『クラウド』
セシリアが姿を消した。その話はすぐにセシリアの生家であるオールディン家にも届いた。
謂れのない罪で娘が動く死人と変貌しただけでも胸を痛めていたオールディン夫人は、この一報により倒れ、オールディン公は今にも倒れそうなほど青ざめた。
そしてセシリアの兄であるクラウドは、飛びこむような勢いでアシュトンの執務室に駆け込んだ。
「セシリアがいなくなったって……!? どうして、そんなことに!」
執務机に座るアシュトンに詰め寄るクラウドの顔は、泣きそうにも怒っているようにも見える。その複雑な表情を見て、アシュトンは自嘲するような笑みを漏らした。
「きっと、ここにはいたくなかったんだろうね。……彼女にとっては、私たちの顔を見ることすら、辛かったはずだ」
こちらを見てもなんの感情も浮かべない妹の姿を思い出し、クラウドは一瞬だが言葉を詰まらせた。
セシリアにしたことがどれほどひどいことだったかは、クラウドも理解している。助けを求めた手を振り払い、それどころか侮蔑の言葉まで吐き捨てた。
恥ずかしいと思ったことなど一度もなかった。むしろ、誇らしいとすら思っていた。それなのに、ウェンディと出会ってからというもの、クラウドの心には言い知れぬ憎悪が棲みついた。
それをおかしいとすら思わず、心にもない言葉を実の妹に向けた。
その瞬間の絶望に染まる瞳を忘れたことはなかった。
「だが、だからといって……どうして、そんな悠長に構えていられるんだ」
あの時抱いていた憎悪は、あれ以来自分自身に向いていた。たとえそれが呪いのせいだとしても、起きたことはなくならない。
愛しいと思っていた妹をどうして憎いと思ってしまったのか。助けを求めた手を握り返してやらなかったのか。
取り戻すことのできない日々を、クラウドはあれからずっと悔いては嘆いていた。
そして今、解消されない憎悪は自分自身だけではなく、目の前にいるアシュトンにまで向いている。
恨みのこもった眼差しを向けられたアシュトンは、口元に苦笑を浮かべながらクラウドに座るように促した。
「悠長に構えてなんかいないよ。捜索隊は結成したし、周囲をくまなく探すつもりだ。だけど……本当に、それでいいのかと思ってしまうんだよ。彼女が自分の足で逃げ出したのなら、それを追うべきではないんじゃないかって……」
「そんな……そんなわけ、あるはずないだろう。セシリアは、あの子は、一人で生きていけるほど強くない。もしも誰かに傷つけられたらどうするんだ!」
「ここには、彼女を傷つけた者しかいない」
低く短く紡がれた声に、クラウドは喉の奥で言葉を飲みこむことしかできなかった。
「私だって、彼女にはここにいてほしいと思っている。だけど、ここで安らげないのなら……もっと他の、彼女を誰も知らない土地のほうが、彼女のためになるんじゃないかって、そう思ってしまうんだよ」
「だが、だからって――」
なおも言い募ろうとするクラウドだったが、勢いよく扉が開かれる音によってそれ以上を告げることはできなかった。
「近隣の森でセシリア様らしき方を見かけたとの報告が上がりました!」
扉の先から現れたのは騎士の一人。クラウドにとっても見覚えのある相手だった。
切羽詰まったような必死な形相に、クラウドの頭に悪い予感がよぎる。
「セシリアは……彼女はどこに!?」
「それが……森に入ったところまでは見たそうですが、その後については……あの森は、あまりよくない噂があるため、見かけた者も立ち入ろうとは思わなかったようで……」
「なんで、止めなかったんだ! よくない噂があるなら、どうして……!」
今にも噛みつかん勢いで詰め寄るクラウドだったが、どうしてなのかは説明されるまでもなく、わかっていた。
王都に住む者全員がセシリアの顔を知るわけではなく、知っていたとしても、王城を出ているとは思いもしないだろう。
ましてや、貴族の令嬢とわかる装いをしている女性だ。それが一人で森に向かっているのであれば、何かしらの理由が――人に知られたくない理由があるのだと思っても、しかたない。
秘密を知ったが最後、よからぬことが起きる可能性もありえる。ならば触れず、見なかったことにするのが賢明だろう。
そうわかってはいても、飲みこむことはできなかった。
「それで……よくない噂というのは?」
アシュトンの落ち着いた声に、騎士ははっとした顔でクラウドから視線を外し、アシュトンに向き直った。
「何代も前に悪魔を崇拝していたものが、あの森で生活していたことがあります。そのため、あの森に迷いこんだものは……悪魔の贄にされるのだと、そう噂されています」
悪魔、悪魔。どうしてこうも悪魔が関わってくるのか。
ウェンディが現れるまではただの神話にすぎなかったというのに。
「……悪魔崇拝者がいまだに生活しているとしたら、彼女の身が心配だな」
アシュトンの言葉に、クラウドは目を吊り上がらせた。たとえ悪魔崇拝者がいなかろうと、一人でいる彼女を思えばクラウドの胸は張り裂けそうだったからだ。
クラウドは元々、穏やかな性分だった。それが憎悪を植えつけられ、芽吹き、今となっては行き場のないものと化している。
それが正常でないことは、彼自身もよくわかっていた。だが、大切な妹が行方不明とあっては制御することも叶わず、ただただ自分自身を、そして周囲を恨むことしかできない。
アシュトンも、それをわかっているのだろう。旧知の仲とはいえ、先ほどから不作法な態度ばかり取っているクラウドを咎めることはしていない。
「それで、森の捜索に着手できそうか?」
「それが……結成した捜索隊は方々に散っておりまして……」
言いよどむ様子から、森に回せるほどの人員が確保できないことがうかがえる。
アシュトンは王太子ではあるが、結局のところ王太子にすぎない。自由に動かせる兵は少なく、今回の捜索隊の結成に関しても、陛下や騎士団の団長、それから軍を預かる者たちに手を回して無理矢理人員を確保したものだ。
捜索に惜しむことなく人員をあてがえば、他の場所でほころびが生まれる。それゆえに、これ以上動かせる人員はいなかった。
「少なくとも、今日中には難しいかと……。ですが、私が今から向かいますし、それにアベルが――セシリア様の護衛騎士に任じられた者もすでに向かっております。必ず吉報を持ち帰ると、お約束いたします」




