第1話ー②
終礼のチャイムが鳴り、どこの部活も休みとなった為、下校時刻の昇降口は生徒でごった返していた。
さながら通勤ラッシュの駅のホームのように、お互いの関係性の距離を保ち、脆い自己を守るだけで必死な様子だった。
教壇で担任教師が翌日の連絡を終え、クラス全員が挨拶をした。
我先に帰宅する生徒の波が溢れだす。
久米もバックパックに左腕を通しながら、三年二組の教室を出た。
「香月!おつかれ!」
隣のクラスの木之本沢奈【きのもと さわな】(17)が、ハンディファン片手に、満面の笑顔で久米に声をかけた。
「おう!木之本もお疲れ!」
振り返る久米は、咄嗟に笑顔になり答えた。
バックパックに吊り下げた、木之本の手作りマスコット人形が揺れる。
二人の名前が刺繍されたユニフォーム姿の久米と、ブラウス姿の木之本のマスコットは仲良く同じ長さで下げられ、揺れるたびに重なり合う。
昇降口へと廊下を歩きながら、真っ黒に日焼けした久米の横顔を、前髪を上げながら木之本がのぞき込んだ。
「ん?」とした表情の久米に
「日に日に黒ろなるなぁ。スキンケアしとるん?」
「やってるって。洗顔は絶対やってるって、さっきもしたし。」
「洗顔だけじゃあかんって。保湿は大切やで!明日、私の使ってる低刺激の化粧水あげるわ。」
少し下の角度から「ありがとう!」と言う久米の顔をさらに見つめる。
「ほらっ!ここにニキビできかけてるやん!痛いってー」
指でこの辺りと、顎下をぐるっと指さした。
「えー!ガチで!気ぃつけてんやけどなぁ」
口を大げさにへの字にする。
「もぉ!あかんて。」
おどけて怒るふりをする木之本は続けて言った。
「この後どうする?期末テストヤバいんちゃう?」
「勉強嫌いやって・・・。」
ぶっきらぼうに答える久米に。
「もーぉ。やらなあかんのんとちゃうん?」
木之本はマジトーンになる。
「わかっとるっちゅーに。」
「三年の一学期末は点数とっとかんとガチヤバいって、先輩いってたで。」
「わかってるっちゅーに!」
木之本の催促にだるくなりつつ、下駄箱からトレーニングシューズを取り出し、履き替えながら久米は小さくため息をついた。
「ひとりでやっても埒あかんやろ?」
「はぁー。」
久米はつま先を地面に軽くたたき、靴を足にフィットさせて面倒くさそうな表情のまま、昇降口を出た。
「やろう!教えたるわ!マックシェイクで勘弁したろ。」
横に並んだ木之本は久米の肩に手を置く。
「は?なんでやねん!金ないちゅーに!」
テスト勉強から逃れようとする久米に、変顔をしながら、木之本はそのまま手首を強くつかんで引っ張る。
「わかった、わかったって!」
強引さに大きくため息をつき、久米は勉強の誘いを承諾した。
「やったー初日にある英語表現からで!」
「いきなりそれか・・・」
「やるで!」
「・・・・はい。」
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その後、木之本にシェイクを三回も奢らされ、自分はコーヒー一杯とフライドポテトM サイズだけで、久米はこの後三時間近く慣れない勉強をすることになった。
「腹減った…。」
―――――――――――
翌朝、いつも朝練がある時間帯のグラウンドに生徒は一人もおらず、仲夏の澄んだ大気が静かに流れていた。
さらに青さが増した空には、近くに広がる森から、新緑の強烈な照り返しが放たれ、もう梅雨が明けたのではないかと思えるほど、太陽は白く輝き、刹那な夏の始まりを断言していた。
三年二組副担任であり、生徒指導部学年リーダー、さらに陸上部の顧問である縄手章畝【なわて あきや】(30)は、目に刺さりそうな日差しに暑さを感じながら、大きく息を吸い、校舎の影でストレッチを終わり、ゆっくりとトラックを走り始めた。
大和まほろば高校は奈良県橿原市にあり、全校生徒数五00名超が在籍していた。
県内でも有名校の一つではあったが、丘陵地の頂上にあり、通学だけでも一苦労だった。
生徒たちは住宅街の坂道か、うっそうとした木々で覆われた古墳群を抜ける急坂を登らなければならなかった。
そんな木々からそよぐ風を頬に感じる。
一歩足を前に進ませるたびに大気が揺れる。
軽やかに力強く地面を蹴るたびに揺れる筋肉の感覚が気持ちいい。
突き抜け晴れ渡った空を見上げて走ると、このまま空を飛べる気がしてくる。
「ええなぁー!最高やん!」
縄手は息をフッと吐き、腿を高く上げ、スピードあげた。
―――スマホのシャッター音が何度か鳴る。勢いを増して走り出した、筋肉に張り付いたショートスパッツに、ノースリーブのコンプレッション姿の、日に焼けた縄手の画像がフォルダーに収まった。
「おはようございます!」
グラウンドの横から飛び出すように並走し始めた久米は、笑顔で挨拶をした。
「おはよう!久米か!あれ?さっきまで素振り練習してへんかったっけ?」
少しスピードを落としながら、縄手は久米に振り返った。
「はい‼先生の走る姿を見たら、気持ちよさそうやなぁーと思って、こっちに来たっす!」
太陽のまぶしさのせいなのか、目が細くなりすぎて、線になってしまっている久米が笑顔を繰り返す。
「やろー!誰もおらんグラウンドはホンマに気持ちええでぇー。」
縄手はそんな久米に笑顔で答える。
「先生、毎朝走ってるっすよね。」
「走るって、一日の始まりの準備運動みたいやろ、気合入んねんって!」
グラウンドの乾いた土を蹴る音が、気持ちよく響く。
「分かります!俺も朝体動かさんと、その日ずっと気持ち悪いっすよ。」
「やろ!テスト終わりまで部活ないし、毎朝一緒に走ろうや!」
「え!ええんすか?」
「陸上部の奴ら、誰一人来んから寂しいねんって。」
苦笑いの縄手の顔が夏の日差しに溶ける。
「やった!あざっす!自主練終わったら、来ます!」
「でも、その恰好は暑いやろ?」
縄手は、野球のユニフォーム姿の久米を軽く指さした。
「慣れっこっすよ。」
今度は久米が少し横に離れ、目を可能な限り大きく見開き、縄手の足元から頭へ視線を流した。
「でもやからって、先生、露出多すぎっすよ!最初どこの変態が走ってるのかと思いましたよ。」
にやつく久米。
そんな表情を見た縄手は、唖然となり突っ込んだ。
「おい‼誰が変態やねん‼」
「モッコリ変態仮面ですね。」
わざと大袈裟に、縄手の股間を凝視する。
「お前‼どこ見てんねん!」
突っ込む縄手に久米は笑いながらスピードを上げた。
「ほんま最近の奴らはーマセガキばっかりやな!」
ふざけながら追いかける縄手。
「俺はもう大人っすよー!」
追いつかれないように、久米は満面の笑顔で走り続けた。
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