第1話ー①
このストーリーは、僕が高校三年生の夏に経験した、一生忘れることができない、今も僕が僕であり続けられる大きな一歩の話。
あの日の僕は、昨日と同じ今日を無意識に繰り返すだけだった。
三台の目覚ましに叩き起こされ、
朝食を流し込むよう短時間で食べ、
天変地異でも起きて休校になればいいのにと思いながら学校へ行き、
青春を謳歌するように部活に参加し、
疲れ切って生きる理由を探しながら下校する。
なんとか辿り着いた我が家で、
なかなか好みの温度にならない風呂に入り、
晩飯をエンゲル係数など考えずにこれでもかとたらふく食べ、
自分の臭いが染み込んだベッドに寝転がる。
そして知らなくても生きていける、
どうでもいい情報をスマホで流し見し、
いつの間にか眠りにつく。
そんな同じ様な行動をとることで、
昨日と同じ今日を僕らは再生産する。
そして今日と同じ明日を再生産し、
その繰り返しで毎日が連鎖していく。
この集合体により、この街の秩序は保たれている。
一つの行動に疑問を感じるまで・・・
今日と同じ明日を、再生産できなくなった時、
僕を取り囲む景色は一変し、孤独の沼に沈み始める。
再生産され続ける街の「生」の動きに取り残された息苦しさに心が怯えはじめ、
言葉にしようにも表現できない感覚に、次第に心はもがき抵抗を始める。
そして止められない衝動に、社会との差異が明確になる。
街の深層をただ流れる形なき原典は、そんな僕を見つめ選択を迫る。
疑問に気づかないふりをしたままこの場所に留まるか、
この街に背を向け出て行くのか、
そして静かに激しく流れる原典の流れそのものを変化させるのか。
結局、「気分」に似た大きすぎる形なき原典は、あの日のまま、僕の足元を勢いよく流れ続けているけど、少しだけ、ほんの少しだけあの頃とは違う方向へ突き進んでいると思える今日にいる。
正しいとか、間違っているとかではなく、一つの生き方の例として、誰かの未来の選択肢の一つとして、加えてもらえる機会があったら、光栄に思います。
『人間の行為を直接に支配するものは、利害であって理念ではない。しかし「理念」によって作り出された「世界観」は、きわめてしばしば転轍手として、軌道を決定し、そしてその軌道の上を利害のダイナミズムが人間の行為を押し進めてきたのである。』
マックス ウェーバー
自分が今、こうしていられること。
自分を支えてくれて、応援してくれている、そんな家族やみんなに「お疲れ様!今日もよく頑張ったな!」と言われたら「はい!頑張りました!」と堂々と胸を張って答えられるために、一瞬一瞬を、全力で大切にしながら俺はここにいる。
夏近いグラウンド。
日に日に早くなる日の出と、強くなる日差し。
まだ誰も登校していない早朝のグラウンドに水を撒き、整備をしても、朝練を始めるころには乾いてしまい、駆け出すたびに土埃が舞い上がる。
そんなコンディションであっても、もっと早く、もっと滑らかに力強く、誰よりももっともっとセンス良く。まだ見ぬ自分の姿になり、主将としてこのチームを引っ張っていける力を示さないといけない。
だから、すすんで声を張り出し、額から流れ落ちる汗を拭う瞬間も、口の中に飛び込んでくる砂を吐き出す瞬間も惜しむように、ひたすら監督がノックする、左右に不規則に打ち放たれる白球に食らいつく。
体すべてで受け止め、立ちあがりから、踏み込み、腰のひねり、肩、肘、指先へと力の連動をスムーズに流れるように、無駄なく伝える。
白球が指先を離れるその瞬間まで、神経を鋭く尖らせ、体のそれぞれの部位の繋がりを感じる。
「ありがとうございました!」
久米香月【くめ かづき】(17)は軽く息を吐き、帽子を脱ぎ監督に礼をした。順番を待っているチームメイトに場所を譲りながら、肘で額の汗を拭い、視線を隣にある陸上部のトラックに一瞬移した。
二十名弱の、奈良県立大和まほろば高校野球部。
過去に一度、甲子園出場経験はあるが、部活に所属する生徒数の減少に歯止めがかからず、二年前には部員が僅か七名となり、部の存続の危機に直面した。
監督と入学したての久米を含めた七名が、放課後に体験会や勧誘を繰り返し、何とか紅白試合のできる人数を確保することができた。
幼少期から野球に取り組んできた久米にとって、自分を必要としてくれる場所がここにあり、まだ野球を続けられる喜びは使命感を与えてくれた。
視界に入った陸上部の練習風景を振り切るように、視線を戻した久米は声を張り上げた。
空は青さが高くなり、鮮やかに浮かぶ真っ白な雲を静かに北へと流してゆく。力を増してゆく太陽が、この街に生きるものすべてに、これから訪れる夏を教えるように、大気に熱を伝えていた。
そんな太陽の光を反射する校舎の窓から、グラウンドで練習を続ける久米の姿を、スマホに収めようと、シャッターボタンを押す姿があった。
練習後のミーティング。監督が見守る中、集合する部員の前に久米は立った。
「もうすぐ期末テストがありますので、午後からは練習は休みです。ですが、夏大まで時間はありません。おのおのテスト勉強の間に時間を作って、自主練習しましょう。目標である甲子園出場に向けて、一日一日を大切にしましょう!全員野球で一勝一勝を勝ち取りに行きましょう!」
気合を入れるように、大声で鼓舞した。
「朝練終わります!」
「ありがとうございました!」
「あざーした!」
帽子を号令と同時に取り、全員が深く頭を下げる、声変りがとっくに過ぎた図太い雄の声が重なり大気を揺らす。
そんな中、久米の気合の入った姿を、上目遣いに舌打ちをしながら睨む部員がいた。
終礼のチャイムが鳴り、どこの部活も休みとなった為、下校時刻の昇降口は生徒でごった返していた。
さながら通勤ラッシュの駅のホームのように、お互いの関係性の距離を保ち、脆い自己を守るだけで必死な様子だった。
教壇で担任教師が翌日の連絡を終え、クラス全員が挨拶をした。
我先に帰宅する生徒の波に紛れて、バックパックに左腕を通しながら、三年二組の教室を出た久米の背後から
「香月!おつかれ!」
隣のクラスの木之本沢奈【きのもと さわな】(17)が、ハンディファン片手に、満面の笑顔で声をかけた。
「おう!木之本もお疲れ!」
振り返る久米は、咄嗟に笑顔になり答えた。
バックパックに吊り下げた、木之本の手作りマスコット人形が揺れる。二人の名前が刺繍されたユニフォーム姿の久米と、ブラウス姿の木之本のマスコットは仲良く同じ長さで下げられ、揺れるたびに重なり合う。
昇降口へと廊下を歩きながら、真っ黒に日焼けした久米の横顔を、前髪を上げながら木之本がのぞき込んだ。
「ん?」とした表情の久米に
「日に日に黒ろなるなぁ。スキンケアしとるん?」
「やってるって。洗顔は絶対やってるって、さっきもしたし。」
「洗顔だけじゃあかんって。保湿は大切やで!明日、私の使ってる低刺激の化粧水あげるわ。」
少し下の角度から「ありがとう!」と言う久米の顔をさらに見つめる。
「ほらっ!ここにニキビできかけてるやん!痛いってー」
指でこの辺りと、顎下をぐるっと指さした。
「えー!ガチで!気ぃつけてんやけどなぁ」
口を大げさにへの字にする。
「もぉ!あかんて。」
おどけて怒るふりをする木之本は続けて言った。
「この後どうする?期末テストヤバいんちゃう?」
「勉強嫌いやって・・・。」
ぶっきらぼうに答える。
「もーぉ。やらなあかんのんとちゃうん?」
「わかっとるっちゅーに。」
「三年の一学期末は点数とっとかんとガチヤバいって、先輩いってたで。」
「わかってるっちゅーに。」
木之本の催促にだるくなりつつ、下駄箱からトレーニングシューズを取り出し、履き替えながら久米は小さくため息をついた。
「ひとりでやっても拉致あかんやろ?」
「はぁー。」
つま先を地面に軽くたたき、靴を足にフィットさせて面倒くさそうな表情のまま、昇降口を出た。
「やろう!教えたるわ!マックシェイクで勘弁したろ。」
「は?なんでやねん!金ないちゅーに!」
変顔をしながら、手首を強くつかみ、引っ張る木之本に
「わかった、わかったって!」
大きくため息をつき、勉強の誘いを承諾した。
「やったー初日にある英語表現からで!」
「いきなりそれか・・・」
「やるで!」
「・・・・はい。」
その後、木之本にシェイクを三回も奢らされ、自分はコーヒー一杯とフライドポテトM サイズだけで、久米はこの後三時間近く慣れない勉強をすることになった。
「腹減った…。」
―――――――――――
翌朝、いつも朝練がある時間帯のグラウンドに生徒は一人もおらず、仲夏の澄んだ大気が静かに流れていた。
さらに青さが増した空には、近くに広がる森から、新緑の強烈な照り返しが放たれ、もう梅雨が明けたのではないかと思えるほど、太陽は白く輝き、刹那な夏の始まりを断言していた。
三年二組副担任であり、生徒指導部学年リーダー、さらに陸上部の顧問である縄手章畝【なわて あきや】(30)は、目に刺さりそうな日差しに暑さを感じながら、大きく息を吸い、校舎の影でストレッチを終わり、ゆっくりとトラックを走り始めた。
大和まほろば高校は奈良県橿原市にあり、全校生徒数五00名超が在籍していた。
県内でも有名校の一つではあったが、最寄駅である橿原神宮前駅から距離があり、丘陵地の頂上にあるため、通学時間がかかってしまう難点があった。
また岳麓から正門までは二ルートあり、ほとんどの生徒が日常的に通る道でも、住宅街を縫うように走る坂道を登らないといけないため、さらに不評であった。
もう一つのルートはと言うと過酷を極め、『万葉の森』と呼ばれる、うっそうとした木々で覆われた古墳群の急こう配を登らないといけなかったため、通学路として問題外であり、生徒は誰一人利用せず、運動部ぐらいがこの坂道を利用して、脚力トレーニングをしているぐらいだった。
ただ丘腹には、その二ルートを繋ぐように、【新沢千塚古墳群公園】があり、週末や祝日には家族連れで賑わい、整備された展望台ミグランスと屋上庭園は、街全体を見渡せる絶景ポイントとなっていた。
一歩足を前に進ませるたびに大気が揺れ、頬に風を感じる。
軽やかに力強く地面を蹴るたびに揺れる筋肉の感覚が気持ちいい。突き抜け晴れ渡った空を見上げて走ると、このまま空を飛べる気がしてくる。
「ええなぁー!最高やん!」
縄手は息をフッと吐き、腿を高く上げ、スピードあげた。
―――スマホのシャッター音が何度か鳴る。勢いを増して走り出した、筋肉に張り付いたショートスパッツに、ノースリーブのコンプレッション姿の、日に焼けた縄手の画像がフォルダーに収まった。
「おはようございます!」
グラウンドの横から飛び出すように並走し始めた久米は、笑顔で挨拶をした。
「おはよう!久米か!あれ?さっきまで素振り練習してへんかったっけ?」
少しスピードを落としながら、縄手は久米に振り返った。
「はい‼先生の走る姿を見たら、気持ちよさそうやなぁーと思って、こっちに来たっす!」
太陽のまぶしさのせいなのか、目が細くなりすぎて、線になってしまっている久米が笑顔を繰り返す。
「やろー!誰もおらんグラウンドはホンマに気持ちええでぇー。」
縄手はそんな久米に笑顔で答える。
「先生、毎朝走ってるっすよね。」
「走るって、一日の始まりの準備運動みたいやろ、気合入んねんって!」
グラウンドの乾いた土を蹴る音が、気持ちよく響く。
「分かります!俺も朝体動かさんと、その日ずっと気持ち悪いっすよ。」
「やろ!テスト終わりまで部活ないし、毎朝一緒に走ろうや!」
「え!ええんすか?」
「陸上部の奴ら、誰一人来んから寂しいねんって。」
苦笑いの縄手の顔が夏の日差しに溶ける。
「やった!あざっす!自主練終わったら、来ます!」
「でも、その恰好は暑いやろ?」
縄手は、野球のユニフォーム姿の久米を軽く指さした。
「慣れっこっすよ。」
今度は久米が少し横に離れ、目を可能な限り大きく見開き、縄手の足元から頭へ視線を流した。
「でもやからって、先生、露出多すぎっすよ!最初どこの変態が走ってるのかと思いましたよ。」
にやつく久米。
そんな表情を見た縄手は、唖然となり突っ込んだ。
「おい‼誰が変態やねん‼」
「モッコリ変態仮面ですね。」
わざと大袈裟に、縄手の股間を凝視する。
「お前‼どこ見てんねん!」
「巨根っすね!」
久米は笑いながらスピードを上げた。
「ほんま最近の奴らはーマセガキばっかりやな!」
ふざけながら追いかける縄手。
「俺はもうガキちゃうでー!」
追いつかれないように、久米は満面の笑顔で走り続けた。
ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ・・・・・
ペースなんて考えずに、力の限り走ってしまった二人は汗だくになり、校舎の影ができているアスファルトの上にへたり込んだ。
そして並ぶように空を見上げ、仰向けになった。
南風が二人を包み込むようにそよぐ。
「久米速いなー。陸上部も掛け持ちしてくれや。」
「ハァ、ハァ、ハァ・・・無理っすよ…俺、野球しかでけへんっす…ハァ、ハァ、ハァ・・・」
いつもより心臓のバクバク音が止まらない。
鼓膜に振動が反響する。
汗が止めどなく流れ出し、髪を濡らしてゆく。
「暑すぎっす・・・」
「だから野球のユニフォーム着て、こんだけ走ったら暑すぎやろー・・・・三千メートル障害でも、そんな恰好で走ったら死ぬわ・・・・」
歳のせいか、なかなか呼吸が落ち着かない縄手は、目を閉じた。
「先生、オリンピック強化選手やったんっすよね。ハァ、ハァ・・」
「せやで!俺ってスゲーんやで。」
「マジすげーっすわ・・・・」
久米は落ち着いた呼吸に合わせて、額の汗を拭って、その手を地面に置こうとした。
縄手の伸ばしていた手の甲に、久米の手が引力に引かれるように覆いかぶさる。
「あっ‼すんません!」
咄嗟に手を引っ込めて、慌てて上半身を起こした。
「え?どないした?」
ゆっくり起き上がる縄手に
「いや・・・その・・・汗で濡れまくってたから…手が…あっ・・・いや・・・」
頭を何度も小さく下げて謝る久米は視線が落ち着かないまま、縄手に当たってしまった手を胸の前で、もう片方の手で隠す様にしていた。
アスファルトの上にできた汗の跡が、まるで二人が手を繋ぎ、夏空を見上げているようだった。
昼休みになり暑さはさらに増し、サーキュレーターが全力で稼働している教室に、開け放った窓から生温い風が我が物顔で吹き込んで来ていた。
「クーラー、なんでまだ付けたらあかんの?おかしない?」
窓際の席で、スマホを見ながらニヤニヤしている木之本に、両手にハンディファンを持った、クラスメイトが文句を言いつつ近づいた。
「あー沢奈また見とるー」
木之本を囲むように二人のクラスメイトは、スマホの画面に映し出された久米の画像をのぞき込んだ。
通学路で一歩先を歩く後ろ姿、ペットボトルのブラックコーヒーを飲む横顔、守備位置のサードで、打者を真剣に見据えた姿、
新沢千塚古墳群公園にある、龍のモニュメントから噴き出すミストに目を閉じて両手を広げる姿、駅の改札口で手を振る姿…
「久米くんばっかりやなーホンマ、彼氏一筋ってかいな。」
「かっこええってか、まぁなぁ・・好みはそれぞれなんは間違いないんやけど。」
「盗撮までしとるからなぁー沢奈は。一歩間違ごーたらストーカーやで。」
あきれ顔の二人に
「野球部の主将でエースやで。野球部自体は強よないけど、香月の野球やってる姿はヤバいで。」
幸せそうに首を左右に揺らしながら、久米が写った画面を胸に押し当てた。
「中学からずーっと一緒やし。香月のことは一番知ってるんや。」
「はいはい。ええなぁ、悩みなさそうで。」
「で、当然やってるんやろ?週何回?」
突然ニヤニヤし始め、木之本の肩に肘をかけた二人。
そんな下ネタな展開に
「まあ!はしたない!あなたたちは、なんてお下品なの?」
二人の肘を手で払いのけるように外し、大袈裟におどけてみせた。
「え⁉まだなん⁉」
逆に突っ込むクラスメイトに
「な・い・しょ・で・す。」
木之本は指先を『お・も・て・な・し』のリズムに似せて、目の前で動かした。
「あー‼おっとろしんじゃ‼」
木之本たちのやり取りを、遠巻きに見ていた葛本定茂【くずもと さだしげ】(17)は突然大声を出し、木之本を睨みながら立ち上がった。
クラス中の話し声が一瞬にして止まる。
視線が葛本に集まった。
驚いて葛本を見た木之本は、自分が怒鳴られていることに気付くまで、他人事のように周りをしばらく見渡していた。
こちらを睨みつけたまま動かない葛本の視線に、我に返ったように反射的に「なんやねん‼」と訳がわからないまま睨み返し立ち上がった。
「やめときって。」と制止するクラスメイトを振り切り、身構える木之本と葛本が対峙する。
サーキュレーターの音が教室に響き渡る。
ほんの数秒だったはすが、何分かに感じられる張り詰めた空間に終止符を打つように「ちっ!」と舌打ちをし、葛本は踵をかえして教室を出て行った。
「なんやねんあれ?」
張り詰めた空間が、荒く閉まるドアの音と共に一気に緩む。
木之本は軽く笑い飛ばすように、久米と葛本の関係性から推測し
「あいつ、小学校の頃から、ずーと香月に勝てへんから嫉妬してるんや。絶対。」
「あーなるほど。」
「まあ、私みたいな超絶かわいい彼女もおるしな。そりゃ、嫉妬するしかないやろ。」
気が一気に緩んだことで、余裕が出てきた木之本は笑った。
「はあ・・・・・」
「あんなんやから、余計に勝てへんわ。」
そう言いながら、斜めに傾いたままの葛本の席を睨んだ。
校舎の二階にある職員室は南向きになっているため、夏に向かうこの時期から、強烈な日差しが入り込んでくる。
遮光カーテンで覆ってしまうと、熱がこもり一瞬にしてサウナ状態になってしまう。そのため既にクーラーが入っており、生徒から「ずるい」とクレームの対象となっていた。
縄手は、そんなクーラーの効いた職員室の中で、沖縄のリゾートホテル案内を、パソコンの画面いっぱいに広げ物色していた。
「お疲れっした。」
隣の席の後輩教員が声をかけ、席についた。
「はーい、お疲れー。」
画面から目を外さずに返す。
「部活ないと気楽っすわー。」
パソコンを起動しながら、後輩は縄手の画面に目をやる。
「お!夏休みの旅行っすか。」
「まあ。悩み中やけどなあ・・・」
縄手は画面をスクロールさせながら、ペットボトルの麦茶を手に取った。
「いいっすね!でも早よ予約せんと、もうギリギリやないっすか?」
「やろー。いやーマジで迷うんや。こーゆうの俺、無理やー。」
ペットボトルのキャップを外して、若干ぬるくなった麦茶を一口飲んだ。
「優柔なんて、見えんっすけどね・・」
「いやー、苦手や。」
「彼女さんとっすか?」
「せや。」
「婚前旅行的な?」
「まぁ、そのつもりなんやけど・・・やから余計に決められんのや…」
縄手は腕組をして、大きくため息をついた。
「そもそも沖縄でいいんかって話や…」
「沖縄、人気やないっすか。」
パスワードを立ち上がったパソコンに入力しながら、後輩は椅子に座りなおした。
「ミーハーすぎるのもなぁ・・・・ホンマに大人なんや・・・俺より十歳年上やし。」
「おおおおおおお!姉さん女房っすか!エロいっすね!」
興奮気味に目を大きくして、顔を近付ける後輩の頭をはたいて、
「あほか!やかましいわ!まあ、色気は今まであった女性の中でマックスやけどな。」
ニヤリとした縄手はまた麦茶に手を伸ばした。
「巨乳っすか?俺にも紹介してくださいよ!」
ぐいぐい食らいつく後輩。
一口飲み込んで、視線を後輩に戻しながら、
「たまたま好きになった人が、その人だったってことや。」
「やっぱり、巨乳やないっすか!」
「好きやなお前。でも美人過ぎるのは間違いないんやけど・・・・」
少し考えるように動きを止め
「でもまぁ・・・結局見た目とか関係ないっつーか。」
「ほうほう。」
後輩は思わず縄手に向き直る。
「最初は見た目から入るかも知れんけど、結局中身やんけ。いろんな不一致多かったらしんどいやんけ。」
ペットボトルのキャップを締めながら、再びパソコンに向き直った。
「んん・・・じゃあ・・・・・・ニューハーフもありとか?」
突然の発想の飛躍に、「は?」と後輩に目を移した後、
「好きになったら、ありっしょ。」
つぶやくように、視線を戻した。
―――――――――――
「ふぁあ~ぁ。」
大きくあくびをして、両手を天にかざすように伸びをした久米。
マクドのテーブルに向い合せに座りながら、木之本のノートに目を落とした。
この時期のマクドは、駅前に学生が集まれる場所がないために一点集中してしまい、店内が大和まほろば高校生で埋め尽くされる。
普段から利用している客にとっては、迷惑千万である。きっと久米の横のテーブルに座り、パソコンを開いているサラリーマンのイヤフォンは、いつもより音量が上がっているだろう。
正直、木之本のノートを見ても、勉強が捗っているのか、捗っていないのか、久米はその判断もできなかった。
目を丸くさせ「ふーっ」と息を長く吐き、紙コップのリッドを外してコーヒーを一口飲んだ。そんな久米に、
「どこまですすんだん?」
木之本がペンを止めて顔を上げた。
「mustとhave toの違いあたり。」
「まだそこなの?」
「悪かったな。」
「もぉ!」
木之本は久米の対策問題集を取り上げて目を通す。
間違いだらけで、内心怒られるんじゃないかと、下唇を出して不貞腐れ、テーブルに両肘をつき、ドキドキしながら様子を見ていた。
入口の自動ドアが開く。
笑顔で話す姿は素朴で、なんの歪みも感じられない、野球部のチームバックを肩にかけた葛本たち数名が入ってくる。
カウンターで注文を済ませ、葛本が率先してドリンクを乗せたトレイを持ち、席を探した。
その視界に久米と木之本の姿が不意に割り込んでくる。
「ちっ」舌打ちをし、それまでの笑顔がかき消された葛本は口を閉じ、歯を食いしばる様に顔を歪ませた。
「あの野郎っ。」
呟きながら見なかったことにして背を向け、逆方向へ歩き出そうとしたが、一気に沸き上がった苛立ちに耐えられず、トレイを隣にいた友達に渡し、そのまま振り返り、足早に久米に近づいた。
「お前ら、おとろしんじゃ!ラブホでやれ!いちゃいちゃすんなや!」
ズボンのポケットに両手を入れたまま、上から睨みを利かす。
突然の大声に驚いた久米と木之本は、目を丸くして顔を上げた。葛本をいち早く認識できた木之本が怒鳴り返す。
「お前!さっきからなんやねん‼見たないんやったら、お前がどっか行けや‼」
久米は腕を組み、椅子に胸を張りもたれかかり葛本を睨む。
「何睨んでんねん!お前ー!」
一歩踏み出し久米に近づく葛本。
「は?うっとーしいんはお前やろ!」
腕を組んだまま立ち上がる久米。
お互いに身長は野球選手としては、さほど高くなく一七〇㎝少ししかないが、体重が八〇㎏を優に超えているので、迫力があり周りがざわつく。
「お前がいっちゃん調子に乗っとるんやんけ!」
今にも久米の胸ぐらを、鷲掴みにしそうな勢いの葛本。
そんな様子を見ていた周りの生徒たちは、屈強な野球部のやり取りを動画に収めようと、一斉にスマホをかざしはじめる。
それに気づいた木之本が止めに入った。
「あかんやめや‼撮られてるって!」
ゆっくり睨みを利かせたまま辺りを見回した葛本は、向けられているスマホを大まかに確認する。
「文化祭の演劇の練習や‼おっとろしいーの‼」
こちらを向くスマホ群に手を大きく払い、久米に向き直る。
怒りのせいで、瞳が小刻みに揺れる、奥歯を力いっぱい噛みしめているせいか、口元が小刻みに震える。
久米は握りこんだ拳のまま、飛びかかって来そうな葛本を衝動的に手が出てしまわないように腕組を解かず、胸を思いっきり張り、睨み続けた。
「あーやってらんわー‼」
何かを飲み込むように喉を動かした後、葛本は言葉を吐き捨て久米に背を向けた。
その様子を、ざわつきながら心配そうにこちらを見守っていたチームメイトに「何でもないって」つぶやき、店の奥に消えるまで、久米は、微動だにせずに葛本を睨んでいた。
「なんやねん、あいつ。」
気が緩み、脱力状態で座りなおした久米は肩で大きなため息をつき、一瞬にしてゲッソリとなった表情を木之本に見せた。
「昼も私に突っかかってきとったわ。なんなん…ホンマに・・・・」
マックシェイクのストローを嚙むように咥えて木之本は一口飲み、同じように肩でため息を付いた。
「あいつ香月のこと、ライバル視し過ぎなんちゃうん?ほんとストレスやって。」
久米と木之本は目を合わせて、再び同時に大きくため息をついた。
―――――――――――
グレーのスウェットハーフパンツにTシャツに着替え、濡れた髪をタオルで拭きながら、縄手はリビングルームに足を踏み入れた。
大阪市内にある、このエリア一番のタワーマンションの最上階から二番目のフロアの一室。ここから見渡せる街の風景は、縄手にとっていつも別世界のように思えていた。
こんな高い視点から見下ろす世界は、本来なら見上げる世界の住人が、幽体離脱して初めて知る視点であり、客観的に自分が住む世界を認識できるような気分になれた。
足元のターミナル駅に次々と発着する列車の数、高速道路の規則正しく同方向に流れる光の列、オフィスビル群の光り続ける残業の明かり。
何かに逆らうことすら出来ず、支配されるがまま、渦の外面をぐるぐる回り続ける、巨大なパーペチュアルオブジェのようだった。
「もう少しでできるから、好きなワイン出して飲んでて。」
斎部優耳【いんべ ゆさと】(40)は、程よく焦げ目の付いた白身魚の横で、口が開き始めたあさりが踊るフライパンの中に、バジルを散らした。
「お‼うまそうー‼」
縄手は、斎部の腰に背中から腕をまわし、ふくよかな胸元に触れながら肩に顎を置いた。
「今日はフィッシュな気分!」
フィッシュを強調するように、イングリッシュ的に発音した斎部は、肩の上の縄手の頭に、自分の頭を寄せた。
「いい匂いー。」
調子にのり、首筋に唇を近づける縄手に
「はいはい!先にご飯‼」
頭を軽く撫でて、素早く軽くキスをした後、腰にある縄手の腕をほどいた。
そんじょそこらのイタリア料理店に負けない料理が並ぶテーブルをはさみ、ワイングラスを合わせた。
アクアパッツァをとりわけながら、縄手は上目遣いに何度か斎部を見た。
「ん?どうした?」
さっきまでの態度とは打って変わりそわそわした姿に、白身魚をフォークで口に運びながら、つぶやいた。
「なんか、言いにくいことでもあるのか?」
その言葉に、不安そうに落ち着かない縄手は、フォークをテーブルに置き、椅子に座りなおした。
「あの、突然なんやけど、今度、優耳の都合のいい時でええから、俺の実家に来てほしいんや。」
ワイングラスに手を伸ばしながら、
「それって・・・章畝のご両親に会って、挨拶ってこと?」
まっすぐに見つめる縄手を見た。
「・・・そう・・・今後の話も含めてやねんけど・・・・」
「結婚ってこと?」
間を開けずに、結婚という言葉が今この場で出ると思っていなかった縄手は、自分の両親に会ってもらうという事の重みが一気に増してしまい、緊張で心臓が震えた。
そんな耐えきれず、視線を外してしまった縄手に
「うん、いいよ。」
斎部は軽くうなずき答えた。
「・・・・え?」
あまりにも即答過ぎ、理解できなかった縄手は斎部の顔を凝視した。
「だから、実家に行くって。」
キョトンとした縄手の顔が、あまりにも可愛く思えた斎部は笑顔になり、ワイングラスを差し出した。
「マジでええの?」
「いいって。」
「ホンマに?・・・・・」
「しつこい!」
「おーわーーーーーぁ‼やった‼」
安堵の表情になり、盛大にガッツポーズをした後、慌ててワイングラスを持ち、「乾杯」と合わせた。
「スケジュール確認しとく。」
「お願いしやす‼」
大きく息を吐き、感謝を込めて頭を下げた、縄手はフォークを手にとった。
「一気に腹、減ったで!」
満面の笑みで料理に「すげーうまい‼」と、がっつく縄手の姿を見て、斎部は微笑みながら白ワインを一口飲んだ。
幸せな未来がうっすら描かれているような空気が、二人の空間を漂う。
リズムよく食器にフォークが当たる音と、何気ない話題とかすかな笑いが二人の間を流れる。
そんな緩やかな時間を、突然テーブルの端においてあるスマホの光りが打ち破った。
「?」と口に含んだワインを飲み込み、斎部は素早く手に取った。
画面に表示される名前を確認し、眉を寄せた後、通話にスライドした。
「斎部だ、どうした?」
何かを予測したように、椅子から立ち上がった。
「そうか、わかった。」
そのまま流れるようにリビングから自室へ向かった斎部の姿を、縄手は目で追いながら、茶碗にもった白米を口に含んだ。
斎部の仕事は正直よくわかっていないが、海外に建設機械を販売しているみたいだった。
縄手にとって、全く縁もゆかりもない世界の動向は静観するしかなく、こうして突然呼び出しがかかり、予定が寸断されることも多々あった。
付き合い始めた当時は、本当に自分のことを好きでいてくれているのか、不安に駆られてしまう要因であったが、今ではもうすっかり慣れてしまい、笑顔で見送れるようになってしまった。
ものの数分もしないうちに、どこかのエージェントのようなスーツに着替えた斎部が現れ、
「すまん!会社に戻るわ。」
「うん。行ってらっしゃい!気をつけて!」
縄手のセリフが終わる前に、玄関が閉まる音が聞こえた。
静まり返った空間で、大きく肩で息をついた縄手は、広すぎる窓から遠くに瞬く街の光を見ながら、グラスの残りのワインを一気に飲んだ。
高級ホテルのデラックススイ―トルームに取り残された少年のように、手持ち無沙汰な環境にしばらく椅子から立ち上がれないままでいた。
「リモートじゃあ、あかんかったみたいですねーーーお風呂でも入りますかね。残念・・・・」
小さな子どもをあやすように、両手で自分の股間を優しく撫でた後、
「でもまあ、オッケーもらったし、ええとしようか。」
優しく話しかけ、踏ん切りをつけるように椅子から立ち上がった。
――――――――――
翌朝の曇り空の下、縄手の隣には久米が並び、冷静に話すと面白いポイントなどどこにも存在しない話題を、楽しそうに会話しながらジョギングを続けていた。
そんな二人に気づかれないように、葛本達数人が校舎の裏から野球部の部室に忍び込んだ。
相変わらず乾いた土埃と、発酵した汗のにおいが充満する淀んだ空間に顔をしかめながら、まっすぐ久米の個人ロッカーに近づくひとり。
「絶対!あのすかした顔を潰したんねん!」
葛本は躊躇なく久米のカバンに手を伸ばした。
「あいつむっつりで変態だから、木之本とのエロ画像とかあるはずやで。」
掴んだカバンの中を覗き込み漁りながら、つぶやく。
そして、久米のスマホを探し出した葛本は、手に取り電源を入れた。
「あいつ、ハメ撮りとかしてそうやしな。」
「パスワード知っとるんか?」
「まっかせろ!」
葛本はパスワードを素早く入力し、画面を開いた。
待ち受け画面が現れる。木之本とのツーショットだ。頬を寄せながらⅤサインをしている。背景を見ると、教室内で撮ったことがわかる。
画像ファイルをタップする。どんな画像が入っているのか、他人の秘密をのぞき込む興奮に、周りが急かす空気を作り出す。
「早よー。」
「あせんなって。」
その場にいる全員が久米のスマホに、目を血走らせながら注目する。
画像一覧が表示された。
スクロールさせながら、野球選手のプレイスタイル動画や画像以外のそれっぽい画像を見つけて表示する。
エロ画像ではなくなんの変哲もなく木之本と仲良く手をつないだ画像であったり、木之本が久米の背中に飛びついている画像であった。
それは、ただただ葛本をイライラさせる、幸せそうな画像ばかりだった。
「・・・・ない・・・・」
焦りが積もり、何度も最後尾までスクロールしたが、目的の画像などどこにも見当たらなかった。
当てがばずれてしまった葛本は、
「おとろしーのぉ!」
大きく肩を落とした。
「なんやねん‼あらへんやんか‼」
「めっちゃー早起きしたのによーぉー!」
大きな声に、指を口に立てながら慌てる。
肝試しをするかのように、学校に忍び込み、誰にも見つからないように、早朝に集まったドキドキ感が一気に白けてしまい、全員が落胆した。
それでも諦めきれない葛本は見落としがないか、さらに何度も画像一覧をスクロールしていた。
「・・・・・・・ん?」
突然何かに気づいたように眉をひそめる。
「こいつ!よーぉ見てみ!」
葛本はスマホを全員に差し出した。
「これ・・・・縄手やん?・・・」
「あ!縄手先生や!」
「ほら!よー見たら、ほんど縄手の画像ばっかやんけ。」
全員がマジマジとのぞき込む。
「うわ!」
「きっしょ‼」
「これなんか縄手のモッコリのアップやんか!わーキモいわーーーー‼」
スパッツ姿でストレッチをしている縄手の画像の一つを表示する。
「これも!」
「これも!」
「これもや!」
次々と表示される縄手の授業中に隠し撮りされた姿から、肌を思いっきり露出させた姿。
「マジか!きっしょ‼サブいぼ立ってきた!」
全員が唖然と顔を見合わせる。
「あいつ・・・・・やっぱり・・・・・色々わかってきたわ。」
葛本は眉間にしわを寄せながら
「ええこと思いついた。ぶっ壊してやるで!」
ニヤリと口角を上げ、縄手の画像を表示させたまま、久米と名前が刺繍されたバックに置き、カメラに収めた。
さらに別の縄手の画像を表示させ、スマホカバーで久米のスマホであることが分かるように何枚か撮影した。
「こいつ、ガチホモや。」
葛本は画像を収めた自分のスマホを揺らし、ほくそ笑んだ。
――――――――――――
期末テスト直前の昼休みは、自習をする生徒ばかりで、少しの時間を見つけては仲の良いグループで、個人でまとめたノートや、先輩からもらった去年のテストの内容を交換し合っていた。
久米もいつになく弁当を早く食べ終え、なんとか勉強をしないといけない雰囲気になり、机に向かって授業中に配布された問題を見直していた。
普段とは比べ物にならないくらい、静かな教室の後ろの扉が開き、速足で慌てた様子の木之本が入ってきた。
「香月、ちょっと今ええ?」
机に向かっていた久米に一気に近づく。
「ん?まぁ、うん。」
珍しく集中しかけていたのに、寝かけを起こされたような気分になり、少しイラっとしたが、木之本に催促されるように手首をつかまれたまま、立ち上がった。
この時間には人通りがない美術室がある廊下の突き当りまで連れてこられた久米は
「どうしたん?」
表情がこわばっている木之本を見た。
「・・これ香月のスマホやんな。」
学校の掲示板であるサイトを、自分のスマホに表示させて久米に手渡した。
この手の掲示板はあることないことや、誰かを妬み貶めようとするアンチコメントが多く投稿され、学校側も注意を払っていた。
木之本のスマホを受け取り、映し出された画像に目を移した。
「なんだろう?」と久米はよく目を凝らした。
そこには今朝撮られたであろう、縄手と楽しそうにジョギングする自分の姿と、野球部の部室で撮られた自分のスマホに映し出された数々の縄手の画像があげられていた。
『久米香月はホモ野郎だ!縄手のことが好きで、性的に見ている。気持ち悪すぎ。』
「え!」
一気に汗が噴き出す、血の気が引く感覚が肌の上を走る。
「なんでや!なんでや!」
「やばい!これどうやって削除するや!」
パニック状態の久米は画面に表示されているすべてのメニューをタップして、投稿を削除しようと画策した。
「ヤバい、どうしよう。これはガチでヤバい。」額から、両脇から胸の辺りから大量の汗が流れだし半袖のシャツを濡らしていく。
木之本は素早く、究極にテンパってしてしまっている久米からスマホを取り上げ、
「誰かの嫌がらせなん?どうゆうこと?」
静かに見つめた。
「いや・・・・俺、ホモちゃうし。なんやねんこんな嫌がらせ。」
「これ、俺のスマホちゃうって!」
久米はそう言いつつ、木之本のスマホで「もう一度確認させてくれ」と手を伸ばした。それを避ける木之本。
「見せてや。香月のスマホ。」
その言葉を無視して
「ちょ!も一回スマホ貸してや。」
手を伸ばす久米。避ける木之本。
「お願い!貸してや!」
「香月のスマホ見せて!」
「ええやろ別に!とりあえず木之本のスマホ貸してーや!」
手を伸ばす久米に避け続ける木之本がもみ合いとなる。
「もう!痛いって‼」
木之本の怒鳴り声に、一瞬動きを止めた久米の隙をつき、木之本は教室に向かって走り出した。
不意を突かれた久米は、自分のスマホを見られることを究極に焦り、必死に後を追いかけた。
「見せてもらうで‼」
勢いよく久米の教室に飛び込んだ木之本は、そのまま一気に久米のバックに手をかける。
「おい!やめろや‼」
追いついた久米が初めて見せる怒りの形相でバックを奪い返す。
「何を隠してるんよ‼言ってや‼」
静かにテスト勉強をしていた場が一気に乱れる。
声を張り上げた木之本と張り詰めた雰囲気のずぶ濡れの久米に視線が集まる。
「お前には関係ないわ‼」
久米のそんな叫びと形相に、木之本は目を見開いて驚いてしまった。
「おーやっとる、やっとるー。」
そんな二人の様子を、ニヤつきながら廊下から見ていた葛本は、教室に足を踏み入れた。
葛本を睨みつけ
「なんやねん!やんのか!こらっ!」
自分の感情に整理がつけられない久米は叫ぶ。
「おーこわいーこわい!」
「木之本!お前こんなホモ野郎と付き合ってたんかー」
久米の信じられない言葉に、動揺を隠せないままでいる木之本へと、ニヤつきながら葛本は近づいた。
「なんやお前、縄手のことが好きやったんかー。知らかったわー、はよ言えやー。」
身動き取れない木之本の横に立って、久米に向き直った満面の笑みの葛本。
「俺はゲイやない!」
「俺は、縄手先生のことなんか・・・・」
啖呵を切ろうとしたが、言葉に詰まる。
「お願い香月。スマホ見せて。」
小さな声で、木之本は手を合わせ拝むように、久米を見る。
その姿を見たとたん、一気に呼吸が荒くなり、心臓の鼓動が鼓膜を伝わり耳の中で響き渡る。
『ハァ、ハァ、ハァ・・・・』
久米は半袖の夏服から染み出た汗で、ズボンまでずぶ濡れになっていた。
「お前、おっとろしいのぉ!見せたれや!おかま野郎!」
腕組をした葛本は、完全に勝ち誇った笑顔で言い放った。
【おかま野郎!】胸をえぐる言葉が、引き金になり、絶対に誰にも見せられないスマホが入ったバックを強く握りしめた。
『ハァ、ハァ、ハァ・・・・』
何も言えず、動けない。
すべてが止まり、誰もが久米の答を待っている感覚に陥った。
ただ、教室の緊張した空気をかき混ぜるように動くサーキュレーターの音と、開け放った窓から届く遠くの国道の音がこの場を支配していた。
突然、何かが爆発するように、何かが崩壊するように、久米は葛本と木之本を避けて、命の危機を免れるように教室から一気に飛び出した。
猛ダッシュで廊下を走り抜ける。
階段を一気に飛び降りる。
『どうしよぅ…バレた。俺の必死に隠していた、絶対にバレてはいけないことがバレた…もう生きていけない…これから俺はどうしたいい…』
心の中に次々に浮かんでくる思いは、鉄の塊のように胸の底に溜まり、重くのしかかり苦しさを加速させていった。
鼓膜に触れる空気が重くなる。
「おい!久米!廊下走るな!」
追い越した縄手のこもった声が背後から、歪みながら追いかけてくる。
一緒に誰もいないグラウンドを走れていた二人だけの時間も・・・
こっそり校庭から盗み撮りしていたドキドキした時間も・・・・
授業中の真剣だけど、ふざけたトークで場を盛り上げている先生の姿を見ていた時間も・・・
先生に集まって、笑いながら話しをしている輪に何げなく入っていた時間も・・・・
全部、全部、全部なくなってしまう・・・
一瞬にしてすべてを奪ってしまう世界を包み込む失意の闇に、誰にも助けを求められないことを知っている久米は、そんな追いかけてきた縄手の声を振り払うように、もつれそうになる足を力いっぱいに前に出し、逃げ続けた。
【トゥルーカラーズ=僕らの家族スタイル】オリジナルイメージソングアルバムVolume1とVolume2がSpotify、Amazon music、YouTube Music、Instagram、TikTokなどで配信中です。
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