◇BLOOD-01A
あぁ、また。
あの苦しい時間が来る。
私はギュッと毛布で自分を包み、ベッドの上で震えながら蹲った。
背中を覆う程の長い髪が顔にかかり邪魔だった。
目を覚ましたら昼を過ぎていた。でも大きな窓は二重のカーテンでしっかりと塞がれていたし、灯りもついていないため暗かったけど、少し安心した。
私にとって日光は毒だ。外に出たらどうなるか考えたくもない。
この部屋に住んでどれだけ経つだろう。時計はあるが、もう日数を数えるのは止めてしまった。
多分今年で19になる、と晴は思う。ならば2、3年は経つのかもしれない。
それはこの部屋から出なくなった年月でもあるのだが。
(はやく、よるになって)
太陽なんか沈めば良い。生き物全てに一番必要な物でも、自分にはもう、毒にしかならないのだから。
その時ギイッと扉の開く音がした。この部屋に入ってくる人なんて1人しかいない。
私は毛布から顔を出して、案の定、彼だった。
まるで光を集めたかのようにも見える金色の髪、焦げ茶色の瞳。
イオラス・フォンツ・アルベール。この家の主だ。
イオラスは部屋の中を見回して、ベッドにいる私を見つけて微笑んだ。
「ハル、食事を持ってきましたよ」
優しい声で話しかけてくる。でも彼は決して優しい人じゃない。
カートを押して入った後、扉を閉めた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
眠れるわけがない。最近は調子もおかしくて、イライラしたり変な事をずっと考えてたりする。多分、じりつしんけいっていうのがおかしくなってると思うんだけど。
「今日はハルの好きな物ですよ。コーンスープと潰し芋のサラダ、林檎と胡桃のパン。おやつはクシュを焼きましょうか」
ご飯、お昼過ぎだからお昼ご飯かな。うん、好きな物だ。お腹も減った。最近は食べて、寝てばかり。ダメだなぁ。
イオラスがベッドのすぐ傍まできた。私を毛布から出そうとする。けど、今はまだ私出たくない。
「ハル食べましょう。私が食べさせてあげます。他の人はいませんよ」
「や…いや、まだいらない」
「さぁ、ハル…」
優しく丁寧に話しかけるくせに、イオラスはいつも強引だ。私の話を聞いているようで、全然聞いていない。
毛布にくるまれたまま、抱き寄せられた。
口元に水の入ったコップを持ってくる。
「ほら口をあけて」
「ん、ん!」
「こぼしますよ。それとも、水は止めて血にしますか?」
「っ!」
いやだって言ってるのに、どうして!
私は飲みたくないっていつもいつもいつも!
ビクッと跳ねた身体が恨めしい。イオラスは私の嫌だを受け取ってくれない。
コップが遠ざかって代わりに、一緒に持ってきたのだろうナイフを手に取った。
あぁ嫌なのに。
いや、なのに。
イオラスは左の手首をスッと自分で切っていく。
浮き上がる赤い線に目がいく。アカイ、イロ。ふわりと香る、血の、匂い、と
「ハル、どうぞ。飲んで下さい。生きるために」
「…うぁ、はぁ…あ!」
優しく誘う声。イオラスは私に自分の血を飲ませようとする。私が血を飲まないと生きられないと知ってから、ずっと。
そして気付けば、嫌だと言っていたくせに、その血を飲んでいる私がいる。
嫌だと言いながら人の傷口にしゃぶりつく私の姿は、さぞや滑稽で愚かで浅ましい姿だろう。
「…ん…んく、ぢゅ…ちゅう…」
「…ふふ、いい子ですね、ハル」
「あ…ふぅ、んぅ…」
「ほら、こぼれてますよ」
傷口を舌先でなぞる。じわりと滲み出る雫を口内に迎え入れ、味わい、喉の奥まで流していく。
口元が血と唾液で汚れていくのが分かる。イオラスはそれを指摘しながら指で拭った。
何度経験しても「汚さずに上手く」は出来ない。やはり心は拒否しているからだろう。
血を飲み、啜り、舐めとる事に夢中だからなんて、思いたくない。
もう舌が、身体が覚えてしまったイオラスの味。熱い雫。喉の奥で広がる、命の欠片。時折甘くなる、コクの深い味。
他の人の血なんか飲んだ事ない。だからイオラスの血が美味しいかも分からない。
そんなの分からなくて良い。分かりたくない。
味の判別まで出来たら、もう完璧な化け物だ。違う、いやだ。私は化け物じゃない!
イオラスのだって本当は嫌なのに、飲みたくないのに、どうしていつも分かってくれないんだろう。どうして拒めないんだろう。
「ハル、美味しいですか?」
「ん、ふ……ぴちゃ」
「はい。もうおしまいですね」
「ぁは…はぁ…は、あ」
血を飲んだ後はしばらく動けなくなる。血を飲む行為は酷く疲れる。身体に力が入らないから、イオラスにもたれたままだ。
大きな手で頭を撫でられてる感触がする。
「いい子ですねハル。上手に出来てましたよ」
あぁ飲んだ血が、胃の辺りからじわじわと熱を帯びて拡がっていく。お腹、太もも、膝を越えて足先まで、胸に、腕を通り指、首を上がって、頬が、瞼が熱い。
涙が生成されるのがわかる。それはギリギリまで競り出して、決壊し溢れだすのだ。
「泣かないでハル。私の可愛い人。愛してます」
イオラスはそんな戯言まで言う。あり得ない、そんなこと。
だって私は血を喰う化け物だ。
なのに
「愛しています」
私に血を飲ませた後に、いつも繰り返す。自分から部屋の外に出なくなってから、今までずっと。
イオラスはこの部屋に鍵をかけない。私がここから出ないと、出ようとしないと、知っているから。
太陽の光に当たったら、どうなるのか分からないから。
だから私は、この部屋から出ない。
定期的に行われる、暗く、澱んだ、行為。
血を飲んで泣きながらも、どこか満足そうな少女と、
血を飲ませた事で満足げな、うっとりとした顔の男の、
歪んだ愛のお話。




