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第6話ー②

登場人物(※身体的性で表記)


・久米香月くめ かずき【17・男】・・・・大和まほろば高校3年2組・野球部主将

・縄手章畝なわて あきや【30・男】・・・久米香月のクラス副担任

・斎部優耳いんべ ゆさと【40・女】・・縄手章畝の婚約者


・木之本沢奈きのもと さわな【17・女】・久米香月の彼女

・葛本定茂くずもと さだしげ【17・男】・久米香月の幼馴染で野球部


・山本水癒やまもと みゆ【16・女】・野球部マネージャー


・久米香織くめ かおり【47・女】・・・・久米香月の母

・葛本義乃くずもと よしの【48・女】・・葛本定茂の母


・小槻スガルおうづく すがる【31・女】・・・・・・・・斎部優耳と同じ社内チーム

・雲梯曽我うなて そうが【25・男】・・・・・・・・・斎部優耳と同じ社内チーム


・北越智峯丸きたおち みねまる【15・男】・・・・・・・野球部1年生

・宇治頼径うじ よりみち【24・男】・・・・・・・・・・北越智のパートナー


・新口忠にのくち ただし【49・男】・・・・・・・・・・久米香月の父親

・ディアナ・カヴァース【年齢不詳・DQ】・・・・・・・・新口忠のパートナー

 翌朝の職員朝礼は、騒然たる雰囲気の中から始まった。三年二組の久米香月が行方不明であるとの情報が緊急で伝えられる。



 校長室の真ん中に据えられた、くすんだ色の応接セットには、母の香織が耐えられない不安に満ちた様子で

「少し落ち着いたと思って安心していたのに、夜中に部屋をのぞいたら、寝てたんです。だから安心して、私も寝て・・・・。まさか、まさか、こんな・・・・・。」

「私はどうしたらいいんでしょうか。何が不満なのか全くわからない・・・。置手紙ひとつないなんて・・・。」と校長と横に座る教頭に、すがる様に手を合わせていた。



 学校側からも、久米のスマホに何度も連絡を入れるが、鳴り続ける呼び出し音は苛立ちを積み上げていくだけで、そのうちに「おかけになった電話は電源が入っていないか・・・」不通を知らせるガイダンスに変わった。




 縄手は職員室の机に両手を合わせ、頭を何度も拳に押し付けていた。

「俺のせいや。俺のせいで久米はいなくなったんや。」

 繰り返す自責の念に呼吸が乱れる。



 幾度も久米に謝ろうと、声だけでもかけようと、何度も何度もこちらを見る視線を探した。

 だけど同じ空間に自分が存在しないかのように、久米は目線も、気配さえも合わせないまますれ違う日々が続いた。


 脳裏に深く強く焼き付いた振り返ることなく、窓の手すりを飛び越えた久米の後ろ姿。

 一緒に早朝のグラウンドを走っていた満面の笑顔。

 いじめから守るために抱きしめた時の驚きながらも、もたれかかってきた安心を告げる重さ。


【結局俺は何もしてやれてないじゃないか・・・・】


「久米、どこにいるんだ。無事でいてくれ。」

 縄手は頭を思いっきり掻きむしった。



 ――――――――――



 木之本は新沢千塚古墳群公園の屋上庭園に、呼吸を荒くしたまま立ち尽くしていた。


「おらん・・・・」


 正式に野球部のマネージャーとなり、朝練のため、橿原神宮前駅で久米と待ち合わせをしていた。

 しかし一向に姿を現さない久米に不安を感じた時に、久米の母である香織から着信があった。



 声をかけても部屋から出てこない香月を起こそうとドアを開けると、姿がなく、いつもより早く家を出たのかと不思議に思い、本人に連絡を取ろうにも全く繋がらない状態にあると。

 それで木之本が何か事情を知っているのではないかとの思いで、電話をかけているとのことだった。


 少しずつパニックに陥ってゆく香織に、木之本は心当たりを探すので落ち着くようにと伝え、自分自身も心のざわつきを抑えようと歯を食いしばって、この場所に来た。



 久米から何も伝えられていない事実に寂しさが溢れだす。

 慣れているはずなのに、悔しさが押し寄せる。

 庭園を吹き抜ける南風が髪を乱す。両手を強く握ったまま、大きく肩で息をつき、胸にかかる感情の圧を振り払うように、背中を向け次の心当たりへと走り出した。



 ―――――――――



「あの先輩・・・・マジでなんなん・・・」

 朝練が終わり、部室のベンチに溜息をついたまま寝そべった北越智を横目に、山本はスマホに耳を当てていた。


「わかりました。学校もそれなりに騒ぎになっていますね。職員室、かなり慌ただしくなっていまして、先輩のお母さんが来ているみたいです。木之本先輩もそろそろ学校に来た方がいいんじゃないでしょうか。」

 事情を知った二人は、何か些細な情報でも書き込みがないか、ネット内を手あたり次第に潜っていた。


 仰向けになったままスマホをいじる北越智は「明日、開会式やでーホンマ勘弁してや。」愚痴をこぼした。

「明日、何時やったっけ。」

 電話を切った山本も、スマホ画面に視線を落とした。

「十時開始。」

「やんなぁ・・・久米先輩、どこ行っちゃったんやろ?・・」

「家出って・・・・・ダッサァーホンマ萎えるわー。」

 登校する生徒の数が増え、雑踏が静まり返る部室に届く。


「こんな時に限って、何にも載ってへんし・・・・・」

 起き上がりながら大きくあくびを出し「ホンマにめんどいって。」北越智は伸びをした。



 ―――――――――



 職員室から動けずにいた縄手もパソコンを開き、それらしき掲示板を検索していた。


 サーチエンジンのヘッドニュースには、若者の人身事故により電車が遅延しているとの文字が色濃く浮かぶ。息が止まり、視線が固まる。唾をのみ込む音が鼓膜に響き時を刻む。止めどなく流れ落ちる脇汗をクーラーが冷やしていく。


 徐々に縄手の最後の砦である、心底に存在する冷静でいようとする思いが波立っていき、遠い場所の事故が、やけに至近距離に感じてしまわざるをえなかった。


『まさか久米が電車に飛び込みとか・・・・いや、ありえない。だけど絶対とは言い切れない。』

 寂しそうに眼を反らし、背を向けた久米の姿が遠くへ消え、二度と会えないように感じてしまった縄手は勢いよく席を立ち、ついに職員室を飛び出した。


「先生‼どこ行くんですか‼」

 背後から届く声に振り返りながら、

「久米を見つけて、連れて帰って来ます‼」

 決意の叫びが、走る廊下を真っ直ぐに貫いた。


 ぐちゃぐちゃになった感情が、校門をくぐる縄手の先を疾走する。


 声にならない繰り返す久米の名は、体中を反射しながら駆け巡り、感情の速度を上げて行く。



 訳もなく目指した橿原神宮前駅。



 徒歩二十分の距離が、それ以上に遥か遠くに感じたことはなかった。交通量も徐々に増え始める。

 駅に向かっているものの、どうすればいいのか、あがった息を整えつつ走る速度を少し落とし縄手は考えた。


 その時、突然―――――

 ドスン‼


 お互いに吹っ飛び、地面に転がる体。

「痛っったぃーなぁ‼」

 怒号が上がる。


 久米へ繋がる道筋を思案しようと、視線を空へと向けた瞬間の出来事だった。



 自分の不注意で体当たりしてしまった縄手は慌てて立ち上がり、アスファルトに転がっている影に急いで駆け寄った。


「本当にすいません!怪我はありませんでしょうか?」

 気遣うように両手を差し出しながら、頭を深く下げ謝罪をする。

「お前‼気ぃつけろやボケが‼殺すぞ‼」

 痛そうに目をつぶりながら叫ぶ。


「本当に申し訳ありません‼」

 ドスの効いた言い回しにビビりながら、更に低く頭を下げる。

「あれ?縄手やんか。」

 上半身を起こしながらその影が言った言葉に、縄手は顔を上げた。


「ん??葛本!」

 息が上がったまま驚き顔でこちらを見る姿に何かを感じ取った葛本は、いたずらっぽくニヤつき、

「なんで、そんなに急いでるんすか?」

 と笑った。


「いや・・別に何もない・・・悪かった葛本、怪我してないか?」

 差し出した縄手の手を掴み、片手で足に付いた砂を払い立ち上がる途中

「ふーん。行ったんや。」

 表情が見えないように俯き、ニヤリと呟いた。が、縄手は聞き逃さなかった。

「?どうゆうことやねん!」

「久米やろ。」

 ニヤついたまま視線を合わせる。

「⁉お前‼何を知ってるねん‼」

 掴まれた手を引っ張り返し、縄手は体を近づけて睨んだ。


「こりゃホンモンやな。キモッ」

 一度視線を横に外した葛本は

「そう慌てんなって、縄手先生よ。」

 掴み返された手を、脱力しながらゆっくりほどき、シャツの乱れを直した。


「知ってることを全部言え!お前!まさか、また久米に何かしたんか!」


 激しく突っかかる縄手に

「そんなに久米の事が心配なんや。」

 口元を歪ませニヤつく。


 瞬間、殴りつけたい衝動を抑え、縄手は葛本の胸ぐらを鷲掴みにしてしまった。

「お前いい加減にせえや‼大体謹慎中やろーが‼」

 目をむき、顔をギリギリまで近づけ怒鳴る。



 縄手の灼熱の息と唾を浴びせられた葛本は、顔を最大限にしかめ

「わーった、わーったって。言うから、とりあえずこの手を離せよ、せ・ん・せ・い。」

 両手のひらを、降参と見せた。


 グイっと上げられた体が地面につき、手が離れる。


 シャツの襟を直し、大きく溜息を吐いた葛本は

「はぁ・・・・・チィッ。おやじに会いに行ったんやって。」

 舌打ちと共に小さくつぶやいた。



 驚いた縄手は眉を寄せ

「は?久米のお父さん、生きてるのか!」

「だから、言っとるやんか!おかまと駆け落ちちしたって!」

「お前なぁーーー‼」

 拳を振り上げる。


「わりーわりー。家柄、口が悪いで。」

 その拳に一歩後ずさりしながら言い訳をした。


「じゃあ、久米はまた不幸なことをしようとしてるわけやないんやな。」

 自殺の二文字がどうしても離れなかった縄手は、少し安心感が生まれ、大きく溜息をついた。



 緊張がほぐれた表情をした縄手に、葛本は東の方角へ顔を向け告げる。

「あいつは今頃、花の都大東京の新宿や。」

 そんな縄手を安堵などさせまいと、言葉が襲う。


「あいつ一人で、新宿へ・・・?」

 唖然となり頭に両手を置く。

「まあ新宿は怖い所やから、愛しの久米くんに何かあっても知らんでぇー。」

 からかうように葛本は笑う。


「お前‼」と一喝するも「よしわかった‼」

 気合を入れ直すように、大きく息を吐いた縄手は


「葛本!ありがとう‼」

「お前謹慎中やねんから、早よ家帰れや!」

 少し頭を下げ感謝を示しながら、葛本に注意をして、駅へと走り出した。



 そんな後ろ姿を見送り

「なんや、この青春ホモドラマは。おとろしすぎやで。」

 両肩を抱き、葛本は身震いをした。





「今、葛本から聞きました!久米は新宿にいるそうです。」

 走りながら学校に連絡を入れる。


「なんで葛本がって・・・・それはわからないですが、どうやらお父さんに会いに行ったようです。」

 腕時計を確認する。


「生きているようです。」

「今から、俺が向かいます‼」

 すれ違う歩行者を横跳びで避ける。


「いや!俺が何とかします!久米を見つけます!」

「無事に連れ帰って来ます‼」

 点滅する信号を突っ切る。


「大丈夫です‼俺に任せてください‼」

「絶対何とかします‼」

「では!」


 スマホを切った縄手は、一気に駅の階段を駆け下りた。



 ―――――――――



 近畿地方の梅雨明けが宣言されそうな、一気に湿度が上がった夏の夜。


 久米は二十二時十五分発、大和八木駅から新宿南口へ向かう高速バス【やまと号】のステップに足をかけていた。


 南口ロータリーの植込みから聞こえ始めた虫の音が、発車のベルと重なり、大都会へ出発する久米への小さな声援のように感じられた。


 産まれて初めて訪れる東京。メディアでしか見たことのない大都会で、たった一人のおやじを探し出すことができるのか。


 葛本の母親に教えてもらった店の住所と、名刺に書かれていた名前だけを頼りに、三列シートの窓側に座り、心地よくフィットするシートと座席に体を預けた。


 座席下のコンセントから充電ケーブルをスマホに差し込み、アプリで店の場所を確認する。

 営業中との緑色の文字が胸の奥を揺さぶる。さほど多くはないが口コミの評価の良さに、何故か胸の表面が撫でおりる。



 アナウンスが流れ、ドアが閉まる。

 動き始めた車窓から見える見慣れた街の輝きを大きく右に曲がり、夜行バスは橿原市を後にした。



 一枚もおやじの画像が残っていなかった。データとしては、フィルムだった昔より遥かに保存しやすくなっている、だけど大切さに欠ける。ハードが壊れた時点で再現は困難になってしまう。

 クラウドに保存していたとしても、パスワードが頭から消えてしまっていては、もうどうにもならない。まして記憶も曖昧な幼い頃に保存していたものなら尚更だ。いちいちプリントアウトする癖もついていないし,もし偶然見つけたとしても、AI加工が簡単にできてしまう今では、その過去が事実だったのかもわからない。



 母の目を盗み、おやじの映りこんだ画像や何か痕跡がないか探したが、結局何一つ見つからなかった。

 だけどその分、新鮮な気持ちで会える。おぼろげな輪郭が鮮明になるのはもうすぐだという思いは、後戻りできないタイヤの上で、胸を高鳴らせ、緊張を少しずつ感じ始めさせていた。




 夏の夜に光を放つ名阪国道を、東へひた走る頃には、何故俺たちを捨てたのか、家族を壊してまでも選んだ未来とは何だったのか、聞きたいと思っていたことすべてよりも、ただ単純におやじに会える嬉しさが頭を支配していた。


 目と目が合う瞬間の最初の一言目に何と言えばいいのか、どんな表情を見せればいいのだろうか。



 消灯となったクーラーの効く車内で、カーテンに潜り、窓におでこをつけた久米は、過ぎ行く景色に、イヤフォンから流れる曲に合わせ思いを巡らせていた。



 東へ、東へ


 いつの間にか寝息を立てている、ひとりの若者の原点へと。


 高速バスは、久米香月の真っ直ぐな気持ちを乗せ、星々が輝く時と距離の海原をひたすら東へ進んでいった。





 わたつみの豊旗雲とよはたぐも

 入日いりひさし

 今夜こよひ月夜つくよ

 あきらけくこそ

 中大兄皇子

 巻一(十五)



 ―――――――――



 小雨が降る朝六時十分、【やまと号】は、定刻通りにバスタ新宿に到着した。


 うとうととはできたものの、結局あまり眠れなかった久米は、バッグを背負い直しながら、初めての土地に足を降ろした。


 平日の通勤ラッシュには、まだ少し時間が早く、思っていた程多くない人波が目の前を足早に過ぎて行く。久米は雨の匂いを大きく吸い、勢いよく吐き出して、一歩前へ踏み出した。


 エレベーターを降り、スマホのナビ通りに進む。少し迷ったE10出口の長い階段を降り、そこそこ広い地下道を進んで行く。


 どこまでも続く白い壁が迷路のように思えてしまい、本当にたどり着くことができるのか不安を募らせてしまう。

 その度にスマホに集中し過ぎてしまい、体当たりしてしまいそうになる人に頭を下げ、謝りながらも歩み続けた。


 紀伊国屋書店、ビックカメラ、マルイに伊勢丹。開店前の新宿通りの下を、一歩一歩着実に前へ進む。


 そこには、不安は消えないもののいつの間にか、胸をはり前だけを見据えている久米の姿があった。


 BYGSビルの階段を、一段一段力強く踏みしめ上がる。雨雲を背景に、その先に広がった街。



【新宿二丁目】



 ゲイタウンとして名をはせている街。元々は戦後に赤線に指定され、新宿遊廓として賑わっていた場所。だけど、その後すぐにGHQの公娼廃止指令に発して、売春防止法が完全施行となり、赤線が廃止となってしまった。


 赤線とは「合法的な売春」が行える地区である。ちなみに青線は飲食店街としての許可しか受けていない地帯で「違法な売春」を行っていた地区である。


 赤線が廃止となった後、新宿二丁目は歓楽街として受け継がれることなく、衰退の一途をたどるように思えた。しかし、昭和三十年から四十年にかけてゲイバーが台頭し、姿を変えて【新宿二丁目】は今も存在している。


 そして近年、ⅬGBTQやセクシャルマイノリティなどの言葉の流行により、エンターテインメントとしてのゲイカルチャーが注目を浴び、それまでマイノリティが秘め事のように集っていた場に、観光目的の人々が流入してくることになった。

 それまでも観光客向けの店舗は存在していたが、あまりにも衆多であるため、新宿二丁目のイメージがエンターテインメントの街として、多様な問題を抱えつつ塗り替わっている最中である。




 朝の二丁目は夢から醒めたように閑散とし、路上に積み上げられた夢の成れの果てに、カラスが群がり、ビルの谷間では、夢の続きを見るように酔いつぶれた人が眠る。


 アスファルトに降り注ぐ雨音が、周りを包み込む。

 久米は雨を避けながら、ナビ通りに進み続けた。「目的地に到着しました」と告げるアナウンスに、見上げる古めかしい雑居ビル。

 目を細め、道路にせり出した看板に店の名前を探した。



 ・・・・・・・

「あった‼」

 久米は急ぎ雑居ビルの階段を探し、駆け上がった。独特の臭いが鼻を衝く。煙草と酒の臭いに、得体の知れない何かが発する臭気が混じったような臭い。


 少し顔をしかめながら、速足で進むコンクリートの通路。一つ一つの看板に目を向けて急ぐ。


 ・・・・・・・

「ここだ・・・・。」

 はやる心を胸に、ついに辿り着いた店のドアの前で見上げた看板。


 店の名は【ムーンライト・シャドウ】


 急に鼓動が耳に反響する。「落ち着け!俺!」と深呼吸をした久米は、汗ばむ手で色の剥げかけた木製のドアをノックした。

 ・・・・・・・

 再び手の甲を少し強めに当てる。

「すいません‼」

 ・・・・・・・・・


 人の気配がまったくない通路を、久米の声だけが空回りに駆け抜けた。


 小さく息を吐き「ダメか・・・。」と目を落としつつも、ダメ元でノブに手をかけてみる。


 電気の消された看板と、鍵のかかったドア。

 既に朝七時近くになっているので、閉店しているかもと、薄々予想はしていたものの、やはりガッカリと肩を落としてしまった。


 とは言うものの、おやじに会える事実が、目の前まで来ていることには変わりなく、「もう少しやで。」と何度か頷き、自分を励ました。



 緊張が解け、大きな欠伸が出る。釣られて空腹感が襲う。久米は昇ってきた階段を降り、近くのコンビニへと向かった。


 レジカウンターに、おにぎり5個とペットボトルのコーヒーを置いた時、「袋ご利用ですか?」と外国訛りのあるイントネーションで尋ねてきた店員が、海外の方だったことに驚き「イエス。」と瞬発的に答えてしまった。

 ウインクを返され、商品の入った袋を受けとった久米は、雨を避けるように店の軒下にしゃがみ込み、ぐずついた空を見上げながら、おにぎりにがっついた。



 通勤時間帯になった街に、傘を広げ足早に過ぎる人の数が増え始める。今さっき奈良県橿原市からたった一人で降り立ち、初めて訪れた街のコンビニ前にしゃがみ込み、おにぎりを頬張る高校生を気に留める者など誰一人いなく、ただ久米の前を脇目もふらず急ぎ足で通り過ぎる。

 アスファルトに当たる雨粒が弾け、つま先に届く。


 自分の街じゃ、こんな時間に高校生がコンビニ前でしゃがみ込んでいるだけで、チラチラと視線を感じる。雨が降る日となれば、余計に年配の方が心配そうに声をかけてくる。そうでない日は、警察や自衛隊の勧誘だったりもする。


 久米は行き過ぎる傘に、「ビルの隙間で寝ていた人は濡れていないだろうか。」と思い出しつつ、コーヒーで最後のおにぎりを流し込んだ。



 本降りになり始めた雨に、両手に着いた海苔を払い、【ムーンライト・シャドウ】が入居する雑居ビルに久米は駆け込んだ。


 静まり返った通路に乱反射し、大きく響き渡る雨音は、孤独感を煽る。できるだけ光が差し込む開けた空間の階段のふちに久米は腰を下ろした。


「今頃、親、怒ってるやろなぁー。学校に言ってへんかったら、ええんやけど・・・。」

 錆びた窓枠から見える、方向感覚を失った流れる雨雲を、恨めし気に見上げつぶやく。


『帰ったら絶対怒られるやろうな』とヒステリー気味に怒る母を想像し、心配になりつつも『やっと、おやじに会えるからええか。』と開き直るようにバッグを抱え込んだ。


 空腹感がある程度満たされた久米は、睡眠不足も重なり、いつのまにか眠りに落ちていった。



 ――――――――――



 校長室のドアが荒々しくノックされ、慌てた学年部長が飛び込んでくる。

「今、縄手先生から連絡があり、久米くんはどうやら新宿に向かったそうです‼」

 ドアを開けながら、隣接する事務室にも届く大声で告げた。


 その言葉に、うな垂れていた母の香織は目を見開き、顔を上げる。

 校長室にいる全員が驚き、駆けこんで来た学年部長に視線が集まり、空間が固まった。


「お父さんに会いにいったみたいです!」


 続いた言葉がさらに疑問の渦を作る。


「・・・・・えぇぇええ‼お母さん‼お父さんはご健在なんですか?‼」

 大きく何度も首を横に振る香織に、なんとか視線を向けることができた校長が、言葉を発した。


「そんなー‼誰が‼誰が香月に言ったん‼」

 叫びながら立ち上がり、顔を両手で覆う。


「知ってしまったらあかんねんって・・・」

 呻くようにつぶやいた香織は、力なく崩れ落ち、ソファにへたり込んでしまった。


「すぐに警察に連絡入れてください!」

「縄手先生は今どこに!?」

 校長は、抜け殻になった様に動かない母親の香織を見ながら指示を出した。


「縄手先生も新宿に向かったとのことです‼」

「はあ?あの先生は、いつもいつも何を考えとるんや‼」

 怒りをあらわにした校長は膝を拳で打った。

「縄手に返って来い‼って連絡せえ‼」


「・・・・・お願い・・・」


「それから!久米くんのスマホのGPSで居場所、特定でけへんのか!」

「連携してないと無理です!」


「・・・・・お願い・・します・・・」


「何よりも久米くんの安全が最優先や‼早よ警察に‼」

「今やってます‼」

 事務長が叫び返す。

 戦場のように荒れ狂った校長室に、悲痛の声が轟き渡る。



「お願い‼あの子が!あの子があの人に会う

 前に見つけて!お願い!早く‼」



 いつの間にか、鬼の形相の如く顔を真っ赤にして校長に視線を送る香織の姿に、全員がギョッとなる。


「お母さん。お父さんがご健在だとは一切聞いていませんが。どうゆうことなのですか。」

「教育に直結する、大きな問題です。家族の在り方は、我々の指導方法にも影響します。詳しくお聞かせ願いますか。私たちにとっても、大切な久米くんのためにも。」

 校長は母の香織の強烈な視線を受け止めながら、対面のソファに腰を下ろし、顔を突き出した。




 ちょうど事務室に野球部の変更届を受け取りに来ていた北越智は、耳に嫌でも届いた経緯を聞いてしまい、退室の際に誰にも見えないよう、白目をむき、舌を出しながら後ろ手に事務室のドアを閉めた。



 ―――――――――



 京都駅で新幹線に飛び乗った縄手は、職場から再三かかってくる電話を一方的に切り、学校に登録されてある久米の番号にリダイアルを繰り返す。

 何度かけても、電源が入っていない状況を伝えるアナウンスが無情にも響く。


 席に座るも落ち着かなく、デッキに立った縄手の横を猛スピードで流れる景色は牛歩のごとく、刻む一秒が一進一退のごとく、焦りに圧し掛かられる胸が、久米の名前を知らぬ間に呼び続けていた。


「久米。無事でいてくれ!頼む!」

 ドアの窓に手を当て

「もっと早く、もっと!もっと!」

 せかし続ける。


 そのうち線を描き始めた雨が爪痕のように、縄手の心に痛みを残す。

「雨か・・・・・」どんよりと曇る東京方面は暗く、重く雨雲が覆い隠していた。



 ――――――――――



 七月の雨の肌寒さで目を覚ました久米は

「寒っ!」

 身震いをしながら両肩を抱き、温めるように手のひらで素早く摩擦をした。

「あー寒いッ」

 小さくつぶやきながら、違和感を瞬時に覚えた。ずっと抱きしめていたはずのバッグを抱いていなかった。


「あれ?バッグ・・・。」

 ハッと気付き急いで立ち上がり、辺りを見渡す。そこにはガランとした薄暗い階段と通路が広がっているだけだった。

 一気に眠気が覚める。冷汗が体中の穴という穴から猛烈に噴き出す。


「え・・・あれ?」

 盗まれたのか・・・眠ってしまった後悔がさらに窮地に追い込む。慌てて建物内全ての通路の陰、階段の隅、大急ぎで隅々まで見て回る。


 ・・・・・・・ない。

 雑居ビルの雨の当たる窓から顔を出し、地面に捨てられていないか覗き込む。


 ・・・・・・・ない。

 階段を一気に飛び降り、不協和音響く土砂降りの中へと駆け出した。


 どこかの路上に落ちていないか、隣の雑居ビルに投げ込まれていないか。所持品の欠片でもないか、ごみ収集ボックスを片っ端から開けて回る。


 ・・・・・・・ない。

「ヤバい・・・財布もスマホもバッグの中や・・・・。」


 前髪から止めどなく滴り落ちる雨粒が、まぶたに重なり視界をぼやけさせる。体にはりついたシャツや下着まで染み込んだ雨の重さは、動きを鈍らせる。「マジで最悪や・・・。」泣きたい気持ちを通り越えて、怒りが沸き上がる久米に、容赦なく雨は降り続く。


 探しあぐね、迷い込んだ公園のやけに人が多いトイレ。

 息せき切って駆け込んだずぶ濡れの久米に、複数の視線が集まる。

「黒色のバックパック見ませんでしたか?」強い口調に、全員が怪訝そうな表情となり、視線を逸らしながら立ち去り始める。

 誰もが無反応のままで久米をかすめる。


 そして誰もいなくなったトイレを隅々まで確認するが、


 ・・・・・・・ない。


「うわぁ・・・・・・。」

 大きなため息とともに声が漏れる。



 これ以上動き回ると、確実に迷子になる予感に、諦めと落胆を引きずりながら、先ほどまで居た雑居ビルに、残る気力でなんとか辿り着いた。



 階段の隅に座り込んでしまった久米は、雨粒が髪先からポタポタととめどなく落ちてコンクリートの床に黒い影を作っていく様子を、焦点の合わない眼差しで、呆然と見つめ続けていた。



 ――――――――――



 新宿駅東口。駆け出た先に、まるで巨大な怪獣のように立ち塞がるビル群。縄手は雨に曇る辺りを見渡しながら、どちらに行けばいいのか全く見当もつかないまま、呆然と立ち尽くしていた。


 職場には連絡を入れ辛い状況な上、何の手がかりもない。だけどこの街のどこかにいる久米を見つけないといけない、そんな直感が胸を騒がせる。


 近くのドラッグストアでビニール傘を購入した縄手は大きく息を吐き、意を決して巨大な影をつくる怪獣の群れに突入した。


 歌舞伎町、アルタ前、ゴールデン街、ルミネ、センタービル、ビッグカメラ、気付けば代々木。回っては、ねじれる景色。


 パンパンに張り出すふくらはぎを、時々ほぐしながら、縄手は久米の影を自分の勘だけを頼りに探し続けた。




 ――――いつの間にか、時間だけが無情にも過ぎ行き、分厚い雨雲で覆われた街に、早い夕闇が静かに降りて来ていた。


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