第9話:神殿突入と、暴走するシステム
天国の空がガラスのように割れ、赤いエラーコードの濁流が降り注ぐ中、俺とエルは『絶対神の神殿』へと向かって走っていた。
普段なら黄金の雲が優雅に流れている大理石の参道は、今やパチパチと不気味な青白い火花を散らし、激しく歪んでいる。まるで、世界そのものがバグの負荷に耐えかねて、実体を保てなくなっているかのようだった。
「ひゃあああっ! めぐるさん、あっちから巨大なエラーの塊が降ってきますぅぅ!」
「落ち着けエル! 前だけ見て走れ!」
頭上から降ってきた、真っ赤な数字の羅列が刻まれた大理石の破片を、俺はエルの首根っこを掴んで間一髪で引き剥がした。避けた地面の雲が、一瞬にして電子の塵となって消滅していく。踏み外せば、魂ごとデータ消去されかねない恐怖の戦場だ。
命からがら神殿の巨大な大門を潜り抜けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
天国の最高権力者である『絶対神』が、無数の半透明なキーボードとモニターに囲まれ、凄まじい速度で文字を打ち込んでいたのだ。仕立ての良い高級スーツは乱れ、あの立派な白髭を振り乱しながら、必死の形相でシステムを制御しようとしている。
彼の背後にある天国のコア――巨大な光の球体が、今にも破裂しそうなほど赤黒く膨張し、不気味な脈動を繰り返していた。
「絶対神様! 大丈夫ですか!?」
エルが涙目で駆け寄ろうとするが、神殿の床から突き出た赤いエラーの障壁に阻まれ、弾き飛ばされて尻もちをついた。
「来るな、エル! めぐるくん、お前もじゃ! システムの暴走が私の制御を完全に超えてしまった! 現世の人間たちの、あらゆる欲望と興味の複雑化が、天国の最古の基幹プログラムを内側から食い荒らしておるのだ!」
絶対神は叫びながらも、指の手を止めない。だが、彼がコードを一行書き換えるたびに、別のモニターが3枚同時に爆発して火花を散らした。いたちごっこ、どころではない。完全に敗北しかけていた。
「神様、無駄な抵抗はやめろ。あんたがどれだけパッチを当てても、そのシステムの根本にある『矛盾』を解決しない限り、暴走は止まらないぞ」
俺は一歩、また一歩と、エラーの火花が散る床を踏み締めながら絶対神のデスクへと近づいた。
「何を言うか! 私は天国の神の代表ぞ! 私がコードを打たねば、今すぐにでも現世のすべての概念が消え去るのじゃ!」
「だから、その傲慢さがバグを招いたんだよ」
俺はポリポリと頭を掻きながら、赤黒く光るコアを見つめた。
「あんたたちは、現世の進化を『自分たちがコントロールしている』と思い込んでいた。昔はそれでよかったんだろうさ。パズルゲームの神を作り、スマホの林檎神を作れば、世界は綺麗に回っていた。だが、現世の人間は、あんたたちの想定を遥かに超えて賢く、そして強欲になりすぎたんだ」
スマホという器を与えられた人間は、ただ連絡を取り合うだけでなく、そこに課金という欲望を詰め込み、SNSという戦場を作り、AIという模倣の怪物を生み出し、Vtuberという偽りの器に魂を宿らせ、電子マネーという実体のない数字に踊らされるようになった。
「それらはすべて、天国が作った『一つの言葉』から、人間たちが勝手に枝分かれさせて生み出した、新時代の興味だ。古いシステムは、その枝分かれしたすべてに『完璧な神様を一人ずつ配置しろ』という古いルールのまま処理しようとした。だから、キャパシティを超えてパンクしたんだよ」
俺の脳内で、これまでに解決してきた5つの事件の記憶が、まばゆい光の回路となって繋がり合う。
ゲーム、SNS、AI、バーチャル配信、電子マネー。
それらをバラバラの事件として処理しているうちは、いつまで経っても根本的な解決にはならない。
「システムが求めている『究極の神様』ってのはな、新しく生まれるトレンドを一つずつ管理する神じゃない。それらすべての『人間の欲望の連鎖』の構造を完全に理解し、バグが起きる前に先回りしてルールを書き換えられる――【天国のシステムそのものを統括する、名探偵の神】だ」
「な、名探偵の、神……!?」
絶対神の手が、初めてピタリと止まった。
「そうだ。天国の矛盾によって、平和すぎる島で80年間エネルギーを極限まで圧縮され、新品のまま戻ってきた俺の推理才能。それだけが、この暴走するシステム(難事件)の裏をかき、ハッキングできる唯一のマスターキーなんだよ」
その時、天国のコアがひときわ大きく脈動し、神殿の天井が激しく崩落し始めた。
「め、めぐるさん! 上から大きなエラーが落ちてきますぅぅ!」
エルが怯えて頭を抱える。
「エル、お前は神様選別課の天使だろ。最後の仕事だ。俺の魂のデータを、その暴走しているコアの最深部へ叩き込め!」
「ええっ!? そんなことをしたら、めぐるさんの魂が消滅しちゃうかもしれません!」
「俺を誰だと思ってるんだ。島で一番ママチャリのペダルを漕ぐのが早かった、元お巡りさんだぞ。ヤギの脱走を止める手際に比べたら、システムの暴走を止めるなんてお手の物だ」
俺は腰の警察手帳――いや、天国のバグを暴いてきた証を、エルの手元へ放り投げた。
「お前のクビを完全に繋ぎ止めてやる。やれ、エル!」
エルは涙をボロボロと流しながらも、俺の手帳を強く握り締め、火花を散らす端末へと叫んだ。
「……分かりました! めぐる先輩の命、天国のコアへ、最大出力で同期しますッ!!」
エルの指が端末の決定ボタンを叩いた瞬間、俺の身体は重力を失い、赤黒く燃え盛る天国のコアの最深部へと、猛烈な速度で吸い込まれていった。




