盗賊と義賊・1
まだ大きな象徴の力は使えないものの、一日アルに体力づくりを見てもらい、ご飯を食べていたら、気力のほうはだんだんと充実してきた。
それにしても。
アルに鍛錬をつけてもらってから、町長さんの家に戻るとき、ふと風車を見上げる。巡礼地のひとつであるアネモネって、いったいなんの町なんだろうと思う。
巡礼地だとは聞いたけれど、それだけで町ひとつを維持できるもんなのかな。観光地だったらそうでもないんだろうけれど、今は世界浄化の旅の真っ只中だ。つまりは穢れが活発なんだから、巡礼の旅どころではないと思うんだけれど、違うのかな。
「どうかしましたか、リナリアさん。ずっと風車ばかり眺めて」
声をかけてくれたのは、スターチスだ。アネモネを歩き回ってきた帰りだろう。持っている包みには私からだとよくわからないものがたくさん入っていた。匂いからして、薬草かなにかだろう。
私は「お帰りなさい」と頭を下げてから、疑問を口にしてみる。
「あのう、この町が巡礼地だとは伺いましたが。巡礼だけで、町ひとつは持つものなんでしょうか? ペルスィは元々は農村だったので、主産業は農業なのだと思いますが。この町は産業になるのかと。……神殿に近いカサブランカなら、まだわかりますが。今は穢れの活性化で、巡礼の旅を行うのは危険なのではと思ったのですが」
「なるほど、たしかに旅をするのは危険でしょうね。ですが、今だからこそ、この町は活性化しているのだと思いますよ。残酷なものですが」
そうスターチスが言うので、私は思わずきょとんとする。
危ないほうが、巡礼地は活性化する……? スターチスは「このことは、アルストロメリアくんやクレマチスくんには内緒ですよ」と軽く人差し指を立てて、しぃーっと唇に押し当てたあと、穏やかな口調で教えてくれる。
「信仰とは、不安な感情で支える主柱となります。穢れの侵攻で不安になっている現在のほうが、信仰というものに価値を見出す人が多くなるんです。神殿も危険な場所は巡礼禁止としているにも関わらず、世界浄化の旅がはじまっている今でも巡礼地を閉鎖しないのは、そういう訳です」
「ですが……まだ世界浄化の旅は終わっていませんし、信仰だけで世界浄化の旅が早く終わる訳ではありませんよね?」
「リナリアさんも巫女姫としては言ってはいけないことをおっしゃっていますね?」
それで私は思わず口を抑える。リナリアだったら、もっと巡礼に疑問を持たずに済んだんだろうかと、ついつい考えてしまう。私がそれを考えてしまうのは、旅が時にはきつくてつらかったこともあるし、実際に倒れたこともあるのはもちろん、無信仰者だからだろうと思う。
そしてスターチスもそのことをあっさりと言ってのけてしまうのも、この人は神殿の信仰の強いフルール王国の人にも関わらず、研究職の人だからだろう。
私の反応に、スターチスは「申し訳ありません、別にリナリアさんを皮肉っている訳ではないんですよ」と謝罪を添えてから、言葉を続ける。
「信仰というのは思想ですから。誰かがその信仰の名の元に善を成す。それにより信仰は肯定されるんです。世界浄化の旅が、いつも仰々しく触れ回っているのも、それにより信仰を肯定するためでしょう……それがフルール王国と神殿による思想統一だとしても」
「……スターチスは、神殿の信仰について、否定的なんですか?」
「そうですね、肯定でも否定もしません。信仰も思想も自由ですから。ただ、興味はありますね」
魔法学者としては、象徴の力に対する研究ができればそれでいいって考えなのかな。スターチスは。そう思いつつも、興味というのに「はい?」と思わず口にしてみる。
「クレマチスくんの聖書詠唱による魔法とも象徴の力とも違う詠唱に、試練のたびに現れる神という存在。そもそも神殿関係者の持っている象徴の力は、我々とはやや違う上に力が強いものが集中していますから、興味が尽きないですね」
「……そうなんですね」
そういえば。
神については、カルミアも「あれはなんだ?」と言っていたと思う。
聖書は図書館でも簡易版は並んでいたと思うし、神殿側で持っている聖書にも神についての言及ってなかったのかな。それとも。
いつかリナリアが聖書の一部の内容を消してしまったことを思い出す。彼女は、わざとこのことを気になるように、聖書の記述を消した?
彼女がどうして姿をくらませてながらも、旅に間接的に介入してくるのかもわかっていない。
疑問も謎も、まだ全然尽きてないんだ。
****
町長さんが用意してくれたのは、クラムチャウダーだった。貝なんてどこで手に入れたんだろうと思ったら、「こちらは川で獲れる貝を使っているんですよ。海のものよりも淡泊な味わいですが、焼いてから使うといい出汁になるんです」とメイドさんが教えてくれた。
なるほど。この間のミルク粥といい、クラムチャウダーといい、この辺りは牛乳がおいしいらしい。
皆で食事を済ませたあと、アスターが「そういえばさあ」と口を開いた。
「この町の子たちに聞いたんだけどさあ、最近盗賊が出るから巡礼者に注意勧告が出回ってるって話」
「盗賊って……こんな神殿騎士が巡回をしている場所でか?」
アルが珍しくあからさまに顔をしかめるのを気にしつつ、私も「それは本当ですか?」と聞く。
わざわざ神殿騎士にしょっ引かれるような場所で盗賊活動をしなくってもいいと思うんだけれど。だからといって、ペルスィみたいな農村でやっていいわけでもないんだけれど。
それにアスターは手をひらひらさせる。
「そりゃ俺だってそう思うわ。でもこの辺りは巡礼地のせいで、神殿側から優先的に食糧が供給されるから、食糧が足りないところから、義賊って大義名分で盗賊活動が増えているんだと」
「困りましたね……食糧の供給自体は、どの場所も平等で行っていますが、穢れの侵攻がひどい場所には、なかなか送られませんから」
それにクレマチスが悲しそうに目尻を下げる。
そっか……商業ギルドの人たちが食糧を運んでも、危ない場所にはなかなか運ばれない。穢れに取り込まれた獣と戦えるだけの人たちを傭兵として雇っているならともかく、それだけお金を持っているギルドもそんなにたくさんない。
でもだからといって、裕福な町だから襲ってもいい理由にはならないし、この町の人たちだって襲われたら困るのに。
「その義賊を解体したりはできないんでしょうか?」
私がぽつんと言うと、アルが半眼でこちらを睨んでくる。「病み上がりが余計なこと考えるんじゃねえ」って顔だ、これは。でもアルは口調にはできるだけそんな色を潜めて答える。
「難しいかと。ひとつ解体したところで、また出てきます。それに、これらは既に神殿騎士のほうに情報は出回っているでしょう。彼らに任せたほうがいいです」
「そうかもしれませんが……町の方に被害が及ばなければ、それに越したことはないんですが」
私も、これには上手い案が出てこない。
神殿騎士が動いているんだったら、こちらが出しゃばらなくってもいいんだろうけれど。
私はそう思ってこれ以上は口にしなかった。
食事を済ませたあと、食堂を出て宛がわれた部屋に戻ろうとしたとき。アルが「理奈」と小さく声をかけてきたので、私が振り返る。
「なに?」
「余計なことを、絶対に考えるなよ」
「……もし考えついたらするかもしれないけれど、今はなにも思いつかないからしないよ」
「それでいい」
私がこの世界の常識や知識が足りないってことくらい、アルもわかっているはずだけれど。私は思わず半眼になったけれど、ふとアルが気にしていた理由に気が付いた。
アルやクレマチスのルートだったら、巫女修行時代のリナリアが無茶して、流行り病の人たちを助けようとして薬草を取りに行って彼女自身も流行り病で倒れるって回想が入るんだった。
もしリナリアみたいに力が強かったら、過信してそんな無茶もやらかしたかもしれないけれど、私には過信するほども象徴の力を使いこなせていないのに。
アルがまた寝ずの番に戻ったのを確認してから、私はベッドに戻った。
そのまま寝ようと目を閉じたとき、コンコンという音が立てられたことに気が付いた。窓の縁になにか石が投げられたのだ。
いたずら……? 町長の家なのに、そんなことして大丈夫なの?
私は思わず起き上がって、窓のほうに向かう。
町長さんの家にはメイドさんたちだけでなく、護衛の人たちもいる。メイアンで見かけた護衛騎士さんたちみたいな物々しいものでも、神殿騎士みたいな雄々しい感じでもないけれど、その人たち無視していいことはないと思うんだけれど。
窓を開けるのは、まずいよなあと思ってためらっていたら、滑らかな声が滑り込んでくる。
「閉ざされた道を指し示せ……鍵開」
突然、窓は全開に開いてしまう。
ちょっと待って。こんなのあったっけ……。私はぐるぐると考え込んで、気が付いた。
……たしか、サブシナリオであったような気がする。特定のキャラの好感度を上げていたら、アネモネでイベントが発生するはずだけれど、それがなかった場合……ほとんどアネモネではそんなことなく、誰かが好感度ランキング一位になっているはずなんだけれど……発生するイベントがあったはずだ。
これは一度完全攻略のために、サブシナリオイベント潰しに入ったときにしか発生しなかったから、ほとんどなにがあったのかは覚えていない。
たしか、義賊にリナリアが誘拐されるイベントだったと思うけれど。
途端に、ふわんと甘い匂いがしてきた。その匂いは、ちょうどローズマリーとラベンダーの香油を一対一で割ってアロマランプで焚いたような甘い匂い。
その匂いを嗅いだ瞬間、視界がだんだん霞んでくることに気付いた。ちょっと待って。これ……催眠薬……?
「まさか、こうも簡単に巫女姫を捕獲できるとはなあ」
顔を大きく布で覆った男性が窓の縁に足をかけて、入り込んできた。それに、頭の中で危険信号が鳴り響く。
逃げないと。せめて誰かを呼ばないと。そう思って口を開こうとするけれど、既に眠さが勝ってしまって、体の自由が利かない。
男性がそのまま私を抱えると、なにか手紙を窓の縁に置いて、そのままヒラリ……と跳ぶ。
意識が飛ぶ前に、私はどうにかスターチスからもらったペンダントを、自分の使っているベッドに落とした。
どうか、気付いて。
限界の眠気に、そのまま私の意識はさらわれてしまった。




