第0話:プロローグ・世界で最も贅沢な持ち腐れ
「……君は、見ているだけで観察していない」
かつて現世のイギリスにいた高名な探偵は、相棒にそう言ったらしい。
人間という生き物は、どんなに隠そうとしても、生前に何万時間と繰り返した『行動の癖』や『魂の足跡』を、死んで魂になっても絶対に消すことはできない。
視線の配り方。指先の微細な震え。歩くときの歩幅と警戒心。
それらを一瞬で見抜き、過去の経歴から隠された本性までを一本の論理で繋ぎ止める――そんな、シャーロック・ホームズにも勝る【百年に一人の名探偵の才能】を、俺は生まれながらに持っていた。
持っていた、はずだった。
「巡さん、今日も平和だねぇ」
「ああ、平和が一番ですよ、婆さん」
俺が配属されたのは、人口数百人、信号機は一つだけ、凶悪犯罪なんて明治時代から一件も起きていない「天国に一番近い島」だった。
職業は、地方公務員のお巡りさん。
毎日のお仕事は、島民との世間話と、たまに脱走するヤギの捕獲、中学生の自転車のサドル探し。
島が平和すぎて『探偵』という概念すら存在しなかったため、俺はそのチート級の推理才能を1ミリも開花させることなく、ただののんびりしたお巡りさんとして八十歳で大往生を遂げた。
――徳の高い綺麗な魂ほど、平和で穏やかな良い環境に生まれ変わる。
天国のシステムが定めたその美しきルールのせいで、そこに授けられた『尖った才能』が絶対に発揮されずに死んで戻ってくる。
天国の最高権力者である絶対神は、戻ってきた俺の魂を見て、大真面目に頭を抱えてこう嘆いた。
「これこそが、天国の最悪な矛盾じゃ……!」
現在、天国は空前の大パニックに陥っている。
現世の人間たちが、ゲーム、SNS、AI、バーチャル配信と、新しいものに次々と興味を持ち始めたせいで、天国の古いルールが追いつかず、いたる所で致命的なシステムバグが発生しているのだ。
神様が足りない。ルールが矛盾している。適任者がどこにもいない。
だが、みんなが勘違いしているんだ。
新しすぎる概念の裏側に隠れた「真のスペシャリスト」の正体をロジックで導き出し、この広大な天国から探し出せるのは――。
天国の矛盾によって眠ったまま戻ってきた、俺のこの脳みそだけだ。
隣で書類をぶちまけて泣いている、クビ寸前のポンコツ天使の袖を引く。
腰に携えた、天国仕様の警察手帳――いや、今や俺の『探偵の証』をポンと叩き、俺は不敵にニヤリと笑った。
「――分かりました。どうやら私の頭は、この天国のバグを解きたがっているようだ。さあ、天国で名探偵始めました」
(第0話・了)




