式だよ、慌てて目を開かなくてもいい。兄ちゃんに危害を加えたりしねぇ――何も心配すんな。そのまま目を閉じて、全てが終わるのを待っていなよ」


「俺には危害を加えない……?」


 足元から広がる燐光が、俺を囲むように光の壁となった。上を見れば半球形に覆われて、まるで光るかまくらの中にいるかのようだ。


 ビショップは今、「俺には危害を加えない」と言った。だったら他の者には危害を加えるってことだろうか? 

 それに祝詞の中の文言で、「悪しき召喚から守る」とか何とかって言葉が聞こえてきた。これが言葉通りの意味ならば、サーシャが俺を召喚出来ないようにしているって事だろう。

 

 ――背中に冷たい手を突っ込まれたみたいだ。ゾクリとした。


 だったら「俺に」危害を加えないってことは、裏を返せば「サーシャに」危害を加えるってことじゃねぇのか?

 

 胸騒ぎがする。ビショップが何らかの形でサーシャを狙っている――そんな気がしてきた。

 だが、確証は全く無い。全てが杞憂という可能性もある。

 というか――その可能性の方が高い。ビショップのおっさんは今も変わらず人の好さそうな笑みを浮かべているし、これがただの儀式上の祝詞なら、光だって演出に過ぎないのだろう。


 ――バチンッ!


 俺の頭上で、光が茨となって弾けた。それが何度も繰り返している。バチバチと弾け続ける光の茨を見て、たまらずビショップに声を掛けた。


「なんだ、これ? バチバチ鳴ってるし光ってるし。大丈夫なのかよ?」


「心配すんな――悪しき召喚を弾いてみせる奇蹟。こいつァ信者獲得の重要な演出だ」


 そう言われると、確かに光の円柱に囲まれた状態というのは幻想的だ。その上さらに周囲で光が弾けるなんて、自分が何かから守れているかのような有り難い錯覚に陥ってしまう。

 しかもその時だ、暗黒剣でもないのに俺の脳に直接響く声があった。光と音の共演に声まで聞こえてきたら、これはもう神託が下りたッ! くらい思っちゃう人もいるんじゃないだろうか。そうなったら、誰でも間違いなく入信するだろう。


『――イ! ――ガイ!』


 おお、すげぇ。これも演出かよ……一瞬だがそう思った。けれどその声が、銀髪の誰かさんに似ている気がして。

 

「サーシャ?」


「あ、どうした、兄ちゃん?」


「おい、おっさん――何か、サーシャが呼んでるみたいなんだけど……?」


「気のせいだろう。祈りの最中ってのはどうしてもな、近しい者の声を聞いちまうヤツが多い。ま、それこそが神の思し召しってやつよ」


「そうか、いや、そんなことは……」


『何で呼んでも来ないのよ、ガイッ!』


 ――やっぱりサーシャの声だ。思わず俺は合わせていた手を解き、床に置いてあった暗黒剣に手を掛ける。


「やっぱ、何か違うぞ――」


「おい、動くなッ! まだ儀式の最中だぞッ!」


 ビショップが鋭い声で言い、俺を睨む。余りにも突然の真剣な眼差しに、少々戸惑った。

 

「いやでも、サーシャの声が聞こえるんだよ! 行かなきゃ!」


「何かあれば、召喚されるんだろう? 兄ちゃんが動く必要はねぇはずだが?」


「そうだけど、何かのトラブルで呼べないのかも知れねぇだろ――……」


「何を馬鹿なこと……」


「馬鹿なことじゃねぇ――俺を囲んだこの光、一体何なんだよ? これがサーシャの召喚を邪魔してるんじゃねぇか!?」


『ガイ――……助けて』


 バチンと頭上で光が弾ける度に、サーシャの声が聞こえる。これでもう、俺は理解せざるを得なかった。この弾ける光はサーシャが俺を召喚する度、それを阻んでいる証なのだと。


「なあ、ビショップのおっさん、何とか言えよッ! あんた、俺には危害を加えねぇって言うけどよ――サーシャに何かしてるんじゃねぇのか!?」


「はぁ……ったく、気付いちまったか。だがな、もう遅いぞ暗黒騎士ダークナイト。今立っているそこはな、時間を掛けて、お前さんを閉じ込める為だけに作った結界だ。だから当然、サーシャ=メロウの召喚魔術は届かない。

 ――てなワケで、まあ、ゆっくりしていけや。仕事、紹介してやるのは嘘じゃねぇからよ」


「そうはいくかッ! サーシャをどうするつもりだッ!」


「――殺す。命令が出た以上、仕方あるめぇよ」


「こ、殺す!? そ、そんなのあるかよ! 俺ぁ行く! どけ、ビショップッ!」


 言いながら走ろうとして、ドンッと身体が壁状の何かにぶつかった。それが結界だということに気付くまで、半瞬ほどかかる。

 まさか半透明の結界が物理的な壁として働くとは、考えてもいなかった。そして結界に触れた身体の一部が、ビリビリと痺れてとても痛い。


「召喚魔術さえ弾く結界だ。ニンゲンなんぞを通すワケねぇだろう。強引に通り抜けようとしたら、死ぬぜ――だから大人しくしていろ。俺ァな、ガキを殺したくねぇんだ……」


「だったらサーシャだって、まだガキだろうが! おっさん、言ってることが支離滅裂だぞッ!」


「――ああ、そうだな。だから言ったろう、組織の命令にゃ逆らえねぇ。抜けたくたって、抜けられねぇんだ。だからよ、せめて救えるヤツだけでも救いてぇんだって……。

 兄ちゃんの気持ちは分かるが、サーシャ=メロウには最初から会わなかったと思って諦めな」


 今度は首を左右に振って、物悲し気に言うビショップ。そこに嘘があるようには思えなくて、俺の頭は混乱した。

 けれど今、サーシャに危機が迫っていることは明白だ。だからビショップに頷くことは、絶対に出来ないのだった。

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